第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その27


 森のエルフさんは、いつものように鍋で煮込む料理が好きなようだな。オレも好きだよ。とくに愛するヨメの手料理はね。大きな寸胴鍋の前で、正妻エルフさんは白い三角巾にエプロン装備だ。


 ……『人妻の色気』ってものは出ちゃいないが、美少女が料理している姿を見ているのは、男の目玉に幸せを生むものだよな。ああ、なんて可愛いんだ。女の家庭的な雰囲気に弱いオレには、効果が抜群だぜ。


 なんだか、リエルのことを抱きしめたいけど、包丁が近くにあるから止めておこう。


「リエル。完成ですか」


「うむ!すでに肉にも野菜にも火は通っておろう!」


「美味そうだ」


「美味そうなだけでなく、実際に美味いのである。そこは大事なところだから、主張しておくぞ。それで、ガンダラは?」


「……まだ、仕事中だ。オレのようなガサツな蛮族には向いていない、繊細な尋問をしてくれているだろう」


「あの捕虜は、団長のガルーナを襲撃した、バルモアの兵士でもあったのであります」


 キュレネイがリエル委員長にチクった。


 リエルは、ふむ、と折り曲げた指を、あのやわらかい桜色をした唇に当てる。右手には、シチューをかき混ぜるためのお玉で、家庭的な料理をグルグルしてるよ。いい香りがする。美味そうだ。シチューも、リエルもね。


「……そうか。殺さなかったのだな」


「……オレも日和ったかな?」


「いいや。ほとんど無抵抗な捕虜を斬る行為を、正義とは言わんだろう。戦士であるならば、武器持つ相手に復讐すべきだ」


「リエルは、団長と同じことを言うのですね。心が、同じです」


「そ、そうだな!夫婦ともなれば、以心伝心も難しくはないものだぞ……っ!」


「くくく!いい言葉だな。でも、てれているのか?」


 言いながら、どんどん顔が赤くなっていたもんな。指摘されたリエルは、はう!と小さな声を口から漏らしていた。


「て、てれてなど、いない!!」


「そうだな。夫婦は、心も体も一つみたいなもんだ」


「そ、そうだけど……しれっと、肉体関係を漂わせるでない」


「さすが委員長、厳しいな」


「む。ついに、『パンジャール女子による倫理委員会』の存在を知ったのか」


「ついさっきな」


「すみません。バラしてしまいました」


 ……キュレネイが謝っている。もしかして、秘密の組織だったのだろうか?……この女子たちは、一体、何を企てているのだろう……。


「―――かまわぬ。キュレネイは素直な娘だから、ソルジェには話してしまうだろう」


「反省であります」


「……それで。その委員会は一体、何をするための組織なんだ?」


「お前の猟兵女子に対するセクハラ、それを相談し合うために生まれた組織だ」


「ん?」


「聞こえなかったか。お前の、我々に対する、セクハラ被害!……それを、相談し合う組織であるぞ。元々はな」


「相談し合うことが必要なほど、オレは君たちにセクハラなんてしてないだろう?」


「無自覚なのが怖いものだ。たしかに、普段はそれほどでもない」


 ……普段から、ちょくちょくしているみたいに言われている……。


「問題は、飲酒時だな」


「酔っ払ったときか!」


「イエス。団長は、泥酔すると、いつもの3倍はスケベになるという結論が出ているであります」


「なにそれ、つい最近、聞いたことがある言葉なんだけど?」


 猟兵女子たちは、共有している情報なのか……?


 ……マズいな。ちょっと面白いタイプの恥じゃないか。シャーロンとギンドウには知られたくない事実だ。ヤツらに知られたら?……複数の国家で、オレの評判を下げるウワサ話を流布してくれそうだぜ。


 大人の男のイタズラってのは、規模がデカいからな。社会的な評価を下げかねん。とくにあの二人は、子供のころのイタズラ心を宿したまま、大人になってしまったようなダメな野郎たちだしな……。


「お前は、酔っ払うと私たちに抱きついて来たり、胸やお尻を触ろうとしたりするのだ」


「……まさか?オレは騎士道を尊ぶ男だ―――」


「事実であります」


 キュレネイにそう言われると反論の言葉が出ない。もしかして、オレ、キュレネイにもしていたのだろうか?あの清楚な胸とか、キュートな尻に?


