第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その17


 アリューバ半島でも披露してみせたが、ロープを使った捕縛術というのも竜騎士の技巧の一つだ。竜の上空から、敵に投げ縄を放ち、そのまま空中に拉致してしまうという強引な捕縛も我々は得意である。


 だから。


 その女の死体の足にロープを引っかけて、引きずり上げることは難しくはなかったよ。彼女の死体は……干からびてミイラのようになっていた。


 あのスケッチの女性は、笑顔が魅力的だった。少し不自然なぐらいに。『彼女』は、干からびているだけ。スケッチに描かれていたのは、この人物とは思うが、確認しようがないな。


 引きずり上げた彼女を、井戸のとなりに横たえる。


 まだ作業はつづける。井戸の底には、彼女の持ち物なのだろう。大きな革製のバッグも見つけていたからね。オレはロープの反対側につけているフックを使う。その尖って曲がった金属を引っかけて、そのバッグも釣り上げて回収したよ。


 旅行用のバッグ。荷物がたくさん入って頑丈だ。それなりに、色々と入っているらしいな。金目のモノが入っていないかとか期待してしまうのは、蛮族の血かね?


 オレはその旅行用のバッグの中身に意識が向いていたが、リエルはミイラ女を見つめていたよ。


「……この女が、あの『絵描き』を殺したのだろうかな?」


「ん。ああ、そうだと思うぜ。あくまでも、推理だがなあ。さあて、荷物を確認してみようじゃないか。遺書でもあれば、謎が解ける」


「うむ。そうだな。なぜ、こうなったのか……気になるところだ」


 オレはバッグを開けて、逆さまにひっくり返す。その中身を地面に出したよ。割れた酒の瓶がたくさん入っていたな。奇跡的に割れていないブランデーの瓶もあった。


「お酒の瓶ばかりだ。中身は、井戸の底に投げたときに割れてしまったのだろうな」


「おそらくね。いくら酒好きでも、旅行に空の酒瓶を持って出かけることはしないさ」


「ふむ。酒好きが語るのであれば、信憑性がある」


「……依存症を感じさせる量だな。女が呑むには、かなり強い。それに……この植物は」


 散らばった荷物のなかに、『それ』を見つけていた。薄茶色の乾燥した植物。モコモコとした物体だ。


「何の薬草だ?……正直、マトモな薬草には思えんな」


「いい推理力だ。コイツは、いわゆる麻薬。焼いて煙を吸うと、心に危険な快楽がやって来るのさ。煙管もあるな。タバコ代わりに、この管に入れて、火をつけて吸う」


「……ソルジェよ、そんなものを使ったことがあるのではなかろうな?」


「オレは無いよ。幻覚を見るような薬物は、竜の祝福がキャンセルしちまう。竜騎士に麻薬は効かない」


「良いことだ」


「ああ……彼女は、アルコール依存症に、薬物依存症……下着の趣味は、やたらと派手。偏見かもしれないが……売春婦か何かかも?少なくとも、荒れた生活をしていたようだ」


 死体を見る。ミイラの左腕には、タトゥーが見て取れる。しわしわで分かりにくいが、バラのタトゥーか。生前は色っぽいというか、卑猥というか……売春婦の類いじゃないかなと思う。服の趣味も、かなり派手だしな。


 ……さて。


 あまり楽しげなことが書いてあるとは思えないが、日記帳があるな。女性の日記を読むのは気が引ける……だが。そのページが黒くなっている。血の痕跡だよ。あの『絵描き』をナイフで刺した後で、その日記に触れたのだろう。


 事実上の『遺書』か。


 ……誰かに伝えるために書いた。


 オレたち宛てではないのは間違いないが、この依存症で、ヒトを刺し殺した後に自殺しちまうような女に身内はいたのかね?……もしも、身内がいないような女であったとすれば、彼女は誰に宛てたわけでもない遺書を書いた。


 それは、誰でもいいから、自分の言葉を聞いて欲しいという願いなのかもしれない。赤い『糸』は……その日記帳につながっているんだよ。不作法とは承知の上で、オレはそのページをめくる。


 荒れた女の私生活には、そこまで興味が無いからね。最後のページを読もうかね。


 リエルがオレの背後から、ひょっこりと顔を出してくる。探偵エルフさんとしては、気になるのだろう。彼女の遺書がな。オレは、リエルのために屈んでやる……。


「……血まみれだな、そのページ」


「『絵描き』を刺した後で、書いた証になる。『絵描き』が彼女を井戸に捨てたわけではなさそうだ。彼女が殺し、彼女は自殺した」


「ふむ……読んでみるか、わざわざ書き残したんだ。誰かに伝えたいのだと思うぞ」


 くくく、リエルちゃんってば、同じことを考えているか。さすがは夫婦だよなあ。さてと……読むか。




 ―――どうして、こんなことをしてしまったのだろう……。


 私たちは、幸せになるはずだったのに。


 ……ううん。


 そうじゃない。


 私は、そんな資格なんて、とっくになかった。


 いつからか。ずっと昔からだ。


 15のとき、開拓村の暮らしがイヤになった。毎日、乾いた土を掘り返す。背中の曲がり始めた母を見ていると、自分の未来に吐き気がした。ゾッとした。これから何十年も、死ぬまで、稼ぎの少ない痩せた土地の面倒を見るの?


