第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その16


 『呪い追い/トラッカー』のコツは観察することだ。正確な情報を手に入れるほど、この追跡術の精度は向上していく。


 この白骨死体の人物像は分かったよ。性別は、男。年齢は20代か30代かな?歯がそれほど磨り減っていないから、それ以上の年齢でもなさそうだ。


 絵が好きな人物。あまり犯罪傾向はないのかもしれない。驚くべきことに、この悪人だらけの荒野を嫌っているフシは少ない。何度もスケッチで描いてあるほどだからな。


 動物も好き。よく描写されている。幼い頃から野性の躍動感をもつ動物たちを見て育った、かなりの田舎者だ。


 死因は前方からの刺し傷。突き刺されたな。小さなナイフ……おそらく、果物の皮をむくためのナイフで。


 服の袖が切られてはいなかったから、庇うこともしなかった可能性がある。身を守ろうとしなかったのさ。小柄な相手だったようだ、おそらく女。


 そんな女が相手ならば、抵抗すれば、どうにでもなっただろう。


 この男は体格も悪くないからな。靴のサイズからして、オレほどじゃなくても、似たようなものだろう。一般論で言えば、そこそこ大きな体格をしていたはず。一流の戦士の体格ではないかもしれないが、小柄な女性を相手に、反撃が出来なかったはずはない。


 ……刺されたのは、教会の外だろう。


 教会に入って来たのは、お前だけだな。


 孤独なままに死んだ。


 女は、止めを刺すこともなかった。どうしてだろうか?……よく分からん。お前にも分からないことなのかもしれないがね。


 お前は、この教会に縁があったはず。スケッチブックの最後のページに描いてあったのは、たしかにこの教会だが……荒れ果てているものではなかったぞ?……過去の記憶を頼りに描いただけだ。


 壊れてもいない、素朴ながらも美しかった頃の教会の絵だ。スケッチブックの右側にばかり、炭でよごれた指紋の痕がある―――左利きだ。右の指でスケッチブックを固定して、左手の指で、お前は炭を握り、それで様々な絵を描いてきた。


 お前は……このあたりに生まれ育った者だろう。この教会に、いくらかの因縁を持っているのではないだろうか。死に場所に選んだ?……墓にするつもりなのか?地下に降りたのはどうしてだ……墓にするつもりだった?……どうだろうな。それには納得できない。


 朦朧とした意識で、ただこの場所にやって来たのかな。


 何かを探していたのかもしれない。物体ではないかもな。記憶や、象徴的なもの。お前は、探していたのか……失意のなかで、さまよっていただけなのかもしれないが。


 ―――これが、いちばん肝心なことかもしれないが。


 お前を刺して、死に至らしめた『女』がいる。彼女はお前にとって殺人者だが、お前は敵意も拒絶も抱けなかったな。お前は……彼女のことを愛していたんじゃないかね。


 あのスケッチブックの女性か?……だとすると、お前は一途だな。いつもお前は彼女の絵を描いた。


 ……嫌いになれそうにはない男だよ。


 出来ることがあれば、何かを教えてくれないか?……憎しみだけで呪いは出来ない。愛情や、祈り、願いからでも、呪いは産まれる。お前は……何かの未練があるんじゃないか?


 なにせ、人生の終わりに、その袋を抱きしめていた。


 死んでも抱きしめていたのは……そのスケッチブックの『女』を求めてなのではないだろうか。


 何かしてやれることがあるのならば、語るといい。オレたちには少しだけヒマがあり、わずかばかりながら、お前への同情心もある。


 白骨遺体を魔法の目玉で、じーっと見つめるよ。『呪い追い/トラッカー』の発動に期待している。この男には、未練があるはずだからな。金色の瞳を細めて、その刺し殺された男の骨を見る…………。


 赤い霧が見えて来た。


 オレの推理は当たっていたということかな、ガントリー。『呪い追い/トラッカー』の師匠であるお前がいないのは、少し心配だ。完璧な指導が欲しいところだ……この男を練習台にしたいわけではないのだが、技巧の習得に一役買ってくれそうだな。


 赤い『糸』が発生する。


 呪術にかける呪術。それが、この『糸』だよ。呪ったモノと呪われたモノのあいだをつなぐ、呪術の『糸』……くそ。細くて、ときどき、切れてしまうな。コイツの呪いは脆いのか、あるいはオレの観察力不足。もしくは、力量不足か。


 ……だが。


 どうにか追いかけることが出来そうだよ。


「……ついて来てくれ、リエル。彼の未練を追いかけることが出来そうだ」


「わかった。なんだか、その男は悲しげだ。助けてやれ」


「ああ。君も……何かに気づいたら教えてくれ。この術は、現場の情報や、状況認識が精確であればあるほどに、効果を発揮してくれるそうだ」


「うん。注意を払う」


「では、行こうか」


 猟兵夫婦で探偵業だ。しかも、お代を期待出来そうにない死者が相手。オレたちはやさしいのか、それとも、好奇心も含まれているのか。あるいは恋人たちの義務として、この失恋の臭いのする孤独な死体に、何かを恵んでやりたくなったのか。


 分からんよ。


 たんに、あのスケッチブックの絵が気に入っただけのよいうな気もするな。オレに至っては、この新しい呪眼を試してみたいだけなのかもしれん。どうあれ、今は、この赤い『糸』を追いかけてみよう。


 それは、オレの期待通りというかね、予想していて通り、いきなり地下室から地上を目掛けて伸びていた。おそらく、殺人現場は『外』だからな。教会の外。あまり距離は離れていないだろう。肺腑を貫く傷だからな、呼吸は苦しく、遠くまでは歩けまい。


