第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その15
古びた木造の教会は、灰色にくすんでいる。3年前と同じだな。いや、より色褪せちまったのか。
温かな日差しを背中に浴びながら、その朽ちかけの扉を開いていく。ギギギギと蝶番が耳障りな音を立てたな。あのときと同じだ。さてと……ホコリっぽい空気に閉ざされた時間のながさを感じる。
空気も腐る。
よどみ、朽ちかけの木の酸味を帯びたにおいが混じることで、それを証明してくれているようだった。この場所に、長らくヒトは訪問して来ちゃいないのさ。
「……ソルジェよ、床を踏み抜くでないぞ」
「ああ。大丈夫だ。この床は…………」
「どうした?」
「……足跡があるな」
「ん。ああ、ホントだな。積もったホコリに、足跡が残っておる」
教会の床板につもったホコリ。あまりに量が多いためか、それとも時間の経過で固まってしまったのか。それらにはもうやわらかさなどなく、ただただ細かな粒子で、まるで灰色の砂のようだった。指でなぞれば、あまりのやわらかな感触に驚くだろうさ。
不衛生だから、さわったりはしないがね。
その灰色の砂には……足跡があったよ。三人分だな。
「どれも新しくはない。オレに心当たりがあるのは、二人分だけ。オレ自身と、ガルフ・コルテス」
「……ガルフの足跡か」
「なんだか、幽霊にでも出会えそうな気分だな。死んだヤツの足跡を見てしまうとはね」
「ゆ、幽霊などおらぬぞ」
森のエルフさんは幽霊が苦手なのだろうか?……しかし、苦手も何も、ザクロアでさんざん死霊には出会っているだろうにな。
「非科学的なものは、信じてはならん!」
「……聖なる掟は?」
「聖なる伝説は、ステキだから信じてもいいのだ!不思議でも、ステキならば良い!」
ステキだから信じる?
くくく。まあ、それもいいさ。
さてと……右の足跡はオレの足跡。そのとなりにある、真ん中の足跡は、ガルフ・コルテスのものだな。ホコリがそれらには積もっている……密造酒事件のときの足跡だ。3年前のもの。
そして。
そのとなりのは、知らない足跡だ。オレとガルフと、同じような足跡の大きさだ。やったらと体格のいい女とかな……巨人族の女とか?そういう人物のモノではない限り、男と判断すべき足跡だ。
それも新しい足跡ではないのだが―――知らない男の足跡か。
「ソルジェ。ドアノブに、血の跡がある……」
「ん?ああ、そうだな……赤い指紋だ」
「つまり、血で赤く染まった指で、このがたつくドアノブを握りしめたのかな。この三番目の足跡の主は、大きなケガを負っておる。ふむ!手で押さえているということは、腹でも刺されていたのだ!」
探偵エルフさんはいい推理をしてくれる。乗っかるワケじゃないけれど、オレも同意見だよ探偵ちゃんとよ。
「……重傷者か。しかも、こんな世界の果てみたいな孤立した場所に……?」
「きっと、盗賊だ!」
「そうだな、ろくでなし野郎の気がする。人生の最期に、教会を選んだ……イース教徒なのかな」
ここはイース教の教会だ。女神イースの像はないけれどな。おそらく、この場所を放棄するときに、僧侶たちと一緒に連れ出されたのか、あるいは可能性では、こちらも大きい気がするが……盗人たちが、窃盗したのかも。
売れないことはないだろうからな。
とくに、『ヴァルガロフ』の『故買屋市場』ならば、何だって売れるらしい。
「……足跡が、入るときのだけだな。お前たちと違って」
「オレたちは生きて出たよ。ここには、クソ不味い密造酒の群れと一緒に、雨宿りしていただけ。死ぬようなケガをしちゃいなかった」
「死体があるっぽいな」
「あるかもな。どうする?」
「私に聞くのか?団長は、お前だぞ。探険するなら従うし、放置するなら外で待とう。今日は雨も降っていない。どちらでも良いぞ、私は」
作戦行動中は団長に忠実。オレのリエルちゃんってば、あいかわらず優等生だ。しかし、変な選択肢だな。
だが、この誰も来なさそうな、盗むモノさえありはしない土地に、傷ついた男が逃げ込むか。気にならないことはない。ガンダラもキュレネイも、まだ来そうにないからな。暇つぶしに、死体探しでもするか。
