第二話 『背徳城の戦槌姫』 その11


 『ドッグ・オブ・グラール』から地上に這い上がると、ちょっとフラついてしまった。アルコールが回って来ている。


「……長よ。飲み過ぎだ」


「だが、いいハナシも聞けたし、彼らも犬も傷つけなかったぜ」


 闘犬どもに毒は盛ったものの、あれは時間の経過で解消される。後遺症が残るような性格の悪い毒ではない。戦いに明け暮れる犬どもに、一晩の休息を与えてやっただけのことさ。


「……想像していたよりも、厄介な犬どもだった。殺した方が、良かったかもしれん」


「オッサンも言っていたじゃないか。この街は、戦に巻き込まれる定めの土地だ。今日は敵だが、明日は味方かもしれんぞ」


「……それは、願望が過ぎる」


「まあな。だが、ありえないとは限らん。乱世だ。敵と味方なんて、たやすくひっくり返るもんさ」


「否定はしない」


「亜人種族のことを、帝国は否定している。ここの住民たちが、本当の意味で帝国人になることはない」


「『自由同盟』の戦力になると?」


「すぐにはムリかもしれないが、そうなる……というか、そうしたがっているんだろう、ハント大佐は?」


「……そうだ。『ヴァルガロフ』を占領する。遠い日では、あるまい」


「双方のために、手を組めたらありがたい。帝国と戦うためには、力がいる」


「……長が、それを求めるのなら、私は文句は言わない」


「だが。今は、クラリス陛下からの依頼を達成するのが先だ」


「難民たちを、西へと届ける」


「そういうことだよ。シアン、案内頼めるか?ギンドウとジャンと合流したい」


「わかった。ついて来い。私の尻尾を、見失うなよ」


 シアンの長い尻尾が、動く。酔いが回っているオレをからかおうって魂胆か、それはリズミカルに、波打つような動きを見せた。血に融けたアルコールのせいで、その尻尾を見ているとふらつきそうだよ。


「……腹を、殴ってやろうか?」


「酒を吐けってか?」


「酒好きには、不本意か。だが、それも任務のためだ」


「いやいや。ガルーナ人の肝臓を舐めるなって。あれぐらいの酒では、まだ酔っ払うわけにはいかない……あと。オレには、秘策もある」


「秘策?」


「……レミーナス高原では、有能な錬金術師たちと知り合いになれてな。この粉薬も、プレゼントされてる」


「何の薬だ?」


 道具袋から取り出した粉末薬の包みを、シアン・ヴァティは警戒心の宿った瞳で観察してくる。『ヴァルガロフ』の路地裏で、怪しげな粉薬?……場所が場所だけに、あらぬ誤解を受けてしまいそうだ。


「……新たな友が、作ってくれた薬だよ。アルコールを多飲するオレを心配して、肝臓にやさしい薬を分けてくれてね」


 ルクレツィア・クライスは誤解しているようでな。ロビン・コナーズのヨメが酒の飲み過ぎて、肝臓を腐らせる病に罹ったと聞き、『外』の人間族は肝臓が弱いと思ったのだろうさ。オレにも肝臓の薬……というか、アルコール対策の薬をくれた。


「仕組みは謎だが、この薬を飲むと、体内のアルコールが中和されるとか?」


「錬金術の薬か……あまり、己の力以外に頼るな」


「そうだな。それに、オレだって趣味じゃない。アルコールとは、正面から向き合いたいものだが……仕事のためさ」


 その粉薬を口に流し込む。想像していたとおり、メルカ仕様さ。甘く味付けされているから、飲みやすい。なんというか、固まった蜂蜜を砕いて粉にしたような味だ。舌に触れると唾液と体温で融けていく。


 甘味が口いっぱいに広がるが、その甘さに隠れるように苦味もある。そいつが薬効を持つ錬金術の薬なのだろう……。


「……苦いのか?」


「いいや。どっちかというと、甘いんだ」


「甘い薬か。子供向けだな」


「女子ウケを極めた結果らしいがな……山の上の友たちは、女ばかりだ」


「ほう。一夫多妻の男には、楽園だな」


「なかなか一言では説明するのが難しいヒトたちなんだけど。そのうち、しっかりとシアンにも聞かせてやるよ。有能な女戦士たちばかりだ」


「……剣士はいるのか?」


「ああ。もちろんだ。閉鎖的な環境で、1000年のあいだ伝えられた武術を継承する。素直で、とても合理的な剣術を行う。良い点も悪い点もあるが、『効率の良さ』だけなら、オレたちの剣術以上かもな」