 ……最低な生き方だと思った。くたびれて、死ぬまで、毎日毎日、干からびた地面を耕し続けるの?……そんな生き方に、そんな人生なんて、最低よ。


 私は……キレイだったから。


 そんな泥まみれの人生なんて、送らなくてもいいはずだと考えていた。村の男は、同世代の子は、みんな私に夢中になってくれたもの。


 だから。


 私は、『ヴァルガロフ』へと向かった。都会に出れば、私の人生は変わると思っていたから。


 本当は……歌い手になりたかった。歌には、自信があったから。鳥のように歌えるの。コマドリみたいに、歌上手よ。


 ……色々な男が出来た。チャンスを得ようと、体も売ったし……酒にも溺れた。クスリも覚えちゃった。どこが間違いの始まりだったのか。分からない。


 歌い手には、なれなかった。


 気がつけば、ただの薄汚れた売春婦になっていた。何度か流産した。幸いなことのようにも思えた。だって、私みたいなものが子供を産むなんて?……そんな資格があるようには、とてもじゃないけれど思えなかったもの。


 ……怖いわよ。


 私の生んだ子が、男の子だったら?私を金で抱いて、私を孕ませるような、あんなクズどもと同じ男だったら?……殺しちゃうかもしれないわ。憎くて、気持ち悪い。


 もしも、女の子だったら?……『ゴースト』の連中に、取られちゃうわね。生まれてから死ぬまで、生粋の売春婦にされる。私は、『ゴースト』がくれる、麻薬も酒も、断れない。妊娠しているあいだは、客も取れないからね……。


 産む頃には借金漬けよ。


 そして、男の子よりも、女の子の方が、よく売れる。私は、きっと……麻薬か酒の代金の代わりに、自分が産んだ女の子を『ゴースト』に売っちゃう。そうね。取られるわけじゃない。私が、きっと、差し出すわ……。


 それは、あまりにも不道徳だわ。


 ……さすがに、そんなことは出来ない。イースさまの教えにはあるもの。慈悲。こんな私の子供として産まれてくるぐらいなら……産まれなかったことの方が、幸いだったのよ。でも……ロンは、私を慰めてくれた。


 ……。


 ……。


 …………ロンと私は、同じ村で育った。何もない開拓の村。『ゴースト』の奴隷ではなかったけれど、その言いなりの村。山の連中よりも、ある意味では悲惨だったわ。私たちは麻薬も栽培出来なかった。


 だから。みじめな土仕事よ。枯れた土地を耕す……父さんたちは分かっていた。もっといい肥料がいるの。でも、それは『ゴースト』が牛耳っていた。価格は、不当に高い。私の親たちは、祖父の世代からの借金で、縛られてもいたのね。


 ……搾取には逆らえない。イース教徒の開拓村は、力がないから。


 みじめな貧乏農民よ、産まれてから死ぬまで……それが、イヤで、私は逃げたのね。『ヴァルガロフ』にはチャンスがあって、私なら、掴めるんだって信じていた。バカだから。


 でも。ロンは愚直に生きていた。ゼロニア人らしいわ。正しいゼロニア人は少ないけれど、ロンは、その一人だったのよ。私と同じく異教徒だけどね。彼は……イース教会に拾われた孤児だった。昔から、絵が得意だったわ。


 ……ゼロニアが帝国の一部になってからも、イース教はウケが悪い。ゼロニアは、戦神バルジアの土地だものね。『ゴースト』のヤツらも、乱暴で残酷なバルジア神の崇拝者たちだし。帝国が押し付けてくるイース教に、反感と警戒を強めていたのね。


 だから……イース教会は潰されてる……酒造りが上手な教会以外は、『ゴースト』がみんな潰しちゃったわ。私の故郷も、気がつけば……消えちゃっていた。


 風の噂では聞いていたけどね……みんな、ゼロニアから逃げたのよ。私が捨てた私の家族も、みんな……帝国領に組み込まれたとき、イースさまの教えが根付いている土地に逃げちゃった。あるいは、逃げようとして『ゴースト』たちに狩り殺された。