臭いがしないところを見ると、一年か二年は経過している。ネズミにかじられて白骨になっているのか、あるいはミイラ状態だろう。ガキじゃあるまい、死体なんて見ても楽しくはないが、男の子の好奇心は健在だ。
「よし、死体に会いに行こう。善良な男なら、火葬にでもしてやるさ」
「ふむ。では、お前から入れ」
「幽霊が怖いのか?」
「そ、そうじゃない。どちらかというと、ネズミとかが足の上を走るのがイヤだ。お前もイヤだろう、お前の最愛のヨメの足の上を、ネズミに踏まれるとか?」
「たしかに、楽しいコトではないよね」
オレのリエルちゃんがネズミに踏まれるなんてことは。そんなことが起きたからといって、落ち込むようなことでもないがね。
「ならばいけ。お前の背中にネズミが入らないように、背後は守っていてやろう」
猟兵女子の護衛つきか……だが、まあ。盗賊だとすれば、『罠』の一つでも仕掛けているかもしれないな。
「じゃあ。慎重に行くとしますか。ネズミさんと『罠』に気をつけて……と」
観察する。『呪い追い/トラッカー』のコツだ。だが、魔眼は頼らない。肉眼で十分だ。ホコリの様子を確認する。ここでは痕跡が保存されやすい。繊細な動作でも、痕跡を残すことなく罠を仕掛けるのは至難の業さ。
この何もない教会の室内を観察していく。
イスもなければ、女神像もない。床の上にあった全ての物体が運びだされ、壁にかけられていたあらゆる何かは引きはがされたようだ。欲深い盗人の指か、それともマジメな僧侶の労働の一環として。
どちらかは分からない。
あまりにも、何もない。天井を見る。ワイヤーを探すが見つからない。雨漏りがしていないだけでも、大した造りだと褒められるな……3年前も、オレは雨には打たれなかった。この分では、今も穴が開いていたりはしない。
「……汚れてはいるし、朽ちかけてはいるが……あまり、壊れているわけではないな。どうして、ここは放置されたんだろうか?」
「『ゼロニア平野』の人々から信心が失われすぎて、僧侶さんの心が折れちまったんじゃないかね?」
「そんなことぐらい、僧侶ならば最初から分かっておろう」
「分からない僧侶もいるかもしれん……だが、周囲の家屋も荒れ果てているところを考えれば、盗賊にでも襲撃されて、大勢死んだ。全滅はしなかったのかもしれないが、もうこの場所で暮らせるほどの人数は残らなかった」
「生き残りが去り……ここは廃墟になったと?」
「そうかもしれないなとは思う。3年前には、このあたりには野ざらしの死体は無かったな」
「盗賊が全滅させたなら、埋葬されぬ遺体もあるわけか」
「そう。無いということは、全滅はしちゃいなかったのだろうかなと。まあ、盗賊がいなくても、ここまで何もない土地では、人々が生活を続けることは困難だっただろう」
「なぜ、この土地に建てたのだろうか?」
「見晴らしはいいからな。襲撃者の警戒をしながら暮らすには、向いていたのかもしれない……オレも田舎者だが、もう少し、ヒトがいる土地で暮らしたいものだ」
「酒場もないしな」
「そうだな!」
「声高らかなに答えるな。皮肉で言っているのだぞ。酒はもっと控えろ」
「ああ。酒じゃなくて、ヨメに溺れればいいわけだ」
「す、スケベ……っ。な、なにごとも、節度を持てというハナシだからな!」
顔を赤くしちまう、オレの正妻エルフさんがそこにいるよ。
だから?オレは調子に乗るんだよね。
「え?正妻エルフさんは、他のヨメの三倍はいちゃつかないといけない掟だろ、君のトコロの文化によると?」
「そ、そうだけど、いうなあ!?……せ、節度を、保てと言っておるだろう!?」
……わかっているが、真っ赤な顔で恥ずかしがる正妻エルフが可愛いからなあ。だが、激怒モードの猫さんみたいに、フーフー言い出してるし、まあ、これ以上からかうのは止めておこうか。
「わかってるよ。さーて、罠は無さそうだ」
「う、うむ。そうだな……それは、私も同意見だ。ここには、そういったモノは無い」
「仕掛けられた形跡もないな」
「盗人が多い土地かもしれないが……さすがに、罠まで盗んではいかぬだろうから、初めから、ここには何も仕掛けられてはいないのだろう」
……死にかけているからか?
罠を仕掛ける作業を、する余力もなかった?
