第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その28


 ……ガンダラの仕事の終わりを待つ気もあったのだがね。リエルのシチューがあまりにも美味しそうなせいか、猟兵夫婦のキスを観察していたキュレネイのお腹が、キュルルルウと鳴っていた。


 キュレネイに無表情で観察されていることに気がついたリエルは、ウサギの動きで離れて行ったよ。


「ご、ゴハンにしよう!お、お腹が空いているよな、キュレネイ!?」


「イエス。お腹が空いています」


「う、うむ。ガンダラには悪いが、先にいただこう。荒野の夜風は冷えるからなあ」


「それで、リエル」


「な、なんだ?」


「さっきの、『抱く』は、浅いのですか?深いのですか?」


「ふ、深い抱くではなく……」


「浅い意味を持つ抱くですか」


「あ、浅くもなくだな!?……なんだか、そんな安っぽいのに分類されるのは……ちょっとイヤだぞ」


「深い意味で、抱かれていたのでありますね」


「……も、もう。それでいいや。ほ、ほら、キュレネイ!シチューをついでやる!食べるといい!」


 てれているのを誤魔化すために、ちょっとだけ大きな声を出しながら、リエルはお玉でシチューを深めの皿へとついでいた。キュレネイは、敬礼する。


「いただきます、であります」


「うむ。丁寧だな。料理を作った者への感謝を感じさせてくれる……いい対応だぞ、キュレネイ」


 そうかね?少し、大げさ過ぎるような気もするがな……。


 だが。


 キュレネイはそのシチューがたっぷりと注がれた皿を持ち、大地に座ってしまう。いつの間にか、彼女の手にはスプーンが握られていたよ。表情こそ『無』のままだが、食欲を感じさせはするよな。


 ……いつの間に、スプーンを取ったのだろうか?……マイ・スプーン……?まさか、持ち歩いているのだろうか。


 『これさえあれば、何でも食べやすいであります』……とか言われたら、オレはどんなリアクションをすればいいのか分からない。キュレネイは、何でも食べるからな。ああ、食事時に考えることじゃないから、止めておこう。


「ほら、そ、ソルジェのぶんも、ついでやったぞ……?」


「ああ。ありがとう、リエル」


「う、うむ。冷めないうちに、食べるといい」


「君もな」


「うむ」


 てれているエルフさんが可愛いが、あまりからかうと怒られそうだしね。晩飯がスタートする。よく晴れた星空の下でね。なかなかワイルドな環境だよ。地べたに座って、具だくさんのクリームシチューをいただくのはね。


 なかなか楽しい時間ってわけさ!


「肉が、おいしいであります」


「そうであろう?バシュー山脈の牛は、脂がよく乗っているのだ」


「イエス。脂肪を、舌が確認。栄養価を、高評価します」


「一言、美味しいでも、良いのだぞ?」


「美味しいであります」


 ハラペコ無表情ガールは、『パンジャール猟兵団』で一番の大食いである。乙女に対して使うべき言葉ではないがな。でも、キュレネイの食事量は膨大であり―――かつて、サバイバルを余儀なくされた我々の食糧事情を困窮させた要因の一つでもあった。


 今夜のキュレネイの胃袋も、絶好調である。


 三杯目、四杯目とシチューを平らげてしまう。ペースは変わらない。表情だって無のままだ。恐ろしい勢いで食べているのに、作法はキレイだな。まあ、手のなかにスプーンをいきなり取り出すというのは、作法うんぬんのレベルではないがな……


 かつてのキュレネイ・ザトーの『護衛対象』、『カルメン・ドーラ』は食事の作法だけは躾けたのだろうかね。分からん。別に、とくに気になることでもないしな。


 大事なコトは、キュレネイが食事を大量に摂取している行動を見ていると、何だか嬉しそうに見えるということだよ。


 三人で、シチューを食べていく。大きな鍋で作っていてよかったよ。ガンダラの分までキュレネイが喰らい尽くしてしまうところであった……。


「―――腹八分目であります」


「……ああ、うむ。そうだな。それが、健康に良いともいうしな。し、しかし、アレだけの量が、どこに入るのだろうか?」


 リエルはキュレネイの食事量に首をひねっている。キュレネイの体はスレンダーだからな。手足は長いが、胸も小さい……結果として、とても細く見えている。あの体のどこに、アレだけ大量の料理が消えたのか、素朴にして解明するのが困難な謎ではあった。


