第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その2
肉を食わせて、連中をゆっくりとさせた。あの沼地での生活では、体にダメージが残っているだろうからな。そのうち、ククリとククルもやって来て、4人組からハナシを聞いたよ。
あまり楽しいハナシではなかったが、マエリスとリーファの生い立ちも聞いた。マエリスは……人買いから逃げて来たそうだ。マエリスの場合は、父親が人間族だった。母親は彼女を産んだときに亡くなったらしい。
父親は、だんだんと飲んだくれていき……借金を重ねていった。
『狭間』であるマエリスや、その母親のことをも否定するようになり、殴るようになった。最終的には、彼女のことを人買いに売った。『狭間』でも……いや、ある意味、『狭間』だからこそ、子供たちに対する性的な搾取が容認される。
人間族ならば、禁止されるような行為も、『狭間』の子たちには社会が許容してしまうことがあるのだ。
彼女は、初めての客を『雷』で感電させて、逃げ出して来たそうだ。そのまま、賢明なことに、父親の元には戻らなかった。
それからは、各地を逃げ回ったのだと勇敢なるマエリスは語ったよ。
ククリとククルには、彼女の物語は、あまりにも衝撃的なハナシだったようだが……社会勉強にもなるだろう。
世界は、いつの時代も不完全だ。
だが、その痛ましい現実から目を背けるか、それとも直視するか。選ぶことは出来るよ。
オレは、このやさしい双子たちが、後者の道を選んでいることを誇りに思う。他者の痛みを見たいわけでもあるまいが、それでも世界を識ろうという行為は、尊いことなのだとオレは判断する。
リーファの生い立ちも聞いたよ。彼女の場合、元々は旅芸人の一座で生まれ育ったそうだ。
旅芸人は、寛容だ。
他者を笑わせる技巧があれば、何だって受け入れる。『狭間』であってもそうだ。そのサーカスには、『狭間』も何人もいたようだが……半年前に、帝国人に襲われた。市民だったようだが、詳細は不明。
サーカス団員の多くが捕まり、多くが私刑で殺されたのだろう。レイチェル・ミルラの例を思い出すよ。レイチェルがこの場にいたら、この子のことを大いなる母性をもって抱きしめてやっただろう。
……サーカス団は、旅する者たちだ。
後ろ盾が非常に弱く、町の者たちからの攻撃や略奪を防ぐ術は少ない。自衛手段として、剣術使いを雇うこともある。だが、それでも相手の数が多ければ、剣豪が一人いたところで守り切れるものではないだろう。
排斥とは、大多数が絶対的な少数を蹂躙する行いだ。町の男たちが総出となって、サーカスを襲ったのかもしれない。若い軍人たちが武勇伝代わりに、亜人種の集団を襲うということも、帝国領内ではまかり通っているフシがある。
レイチェルの場合は、その典型でもあるだろう。
兵士であれ、民衆であれ。
本質は同じ。
大勢で取り囲み、嬲り殺しにしていくのだ。
娯楽であり、『正義』の行い。社会から『悪』を消し去る聖なる行いなのだと、本気で信じているか、あるいは信じるフリをして罪悪感から解き放たれている者も少なくないだろうな。
ヒトは、邪悪なのだ。
どこまで社会というものが進歩したところで、けっきょくは、その本質を否定することは出来ないのだ。
リーファは、『それ』を見ずに済んだらしい。
幸いなことだと思う。何が起きていたにせよ、ろくなことではない。おぞましい行いが、政治が保証する正義にもとづいて執行されたのだろう。楽しみながら殺したはずだ。真の戦士である者ならば、することがない行いも、素人ならば出来る。
死とは何か?
戦場で屍をさらすとはどういうことか?
