序章 『雨の降る町で……。』 その18
「―――2人とも、せっかく綺麗な髪なんだから、しっかり洗うのよ?」
「う、うん!……いつも、川だったから……温かいお湯で体も、髪も洗うの、久しぶりなんです」
「リーファはね、マエリスに洗ってもらってたんだよ!ククル!」
「そうなのね。リーファちゃんは、髪の毛に癖があるみたいだから、しっかりと手入れしなくちゃね!今日は、私が洗ってあげるわ」
「……うん!!」
女子どもは、何だか仲良くなっているようだな。
オレの出来ることは、ホント少ない。男のガキどもを洗おうか?……あんまり気が乗らない。ああ、別にマエリスちゃんとリースちゃんを洗いたいとかではない。オレはシスコンではあるが、ロリコンではないのだ。
男のガキどもを手洗いしてやるほどの父性は、まったくもって無いんだよな。
「……出たぞ」
「……出ました」
そうこうしているあいだに、男のガキどもがノコノコとオレの近くにやって来る。オレは見るまでもなく、こう言い放つんだよ。
「もう一回、体洗ってこい」
「え?」
「でも……?」
「お前らは男のガキだし、沼地にいて価値観が狂っているんだよ。もっと体は洗っておくんだな」
「洗ったよ!」
「洗いましたけど?」
「……皮膚病の怖さを知らんのか?肌がボロボロになって腐ることもあるんだぞ?さっさと、もう一度、洗って来やがれ!!」
「わ、わかったよ!!」
「わ、わかりました!!」
……まったく、これだから男のガキは。不衛生という概念を知らん……。
……。
……。
……なんか、オレにはクソ冷酷で残酷で、暴力的な蛮族の兄が『三匹』もいたが。ヤツらもオレを見て、こんな気持ちだったんだろうかな……。
まったく。弟という存在は……面倒だったろうに。死ぬほど虐めてもらったが……まあ、オレもヤツらに迷惑をかけたりしていたんだろうよ。
赤毛の性悪な蛮族どもを、頭に思い浮かべる。はあ、ヤツらに借りがあるような気がして来たぜ……。
「……兄貴分も、仕事をするかね」
オレは、シモンズの農園を歩く。目についていた井戸に向かい、そこから水を気のバケツに汲んだ。何をするか?……まあ、ちょっとした初歩魔術の訓練ってところだな。
納屋の軒先に戻り、オレは『炎』の球体を発生させる。それを、バケツの水の中に放り込む。水に掻き消されそうになる『炎』に、魔力を食わせて消えないように努力する。
魔力の総量や、集中力を持続させる訓練だとか言われて、アーレスとか三匹の蛮族どもに、死ぬほどやらされて来た芸当だな。おかげで、温度の調整もバッチリだ。体を洗うのには、ちょうどいいレベルのお湯を作りあげることに成功したよ。
「出たぞ!!」
「出ました!!」
「はい、バカども、つむじのなかに泥が詰まってる!!洗い直して来い」
「え?」
「そ、そうですか?」
「ああ、そうだ。いいか?理屈を考えろ。ゆっくりと洗うんだ」
「ゆっくり?」
「それじゃ、よく洗えないっぽいです」
「力を込めるなと言っているわけじゃない。ゆっくりと力を込めて、しっかりと洗え。速く指を動かしたって、髪の間の泥に石けんが届かんだろうが」
「な、なるほど?」
「は、はい?」
よく伝わっていない気がする。
「……とにかく、ゆっくりと指を動かせ。そっちの方が汚れが落ちる。沼地の泥を落とすんだ。あそこは、あまりにも不衛生だ。死にたくなければ、しっかりと洗え」
「わかった」
「はい……」
「ほら。このバケツを持っていけ」
「え?お湯?」
「これ、どうしたんですか?」
「作った。魔術で、火の球を水につけて、湯にするんだよ」
「スゲー……リーファみたいだ」
「本当です、調子の良いときのリーファみたい」
「……はあ?……リーファってのは、そこにいるリーファか?」
「そうだよ」
「こんな芸当が出来るのか?」
「たまにだけどね。『炎』の才があるんだよ」
「ほう……」
あの一桁年齢らしいロリに、そんな芸当が出来るとはな。これは、けっこう難しいんだぜ?少なくとも、魔術師として下位のレベルのヤツに出来る技巧じゃない。ハーフ・エルフならばともかく……『垂れ耳』のあの子がか。
……思わぬ拾いものをしたかもしれんな。ケットシーの機動力と、上級魔術師の魔力か。育てれば、魔術師同士の対決においては、無敵の才能になるかもしれない。
だが。まあ、それはおいおいだ。
「―――とにかく、もう一度、洗え。ゆっくりだぞ?」
「わかったよ」
「そうします」
バカで不衛生な男のガキどもは、再び納屋へと戻っていく。オレの渡した、お湯入りバケツを持ってな。
