第二話 『背徳城の戦槌姫』 その21


 『背徳城』は下品だが、それだけにヒトの欲望に働きかける力が強い。回廊を歩きながら、誘惑と戦い続けることになるね。別に裸の美女とか、かぐわしい香りを放つ美酒にのみ心を奪われるわけじゃない。


 肉料理に魚料理……客に多くの人種がいる以上、その味覚も多彩。ヒトの舌には趣味が多彩だ。万人が好む料理など、存在しないのだ。


 ―――おそらく味覚とは、原始的な感覚なのだと思います。だからこそ、多様性を獲得しているのでしょうね。


 ロロカ・シャーネルは、いつか彼女自身の持つ難解な考えを、オレに分かりやすい言葉で教えてくれたよ。


 賢いヒトってのは、何を考えているのか想像が及ばないものだな。


 そのハナシを聞かされたのは、川辺で釣り糸を垂らしていた時だ。あまりにも釣れずに、オレのとなりで読書を楽しむ彼女に、魚がエサに食いつかない理由って何かあるかい?と愚痴った瞬間、ロロカ先生の授業は始まっていたのさ。


 大陸中を旅して回るあいだに、貧乏人だらけの『パンジャール猟兵団』の胃袋を支えるオレの釣り竿の技巧も深まっていた。魚を釣ればタダだもんな。色々な人種がいる『パンジャール猟兵団』は……実力はあれど、信用の獲得に課題を抱えていた。


 人種が違うということは、不審の源となる。


 残念だが、それが現実だ。ヒトは公平な判断を下せる動物ではない。感情的で排他的な動物である。多人種の集団だからこそ、オレたちを疑う者は少なくないのだ。


 単独の種族だけなら?たとえば、オレたちが全員ドワーフなら?……ドワーフの雇い主に、オレたちは引っ張りだこだったろうよ。実力重視で集めた結果、どこよりも人種差別のあおりを受ける集団になっていたわけだ。


 貧乏暮らしは過酷だったが、結束を深めて、腕を磨くことにはつながっただろう。達人しかいない状況で、お互いを練習相手にした。武術の天才たちがな。そいつは得がたい鍛錬の場ではあった。


 そして、蛮族が知恵を磨く場所でもあったね。インテリのロロカ先生は、赤毛の蛮族に教えてくれたよ。オレの素朴な疑問に答える形でな。


 ……経験則だったけど、同じ種類の魚でも、土地によって好むエサが異なる。ミミズを好むフナもいれば、コオロギを好むフナもいやがる。同じ模様、同じ形、同じ種族のはずなのに。


 ―――『食文化』を持っているんですよ。ヒトと同じことですね。


 羊を至高の食材と語るドワーフもいれば、豚肉こそ最高だと語るドワーフがいるのと同じことらしい。お魚さんたちも、種族よりも、それぞれの出身地の味に味覚が偏位しているのだと、ロロカ先生は教えて下さった。


 魚ごときの下等生物に『食文化』?


 一瞬そんな言葉が頭に浮かんだが、ロロカ先生の『味覚とは、そもそもが原始的な感覚なのではないか』という説を思うと、魚ごときの下等生物にも、『偏食』の傾向があったところで不思議じゃないとも考えたよ。


 ―――おそらく、食べ物の好き嫌いがあることで、肉食動物は獲物を選べます。


 ―――ウサギが好きな狼と、鹿が好きな狼、イノシシが好きな狼がいる。


 ―――そうすることで、一種類の獲物を狩り尽くしても、狼という種が滅びなくなる。


 ―――自然の流れが導き出した、生き残りの知恵なのだと思います。偏食の傾向は。


 ……難しい言葉だったがね。各地の漁師さんと対話しながら、釣り人としての腕を磨いてきたオレの経験則は、ロロカ先生の説を裏付けるようだった。同じ生き物が、場所が違うだけで好むエサが変わるんだぜ?……なんだか、面白いモンだよ。


