第二話 『背徳城の戦槌姫』 その16
「おかえり、ソルジェ……って!?」
『ホテル・ワイルドキャット』の部屋に戻ったオレたちを、リエルの驚いた顔が出迎えてくれる。彼女の視線はオレの背後に向かっているな、ジャン・レッドウッド……に担がれている顔面の壊れたハーフ・エルフを見つめているようだ。
「ひ、ヒドいケガを負っているが……一体、どんな強敵と遭遇してしまったのだ、ギンドウよ!?」
「……敵というか、その……アレのせいっすよ」
「誰が、アレだ」
「ひいっ!!す、すみませんっす!!」
「ふむ。状況を察するに、シアン姉さまに殴られるべきようなことをしたのだな」
「まあ、そんなところだよ。とりあえず、『ヴァルガロフ』遠征チームは全員集合だ。あちこち下見してきたから、ミーティングをしようぜ?」
「うむ。こちらも色々と準備を……って。ソルジェよ?」
「なんだい?」
「お前も、かなり酒臭いな……」
翡翠色の瞳が冷酷にかがやく。マゾヒストじゃないからね、正妻エルフさんの怒りを帯びた視線を向けられたって、ワクワクとか来ない。体温が下がるような気がするんだ。
「―――作戦前だと言うのに、飲酒か?」
「お、オレのは、仕事の一環だ」
「む?」
「いや、酒場での情報収集に必要だったんだよ。なあ、シアン?」
「……許容範囲では、あるか」
「ギリギリだったみたいな言い方はするなって?全ては任務のためさ……『背徳城』を警備する犬どもを眠らせたんだ。十分な成果だろ」
「……まあ、そういうことにしておいてやろう」
「ふむ。シアン姉さまが認めるのならば、制裁の必要はないか。入れ」
「ああ」
何だかんだで、『パンジャール猟兵団』って女子が強いよな。別に不満はないけどね。リエルもシアンも、この誘惑が多い土地でのミッションには向く人材だし。二人とも、堕落を好まないからな。
「お帰りなさいであります。シアン、ギンドウ、おひさしぶりであります」
「……久しいな、キュレネイ・ザトー」
「キュレネイ……助けてくれえ……傷薬を、くれえ……っ」
「それぐらいの損傷なら、大丈夫であります。ギンドウは、体力はないですが、ゴキブリのようにしぶといですから」
「……さあ。早く、こちらに集まって下さい。作戦会議を始めますよ。ああ、ジャン、ギンドウをそこらに置いて、お前も参加しなさい」
「は、はい!お久しぶりです、ガンダラさん……っ!」
キュレネイにスルーされたせいだろうか。ガンダラに名前を呼んでもらえたことが、ジャンには何だか嬉しいらしい……不憫な青年であるな。
「ああ。『ジョン』もいたでありますね」
傷口に塩を塗るような言葉だったが、ジャンはそれでも嬉しそうだ。コミュニケーションが取れれば、悪口でもいいというレベルの認識なのだろうか?……キュレネイ、オレたちの仲間にジョンさんはいない。ジャンならいるんだ。
「お、お久しぶり、キュレネイ。ボク、ジャンだよ」
「イエス。ジョ……ジャン。そこのベッドに、ギンドウを置くといいであります」
「う、うん。ギンドウさん、運びますね」
「ああ……頼むっすわあ……っ」
……キュレネイは、ジャンに興味が薄いようだな。ジャンは異性から評価が低いタイプの青年らしい。鼻血の滝という伝説については、女子チームには秘密にしておいてやろう。シアンも、さすがにそれぐらいの慈悲はあるだろう。
横目でベッドに寝かされるギンドウを見守りつつ、オレはリエルといっしょにソファーに座ったよ。
さてと、作戦会議の始まりだな。司会であるガンダラはイスに座ったまま、その大きな手で地図を広げてみせる……『ヴァルガロフ』の地図だな。
「これは、ルードのスパイたちから譲り受けた、この街の地図です。我々が今いる場所がこの丸で囲んでいる場所ですな」
地図の右下あたりに、その丸はある。オレが頭のなかに作っていた地図と、ピッタリと一致する。さすがはルードのスパイ。いい精度の地図を書くよ。
ということは、この街にもスパイがいるのか……当然と言えば当然だが、こちらに接触して来ないところを考えると、荒事に向くタイプの人物ではないのかもしれない。
アイリス・パナージュやマルコ・ロッサのように、高度な戦闘能力を有する人材ばかりではないだろうからな。老人とかかもしれないし、売春婦に化けているかもしれない。街に融け込むために、四大マフィアにも関わっているはずだ。
