第一話 『暗黒の街、ヴァルガロフ』 その3


 ……そのあとで、オレも風呂に入った。ガキみたいに、湯のなかに頭からもぐる。冷静になりたくてね。4分間ぐらい、そのままでいるのさ。何も考えるな、何も考えるなと自分に強制させる。


 何かを考えていると、こんなに長くはもぐれないからな。


 溺れちゃいけないから、記録に挑むのは、またいつかの機会だよ。オレは湯から上半身を浮上させた。


 何も考えないことで……悪夢を追い払うようにする。あまり効果的ではないが、精神を無に近づける作業は、自分を客観視させやすくなるな。雑念ぐらいは、追い払うことが出来るからね。


 ティートたちの悲惨な物語を、真の意味で背負うことは、オレには不可能である。オレは……あの子たちにはなれない。あの子たちだけの痛みを、真に理解することは出来ないだろう。


 痛みだけは、自分自身のもの。固有の苦しみにすぎん。誰の痛みとも、比べるべきじゃない。全ての痛みは、それぞれ違う。そいつだけの、かけがえのない痛みだ。分かち合うことも、理解することも……それは、真の意味では出来ないことだ。


 ……あの子たちの痛みと、オレの痛みは違う。それを理解すべきだ。ティートの苦しみを予測することは出来るが、その痛みの全ては、ティートにしか分からん。オレは、ティートの痛みを、分かったような気持ちになるべきじゃない。


 ティートの痛みを、尊重してやるのだ。


 あいつの悪夢は、あいつだけのものだ。


 オレの悪夢じゃない。


 オレは、痛みを抱えて生きているあの子たちを、ただ守るだけでいいのさ。あの子たちの痛みや苦痛に、引きずられて……狂暴さを表面化する必要はないはずだよ。


 ……オレは、あの子たちとオレ自身を含めて、全ての者のために……ティートのような『発作』を起こすことはあってはならないのさ。


 揺らがない心。


 それをイメージしようじゃないか。


 ……。


 ……。


 ……難しいな。


 ……ああ、とんでもなく難しい。本能じみた衝動を、理性でコントロールすることなんてことはな……まちがいない。ガントリーの指摘通り、オレはそれに向いちゃいないんだ。


 本音をいえば、オレは、きっと、酒か女が欲しいんだ。


 どっぷりと快楽に依存しながら、自分の人生が抱える癒えぬ傷。そいつが放つ痛みを、誤魔化してしまいたい。アルコールは、すべての苦しみを融かしてくれるし、女の肌も安心するんだ。やわらかくて、何もかもを忘れさせてくれる……。


 酒も性欲も、不安や苦しみからヒトを救いはする……まったくもって根本的な解決などではなく、刹那的な対症療法だがね。絶望には、どちらともに有効な処方だよ。


 ……それでも。


 今夜はそれらを選ぶことはなかったよ。


 休むのも、『仕事』だからだ。生物の本能ではなく、猟兵としての哲学で行動することを選ぶ。それは選べるのだ、オレはプロフェッショナルだからね。『パンジャール』の長だから。


 ……このまま酒場に顔を出しても、木こりの同業者どもを千切っては投げの暴力三昧になるだろう。無意味な体力の消耗は、最小限にしておきたい。明日は、そうだ早朝から動くことを計画しているのだから。


 沼地の浮浪児として忌み嫌われているティートたちを、この町から一刻も早く遠ざけてやるべきだし、オレたちもここですべき作戦は完遂している。『馬喰いの大蟹/ホース・イーター』退治も、本来はする必要のない行為ではあった。


 オレたちは、存在を隠すべきではあるのだからな。


 『自由同盟』の影も、『メルカ』の影も……この場所に落とすことは不利益でしかないのだ。馬飼い農夫のジャック・シモンズも、斬るべき対象ではあるかもしれない。オレは……そうすべきなのに、していない。


 まあ、それでも次善の策は打っている。シモンズの子供たちのお古の服を買い取った。ヤツの馬と、古びてはいるが馬車もな。『狭間』の浮浪児たちに服と、亜人種と行動を共にする『蛮族連合』かもしれない男に、報酬を支払ってしまった。


 帝国人にとっては、名誉な行いではなかろうな。


 シモンズは……それらの事実を秘密にしたがるだろう。今夜、ヤツがこの酒場に来ないのは、オレたちとの関わりを隠したいからだ。おそらく、不安に駆られているだろう。この雨が上がり次第、オレたちは去ってやるべきだ。


 そうすれば……シモンズも安心し、その秘密を一生黙っていることを選べるはずだからな。あまり長居して、周りの者が、オレとシモンズの関係を探り出してしまわないうちに、さっさとトンズラこくのが最良の選択だ。