……あるいは、もっと単純に。
「そもそも……追われてもいなかったのかもしれないな」
「つまり、致命傷を負わされたあげくに、捨て置かれた?……大人物ではなさそうだぞ」
重要な敵であれば、死体を探すものさ。
そういう捜索がされていないところを見ると、小物の盗賊かもしれない。
ストラウス夫婦による探偵活動は、雑魚のドロボウの死体を見つけることになりそうだな。警戒は解かないが、それでもズカズカと教会内部を歩いて行く。ホコリに描かれた三人目の足跡を追いかけていく。それは、地下室へとつづいていたよ。
「地下室か、ネズミが多そうだな。ソルジェよ、先に行け。ヨメを守るのだ」
「へいへい」
オレはネズミからエルフさんを守るために、地下室へと進む。何もない地下室だ。3年前に家捜しした時と同じ。空の樽さえない始末。その空虚で狭い地下室に……白骨死体はあったよ。
すっかりと乾いた白い骨。おかげさまで腐敗臭がすることもなし。
「見つけたな。それで、どうするのだ?」
「……荷物を調べてみるさ。何かの袋を持っている……コイツを漁ってみようかね」
白骨死体が、大事そうに抱えた袋を、オレは取り上げる。白骨の指が引っかかっていたが、まあ、気にしない。強く引っ張れば、指はその袋から剥がれ落ちていたから。
その中身をあける……ネズミにかじられた穴があるが、中身は無事だった。食べ物なんてなかったようだからな。逆さまにして、地下室の床に、中身を出していく。ナイフに、空の水筒……木炭の鉛筆に……スケッチ帳……?
「……ふむ。絵を描くのが趣味の盗賊か?」
「いや、そもそも盗賊でもないのかもしれないな。こんな小さなナイフで盗賊はやらないだろうさ」
「たしかにな。これでは、ソルジェならば指で折れるほどに、薄い鋼だ」
リエルがその絵描きのナイフを抜いた。目を細めている。鋼に翡翠色の視線を走らせて、すぐに鞘に収めてしまう。
「……手入れもなっていない。これでは、ヒトを殺せない。作業用だな」
「一般市民かもしれないね。この土地の全員が犯罪者であるわけでもないから」
オレはそう言いながら、スケッチ帳を見ていく……風景画か。炭が走り、黒の濃淡とかすれ具合だけで荒野を描いている。何枚も荒野だな。
そして、動物の絵もあった。鳥とか、犬とか、馬とかね……あとは家族か、あるいは恋人?もしくは見かけただけの女かもしれない……もしくは、彼の空想上の美女かも。笑っているな。
……なんだか。悲しくなってきた。オレは、魔眼で彼の『死因』を確認している。左の脇腹をズブリだ。肋骨を貫かれて、肺にまでナイフが到達している。大きなナイフじゃないな。彼の愛用のナイフよりも小型。果物の皮を剥ぐための調理用のナイフ。
右利きで、彼より背の低いモノの犯行。刃が骨をすり切った角度から想像するに、まっすぐ。だから、両手持ちにしてる。力の無いものか、あるいは手が小さなもの……。
「……女にでも刺されたかな。正面からザクリと。おそらくは見えていただろうが、避けれなかったらしいな。刺されるがままに刺されたのかもな」
「どうしてだ?」
「そこまでは分からん。オレたちは、本職の探偵じゃないし。おそらく、本職の探偵でも分からんだろう。女ではなく、小柄で、小さなナイフを好む、変わった盗賊が犯人かもしれないしな」
「いるのかな、そんな盗賊?」
「可能性は低いだろう。スケッチの最後は、この教会か……」
「女と、こんな教会をスケッチしに来たのかな?」
「元々は、この教会の近くに住んでいたのかもしれなな」
「絵描きが趣味な男が、『誰か』と思い出の教会を訪れて、『女』に刺殺されたか……」
「……ヨメが怪しいって、考えているのかい、リエルちゃん?」
「そ、そんなヨメはいない!?いや……す、少なくとも。も、森のエルフには、夫を刺すタイプのヨメはおらんぞ!?」
「なら安心。さてと……ちょっと試してみるかな」
「なにをだ?……眼帯を外して?」
「『呪い追い/トラッカー』だよ。ガントリーから習ったんだが、この技巧なら小さな呪いでも追えるんだよ……」
「コイツは呪術を使っていた?」
「正式な呪術ではなくとも、恨み辛みがあり、しかも長い時間をかかって死んだ者は、呪いめいた感情を抱く。そして、『呪い追い/トラッカー』なら、それを追えることもあるそうだな……コイツは……ゆっくり死んだし、そういうコトもあるかもとね」
「……ふむ。うちの旦那さまは、また不思議な力を身につけたわけだな」
「気持ち悪い?」
「いいや。試してみてやれ。この者が無念を抱えているのならば、何かしてやりたくもあるぞ。美しい絵を描く男だったようだからな」
「たしかにな。さてと、ちょっくら試してみるか」
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