「乙女は、別腹を持っているものであります」


「そ、そうだな。我々、女子にはそれがあるからして……」


 どうにも納得出来てない顔をしているな。腑に落ちないが、考えたって仕方がないことではある。論より証拠だ。食べたのに、胃袋は膨らんでいない。科学が解明出来ないキュレネイの神秘だ。


「―――私の分は残っていますかね」


 教会の方から歩いてきていたガンダラが、あまり心配していなさそうな言葉で質問する。キュレネイが挙手して答えていた。


「イエス。ガンダラは見た目の割りに、小食です。十分な量が、鍋のなかにあるであります」


「……手加減していただいたようで、何よりです」


「はい。腹八分目が、健康と長寿をもたらしますから」


「ふむ。腹八分目……ですか?」


「間違っていますか、ガンダラ?」


「……正しいはずですね。理屈だけなら」


「理屈が正しいのであれば、全くの問題がないことであります」


 キュレネイに断言されると、それ以上の追求が出来ないな。ガンダラもそうなのか、それとも、この会話にあまり意味が無いと考えての行動か、彼は鍋に向かい、鍋のとなりに置かれている皿にシチューをつぐ。


 巨人族は、見た目の割りに小食の者が多い。基本的に、巨大な生物ほど食糧をより多く食べるものだが―――彼らの種族は節制に対する意識が優れているのか、過剰な食事を摂ることを好まない。


 それゆえに、『燃費が良い』とファリス帝国では軍事用から一般労働用の奴隷という役回りを強いられてきた。食事代はかからないし、とても力持ち。奴隷として大量に従えることには向いていたのだ。


 好ましい哲学が、邪悪で欲深い経済活動に呑み込まれているのさ。悲しいことにね。真の腹八分目の実践者に見える、静かなる巨人、ガンダラは深い皿に半分ほどシチューをついだ。


「足りるのでありますか?」


「ええ。任務中に乾パンも食べましたしね」


「相変わらず小食な男だ」


「巨人族は、このようなものですよ、リエル」


「作りがいを感じないぞ?」


「すみませんね。でも、美味しいですよ、このシチュー」


 シチューの中からスプーンで拾い上げた、ニンジンの欠片。その赤い色の恵みを大きな口に入れながら、ガンダラはいつもの無表情で語ったよ。


「……美味しいのなら、問題はない。キュレネイ、残りは食べても良いぞ?」


「イエス。残り物には福があるであります」


「……食べ物に使うべきコトワザであっただろうか……?」


 首をかしげるリエルをヨソに、キュレネイは鍋のなかに残った幸福の源をお玉でかき集めていたよ。キュレネイの赤い瞳は、シチューに照準を合わせている。鍋の底だけを見ているな……素晴らしい集中力の持ち主だよ。


 さてと。キュレネイ観察は飽きが来ないけど―――『ワーカホリック/仕事中毒』気味のオレには気になることがある。ガンダラが、あの捕虜から何を得たのかだ。


 しかし、食事を邪魔するのも無粋がすぎる。コーヒーでも作りながら、彼のそう長くない食事が終わるのを待とうかね。


 運河から水を汲んで来るのさ、いつものヤカンにね。そいつを焚き火にかける。直火だから、すぐに沸騰しちまうさ。その湯をつかってコーヒーをつくる。食後の口に、心が落ち着く苦味をもたらしくれる黒い恵みさ。


 リエルはミルクと砂糖をたっぷりと。ガンダラはそのままブラック。大人の男はブラックが基本だよな、だから、オレもブラック……キュレネイはミルクは好き、砂糖は『もったいないからいい』そうだ―――。


 食費を気にかけてくれる、いい娘だよ。まあ、誰よりも食費をつかう人物ではあるのだけれどな。


 焚き火で疲れた脚を温めながら、コーヒーを飲む。旅人の野宿だって、場合によれば楽しさを生み出すことは出来るってものさ。そういえば、今日は敵を殺さなかった割りには、色々とあったな……。