 田舎者の想像力の果てに、逃げちまえばいい。噂と憶測が加算していき、何が真実なのかが、やがて誰にも分からなくなる。あらゆる事件をオレたちのせいにするかもしれない。


 仔牛が死ぬのも、この雨が降ったことも、ジャガイモの育ちが悪いのも、風邪を引いたことも。さまざまなことを、オレたちのせいにしかねん。


 しばらくは悪口の対象として扱われるだろうが……やがて、初夏の農作業に追われて、オレたちのことなど、記憶から色褪せていく。シモンズは、そうなれば、ニヤニヤしながら酒場で過ごせるようになるさ……。


 だから。


 明日は、早朝から動く。


 この町から消えてしまうためにな。


 ……そのために、猟兵として動こうじゃないか。


 行動を律して、鋼になる……戦士としての哲学に、体も心も捧げて動こう。体力を回復するんだよ。


 全力で休息しよう。悪夢を見て起きたとしても、すぐにまた無理やりにでも寝るのさ。そうだ、作戦に備えるミアのように、『全力で寝る』。それ以外はしない。


 猟兵であることで、行動だけならば制御出来る。


 酒にも、女にも頼ることはない。


 作戦実行のための、ただの要素に徹するんだよ。それならば、オレは、きっと悪夢の果てにも、行動を律することが出来そうだ。


 ……まったく、組織哲学に救われているな。


 己の精神力の未熟さを感じるよ。


 ガルフ・コルテス……アンタのくれた哲学が、今夜もオレを助けてくれそうだ。


 風呂のなかで、深呼吸をしながらストレッチをする。体を伸ばし、筋肉と関節の『手入れ』をしていく。明日も猟兵の強さを維持出来るように。


 風呂から出て、体を拭いたよ。


 冷静になったか?


 まあ、似たようなもんではある。


 冷静を装えるようにはなったのさ。


 自室に戻る。戻って、すぐさまに眠ろうとベッドに近づいていくと、白いフクロウがやって来るのを感じる。猟兵モードになっているから、感覚がやたらと優れているぞ。本気を出せば、階下の連中の人数も把握出来るが、そこまでやる必要はない。


 ……さてと。フクロウの指輪を目指して、オレたち『パンジャール猟兵団』専属の『使い魔』が、秘密の暗号文を運んで来てくれたようだな。


 ああ、猟兵モードを徹しようとした矢先に、こうなるか。


 くくく!……いいことだぜ。


 オレがガラス窓を開けてやると、ヤツは、楽しそうに部屋のなかを飛び回り、オレの頭皮を狙ってくる。


 学習能力というものが、オレの頭にだって入っているのさ。


 白フクロウの爪を躱してみる。


『ぐるぅ……っ』


 ヤツは、不満げな声を出しながら、室内で羽ばたき、掃除するマスターが決して喜ばないであろう羽毛を散らしつつ、ベッドの上に座っちまったよ。オレは……ヤツの羽根だらけのベッドで寝ることになるのだろうか……?


 まあ、掃除してから寝るがな。ホント、いらない体力の消耗だなあ、とは考える。もちろん、頭皮に爪を立てられるよりはマシだけど。


 この白フクロウの躾けは、どうにかならないものだろうか。何か、手を考えるべきだな。


「……ほら。足輪を取るぞ」


 そう言いながら、オレは白フクロウさんの、凶悪そうで硬い外皮に守られて、太いかぎ爪の生えた脚にくっついている足輪を取り外す。


 ヤツは……無愛想なままだったが、仕事が終わると、クールに羽根を撒き散らしながらも、窓の外から雨の降る夜空へと帰った。


 褒めてやるべきだ。ヤツは、こんな雨のなかを飛んで来てくれたのだから。


 その礼に、ヤツが気に入っている、オレの頭の上に着地させてやるべきだったか?……そこまでの盲目的な動物愛護者ではないのだ。


 鳥の気分のために、頭皮を犠牲にしなければならん理由は、オレにはないはずである。そうだろ?


 さてと、誰からの報告なのか…………ふむ、ガンダラか。我が副官一号、巨人族のガンダラさんからの連絡だよ。


 もちろん、いつもの暗号文である。


 これは我が第二夫人でもある、ロロカ・シャーネル先生が作りあげた、複雑で、オレたち猟兵ぐらいにしか解読不能の暗号さ。


 オレたち特有の遊び心も入っているから、仲間以外には解読することは不可能であろうよ。


 さてと、解読していこうか……。




 ―――団長、『ストレガの花畑』の焼却作戦、および『青の派閥』の処分、さらには『紅き心血の派閥/アルカード病院騎士団』の壊滅……お見事でした。あいかわらず、敵を殺すことに長けている。


 さて、団長に同行していない団員たちの状況を報告します。


 ルード王国には、シャーロン・ドーチェが帰還。クラリス陛下の護衛を、二日前に私と交替しました。シャーロンと、ルードのスパイたちは、貴方の発案した帝国錬金術師界への破壊工作を実行するために、色々と作業をしている様子ですな。


 順調そうですよ。帝国軍と、錬金術師界のつながりを揺さぶることが出来れば、『自由同盟』には大きなアドバンテージになる。良い作戦ですな。クラリス陛下もお褒めになっていましたよ?