 私も……村にいたらよかったのかも。


 ……後悔しているわ。今から、死ぬんだけど…………あまりにも、みじめな人生だったって、書くしかない。


 ……ロンはね。


 それでも、いいって、言ってくれたの。


 腕の良い靴職人になっていた。絵は、趣味で描いているだけね……故郷の絵を見せてくれる。失われた、私の子供時代がある、村の姿……ロンには、あの村が、美しく見えていたのね。


 ……ロンは、私と結婚してくれると言ったの。私みたいなものを、お嫁さんにしてくれるんですって!?……どれだけ、汚れているのかも、あのヒトには、きっと理解できていないのに……。


 ……私は、ずるいから……彼にすがった。彼を利用して、幸せになろうとしたの。


 隠れて……麻薬をやっているのに?……お酒だけじゃないのに。やめたとウソをついていたけれど……私は、ずっと麻薬中毒だった。ロンと婚約していたのに、麻薬をくれると言われたら、『ゴースト』の男どもに何だってしてあげた。


 ……クズだ。


 私なんて、生きている価値がないことは理解している。


 だから。今から、死ぬの……。


 ……。


 ……ここに来なければ良かった。私が、言い出したんだけどね。ロンに、故郷がどうなっているのか、見たいって。ロンと駅馬車に乗って……十五年ぶりに、ここに戻った。


 ロンは教会に行きたかった。彼には、そこが実家みたいなもの。『ゴースト』は、教会を潰しているけど……建物までは壊さない。脅して僧侶たちを追い出すの。建物を焼けば、帝国の役人たちの機嫌を損ねるからね。


 私たちの村は消えていたけど……教会だけはあった。


 ……ロンは、私をそこに招こうとした。やさしい顔をしていた。彼は、私を、自分の育った家を、見て欲しいと……ロンは、とても、やさしい顔だった。本当に、いい人なのだと思った。


 本当に、私なんかを愛してくれているのだと思った。だから。だから……底が知れないほど怖くなった。


 『ヴァルガロフ』で、私がどれだけの悪行を積んだのか。私の体がどれだけ汚れているのか。私と暮らせば、彼はどんどんそれを理解してしまう…………そしたら?……そしたら、ロンだって、私のコトを嫌いになるのよ。


 だって、私はクズだから。


 私は……麻薬にも酒にも溺れてる。麻薬のためなら、何でもするクズ女よ。体も売るわよ。もう何度だってロンを裏切っている。ロンは、やさしいけれど、私を愛してくれているけれど……私を理解したら、絶対に失望して、嫌いになってしまう。


 私を……ロンは、捨てるんだと思った。


 未来がね、見えたのよ。


 私には綺麗な花嫁になる未来はない。私が、彼を幸せにするはずがない。私は寄生虫のように彼を蝕み、彼から奪うだけ。裏切りつづける。愛しているわ。誰よりもロンを愛しているけれど、私は間違いなく、彼を何度も裏切るの。そんな女なの。


 だから。


 だから……ロンに嫌われたくなかった。ロンに、捨てられたくなかった。ロンだけは、そばにいて欲しい。永遠に、そばにいて欲しい。


 ……私は、私がどれだけロンを愛しているのかを、理解しました、イースさま。でも。だからこそ。私はロンを失いたくないから……それが怖いから……失わないように、彼を私だけのものにしようと…………ナイフで、刺しました。


 ロンは……驚いて、痛がって……それでも、それでも、私に微笑んで……おいでと、言ってくれました。そのまま……血があふれるお腹を押さえて…………教会に、入って行きました。雨が、降っていたから…………このままじゃ、濡れるよと、寒いからって……。


 ……。


 ……。


 イースさま…………私は…………あなたの家に、ロンの家に……入ることが出来ません。ロンのところに…………行きたい……でも、私のような邪悪なモノがいれば……ロンまで地獄に落ちてしまう……。


 私は……ロンのそばには、いけません。聖なる教会にも……入れるような女じゃありません…………私は…………また、麻薬が欲しくなっています。私の心には、悪魔ばかりが住んでいるのです。


 だから。


 もう、私は生きているべきではないのです。愛するヒトを……失うのが、怖くて、刺してしまうような女は……地の底の地獄に行くべきなのです。これから、私は、地の底に行き……イースさまの罰を受けます……だから。


 イースさま……。


 ……私が……刺して……もうすぐ、死んでしまうかもしれないロンを、助けてあげてください。ほかに、私には、もう出来ることがありません。私は、これから、あなたの地獄にまいります。罪を償うために、千年の罰を下さい。


 ……だから。ロンを……助けてあげて下さい……私は、ほんとうにどうしようもない女で、どこまでも狂ってしまっている悪魔ですが……ロンのことを、心の底から愛しています―――。

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