第二話 『背徳城の戦槌姫』 その20


 『背徳城』、『マドーリガ/茨まといし聖杯』どもが所有する最大の売春宿……いや、娼館という方が、洒落ていていいかもしれないね。まあ、その見た目は、草原に突き出した古い砦よりも粗雑な風貌だ。


 『醜い豚顔の悪鬼/オーク』どもの脂肪がまとわりついた醜い体のように、それは巨大であり歪んでいる。背徳的な悦びが、全てこの場所では叶うのだろうな。『ヴァルガロフ』の夜風には、酒と料理の素晴らしく食欲を刺激してくるにおいが混じる。


 ……それに。


 怪しげな薬草を焼いて出る煙も、風に混じっているのさ。こいつは薬草イシュータルのギザギザの葉っぱを乾燥させて、粉々にしたものを焼いているのだろう。深く嗅ぐと、頭の奥に一瞬のふらつきを覚える……。


 錬金術師が精製する前の段間でも、思いっきり吸うと幻覚でも見てしまいそうだな。そんな不道徳的な煙が、料理の香りと混じって風に漂っているなんてね……欲望に忠実すぎるというか、ダメな街だぜ、『ヴァルガロフ』ちゃんは。


 『背徳城』の門番の一人に―――闘犬賭博の店を教えてくれたヤツは、もう帰宅しちまったのかいなかったよ―――オレたちは偽の『身分証』と共に馬車を託したよ。身分証といっても、お役所が作るものじゃないよ?


 ……一種の紹介状さ。『ゴルトン』の幹部の一人の名が、そのお手紙には書かれている。内容は、『白虎』の幹部の一人娘、シアンさまとその下僕たちを、丁重にもてなしてくれ、というメッセージさ。


 国外に逃げた『白虎』もいるからね。『シアンさまのお父上』も、そんな連中の一人という虚構だよ。ヴェリイに頼んだら、馬車と一緒に届いたモノでね。『アルステイム/長い舌の猫』の連中の、詐欺師としての能力は有能極まるようだ。


 そして、『白虎』の名もまだ有効らしい。悪人どもは皆、仲良しってことだろう。門番はシアンお嬢さまに深々と頭を下げて、馬車をお預かりしますとドワーフらしからぬキレイな言葉を口にしていたよ。


 おかげで、オレたちは堂々と『背徳城』の正門から、その内部へと入ることに成功したわけだ。門から娼館のあいだまでには、それなりのスペースがあり……オレたち、今そこにいるのさ。


 料理と酒と、怪しげな薬草の煙を浴びながらな。まあ、大量に吸い込まなければ、幻覚も出て来ないだろうから、麻薬については安心だ。リエルの秘薬、『アンチ・イシュータル』も飲んでいるしな。


「なんていうかよ、祭りのようだな」


「不道徳過ぎるぞ。戦神をたたえるために、麻薬の草を燃やすとはな。他人様の宗教に文句をつけることは無礼だと思うが……率直に、どうかしていると思うぞ」


「ごもっともだ」


 エルフのピンク色の唇は、今夜も正論を吐き、世の中の怠惰と悪を許さない。戦神バルジアの教えは、節制とか鍛錬を尊ぶものらしいが、『ヴァルガロフ』流にアレンジされた教えは堕落と退廃を極めようとしているらしい。


 イシュータル草を、あちこちで燃やしてる。戦神への祈りと共にね……『マドーリガ/茨まといし聖杯』は、戦神が信徒たちに『ご褒美』を授ける姿のようだからな。ある意味では、享楽に酔うという姿勢は正しいことなのかね。


 世界には、さまざまな価値観があるようだ。


 まあ、邪悪なものばかりではないよ?……ほら、焼いた鶏のもも肉だって、そこらで売っている。タレにたっぷりと漬け込んで焼いた、美味いヤツさ。ミアがいたら、絶対、お兄ちゃん買って!!と言い出したに違いないよ。


 兄妹そろって、あのベタな美味さを宿した、太い鶏のももにかぶりつきたいところだぜ。でも、今夜はミアがいないから―――お兄ちゃんは、次の機会に、あのもも肉を取っておくんだ。


 ……そもそも、こんな不道徳な店に、ミアを連れて来ちゃダメだよ。もっと可愛いモンみて育って欲しいぜ。


 あちこちに半裸の女がうろついているし。乾燥させたイシュータル草の葉っぱを売ってる屋台まであるもん。ほんと、堕落の極みだ。あの葉っぱ、噛みタバコみたいに口に含んで使うっぽいな。愛好者たちが、噛みまくってる……。


 あの乾燥した草ちゃんが、値段が鶏のもも肉並みに安いことを、どう考えるかね?