それらを思い悩んでいなければ、どこまでもヒトはケダモノになれる。
戦場帰りも壊れているが……一般市民の攻撃性も、厄介だ。手加減も慈悲もなく、娯楽性を追求するのは、おおむね、遊び慣れた富裕層の市民であることが、もっぱらのように思えるよ。
リーファはヒトの本性を見なくて済んだ。
その町でストリート・チルドレンになっていた、マエリスが機転を利かして、何人かの子供たちを町の闇へと隠したらしい。
それでも、二人は帝国人どもに捕まりそうになった。
だから、逃げて……そのまま、その町を2人は去ったそうだよ。ティートたちに合流したのは、その後すぐだった。
『狭間』が体験した、悲しい物語をまた二つ知ってしまったな。
世界に腹が立つ。残酷な運命を、この小さく痩せたガキどもに与える世界そのものに。そして、その世界の一部である、オレ自身の無力さもな。
……悲しい物語を、たくさん聞いたんでな……。
オレは、この4人のために、酒場に降りていき、マスターにココアを注文した。そのココアを持って、二階に上がろうとして、絡んで来た帝国人の木こりの顔面を殴ったよ。ココアを運んでいる男を、バカにするもんじゃないな。
木こりの首に感謝しろ。過酷な労働で鍛えた首でなければ、アリューバ海賊どもに殴り勝った、この拳闘王サマのフックで、へし折られているところだぞ。
一瞬の暴力があったが……ちゃんとココアは守ったぞ。こぼすこともなく、二階へと運んだよ。
6人分のココアを、その寝室に持ち込んだわけだ。
ああ、妹分たちの分もあるぞ。この子たちも、心が疲れているからな……彼女たちは、子供たちにココアを配ったあとで、自分たちの分も取り、オレを見つめて来る。ちょっと泣いているな。白目が赤くなっていた。
「……あのさ。ひとつ足りないよ?」
「……ソルジェ兄さんのは?」
「……ああ。取ってくるよ」
オレは、ココアよりは、コーヒー派だからな。
そのティータイムに混じるために、早足で一階に戻り、兄の仕返しを目論む木こりの弟の歯をへし折ったあとで、コーヒーをコップに入れて戻ってきたよ。
よどみのない暴力だった。
殺意のない、力での制圧。
……これぐらいなら呼吸をするかのように、ほぼ無意識のうちに容易く出来るのだが、殺人行動まではそういかない。
オレの未熟なトコロだよ。一々、殺意を抱かないと、本気になれない。
……ああいう血の気の多い酔っ払いを殴って練習したところで、キュレネイ・ザトーの境地までは達しなさそうだ。明鏡止水。無感情的な心のままに、ただ全力と全霊で殺す。オレは、その力にも憧れているんだがな……。
まあ、今夜はいいさ。
今は、達人ではなく、保護者代行でありたい。
ココアをゆっくりと飲むガキどもを、お兄さんは見守っていたよ。自分の口でも、コーヒーを飲みながらな。
酒じゃない理由もあるよ。マエリスが飲んだくれの親父のことを思い出しては、なんだか、かわいそうだろうが。
ガキどもはココアを飲むと、また眠気がやって来ていたようだ。
ココアを飲むのも久しぶりだったのだろう。もしも、初めてだとか言われると、ククリとククルたちみたいに泣きかねないから、やめておく。
ガキどもは……そのまま眠ったよ。
二つのベッドで十分だった。
二人ずつで寝ているからな。
そっちの方が、安心するんだろう。この四人部屋で、ククリとククルも寝てもらったよ。ガキどもが、夜中に起きて、パニックになったりしないようにな。ティートは、少なからずパニックと、殺気を放っていたぞ。
ティートには、騎士道の芽吹きと、暗殺者の才能が共存している。『家族』を守ろうとして、周りの者を傷つける可能性はある……ククリとククルには、そのことを耳打ちして教えてやった。
二人の武術の腕前なら、ティートに襲われても問題はない。だが、そういう衝動的な殺意を発揮する可能性があることは、二人には知っていてもらいたかった。そんな事態に遭遇したときに、彼のことを理解してやるためにな。
さっき、オレが起こした時のティートの動き……アイツは、まちがいなく経験で動いている。ヤツは寝込みを誰かに襲われて、本人か、あるいは仲間に大きな被害が出た。仲間を、『家族』を殺されたのかもしれないな。
勇敢な子だが……恐怖に、心を蝕まれているのだ。悲惨な記憶が、警戒心を研ぎ澄まさせる。夢のなかで、何度も、その襲撃は繰り替えされているのさ。下手すれば毎日かもしれない。
オレも……9年前は、そんな夜がつづいたものだ。夜ごとに、セシルが焼けていく姿を見たのだ。
真夜中にも、明け方にも。起きていて、ただ道を歩いているときも。あらゆる時に、セシルが見えて、焼けていく彼女が、苦しみながらオレの名前を呼ぶんだ。赤く焼けた骨を握りしめたときの痛みが、指と手のひらから離れることはない。
……『家族』を、殺されるということは。
それを見てしまうということは……。
そういう症状を引き起こすことがある。その悪夢がある限り、あの子には安らかに眠れる日は来ないだろう。失った者への愛情がつづく限り、その悪夢は消えることはない。
対処の方法は時間の経過。苦しみにも慣れることがある。言えぬ傷を抱えたまま、生きる術を見つけていける。
あるいは、報復を成す。大切な者を殺したヤツを斬ると、ちょっとは、薄くなるのだがな……。
……。
……逃げているわけではない、と思う。
だが、ティートを見ていると、オレの悪夢も開くのだ。今夜、ティートのそばでオレが寝ていると、彼と同じような症状が出てくるかもしれない。
殺気に暴走する、獣のようなオレとティートが、すぐ近くにいるだと……?あまりにも危険な行いだ。
だから。
だから、オレは双子の妹分たちに、この四人のことを任せたよ。
……正直、オレこそが、今夜は誰もそばにいない状況で、寝るべきなのだろう。オレの心の傷も、開かれちまっているからな。オレは……今夜はダメなんだよ。一人で寝ていなくちゃ、ダメなんだよ。
もしも、さっきのティートのようになれば、誰がオレを止められる?眠りながらも人を殺せるんだぞ、オレは。
一人でいよう。仲間を、傷つけることになりそうだからな……。
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