 ……今この場では、口を開かないでおこう。ここでそんな質問すると、委員長の前で、泥酔したオレの悪行をキュレネイに細かく発表されそう。詳しく報告されると、実際の行いよりも深刻な行為だった感が出ちまうかもしれない。


 死なないが、死ぬほど痛いレベルの『雷』が落ちそうだ。


 リエルはいい魔術師だから、本当に『雷』を呼ぶことも出来るからな。空を見る。よく晴れていた。ああ、良かったよ。曇天時ならば、落雷の威力は跳ね上がるものな……っ。


「反省することだな。まあ、私とロロカ姉さまとカミラは、すでに夫婦なので大目に見てやるが、他の女子に対しての行いは厳罰に処すぞ」


「……反省します。今後は、酔っ払ってもヨメたちにしかセクハラしません」


「う、うむ。そうなのだが、どこか納得しかねる答えであるよーな気もするな」


「考え過ぎだ。我ながら、良い答えだと思う」


「そ、そうだろうか」


「リエルが、団長の性欲を受け止めてくれるのでありますか。はけ口になると」


 ……なんというか、語感が悪いな。


 そう思ったのはオレだけじゃなくて、リエル委員長もそうであられるようだ。


「……あれ?やっぱり、ダメな答えのような気がしてならんぞ」


「夫婦がいちゃつくのは自然なことだ。だって、愛し合っているんだからな」


「う、うむ……そうだが……」


「じゃあ、さっそく抱きついていいか?」


「は、はああああああああああああああああ!?」


 荒野にリエルの叫びが響いた。遠くにいる野犬か何かが、呼応するように遠吠えを放っていたよ。寸胴鍋から離れるエルフさんは、ウサギのようだった。可愛らしくも反射的に、ピョンと跳んでいたから。


 イヤがっている?


 そうかな、顔が赤いから、てれているだけかもしれん。


「な、な、な、何を言い出しておるかあああああッ!?」


「いや。抱くと言っても腕で抱きしめたいだけで、深い意味の抱くとかじゃなくてだな」


「あ、当たり前だああああああああああああああッ!!?」


「団長。抱くという単語に、深いも浅いもあるのでありますか?」


「それはだな―――」


「―――キュレネイの、ピュアなハートを穢すような言葉を聞かせるでない!!」


「……たしかにな」


「聞くべき言葉ではないのですね。分かりました、耳を塞いでおきます」


 キュレネイは両耳を手のひらで封じたよ。待機モードということか。目も閉じる……。


「……正直、そんな大した言葉でもなかっただろ?キュレネイだって18。もう大人だ」


「いや、その内容を説明する時点で、すでにセクハラだろーが!」


「……そうだな。気をつけるよ。セクハラは、ヨメにしかしちゃダメだ」


「しょ、少々のスキンシップは、容認するぞ。で、でも、公衆の面前でとか、ダメだからな。あと、過度な行為も」


「過度な行為って?」


「えッ!?」


「いや、具体的な説明を聞かんと、よく分からない。ルールとは、細かさと正確さがいるものじゃないか?」


「そ、そ、そうだけど!?」


「で。具体的にはどういった行為を言うのだね」


「……お、乙女に、な、何を言わせるつもりかああああああああああッ!!?」


 リエルちゃんが一体どんなことを考えているのか……オレはちょっと知りたいけど。これ以上のセクハラをしてると、本気で『雷』を落とされそうだ。彼女の場合は、比喩ではなく、魔術で歪められた空から、ホンモノの雷撃が降ってくるからな。