 さて、アリューバ半島では、ロロカ・シャーネル、レイチェル・ミルラが活動中です。海賊騎士団の再編は進んでいますので、防衛力は十分でしょう。


 レイチェルがいれば、海戦能力は維持されます。『人魚』の力は、海では独壇場のようですね。


 ただし、問題も。アリューバ海賊たちにまで忍び込んでいた帝国海軍のスパイ網、それの根をアリューバで根絶することは不可能でしょう。レイチェルの『人魚』としての力も、間違いなく帝国に流れているはず。


 これは不可避な事態です。


 いい意味に捉えれば、彼女の能力への対策が完成するまでは、帝国が海軍戦力でアリューバに近づくことは有り得ない。海賊船団を再建するための余裕を、レイチェルの『人魚』としての力が、作ってくれている。最高の守護者ですな。


 さて。


 ロロカとディアロス族があいだに入ることで、ザクロアとアリューバの『新議会』も友好的な関係の構築が可能になるかもしれません。


 両国の関係性は地理的・歴史的背景から、どうしても緊張感を伴いますが、どちらも商売人の国家ですから。共通の大いなる敵である帝国を前にすれば、協調することも判断してくれるでしょう。


 そして、こちらの方が本命なのですが……商売人の論理による協調も狙えそうです。


 アリューバには、海賊船団を再建するための木材そのものはありますが、帝国海軍に家屋を焼かれた村も多い。一度に伐採する木材にも限界はありますし、作業員が必要となります。


 つまり、アリューバには木材を『輸入』する必要があるわけですよ。そして、その供給源こそが、ザクロアの森林ですな。


 団長の第二夫人殿は、商才もある。


 木材の供給量を安定させることで、価格の高騰を避けたいそうです。その方が職人や市民の経済的なダメージは少なく、経済が円滑に回りますから。


 そして、ザクロアの木材を買い付けて、アリューバに輸入する会社は、団長と『ロロカ・シャーネル副社長』の会社である、『ストラウス商会』になります。


 この『ストラウス商会』の社長は、団長ですからな。大出世ですよ。


 もちろん団長は、ただ名前を貸しているだけになっているわけですがね。まあ、貴方に商業的な経営は、とてもじゃないがムリでしょうから。二番目の奥様に任せるべきですな。


 ……とにかく、ザクロア、アリューバの『両国の英雄』であられる、あのソルジェ・ストラウスの名を冠する会社ですので、両国のあいだに存在しにくい『信頼』という要素が、この会社にはあるわけですよ。


 分かりやすく言うと、貴方をダシにして、両国のあいだでは取引しにくいはずの大きな商業活動を行うわけですな。


 両国のあいだをつなぐ、経済的な装置ですよ、『ストラウス商会』は。


 ザクロアは木材を売れる、アリューバはその木材と、現地の木材をつかうことで、海賊船団と家屋の再建を同時に行えるわけです。木材の価格と、植林地へのダメージを抑えながら。


 木材の価格を高騰させることもなく、また、それらを切り出して加工していく、アリューバの職人たちの負担も軽減させますな。仕事が多いのは良いことですが、多すぎてはこなせません。ザクロア木材の輸入は、アリューバ職人の負担を減らす。


 そして、その労働力の多くを、船団と家屋の再建に注ぎ込めるようになる。それらを成すのが、『ストラウス商会』の存在。とてもいい考えだと思いますよ。すばらしく経済的な仕組みを、この会社は提供していますね。


 さすがは、ロロカ・シャーネル。


 貴方の心を、反映した商業活動をしている。両国の商人や職人たちを、しばらくのあいだは『相互に利益を見込める関係性』へと導くことに成功しています。


 信頼とは大きな力ですな。


 経済活動をも、支配することがある。ザクロアとアリューバの経済的な関係は、友好的な方向へ流れることになるでしょう……『ストラウス商会』のおかげです。


 ……ちなみに、『ストラウス商会』に資金を提供しているのは、ルード王国のクラリス陛下です。この会社の活動は、陛下のお金で動いていますよ。団長は、クラリス陛下に、さらなる金銭的な支配を受けてもいるわけですな。


 団長が、想像することも出来ないほどの金銭が、すでに動いてしまった。星の数よりも多い金貨が、『ストラウス商会』には注ぎ込まれている。


 それを超える利益を生み出す可能性もありますので、上手く行けば……ガルーナ王国を再建する資金にもなるでしょう。


 さまざまなヒトが、貴方をガルーナ王にしようとしているわけです。期待を裏切らないようにしてください。

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