下手に動くと、身の危険を招くだろうし……そうなったときに、身を守る戦闘能力までは無い人物なのかもしれんな。高齢だとか、病弱だとか、か弱い女性だとか。
……考えるても答えは出なさそうだ。そもそも、スパイについては、ルード王国の安全保障に関することだから、あまり詮索するのも無礼だろう。地図をくれただけでも十分だよ、この地図には―――。
「―――地下の水路が、描き込まれているな」
「ええ。そうですよ、シアン。下水道です。整備のために、ヒトが入れるスペースもありますし、ヒトが住んでいる場合もあるそうです」
「下水道にかよ?」
「そこそこ温かいですから。私も、小さな頃は、そこに潜り込んで、暮らしていたことがあるであります」
泣けてくるな。さすがに自称・育ちが悪いと言うだけはある子だよ、キュレネイ。
「……なんだか、キュレネイのことを抱きしめてやりたくなる発言だ」
「セクハラでありますか?」
「ううん。そーじゃない。もっと、やましさゼロの感情からだっつーの。まあ、いい。ハナシをつづけようぜ。ガンダラ、そいつを仕事に使うんだな?『背徳城』にも、続いているようだった」
「ええ。『背徳城』……『マドーリガ』が運営する、この街、最大の売春宿ですな」
「……二年前に、火事が起きたらしい。原因は不明。聞き出せていない。だが、増改築が進み、外の形状も、中も大きく変わったようだ」
「その情報も、把握してはいます」
「じゃあ。今夜、『新人』たちが競りにかけられるって情報もか?」
「はい。ルード・スパイから情報提供を受けていましたからな」
「……オレの『偵察』は無意味だったか」
「いいえ。最新の情報を手に入れられたことと、団長が下見をしてくれたことは有益ですよ」
「先に言っててくれても良かったんじゃないのか?」
「先んじて情報を渡すと、ついつい既成概念に沿うような情報収集になりがちですから。視点を確保したかったんです。複数の価値観による情報を入手したかった。団長なら、『背徳城』を見つけると信じていましたしね」
「スケベ野郎だから?」
「仕事熱心だからですよ」
そう言われると悪い気はしない。
「……ルード・スパイ、シアン班、オレ……そして、現地出身のキュレネイ。四者の情報を混ぜるってことか……ああ、ヴェリイ・リオーネからの情報もあったから、五者か」
「そうです。さて、報告をお願い出来ますかな、団長。おそらく、貴方ならば魔眼を使った情報を下さるでしょう」
以心伝心というかね。こっちの行動も予測済みだったらしい。褒められてはいるようだが、操られてような気もして、ちょっとフクザツな気持ちになる。だが、ガンダラが複数の視点を求めた理由も分かるから、文句も言えない。
この街はフクザツなんだよ。
法律に縛られていない、無秩序な情勢。複数の人種が入り乱れる土地。マフィア同士の抗争めいたものの気配。辺境伯ロザングリードを始め、帝国人という『外』からの影響……そして、ハント大佐による侵攻さえも、ガンダラは予測済みだろうしな。
あまりにも混沌とした状況だ。この戦場で『策』を構築することは、かなりのストレスなはず。
ガンダラは精密な『策』を好む、『攻撃型』の戦略家だからな。より多角的な情報を得ることで、この荒れ果てた『ヴァルガロフ』の状況を、少しでも精密に認識したいのさ。
「―――この地図に付け足せる情報は、警備の具合だな。屋上に弓兵、地上の縄張りの外縁には、強力な戦士たちが配置されている。ドワーフらしく、武器の鋼の質は高い。売春婦のために、見回りもいるようだ。街を見てきたが、人口が多い割りには、秩序がある」
「……なるほど。攻めにくい土地ですね」
「朗報は、闘犬どもに毒を盛れたことがある」
「犬を毒殺したでありますか?」
「いや。麻痺と睡眠の二種混合の毒を吸わせた。全長二メートル近い、事実上オオカミみたいなヤツらだが、その大半は今夜は動かんはずだぞ」
「ふむ。私の毒薬だな!」
ドヤ顔チャンスだから、リエルの表情筋が反応していたよ。自己顕示欲がそこそこ強いから、ニンマリしちゃってるな。
「……ああ。リエルの毒薬だ。犬には、ちょっとかわいそうだが、放置していれば難民を確保して撤退する際の、大きなリスクになっただろう」
「追跡される心配が減ったことは、たしかに朗報ですな。ドワーフよりも明らかに脚が速い……撤退が、しやすくなりますよ」