 精製されていないから、あんなものなのか。


 それとも、ハイランドの『白虎』というお得意先の喪失で、『ザットール/金貨を噛んだ髑髏』の生産するイシュータル草が、余りまくっているという可能性もあるわけだ。


 ガンダラに訊いても……麻薬の価格までは、よく分からないだろうから、止めておこう。とはいえ、麻薬の原材料の草が、激安で売られていることは情報になる。『ザットール』が窮地に追い込まれているって情報の、裏付けにもなりそうだからな。


 この土地を支配出来る力を持っているのは、密輸業者『ゴルトン』のアッカーマン。『ザットール』はヤツに頭が上がらないだろうよ。帝国への麻薬の『輸出』……それが失敗すれば破綻しちまいそうだ。


 そして、そのアッカーマンに準ずる力を持っていそうなのが、『マドーリガ』。酒と売春婦で街の男どもを魅了しているな。


 この城には、『マドーリガ』どもの『姫』がいるらしい。『テッサ・ランドール』……ボスの代行か。『狭間』……つまり、ハーフ・ドワーフのようだな。部下たちの信頼も厚いようだし―――経営者としての手腕も、文句のつけようがなさそうだ。


 なぜって?


 この『背徳城』が大盛況だからさ。『城』のなかに入るまでは、安い料理、酒、麻薬ばかりだったが……いざ、その内部に入ると、価格が大化けしやがる。アホみたいに儲けてやがるぞ。


 『城』の内部構造は、ハイランドの王城によく似ていた。巨大な吹き抜けと、それを取り囲む空中回廊。その空に浮かんだ廊下には、無数の部屋が接続しているのさ。雑多としているし、清潔さはゼロだが、あらゆる快楽を提供する小さな店が、城内には並ぶ。


 テッサ・ランドール姫は、この地上のゴミ溜めみたいな『ヴァルガロフ』に、とてつもない豪勢な楽園を作りあげている。賭場、酒、女、料理、薬物……闘犬はいないが、あらゆる快楽を追求出来るようには造られている。


 『背徳城』とは、よく言ったものだ。


 まさに!……って、納得しちまうよ。そして、『ヴァルガロフ』の縮図だな。あらゆる人種がいる。人間族、ドワーフ、エルフ、ケットシー、数は少ないが巨人族もいる……禁欲的なガンダラの仲間たちにも、例外はいる。欲深いアッカーマン以外にもな。


 まあ。


 今夜ばかりは、オレたちのクールな知恵袋、ガンダラさんもドスケベ巨人族のように思われているのかもしれないが―――いや、シアン・ヴァティお嬢さまの『護衛』って方向性を目指したようだ。


 槍を背負ったまま、いつものように無表情だよ。


 まったく、クールなヤツだ。


 オレにはとてもマネ出来ない。


「……おい、ソルジェよ。ニヤニヤするな。任務中であるのだぞ」


 リエル倫理委員長が、静かにオレの背後からつぶやいた。夫婦って、スゴい!背後から、オレの表情を当てやがった……っ。


「カモフラージュを実行しているのさ」


「む?」


「オレのような蛮族が、このような空間にやって来た。大なり小なり、スケベな顔になっていなくては、それこそ違和感が生まれるだろう」


「そ、そうかもしれんが……」


 悲しいかな、やり込めることが出来そうだ。リエルちゃんの頭のなかで、オレは一体どんなスケベな生態を持っているケダモノとして扱われているのだろうか……。


 まあ。それはいい。


 さっそく作戦開始だ。敵情視察といこうじゃないか。


 ああ、檻があるぞ……この『背徳城』の回廊の吹き抜け……そこには空中から吊された檻が、幾つもあるな。あそこに女を入れて、『競り』にかけるというわけか。処女を好む男も少なくない。新人の売春婦たちを、あそこの宙に浮かぶ檻に入れて、客に見物させる。


 それぞれの女に、最も高い値段をつけた男が、その乙女を落札し、一夜を共にするという仕組みか。


 まったく、不道徳の極みだよ。誰のアイデアなんだか。もしかして、テッサ姫ちゃんかね?……ドがつくほどエロそうな女で、会ってみたいような会いたくもないような。複雑な気持ちになっちまうよ。