……オレはもう一度、井戸に向かい、その水を汲んで、『炎』の『修行』を再開するよ。お湯を沸かしていく。
水のなかで消えまいと暴れる小さな火の球を見つめながら、この4人組の『未来』を想像してみたりする―――『垂れ耳』のティートは、素早く技巧に優れた暗殺技巧を持てる。リーファも高速起動の魔術師か。
そして……ハーフ・エルフのマエリスとコンラッド。こいつらは、一番年下のリーファに魔術の才が劣っているわけではない。実際に、肌で感じる魔力の量は、ガキとも思えんほどに高い。
強い魔力だからこそ、それを『加工』して術に組み上げるには、技巧がいる。その技巧は多くの場合、才能ではなく、教育と訓練で伸ばしていくものだ。適切な術の指導者がいれば……この2人も、有能な魔術師になるのは間違いない。
……ふむ。
面白いユニットになりそうだな。『暗殺者に先導される、機動力のある魔術師チーム』……魔術師は、戦場において使いにくい存在とはされている。魔力を消費すれば、動けなくなるからな。
劣悪かつ、長距離の移動が常である大規模な戦場において、あまりにもスタミナ切れしやすい戦術を採用することはあまりない。だが、強力な存在ではあるのだ、魔術師とはな。
……小柄なコイツらを馬に乗せて、『魔術騎兵』……とか?
あるいは、コイツらだけでコッソリと敵地に侵入して、魔力に任せた強大な魔術を放たせる……潜入工作型の魔術師……たとえば、城門の破壊のみを行い、その後は、暗殺者が確保したルートで後退する。あるいは、こちらが到着するまで身を隠す。
ふむ。
色々と戦術的な発想が頭に浮かんで楽しくはある。まあ、そんなレベルになるまでには、コイツら10年ぐらいかかりそうだがな。10年後は、いい戦闘集団になっているかもしれない。
……やめた。
10年後のことなんて、考えている場合じゃない。まずは、コイツらの清潔と健康を取り戻すことを考えようかね……バカな男のガキどもは、オレの言いつけを今度は守っているようだった。
賢く麗しい少女たちは、キャッキャッと楽しげな世界観にいたな。追加でたくさん、バケツに湯を沸かしてやったよ。今日のオレは殺しまくりの猟兵サンじゃなく、焚き火のような存在として、沼地の浮浪児だった連中にお湯を供給する役割だった。
……かなりの重労働ではある。魔力も使うしね。
ああ。何とも過酷な『休日』ではあるよ。お湯を何度も沸かしたあとで、オレは出て来た男のガキども……ティートとコンラッドの清潔度に『合格』を出した。シモンズのガキの服を着て、それなりに見れた姿になったな。
金髪の『垂れ耳』の少年に、黒髪のハーフ・エルフの少年…………そうか。コイツら、髪が伸び放題なわけか……後で、オレが切ってやろうかね。
……なんか。愛着がわいていけないな。
……いや。別にいけないわけではないか。
オレは、雨の落ちてくる灰色の空の下で、ティートとコンラッドに、彼らのことを訊いたよ。ヒマだからだし、それに正直、コイツらがどんな人生を歩んでいたのかも、興味があった。
2人とも、元々は帝国人の親がいたそうだ。
ティートの父親は人間族、母親がケットシーの農民。地方都市で暮らしていたが、ティートにナイフを教えた父親は、流行り病で死んだそうだ。その後は、帝国の亜人種への弾圧が始まり、母親は……『ティートを産んだ』という名の『罪』で殺された。
帝国の法律にも、そんな罪名などはない。今のところはな。だが、田舎町でも都会でも、そういう私刑は存在している。亜人種を殺すこと、そして、亜人種と人間族のあいだに産まれた『狭間』を殺すこと。
そういうことを、正義だと疑わない帝国人も多い。ティートは、母親の機転で難を逃れたようだ。『母さんが逃がしてくれたから』。その言葉の後には沈黙だけがつづく。ティートは母親のことも誇りに思っている。
そして、彼女を犠牲にして自分が生きていることも、己の罪だと背負っているようだ。
「……彼女の分まで生きてやれ」
「……うん。わかってるよ」
気の利いた言葉は浮かばず。ヤツの垂れ耳が生えている金色の髪を、指でゴシゴシと撫でてやったよ。ヤツは、手で振り払ってくると考えていた予想に反して、無言のままにオレの指を受け入れていた。ケットシーの血かな。撫でられるのは、ミアも好きだ。
コンラッドは、母親が人間族だったらしい。父親がエルフだった。エルフの弓隊として、帝国軍にいたようだが……戦で死んだらしい。詳しいことは知らないそうだ。
低い可能性ではあるが、我が『バガボンド』の将軍、イーライ・モルドーの同僚だったりしないのだろうか、その父親は?