 灰色のホコリを踏み荒らしながら、オレは教会のホールへと上がる。『糸』は空中のなかを途切れ途切れに漂いながらも、扉の外へとつながっていた。歩いて行く、そして、教会の扉を開けた。


 黄色くて、温かな荒野が視界に入る。寝転がり、いびきをかくゼファーの姿も見えたよ。待機中をただよう呪術の赤い『糸』が、太陽の光だか、荒野を吹くさみしげな風のせいで、ぼやけてしまい、消えて行く……。


「……しまったな。『糸』が消えた」


「『糸』?……なるほど、呪いをつなぐ『糸』が見えるのか……」


「あの男は、屋外で殺されたのだろう。おそらく、このあたりでな」


「だが痕跡は残らないだろう。風雨に削り取れてしまうだろうから」


「ああ……」


「……だが。何でもいいなら、見つけたぞ」


「何だ?」


「アレを見てみろ」


 リエルが長い指を荒野に伸ばす。この小高い丘の上にある教会から、少し離れた場所にそれはあった。古びた井戸だな。ゆるやかな丘の下に、その小さな糸があった。他の住居跡とは異なり、朽ち果ててはいなかったよ。


「刺し殺した女のエモノはナイフだろう?手が血まみれになったかもしれない。私も含めて女はきれい好きだからな、手を洗いたくなるだろう。殺すほどに嫌いな相手の血液ならば」


「……殺すほどに、『嫌い』か」


「……間違っているのか?」


「わからん。だが、いいヒントだったみたいだぞ。赤い『糸』が、また見えるようになっている」


「井戸へと続いているのか?」


「ああ。あそこの井戸に一直線だ。さっきよりも、濃いな」


「行ってみよう」


「そうだな。リエル、周囲に何かがないかを見てくれ」


「うむ。お前は、その呪眼を使っているとき、集中し過ぎているのかもしれん。竜の眼を持つお前が、あんな井戸を私より後に見つけるとはな」


「……たしかに。この術に夢中になりすぎているのかも」


 未熟な技巧だ。より多くを見るべきなのに、ついつい視点を集中させ過ぎている。


「猟兵がいないときには、気をつけろ。敵の殺意にも鈍感になっているかもしれない。お前は、その新しい術に夢中になりすぎている。戦士の悪い癖だ。新たな技を、試したがってもいるのだ」


「……ああ。『ヴァルガロフ』みたいなトコロでは、不用意に使わないようにする。これになれるまでは、仲間のカバーが無いときは使わないよ」


「そのほうがいいな」


「ああ。コイツは繊細な術だしな。集中し過ぎて、脇が甘くなる」


 ……出来るだけ秘密にしろとも、魔法の目玉組合の会長サマにアドバイスを受けていたな。『未熟な技巧』。そして、どこか『好奇心をくすぐる力』だ。敵に逆手に取られそうな要素が二つもある。つけ込まれぬように慎重にならねばな……。


 さて。


 それは心に留め置くとして、この『糸』を追いかけよう。


 猟兵夫婦による探偵ゴッコは、その井戸へと進んだ。古い井戸だな。雨よけのための屋根も、野良犬に食い千切られたみたいにボロボロになっている。


 指でつかみ、ゆらすと簡単に全体が揺れながら、ミシミシと崩れそうな音を立てた。じっさい、木の破片も落ちてくるよ。オンボロ井戸だ。


 本気で殴れば、この屋根の木組みは一発で崩壊しちまうんだろうな。井戸をつくる古びたレンガも、灰色に乾いている……赤い『糸』は、『ここ』に続いているのさ。


 リエルの観察が始まる。


「ふーむ……滑車は錆び付いていて、バケツを下ろすためのロープがないな。水を汲めそうにはない」


「……3年前にも、汲めなかった気がする。その必要もなかったがな。飲み物ならば、密造酒がたんまりとあったから……それに、ここの井戸の水は飲まない方がいいだろう」


「どうかしたのか?」


「悪い予感がしてな」


「ふむ。猟兵の予感は、よく当たるものだから、注意が必要だな」


 リエルは周辺を警戒してくれる。敵の気配はない。人影もなければ、モンスターの気配もない。野良犬もいない。黄色く乾いた荒野が広がるばかりだった。


「敵影はないな……それで、『糸』は?」


「……この井戸の『中』につづいている」


「ふむ?呪いの元が、そこにあるのか?」


「……オレの予感では……ロープがいることになりそうだよ」


「ロープは、ゼファーに積んであるぞ」


「まあ、先に、確認しようか。のぞいてみようぜ、この井戸の『底』を」


「……うむ?」


 リエルには予感がしないようだ。オレの直感は『呪い追い/トラッカー』のせいだろう。この井戸からは、どんどん、赤い霧が漂って来ているんだよな。何かがある。というか、『いる』のだろう。


 二人して仄暗い井戸の底を見つめるよ。


 水の気配はしない。すっかりと枯れている。枯れていて、良かったのかな。分からない。少なくとも、回収するのは楽だな。


「……なにか、いるぞ?」


「ああ。若い女が好みそうな、あざやかな赤い服だよ……中身は、若い女だろう」


「……っ!?」


「……身投げでもしたのさ。『彼女』は、あのスケッチ名人を刺し殺した後で、ここで自殺でもしたらしい。井戸の底に身を投げて、頭から落ちた。そのまま首をへし折り、ほとんど即死だった。オレの見立てはそうだよ」


「……ふむ。なかなか、悲恋の気配がするな。待っていろ、ロープを持って来てやる。輪投げの要領で、死体を回収してやろう。埋葬してやるべきだ」


「……そうだな。この暗い井戸の底で永遠にというのは、あまりにも……不憫だからな」

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