第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その13


 西の空は晴れていてくれる。楽しむようなリズムで空を打ち、どんどん加速していくゼファーは、二つ目の山脈を越えていく。太陽が昇り、蒼穹に吸い込まれそうな青が戻るころ。


 眼下には乾いた大地が広がっていた。『ヴァルガロフ』のある、『ゼロニア平野』はバシュー山脈の西にある土地だ。ハイランド王国からは南に位置しているな。ハイランド王国へ流入していた難民たちの主要なルートの一つ。


 この乾いた土地には、産業が乏しい。歴史上、多くの国家に支配され、それらの支配者どもは、『ゼロニア平野』を開拓しようと野心を燃やした。このムダに広い荒野は、平坦な土地であり、開拓に成功すれば、広大な農地にもなる。


 支配者どもの『大きな財布』になりそうだったのさ。


 ……しかし。


 この平野を巡った無数の争いは、土地を大きく荒廃させることにつながっていく。軍隊の進行は、その土地の自然を壊すことが多い。燃料を確保するために、無理やりに森の木々を倒し、乾燥させて薪を作る。


 最前線の陣地を構築するためには、切り出した木々で櫓や拠点を囲む柵を作る必要もあるしな。敵に水を与えないようにと、川をせき止めることもあれば、井戸に毒を流すこともある。


 兵士の食糧を確保するために、森の調和を破壊するほどの激しい『狩り』を行う。森の獣は激減し、あまりにも減った個体数は、繁殖の勢いも殺すことにつながる。そして、軍隊でも脅威と感じる、強靭なモンスターだけは放置されるのだ。


 モンスターは、わずかに残った獣を喰らい、やがてヒトが食する肉をこの土地で得ることは難しくなる。家畜を飼えばいい?……悪くない解決策だ。シャープな答えだが、問題がある。モンスターが、家畜の群れを引き裂き、その肉を喰らうのだ。


 それに。


 モンスターだけが家畜を襲うわけではない。度重なる戦争で使われたのは、さまざまな傭兵たちだ。しかし、勝利した側の傭兵には報酬が支払われるが……敗北した側の傭兵はどうなるのか?


 戦場に捨てられることがある。


 主力の軍隊とは違い、国家は傭兵に責任を持たない。下手をすれば、軍を守るために、傭兵を戦場に置き去りにして敵軍に包囲虐殺をさせることだって起きるさ。傭兵の命で、自分たちが逃げるための時間を稼ぐんだよ。


 ……性格が悪い将軍とは、組みたくない。


 それに、負け戦が濃厚な場合はとくにな。


 負け戦になれば、そもそも傭兵に支払う報酬の出所も消える。侵略した土地の財宝を、軍隊が手にする日は無いわけだからな。


 騎士道には反する行い。ヒトとしての倫理にも欠けた、戦場での裏切り行為だがな。傭兵は、よく雇用主に裏切られる―――ゆえに、傭兵もまた雇用主を裏切るものだ。どちらもが不実になる。負け戦とは、ヒトに常識ってものを守らせる余裕を奪ってしまう。


 そして、戦場に傭兵を捨てることは、負けた方の軍勢にとって、もう一つメリットがあるのさ。


 敵の土地に、飢えた乱暴者の傭兵を放置するんだぞ?


 傭兵は金にも食糧にも飢えている。何をするか?……その傭兵団長は、部下たちの胃袋と財布を満たすためにご当地で略奪行為を働くようになる。そうでもして、メリットを提供しなければ、戦場で戦い傷ついた部下に殺されることもありえるさ。


 団長を殺し、彼の財産を奪い、部下たちは金を稼ぎ、トンズラする。傭兵どもの団長は、そうなるよりも先に、他の獲物を部下たちに提供したがるものだ。


 犠牲となるのは、戦場周辺の村や町。防衛力の低い土地は、百戦錬磨の傭兵たちの欲望に晒されることになる。国境近くの村なんてものは、危険なものだな。村ごと殺されて、あらゆるものは略奪される。財産も、家畜も、女も、子供も。