 距離のある場所から、確認してみたい人種っぽい。過剰な性格のヒトとは、オレは波長が合いがちだから、接触しない方がよさそうだ。


 しかし……『姫』で、ドワーフと人間族の『狭間』か―――どうしても、グラーセス王国のジャスカ・イーグルゥ姫を思い出さずにはいられない。彼女も烈女だったからな。


 『ヴァルガロフ』にジャスカ姫がいれば?……この城で、オレと遭遇しちまいそうだ。テッサ姫は、ここの経営者でもあるようだしな。新人の『競り』ってのは、売春宿が提供できるイベントの中でも、デカそうだ。きっと、テッサちゃんは今夜ここにいるだろう。


 それなり以上に切れそうな頭脳と、屈強なドワーフ・マフィアの戦士たちを引き連れる『狭間』……その戦闘能力は、どれぐらいのものか?ジャスカ姫並みであれば、かなり厄介なことになりそうだ。


 ジャスカ姫は、尋常ならざるタフさを誇っていたな。妊婦であられるのに、最前線で鋼を振り回しておられたよ。最高クラスの戦士の一人。テッサちゃんも、そんなヤツなのかね。


 だとすると、オレたちが騒ぎを起こした直後、最前線に現れるかもしれん。闘犬みたいな勢いで飛び出してくるかもな。ドワーフは、そんな大将が好きだろうから。荒くれた男は、女が好きだが、弱い大将は嫌う。


 ……この『背徳城』が栄えまくっていることを鑑みると、彼女の腕っ節は相当なものかもしれん。しかも、経営者か。管理職と違って、『商品』をどれぐらい危険にさらせるかを即座に自己判断できる。


 オレたちの力を推し量り、女たちを連れ去られそうと悟ったとき、容赦なく女たちを殺してでも、組織の誇りと秩序を守ろうとするかもな。


 売春宿から女を盗まれるなんて、ここの連中にとっては、最大の屈辱だろう―――城内は戦士の数も多く、腕も良さそうだ。ヤツらに、女を殺せと命じたなら?……オレたちでさえ、全てを守り切ることは出来ない可能性がある。


 シアン・ヴァティの助言に従っていて、良かったかもしれない。欲をかけば、難民の女たちを救出するどころか、死なせかねないところだった。


 オレの表情から、考えを読み取ってくれているのかね。『虎姫』は、オレの顔を見て、静かにうなずいていた。


「……リエル、キュレネイ。手分けして、女を捜すぞ」


「了解だ、シアン姉さま。『マドーリガ』の戦士たちは、武器を持った男の客ばかりに視線が向かっている」


「武装していない女子は、フリーで動けそうであります」


「……頼みましたよ、三人とも」


「セクハラされんように、注意しろ」


「……触られたら、その指と手首をへし折るぞ」


「うむ。女を舐めてるような男どもの骨を、砕いてやる」


「殺さない程度に、バカな犬を躾けてやるであります」


「ジャンがいたら怯えそうなセリフを言うなよ……」


 もしかして、キュレネイはあのセリフと、怯えたジャン・レッドウッドの表情を気に入っているのか?……だとすると、そこそこのサドだな。


「『ジョン』は犬ではなく、とても勇敢なオオカミでありますよ?」


 ……表情が、全く変わらんから、本気なのか冗談なのかも分からん。


「ジャンだ。うん。ジャンは、オオカミ。オレたちの仲間」


「もちのろんであります」


「分かってるのなら、いいや。じゃあ。行動を開始しようぜ。オレとガンダラは、そこら辺をぶらつきながら情報収集しておく」


「……ふむ。スケベな店が幾つもあるようだが?」


「リエルを筆頭に、三人もうつくしい乙女たちをヨメにしているんだぜ?浮気はしないって」


「……はあ。ヨメが三人もいる時点で、どうにも、空虚に聞こえる言葉だな」


「シアンお嬢さまは、我々、四人夫婦を誤解なさっておられる」


「だと、いいのだがな」


「団長は、何だかんだで、かなりのスケベであります」


 キュレネイに真顔で言われると、ちょっと言葉が心に突き刺さってくる。かなりのスケベ野郎ってか?……べつにいいよ。男はみんなスケベだって。隠すか隠さないのかの違いがあるだけだろ。


「……まあ。冗談抜きでの情報収集を始めようぜ。『テッサ・ランドール』の気性も、調べておきたい。経営者が指揮官だと、残酷かつ過激な判断も取りやすいからな。冷静かつクールな女社長サマなら良いんだが……」


 この『背徳城』にある、混沌とした中にも感じる秩序―――鉄槌を持たせたドワーフの戦士たちの練度による、力ずくの秩序。そういうモノを好むような女子って、かなりの狂暴女の予感がするぜ。


 ジャスカ姫の影響かな?


 だったら、いいんだがね。


「……とにかく。情報を集めるぞ……十五分後に、ここに戻れ」

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