第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その14


 オレたちは荒野にある古びた教会を見つける。小高い丘には、色褪せた壁をもつ小さな木造の教会があった。『パンジャール猟兵団』が、3年前にこの土地に足を運んださいに手に入れた拠点の一つ。


 密造酒を馬車に積み込むという、恥ずべき悪事を行っていた現場だな……。


「どうかしたか、ソルジェ?」


「え?」


「いや。なんだか、疲れたような顔をしているぞ?」


「昨夜の君たちがステキすぎたから、体力を使いすぎて」


「へ、へんなコトを、ゼファーの前で言うでないっ!」


 ……ほほをつねられたよ。あながち冗談でもないのだが、まあ、いいや。上手いこと誤魔化せた。あの教会でのアホみたいな作業を思い出していたら、心が沈んだなんて言いにくい。


 酒が招いた欲望に駆られた、小さな悪事だったんだ。誰にも秘密にしていてもいいことだと思うよ。安酒を浴びるように呑んでみたかっただけなんだよ……。


 さてと。


「ゼファー、あそこに下ろしてくれ。ガンダラとキュレネイの気配はないが、遅れているのかもしれない。先に待っておこう」


『らじゃー!』


「ふむ……盗賊どもの住み処になっておるかと思ったが……盗賊どもにさえ、魅力が乏しい場所と思われているようだな」


「ああ。そうでなくては、オレたちの拠点としては使えないだろ。まあ、この荒野に物資を置き去りにするつもりはないがな」


「たしかにな。悪人しかいない土地か……だが」


「だが?」


「ここを拠点として使っていたということは、『パンジャール猟兵団』が来たことがあるわけだな。何のためにだ……?」


 正妻エルフさんってば、鋭いなあ。


「こんな土地に、何をしに来たのだ?」


「……いや。社会を勉強するために?」


「不道徳的な行いをするのか。女か、酒か?」


 ……ウソでしょ、するどい!!


「なるほど、後者か」


「ど、どうして分かった!?」


 声には出さなかったはずなのに!?


「夫婦の絆だ。お前の考えていることなど、私には丸分かりさんだぞ」


「……そいつは、スゴい」


「悪さはするなよ。私の夫として恥ずべき行いをするでない。そもそも、後悔を背負っていては、人生が楽しめなくなるものだぞ?」


「……ホント、そうだよね」


 ああ。朝から反省しながら、悪人が気づいた背徳的な土地へと着陸したよ。人生における恥ずべき思い出が刻まれた、アホみたいな場所にね。鉄靴の底が踏む大地は、あの日のように乾いていたよ。


 けっきょく。


 あの密造酒の味は悪かったよ。フレーバーがおかしいのか、薬物くさかった。見境のなくなったアル中にしか愛せなさそうな味だったぜ。そいつは罪悪感が味覚を濁らせているわけじゃなくて、ただただ出来が悪いだけだったのさ……。


 ほんと、オレたちは何をやっていたんだろうな、ガルフ・コルテス。こんなクソみたいな土地に来てまでよ……?


 まあ。


 そのおかげで、オレたちはキュレネイ・ザトーに会えたわけだがな。キュレネイとの出会いは、この悪人しかいない土地だった。悪人しかいない土地で、彼女だけが例外的に純粋なまでの職業人だったよ。


「ぼーっとするな。仕事をするぞ」


「……ああ。待機だな」


『ぼくは……?』


「早起きさせちまったからな。そこらを飛んでいてもいいし、眠っていてもいいぞ?」


『うん。がんだらたちが、きたら、おきるね……』


 ゼファーも早起きは嫌いなのかな。ゆっくりとあごを地面につけて、そのまま瞳を閉じていく。ふむ……バシュー山脈とは異なり、『ゼロニア平野』は空気が殺伐さを帯びる程に乾いているというか―――いい方に評価すれば、温暖だ。