 奴隷として価値のある者は、虜囚の身となり、どこかに売られるだろう。盗まれた家畜と同じように。奴隷を求める者は世界中にいるからな。労働力や、性欲のはけ口……一部の錬金術師からすれば、生きた実験材料として。


 ……負け戦の将からすれば、自軍の傭兵を戦場に放置して撤退するということは、敵国に大きなダメージを与えることになるのさ。盗賊を増やすことと同じだからな。


 『ゼロニア平野』では、歴史上、そういった行為が幾度となく繰り返されてしまう。戦火に燃やされた自然は、荒廃した。毒を入れられた井戸は潰され、悪意によりせき止められた川は腐っていく。野性の獣は減り、飢えた肉食の獣とモンスターは家畜を狙った。


 敗軍から放出された傭兵どもは、盗賊と化して、しぶとくその土地を荒らして回る。せっかくの開拓しかけていた村は、破壊されてしまうな。


 ……そんな歴史が繰り返されることにより、『ゼロニア平野』はすっかりと荒れ果ててしまったわけだ。かつては家畜たちには魅力的な牧草の海が、どこまでも広がっていたらしいが……渇き果てた今、牧草の海は消えている。


 あちこちに廃墟があり、モンスターと盗賊の根城と化し、旅する者たちから命を含む全てを奪い取ることに必死なヤツらの隠れ家になっている。この隠れ家を求めて、各地から逃げ出した反社会的な人物どもが集まりもしていった。


 魅力は消え去り、悪人どもが残った。


 そして、悪人どもは支配者の君臨する都さえも汚染していく。


 支配者からしても、飢えた悪人どもは利用しやすい存在であったからな。手頃な金で、荒事を引き受けてくれる。嫌いなヤツを殺すとかな。あるいは、嫌いなヤツの家から大金を盗み出すことも。


 何より、悪人どもは支配者に娯楽を提供してくれた。


 奴隷だよ。この楽しみの少ない土地では、肉欲を満たすことも最高の遊びの一つ。大勢の若い女、あるいは若い男なんかを、貴族や豪商どもは消費していく。そいつらの欲望に対して奴隷を提供する悪人どもは、大いに稼ぎ、財と力を蓄えていった。


 奴隷の次は、酒だよ。


 酒を密造、あるいは密輸することで……税を支払うことのない、商人も儲かり、飲み手の財布にもやさしい素晴らしい酒が誕生した。その酒は、正当な税率がかかった無意味に高い酒を駆逐していく。


 かつて、オレたちは、その安酒を求めてこの土地に来たという恥ずべき履歴もあるな。オレもガルフも金が無いが、酒が好きだったからね。ここで大量に仕入れて、よその土地で売りさばいて稼ごうとしたこともある。リエルには、黙っておこう。怒られそうだ。


 奴隷、酒とくれば?


 まあ、ヒトは必ず堕落するように出来ているからね。


 クスリさ。


 奴隷と酒で稼いだ悪人どもは、その金で農民たちを雇っていった。農民たちに、麻薬の原材料となる怪しい植物なんかを栽培させたというわけだ。貧しい農民からすれば、安げな芋を育てるよりも、麻薬になる葉っぱを育てた方が、ずっと豊かになる。


 過剰な富と同様に、過酷な貧しさもまた倫理観を歪ませるのだ。


 貧しさから抜け出すために、必死に農民たちは麻薬作りの片棒を担いだ。その麻薬は、富裕層を蝕み、悪人どもの虜にしていく。そして、生産者である農民たちも含め、一般的な労働者にも麻薬愛好者は激増していった。


 金持ちから奪うだけでなく、貧乏人からも搾取した方が、より多く儲かるからだ。悪意とは、やはり合理的なものだな。性善説に基づく法律が、全くの無意味であることが証明しているように、ヒトの本質は間違いなく悪である。