 朝には『メルカ』にいたのだが、今は荒野のド真ん中だ。


 ティートたちは、どうしているだろうか。ククリという師匠を見つけて、特訓に励んだのかね。『コルン』並みの特訓は、子供にはキツいだろうから、ククリは手加減をしているはずだが。まずは、『竜騎士の呼吸法』から極めて欲しいな。


 ……いや、今は。仕事のことを考えるべきか。


 ゼファーを『メルカ』に戻している最中だ。ゼファーはオットー・チームを合流した後で、東に向かう。闇に紛れて、オットー・チームを運ぶのさ。『アルカード病院騎士団』の総本山にな。


 あのメンバーでなら、問題は無いはずだ。仲間たちは仕事をするんだ。オレも、仕事をしなくては。なにせ、ガンダラも食後のコーヒーを終えようとしているからね。


「……ガンダラ。テムズ・ジャールマは何を話した?」


「帝国軍内部にある、秩序の崩壊ですよ」


「どういった状況だ?」


「ルード、ザクロア、グラーセス……そして、アリューバ半島。これらの土地で、侵略師団および帝国海軍が大打撃を追いました。帝国軍の不敗神話は崩れ去り、各地で抵抗勢力が強まっているようですな。その結果、下級兵士死亡率が上昇、彼らが逃亡兵となっています」


「ふむ。あれだけ殺しまくったことは、オレたちの利になっていたということか」


「もちろん。帝国は侵略戦争の戦線を広げすぎていましたからね。抵抗勢力の士気が上がれば、帝国兵士の死亡率は上昇します。兵士の死者が増えれば、戦場から逃げ出す帝国兵も増えるに決まっていますよ」


「騎兵はエリートが多いはずだが、それらが大量に逃亡しているほどにか?」


「ええ。まあ、あの砦にいたのは、ホンモノの騎兵が半分ほどで、半分は歩兵だそうですよ」


「なるほど。武器を盗んで来たわけか」


「ええ。そうなります。一番高く売れる武器が、騎兵の剣。最も良い鋼を使われてはいますので」


「だが、本職の騎兵も相当数逃げているわけだな」


「そうです。団長の戦いは、ムダではなかったのですよ」


「いい言葉だな。それで……バルモアは?」


「……バルモアの逃亡兵も増えているそうですね。彼らは、今まで暗殺騎士などの不名誉かつ危険な部隊にあてがわれて来ました。かつては、『ユアンダートの毒蛇』として、一定の報酬や地位が認められていましたが……ルード会戦以来、その関係性も解消された」


「バルモアの軍勢と帝国軍第七師団を、オレたちが仲違いさせたからな。アレは、インパクトが大きかったか」


「そのようです。元から無かった信頼は、もはや敵意へと変わりつつある。ユアンダートも支持基盤を固めたいのでしょうな。旧バルモア連邦領に対する、締めつけと介入を強めようとしているらしいです。帝国内部の保守層に、皇帝が気を使い始めている」


「そうしなければ、権力の座から遠のく可能性も見えるというわけか」


「ええ。求心力を失うことになる。ですが、バルモアを切るということは、彼らを敵に回すということです」


「政治的選択とは二者択一、切り捨てられた者とは絆も切れる。ユアンダートの本意でも無さそうだが、帝国の『民衆』という集団は、バルモアを深く憎んでいるようだな」


「はい……元よりあったものですが、帝国には分裂の兆しがあります。この発言の意味を、団長はどうとらえていますかね?」


「―――本気でファリス帝国を潰したければ、旧・バルモア連邦のヤツらとも手を組めということか」


「ええ。仮初めの仲間だとしてもです。バルモアの戦力は、大きい。そして、ファリス帝国と仲違いしようとしている……両者のあいだで戦が起きて、それを『自由同盟』側が援護することが出来たなら。帝国に巨大な打撃を与えることが可能です」


「……『自由同盟』は、それを考えているわけだな」


「はい。クラリス陛下も、ザクロアのライチ代表も、ハイランドのハント大佐も、その選択を現実的な道と考えておられます」


「……ガルーナを、オレの故郷を焼いた『敵』と、組め……クラリス陛下は、そう仰られているわけか」

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