 動物の舌は、普段の食事に、大きな影響を受ける。『最高の料理』が存在しないのも、そのせいだろうよ。


 魚も獣もヒトも、味覚という感覚は、それぞれの摂取してきた食事の履歴で大きく変わる。体の内側に搭載された『本能』ではなく、外界からの刺激に依存する、『癖』だ。


 調教次第では、草食動物でも肉を食むようになるんじゃないかな……肉をむさぼる鹿を見たことがあると語った狩人も知っているし、戦場で人の死体を囓っている馬は見たことがある。


 胃袋に合うとか合わないかは別だろうが、動物の舌ってのは、多彩な『癖』を潜在的に有しているということさ……。


「……団長」


「ん?」


「何をボーッとしているのですか」


「ああ。すまない、ちょっと考え事をしてしまったよ」


「まったく。スケベですな」


 クールな巨人は、しずかなため息と共に、短い言葉でオレの性欲を非難した。


「……おいおい、誤解だ。そこそこ、賢そうなことを考えていたんだぜ?ロロカにまつわることでな」


「スケベな話ということですな」


「……ロロカに対して、失礼だろ?彼女は巨乳で、性的にも魅力的な女性だが……賢くて聡明な女性でもあるんだぞ?」


「たしかにそうですが……それで、一体、何を考えていたのです?」


「……『背徳城』の『多様性』についてかな。欲望に応えるため、さまざまな料理を提供している。正直、ここまで色んな料理屋が並んでる場所ってのは、見たことがない」


「ええ。本当に多彩ですな。ここの店は、どれもが『マドーリガ』の直営でしょう。本来は、コストを削減するために、同じような系列の料理屋にしたがりそうなものですがね」


「でも、テッサ・ランドールは、この多様性を選んだ。そして、それを成すためには、『ゴルトン』という運び屋の力に、かーなり依存しちゃっているかもしれないよなあ?」


「料理を出すための『食材』が豊富……この品揃えを提供するためには、『ゴルトン』の力が不可欠でしょう」


「それって、どう考えるべきかな?」


「……どうとは?」


「テッサ・ランドールの商売人としての視野は広そうだが……これだけの食材を取り寄せるのは、独自ルートじゃ足りないだろう。流通を支配していそうな、『ゴルトン』に依存するしかなさそうだ。でも、支払う手数料ってのは、相当な負担になりそうだよな」


「……ふむ。彼女は、アッカーマンの存在を煙たがっている可能性もある」


「テッサちゃんとやらは、良くも悪くも、他人の欲望を理解する力が強そうだよ。なんとも『ヴァルガロフ』向きなことにな。他種族の性欲のみならず、食文化についても理解があるようだ。彼女ならば、アッカーマンの『次』がやれちまうかもしれん」


「……団長は、この『ヴァルガロフ』のリーダーをすげ替えたいのですか?」


「まあな。アッカーマンは排除される定めだ。次のリーダーが、『ヴァルガロフ』と『自由同盟』側の橋渡しを出来る、有能な人物であっては欲しい」


「……テッサ・ランドールは、それに相応しいと?」


「『ヴァルガロフ』らしさはある人物だろうよ」


「この街に、肩入れしていますな」


 副官殿は鋭いよ。何にしたってそうだけれど、オレの心を読む力は特別に長けている。オレが分かりやすいだけなのかもしれないがね。


「ああ。そうだな……認めるよ。オレは、『ヴァルガロフ』が気に入り始めている」


「どうかしていますな」


「くくく。ああ、たしかにな。ここは、悪にまみれてはいるが……色んなヤツがいていい場所ではある」


「その点は同意しましょう。ここほどに、雑多な土地は知りません」


「それによ、どうやら、軍靴に踏み荒らされそうな土地でもある……オレは、祖国ガルーナを、この街の風に感じているのかもしれん」


「……過度な感情移入は、作戦の妨げになりますよ。この土地は、貴方が奪還すべき故郷ではない」


「……そうだな。とりあえず、ここの従業員どもに色々と聞いてみたくなった。ガンダラは右に回ってくれ。オレはこのまま左に回る……手分けして情報収集だ。『新人』についてと、テッサ・ランドール……アッカーマンへの不満もな。巨人族のお前なら、態度で示されるかもしれん」