 ……奴隷、密造酒、麻薬。


 それらの魅力的な品々で、悪人どもは王族や貴族さえも虜にして、この土地を好き勝手に支配するようになった。ファリス帝国の領土に組み込まれた今でも、その強力な組織は健在である。帝国の商人や貴族たちに、多くの貢ぎ物をしているのだろうから。


 おそらく、この枯れて荒れた土地では、毛ほどの生産性も見いだせない。この土地がマトモに働いたところで、もはやマトモな税収は期待できないのさ。それよりも、悪人どもの提供してくれる賄賂などの方が、二つか三つほど、大きな桁の金になるのも事実だ。


 欲望が、この土地の無法を保証してくれているのさ。


 腐敗しきった土地が、正義も法律の支配を受け付けない理由は、支配者層がもつ欲望を、大いに叶えてくれているからだろうな。悪人どもの貢ぐ金……そして、不法な奴隷や薬物なんかも、帝国貴族ウケがいいのだろうよ。


 その結果、悪は放置され、悪を許容し実践する者たちは大いに潤っていくのさ。


 ……ここには倫理もない。


 帝国人を突き動かしている侵略的な愛国心もない。


 おそらくはオレの大嫌いな人間族第一主義も存在しない。


 あるのは、ただ暴力による支配と、搾取の螺旋が繰り返される、無法地帯な荒野だけだ。


 帝国的な性格が皆無なことを、喜んでいいのか……それとも、この悲惨な現実を嘆くべきなのだろうか。


 相反することが、どちらかの支持者に喜びをもたらすことがあるとは限らない。


 相反するそのどちらさえも、悲惨なこともある。


 とにかく、この土地は最悪な無法地帯であるってことさ。オットーが、ミアを自分のチームに入れた理由の一つにも、この土地が荒れ果てて教育に、あまりにも良くない土地だという事実があるからかもしれない。


 マジメなヒトからすれば、足を運ぶことさえもイヤな場所。それが、『暗黒の街、ヴァルガロフ』ってものなのさ。


 おそらくは、イース教徒たちの扱いも悪いんじゃなかろうか。節制とか慈悲とかという思想とは、あまりにも真逆に位置している土地だからな……。


「……ソルジェ」


 視界に映る悲惨な乾いた荒野とは真逆な、うつくしい響きをもつ声をオレの背中は浴びたんだ。


「どうした、リエル?」


「いや。運河が見えたからな。あれが、『ヴァンガード運河』の支流か?」


 リエルの細腕が視界に右から入ってくる。しなやかな指がピンと伸びていたよ。その指が示す方へと首を動かしていく。北には小さいが確かに人工的な運河が走っていた。まっすぐと東西に走り抜けようとしているからな。


「ああ。あれが『ヴァンガード運河』の一つだ」


 さんざん、悲惨な土地扱いしてしまったが、『ゼロニア平野』には一つの偉業がある。200年前に、この何もない土地をどうにか商業の道へと造りかえるために、当時のゼロニアの人々は大地を掘り進めて、平野を横切るように運河を刻んだ。


 そして、その運河はやがて他国の川や運河とも接続して、大陸のあちこちを走っている大運河、『ヴァンガード運河』の支流となったのだ。何十年もかけての大事業であったものの、今、あの運河に流れているのは不正で悪徳に満ちた商品だ。


 麻薬やら密造酒を、帝国の中央部へと運ぶ、汚職にまみれた細い川でもあるのさ。どうにも、ゼロニアの物語は……悪行の奈落へと転がり落ちやすいものだな。


 悪とは、ある意味で合理的であり、ヒトは堕落を好むものだ。もしも、ヒトが倫理を失えば、全ての土地はこのように腐り果ててしまうということだろう。


 悪がはびこる荒野は、帝国の支配すらもはね除けて、今日も元気に、ただただ不法を貫いているらしいな―――。

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