「お手柄だな、ソルジェ」
「ああ。夫婦の共同作業だ」
「……それでは、シアン。貴方からの報告を」
「……『背徳城』の用心棒の一部を、すでに排除している」
初耳だった。さすがはシアン。
「売春婦から金で買った情報をもとに、用心棒たちの居所を突き止めた。西地区の高層民家だが、そこを何軒か回って、腕の立ちそうな者は負傷させた。腕の悪そうな者は、放置している」
つまり、今夜の『背徳城』の守りについている戦士どもに、強いヤツは少ないってことさ。数は確保できるが、腕利きが減っているわけだ。あまり数を減らすと補充されるかもしれない……いい判断だよ。ザコなら、倒すのに時間も要らないしな。
「顔は見られましたか?」
「そのようなヘマはしていない。だが、ここの売春婦たちは、口が軽い。後日、私の存在が、彼女らの口からはバレるだろう。フーレン族は、この土地では珍しい」
「……じゃ、じゃあ、シアンさん。尻尾を隠せば、変装できるんじゃ……」
「『虎』に、隠すような尻尾は、存在しない」
「す、すみません!!」
どこに地雷が埋まっているか分からないからね、異文化間のコミュニケーションは難しいさ。ディアロス族の『角』は、親しくないヤツが触ると、殺されても文句が言えないらしい部位だとかね……知らないと分からないコトってあるものさ。
ジャンは怯えちまったが、社会勉強の一つかもしれん。
そして、シアンにとっても有益なコトではある。プライドを捨てることで、有効な作戦が一つ増える。『虎』は合理的な戦士だ。誇り高いが、戦果のためなら手段は問わない。『虎姫』サマは、まだ強くなれる部分があるのさ。
若手に指摘されたことは、ムカついてるだろうがな。誇り高き黒い尻尾が、ビュンビュンと怒りを露わにしているが―――シアンは尻尾を隠せば、人間族のフリも出来る。変装ってのは、いい戦術だよ。その有効性は、オレがよく知っている。
「―――まあ、今夜までにバレなければ問題はないでしょう」
「……それは、おそらく大丈夫だ」
「我々の目的は、あの売春宿に運び込まれているであろう、女性の難民を確保することですから」
「……だが、ガンダラよ。彼女たちを見つけられるだろうか?その『新人』とやらの全てが、そうとは限らないようにも思えるのだが……?」
「いい疑問ですよ、リエル。時間をかけられない作戦ですからな。そこの確認は、現地に侵入しての情報収集になるでしょう」
「確認のために、『背徳城』のスタッフを『尋問』する必要があるってことだな」
「ええ。『新人』の競りよりも早く、我々が現地に到着し、物陰で尋問して吐かせればいい……理想的には、『新人』たちから情報を得られたなら、それでも構いませんがね。いなければ、そのまま退却することになるかもしれません。より強攻策を選びます」
アッカーマンを確保することになりそうだな。この街の顔、難民に対する人身売買の中核を担う男だ。拉致して拷問すれば、色々と情報を得られる……ジャンの鼻があるんだ、ヤツがどこにいたとしても、すぐに確保出来ちまうよ……。
「……なあ。ガンダラ、そもそも難民の売り買いってのは、ここのマフィアどもは秘密にしてるんすかー?」
「ええ。『ヴァルガロフ』から東に戻る者たちも、大勢いますからね」
「あー。なるほど。そりゃ納得っすわ」
「ど、どういうコトですか、ギンドウさん?」
「はあ?ジャン。頭を使えって……東に戻る連中が、難民たちに情報を伝えちまうことだってあるだろ?……難民たちだって、切れ者もいる。『ヴァルガロフ』のコトを疑っている連中だって大勢いるはずっすよ。『ヴァルガロフ』の情報を、連中だって知りたいはず」
「そ、そっか……たしかに、そうですよね。『ヴァルガロフ』は怪しい街……ボクたちが運んだ難民のヒトたちだって、警戒してたって、言ってましたもんね」
難民をルード王国やザクロアに連れて行くという任務で、ギンドウもジャンも色々と経験を積んでいるようだな。
シアンがこの二人を連れて来てくれたのは、そういう経験も買ってのことだろう―――今のトコロ、鼻血の滝と、バカラ賭博で義手を失いかけるという、大きな失態が、シアンのなかで二人の評価を下げまくっているのは確かだがな……。
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