「……日光浴か。よく晴れた日には、悪くないな」


「バシュー山脈は肌寒かったものね。ゼファー、鱗を干しておきなさい」


『うん……そーするね、『まーじぇ』……っ』


 大きなあくびをオレたちに見せたあとで、ゼファーは幸せそうな寝息を立て始める。竜は湿ったところを好むものだが、バシュー山脈は寒かったのだろうか?……太陽を見あげる。世界のどこから見ても同じはずなのに、この土地でのそれは温かい。やや暑いほどだ。


「……いい日差しだよ」


「うむ。これほど乾いていなければ、私も嫌いではない土地だな。あまりにも……何も無いのは考えものだがな。森も林も、家もない……遠くに、細くて崩れかけている運河が走っているだけの荒野か……」


「『ヴァルガロフ』は、なかなかに栄えているはずだし、ここから北に行けば、ハイランドにつづく、北方山脈が始まる。農地は、そこに多いが―――」


「なにか、問題でもあるのか?」


「……そこの農家が栽培しているのは、もっぱら麻薬ばかりだよ」


「……ほう。不道徳な連中だな」


「貧しさゆえにでもある」


「ん?……どういうことだ?」


 正妻エルフさんにも教えておくか。『ヴァルガロフ』の成り立ちについてね。オレはリエルに長々と、この土地の物語を伝えたよ。


 野心が生んだ戦乱に自然が破壊され尽くし、その後に蔓延った傭兵どもの成れの果てでもある犯罪組織たち……そして、その悪徳が支配する経済に囚われていった貴族と農民たちの物語をね。


 正義感の強い森のエルフさんは、この堕落と腐敗の物語を楽しめなかったようだった。


「不愉快な土地だな」


 極めて明確な価値観に基づいた判断だった。そうだ。ここは正義や倫理を重んじる者たちにとっては、どこまでも不愉快な土地さ。


「まったく!そのような腐敗した者たちが作った酒を求めていたのか、お前は」


 ああ、怒りの矛先はこの土地の困った歴史にではなく、オレのほほ肉へと向かう。うつくしいエルフの指につままれて、オレのほほが伸びていく……。


「反省しているさ」


「むう。本当か?」


「ああ……だが、その恥ずべき経験のおかげで、世の中の腐敗の構造を知れたとも言えるじゃないか」


「前向きな思考パターンだな」


 その言葉と共に、リエルの指がオレのほほ肉を解放してくれた。


「……猟兵だからね。それに、たしかに真実でもある。ククルじゃないが、現地に入らなければ理解できないこともあるんだぜ」


「む……」


「この土地が腐敗した理由とは何かとかな。ヒトの業の深さを感じる。そして、各勢力の傭兵たちが、ここにのさばっていった結果……この土地は帝国領でありながらも、亜人種たちが暮らしてはいけているのさ。法の支配が届かないということの、ある意味の救いだ」


「しかし、どう考えたとしても……ここが健全な土地とは思えんぞ」


「そうだな。極めて不健全な空間だよ。世界は、色々とフクザツに出来ているってことだよな」


「……それは認める。ヒトの暮らしは、一枚岩ではないし、それぞれに願望がある。同じ方向を向いているとは、限らない」


「ああ。善や悪にしたって、色々あるほどだ。たとえば、悪行に手を染めることで、貧しかった農民たちの一部は豊かになった。イモよりも、麻薬の方が高く売れるからな……この土地は、耕すよりも、麻薬や密造酒を売り払って稼いだ金で作物を買う方が早い」


「麻薬の栽培などが、正しいコトだと?人心を蝕む、邪悪な薬を作ることがか?」


「そうではないが。それをすることで、一生涯、貧しかったはずの暮らしが変わったのは事実だろう」


「そ、それは……そうかもしれぬが」


「麻薬の原材料となる、怪しげな葉っぱの栽培で、『家族』にメシを食わせられるという現実は、ヒトの倫理観を歪めてしまう力になるだろう。善良な農民だって、それを選ぶようにはなるさ」