「それは、楽しみだ」


 剣士は剣士が大好物だからな。他流の剣と交わることで、多くのことを発見できる。


 とくに、シアンは研究熱心だからね。誰よりも、剣術ってものを愛しているのさ。メルカの剣術は、脅威的な『賢さ』に裏打ちされた合理的な動き―――速さが信条の一つであるシアンの剣には、いい参考になるかもしれん。


 感覚や経験は、技巧の評価を歪めることもある。


 『自分』を客観的に見つめることは、なんとも難しいもんだが。ホムンクルスたちの場合は、そうじゃない。同じような肉体に、同じような剣術……彼女たちは、自分たちの武術を、誰よりも客観視して来た存在でもある。


 肉体の能力を、100%出し切るような上手さを、彼女たちは発揮していたな。特別な動きではないが、基礎を極めた合理的な動き。


 『メルカ・コルン』の動きは、女の体の柔軟さがあってこその技巧……オレには、あんまりマネ出来なかったが、シアンならばマネすることは可能。そして、シアンから『メルカ・コルン』たちに伝えられることも多かろう。


「我が妹分たちに、シアンと手合わせをさせたくなった」


「……妹分たち?」


「双子の少女たちだ。ククリとククル。いい戦士だし、才能もある。あと、オレたちよりも賢さがあるな」


「ほう。仕込むと伸びるか」


「ああ。間違いなくな」


「……そうか。楽しみになる」


 我らが『虎姫』、シアン・ヴァティは若手の指導に触れることで、何か変わっているようだな。指導する喜びを、彼女は見つけたのかもしれない。


「……何を、ジロジロ見ている?」


「いや。君の成長を見ている気持ちなのさ。武術教官の仕事は、有意義だったようだな」


「否定はしない。未熟者を見て、学べることもあったのは確かだ……才ある若手が、武の道を進む光景は、正直、楽しくもあった」


「シアンは向いているさ。誰よりも『強さ』を愛しているからな」


 自分が強くなることも、他人が強くなることも。シアンは好きなんだろうな。


「……このハナシは、もう終わりだ」


「わかったよ。今は、任務を優先しなくちゃならんからね」


「そうだ。それで、酒の酔いは?」


「だいぶマシになった。もう歩ける。案内を頼む」


 シアンはうなずき、足音を立てることもなく歩き始めたよ。オレは彼女の後を追いかけた。シアンのフーレン族の尻尾は、薄暗い路地のなかで静かに揺れている。それを見ていても酔いが回ることはない。


 あの薬は、有効そうだ。


 きっと、ロビン・コナーズのヨメの肝臓も、どうにか癒やしてくれるだろう。正直、いい酒だったんだがな。荒くれ者のドワーフと交わした酒は、ストラウスの剣鬼からすれば胃袋と魂に染み入るものだ。


 血から、彼らと呑んだ酒が消えて行く感覚は、さみしい気持ちにもなる。


 ……ドワーフたちが目立つ西の街路を歩いて行く。だんだんと、街に活気があふれているようだ。地べたに寝転がる男たちが消えて、皆が忙しそうに道を歩いている。夕方が迫っているからか。


 夜という『ヴァルガロフ』が目覚める時間に、人々は備えようとしているらしい。そこら中で安酒を呑ませてくれる店が開き、『マドーリガ』の売春婦たちが着飾り、道行く男たちを誘惑し始めるのさ。


 ……背徳の商売が、動き始めようとしている。潔癖症の正義の人物ならば、この街の活気なんて、たんなる邪悪なものにしか見えないだろうな。でも。酒も女も好きなオレは、どこか楽しさを覚えていた。


 男なら、しょうがないだろ?……大半の男は、好きだぜ、この欲深い空間をさ。


 ここは欲望を叶えるための街だからね。そして、その中心が……『背徳城』か。テッサ姫こと、『テッサ・ランドール』。『マドーリガ』のボスの娘で、次世代のリーダーの一人。ドワーフと人間族の『狭間』が仕切っている、城みたいにデカい売春宿か。