「すまん。ちょっと遊びすぎたよ。リエル、こっちに来てくれ」


「……な、なんだ、あらたまって」


 まだちょっと怒っているみたいだけど、素直に来てくれる。良い子だな。オレには過ぎたヨメさんだ。


「……どうした?」


「ちょっとマジメなことを話したい。バルモア人を斬らなかったことについてだが、いいかな?」


「……ふむ。言え。聞いてやる」


「あれで、正しかったのだろうか」


「……間違った行いとは思えない。拘束された敵を斬ったところで、お前の心は晴れることはあるまい」


「そうだが。オレの心が満足するかどうかなど、どうでも良いことにも思えてね……復讐ってのは、もっと、残酷で、容赦がない方が、正しいんじゃないか?」


「……かもしれん。だが、お前がヤツを殺さなかったのには、お前なりの考えがあったのだろう」


「……ああ。ヤツはね、オレの親父と、親父の竜であったグリーヴァに、戦争が始まって早々に脚を焼かれて、本国に送り返されていたそうだよ」


「お前の村を焼いた者たちではないわけだな」


「……そうだ。だから、きっと、見逃した」


「うむ。だが、お前は『その選択』を完璧には受け入れ切れていないわけか。だから、ガンダラを置いてここに戻って来た。その場にいれば、ヤツを斬りそうだから」


「そうだ。オレは……その、なんというかな……」


「……ゆっくりでいいぞ。フクザツな気持ちを言葉にするのは、難しい。フクザツではなかったとしても、強い気持ちを口にすることそのものが、とても難しいものだから」


「……ああ。そうだな」


 考えが、まとまっていないわけではない。自分の心のなかにある、この苦しさの正体がどういうものかぐらい、分かっているんだよ。だから、言葉にするのが難しいだけ。なんというかな、そいつは一種の弱さでもあるからだ。


 弱さを見せるということは、大人にだって難しいことなのさ。覚悟がいる。でも、オレのリエル・ハーヴェルは受け入れてくれるそうだ。その覚悟があるし、そう在るべきだと信じている……いいや、選んでくれている。


 あの翡翠色の瞳で、オレのことを見あげながら……見つめてくれている。ちょっと不安そうでもあるが、勇敢な彼女は、オレの言葉なんかを待ってくれている。


 やっかいな、重たい感情だが……聞いてもらえるようだ。だから、オレは両腕で彼女のことを抱き寄せる。エルフ族の体温を感じる。オレよりも温かい、リエルの肌を確かめるようにして抱きしめて、彼女の長い耳に語りかけた。


「……オレの、焼かれた故郷への……殺されちまった、家族への愛情は、薄まっていたりはしないだろうか―――」


 ―――ガルーナに対する愛が。親父や兄貴たちへの家族であり、同じ竜騎士である者たちへの愛が。


 お袋への愛が。


 竜たちへの愛が。


 アーレスへの愛が。


 セシルに対する愛が。


 失われた命たちに抱いていたはずの、愛が、たった9年の時間のせいで、磨り減ってしまっているんじゃないかと不安になるんだよ。


「……9年前の、あの日のオレなら……今、あの教会の地下室にいる男のことを、許すこともなく、斬り殺していたんじゃないかな……そんな気がする。そして、そうだとするのなら、オレの愛は……弱くなり、薄くなって……オレは―――」


「お前の愛は、変わってなどおらぬぞ」


 微笑みながら、リエルの腕が伸びてきてオレの頭を、あの形の良い指がやさしく掴んでくれた。指が動いて、眼帯をずらしてくれたよ。


 だから。


 リエルの顔が、彼女の表情が、とてもよく見えるんだよ。勇敢なるエルフの翡翠色の瞳は、こっちを見てくれているのさ。指はまだ頭を掴む。オレを逃さないようにして、彼女は伝えてくれているんだよ。


 強く伝えたいのさ、強引なほどに、強く、確実に。私を見ろと、リエルは力ずくで心を伝えてくれていた。


「……リエル…………そうかな?」


「うむ。お前の瞳は、あのときみたいに悲しそうだから。愛は、欠けていないのだ」


「あのとき……?」


「ああ、昔と変わらんということだ。ほら、私の旦那さま。金色の眼に竜の呪いを宿し、青い目にヒトの業を宿した、私のソルジェ・ストラウス。お前の愛が、変わってなどいないから、私は、お前のことが、こんなに好きなのだぞ」


 ……リエルの言葉は、ちょっと難しい。オレが忘れているコトがあるらしく、それをこの時も思い出すことは出来なかったのだけれど。リエルがキスを求めて、唇を尖らせて、あのエメラルド色の瞳を閉じてくれるから―――。


 オレは彼女のやわらかな唇を、自分の硬い戦士の唇で奪っていたよ。


 ……いつもと違って、オレからじゃなく。彼女のほうから唇を、稚拙だけど動かしてくれたのは、リエルが唇でつながりながら、何か言葉を伝えようとしているからだ。愛しているとか、大好きだとか、そう発するときのための、唇の動きだろうな……。


 オレはね、いい恋人エルフさんに恵まれたということさ。

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