「……『ゴルトン』のフリをしろと?」


「ああ。巨人族として生まれたことを武器にしてくれ。お前が単独でいれば、『ゴルトン』のマフィアとして誤認されるさ」


「……マフィアに化ける。屈辱的ですが、命令ならば逆らいませんよ。わかりました。アッカーマンと『ゴルトン』への不満の度合いを、調べてみましょう」


「頼むぜ。じゃあ、ミッション・スタートだ」


 ガンダラと離れて、オレは手当たり次第に情報収集を開始する。まずは、ドワーフの戦士に近づいていったよ。


「よう、戦士の同業者」


「……なんだ。オレは売春婦じゃないぞ?」


「知ってるよ。そこまで倒錯した性欲の持ち主じゃない」


「たまにいるからな。で?なんだ?」


「……ここの警備のドワーフは、みんなアンタみたいな立派な戦槌を持っている。ドワーフらしく、いい鋼だな」


「女や酒よりも、鋼に惹かれるか?」


「女や酒よりもとまでは行かないが……いい鋼には惚れるよ。どこで手に入る?」


「……非売品だ」


「ああ。『マドーリガ』に入らんともらえないのか?」


 鋼に、茨が絡んだ杯が刻印されていることも、オレは見つけているよ。戦槌に向けられる視線を、警備のドワーフ嫌ったのか、戦槌をくるりと反転させて、こちらの視界から紋章を隠してしまう。


 ドワーフってのは、無愛想なヤツが多い。この人物も、そのようではある。詮索されるのも好きではないようだ。


「つれないなあ。でも、当たりだろ?オレは、その戦槌を金では買えないらしい」


「そういうことだ。この戦槌は、『マドーリガ』の魂でもある」


「組織に忠誠を誓わんと、支給されんわけか」


「ああ。それが分かれば、とっとと失せやがれ。金があるなら、女でも買って、鋼のことは忘れろ」


「わかったよ。でも、もう少し教えろ」


「……」


 無言だったよ。視線も外された。コミュニケーションを取りたないらしい。自分の仕事に集中したいのだろうな。分かるよ。でも、オレもしつこい男なんだよね。


「同じ戦士のよしみで、教えてくれ。その戦槌の、一番の使い手は誰なんだよ?……そいつも、闘技場には出てくれるのかい?」


 闘技場。その言葉には、戦士なら惹かれる要素があると思った。


 無愛想なこのドワーフも反応してくれたよ。細めた目で、オレの体を確認するように見つめて来る。戦闘能力を、はかっているんだろう。戦士としての質なら、超一級品だぜ。


 ドワーフはオレのことを闘技場が目当ての戦士だとでも、認識してくれたようだ。固く閉じていた口を、再び開いてくれた。


「……出ることもあったが、ここの経営が忙しくて、闘技場にはもう参加してはいない」


「そうか。がっかりだ。それで、その男は、どこの誰だ?」


「……男ではない」


「ん?」


「……『マドーリガ』で、最も戦槌を巧みに操るのは、男ではない」


「マジかよ?……どこの誰だい、その素敵な女性は?……戦えんなら、名前ぐらい教えてもらいたいもんだ」


「テッサさまだ。ランドールの後継者であり、この『背徳城』の女主人だ」


「……ほう。勇敢なるドワーフの戦士たちを、腕っ節で超えたのか?」


「テッサさまは天才だ。先代の強さを、誰よりも継いでおられる」


「どんな女だ?美人かい?」


「……ドワーフ族の美醜は、お前らには分からんだろう」


「太っている方がチャーミングだったっけ?」


「戦槌姫さまは、人間族の血も混じっている。手足は、それなりに長い……オレよりも少しだけ長い。身長は、お前の胸の辺りだ。人間族の女に、似ておられる」


「人間族的な美人か?」


「……彼女の周りには、オレの弟も含めて、腕の立つ若いモンがそろっている。不用意に近づけば、頭の骨を砕かれるぞ」


「ちょっとした好奇心で訊いてるだけだ。腕も立つし、美人なら。遠くから見るだけでもよ、いいカンジのため息が吐けるじゃないか?」


「……女好きめ」


「で。どうなんだ?」


「……人間族には、美人と言われている」


「ドワーフからは……って、質問はしねえよ。オレには、そっちの情報だけで十分だ。ありがとうよ、邪魔したな」

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