 ……本当に。


 この街は、欲望に応えてくれるところだよ。


 今夜はドワーフの戦士たちの腕前を、楽しめるってわけだ。ドワーフたちがつくる、この雑踏のなかには、戦槌を抱えた戦士たちがうろついている。悪人たちの秩序を、維持するための鋼は……よく磨かれていた。


 夜の時間帯に備えるのさ。


 『マドーリガ』の『商品』である売春婦たちの護衛だろうし、おそらく彼女たちの稼ぎを徴収する役目もあるんじゃないかね。なかなかの稼ぎではあるらしい、酒と女は。それらで稼いだ金で、鋼を磨き、武装する。


 雑踏に混じり、鋼を打つ音も聞こえてくる。鉄が歌っているのさ、ハンマーに強く叩かれて、火花を散らしながら―――『ヴァルガロフ』の職人たちは、日が傾きかけてから仕事が増えるのかもしれんな。


 ……食い詰めるまでは、この街にいる流れ者は顧客。しかし、欲望に絡め取られて、食い詰められた流れ者は……何になるか?マフィアに吸収されなかったら、強盗にでもなるしかない。


 昨夜、オレたちが襲撃したあの砦の山賊どものような連中も、多いのだろうな。すれ違う人々のなかには、汚らしい身なりで目のすわった剣士もいるよ。流れ者の男。貧困にあえいでいるのに、酒と女に惹かれて『マドーリガ』の縄張りに入って来ている。


 ドワーフの戦士たちは、コイツらと殺し合う必要があるってわけさ。金がある内は、いいだろうがね―――金が尽きたとき、ついでに欲望も尽きたらいいんだが。そういうワケにはいかないだろうさ。


 金が無ければ、奪うしかない。


 腕に覚えのある流れ者たちは、その考えを実行し、金、酒、女を手にしようとする。ドワーフの戦槌は、悪人を襲う悪人を殺すためにあるのだろうな……鼻が、血のにおいを嗅ぎつける。


 シアンも気づいている。オレより鼻がいいんだから、当然のことだな。彼女の長い尻尾が揺らぎ、彼女は脇道へと入っていく。もちろん、オレも続いた……小さな通路が迷路みたいに入り組む西の街。その路地の奥のひとつに、まだ新鮮な死者がいたのさ。


 路地裏の奥に置かれた、犬の檻……そこには大きな犬に食われる男の死体があった。檻のなかでは、二匹の犬が、尻尾を振りながら男の腹に喰らいついている。肋骨が犬のアゴにへし折られる音が響き、死体がゆさゆさと揺れていた。


 檻には罪状書きが、はり付けられていた―――『この者、売春婦二人を殺害、売り上げである銀貨24枚を奪った。捕らえられたが、賠償金・銀貨86枚を支払う能力はない。よって、『マドーリガ』の掟により、戦神への供物と処す』。


「……処刑か」


「そうらしいなあ。独自の刑法で街が動いているようだ」


 戦槌で頭をかち割られた男が、檻のなかで『ヴァルガロフ』の犬に食われている。見せしめであり、娯楽なのだろうな。タバコを吸いながら、その様子を見ている男たちもいるし……見慣れた光景なのか、近くで子供たちが平気な顔で球蹴りして遊んでいた。


 荒れた土地だ。売春婦を殺して金を奪うような男に同情する気も起きないが、マフィアの裁きは残酷なものだぜ。檻から出すか?……いや、騎士道は女の味方。女殺しへの残酷な刑罰は見過ごすよ


 実際のところ、ここまでしないと、この危険な流れ者だらけの街で、商売道具である売春婦たちを守れない現実もあるのかもしれん。世界のあちこちから、欲深く、武装した男どもが流れ込んで来る街だからな。強盗は尽きないということかよ。


 そして、その悪人どもは―――最も弱い立場の売春婦たちを襲うのさ。どの土地にも、売春婦を殺す強盗はいるが……この『ヴァルガロフ』では、特別にその数は多そうだ。


「―――シアン。犬の食事なんて見てても仕方がない」


「……ああ。行くとしよう」

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