「……なんだか、よく分からんが、もやもやする」


 リエルの正義は純粋だからか?……いいや、そうじゃないのさ。リエルがその現実に違和感を覚えるのは、正しいことさ。


「何か、間違っているような気がするのだ」


「ああ。大いに間違っている。本来は、悪事などに手を染めなくとも生きていける社会を目指すべきだ。悪事という『産業』に依存するような仕組みにしてしまい、それを維持しようとする勢力がいる。そいつらが問題を固定化しちまっているんだろう」


「……つまり、マフィアか。『白虎』のような、ならず者の群れか」


「そうだな。元・傭兵のマフィアども。多様な亜人種や、下手すれば『狭間』のならず者たちが、武術の腕と狡猾な頭脳の切れ味で、成り上がっているんだろうよ。そして、造り上げた邪悪な仕組みを支配して、維持して、守っている」


「潰し甲斐がありそうだ。今度の獲物は、間違いなく、その連中の一派だろう」


 エルフの弓姫が、北西を見つめながら語る。獲物を睨みつけるような視線だ。表情はクールなものであるが……エメラルド色の瞳には、強い意志のかがやきが宿っているのさ。


 狩人の目をしている。


 悪を射抜く、それがリエル・ハーヴェルの生まれた意味の一つなのは間違いないことだ。


「……しかし、ソルジェよ」


「なんだい、リエル」


「この邪悪な土地を、良くする手段というのは、本当にないものなのか?」


「ああ……難しいな。悪に依存しちまった社会構造だ」


「では、永遠に、滅びる日が来るまで、この土地は悪徳にまみれているだけなのだろうか……」


 あまりにも悲しそうな顔をするものだから、オレも蛮族なりに脳みそを使う。この国が良くなりそうな手段を、少しでもみつくろうのさ。


「……この平野は、基本的には肥沃な土地であるはずだぜ。運河は細いが、水が流れてはいる。バシュー山脈の雨が、この土地には運ばれているのさ。開拓する手法は、おそらく何かあるはずだ」


「では……それをさせない者たちを始末すれば、いいのだろうか?」


「だが……そうしたとしても、積極的にこの国を良くしようと、この国の連中の多くが考えなければ難しいだろう。そうしなければ、マフィアが代替わりするだけだ。次は、麻薬農家出身の富豪なんかが、組織と仕組みを継ぐかもしれん」


「倫理の欠如とは、社会を蝕むものだな」


「まあ、結局はそこだろう。ある程度の正義や法に律されている集団は、国ごと堕落することを免れるのさ」


 強靭な法律による治世というのも、蛮族出身者としては、あまり好ましくは思えないものだがな。『掟』が、ヒトの堕落を防ぐことには役立つということは認めざるをえない。


 でも。


 あんまり、その事実をオレが口にしすぎると、リエルがオレをより良い人物に律してやろうと、さまざまなリエル・ルールを与えて来そうだから、秩序や正義を褒めすぎるのは止めておく。ルールに縛られすぎるのも、ヒトの本能は嫌うもんでもある。


「……とにかく、マジメな働き者ってのが、それなりの数いないと社会は機能しにくいということだ。あの旅の教訓は、それだ」


「そうか。反面教師としては、役に立ったようだな。お前のかつての『ヴァルガロフ』旅行も」


「……たしかにね」


 密造酒はあんまり美味くない可能性があるってことも学んだよ。安いものには、安いなりの理由があるもんだ。


 酒造だけは、法律で縛るべきだな。酒呑みは、ついつい量と安さを求めがちだ。あれこそ律していなければ、悪い酒ばかりが世の中にあふれちまうよ。


「さてと。リエル、お日さまに当たりすぎていても仕方がない。我々の旧・アジトに入ってみようぜ?……盗賊どもが、この何もない場所を見込んで、財宝でも隠してくれているかもしれん」


「いくらなんでも前向きすぎるぞ?だが、ボケーッと突っ立っていてもつまらん。入ってみるか」

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