可能性は否定できないが、確証の得られるハナシではない。そのうち、イーライに会ったら聞いてみたいところだな。
コンラッドは、父親が死んだ冬に産まれたそうだが……母親と共に町を追われては、転々と旅を続けていたらしい。ハーフ・エルフは、もっとも帝国人に迫害されている立場だからな。その母親にも、迫害は及ぶ。
コンラッドの母親は、その生活に疲れ果てたのか、自殺したようだ。幼い子供の口から、母親に自殺について聞かされるのは辛い。だが、コンラッドは……その悲惨な半生を、語りたいようだ。
キツい思い出は、他人に話してぶつけるのもいい。まだ、胃袋に入れたアルコールにそんな苦悩を融かす悪癖を覚えるような年齢ではないしな……。
ティートが兄貴分として、コンラッドの頭を撫でてやっていた。なんか、頭ナデナデ・リレーだな。オレが撫でるところがないから、オレはただコンラッドの言葉を聞いていた。
両親を亡くしちまった後で、この2人はイースの教会孤児院に預けられたそうだ。『カール・メアー』のような過激な宗派ではなく、より一般的な宗派の運営する教会兼孤児院だろう。そこで2人は出会ったらしい。
だが……その孤児院も貧しかったそうだ。
この子たちは理解出来ないだろうが。年々、帝国社会は亜人種の弾圧に力を入れていった。その政治は、亜人種や『狭間』の子がいる孤児院を孤立・困窮させる力になっていったのだろうな。
帝国人の掲げる『正義』。人間族第一主義の影響だろう。帝国人は、その孤児院を嫌い、あらゆる合法的・非合法的な力学を用いて、こいつらの二番目の家を必死になって潰しただろう。
『正義』に駆られた者たちは、なんとも容赦なく、その正義を執行するのに夢中になる。彼らは善意をもって、その崇高なる精神と哲学を有していた素晴らしい孤児院を破壊しやがったのさ。
「……シスターは……言ったんです。『地獄に堕ちてもいいから、生きてと』……僕たちは、その言葉といっしょに……孤児院から出されました。魔王さん、どういう意味なのでしょうか……」
「……察するに、そのシスターは……『悪事を働いてでも生きろ』。そう伝えたかったんだろうよ」
「そんな……でも、悪いコトは、しちゃ、いけないって……シスターは、いつでも……だって、そんなことをしたら……だって、『地獄に……おちるから』…………っっ!!」
「彼女は、きっと、生きていて欲しかっただけだ。お前たちにとって、帝国の社会は残酷すぎる。だから、罪を犯してでしか、生き抜けないときもある……お前たちが、そういう追い詰められていた状況だったことは、あの沼地なんかにたどり着いたことで分かるよ。いいか?シスターは……お前たちを、ちゃんと愛していたぞ」
「……ほんと、ですか……?ぼくたち、あのひとに……す、すてられたんじゃ……?」
「違う。捨てたんじゃない。生きて欲しかったから、逃がしただけだ。彼女の信仰にも反するほどの言葉をもって、彼女は、お前たちに愛していると伝えていた。子供のお前たちには、ちょっと難しいかもしれんが……大人には、分かる」
「…………本当に?」
強気なティートも泣いていた。だから、オレはこのクソガキどもを、両腕で抱き寄せてやるんだよ。左腕には、ティートを。右腕には、コンラッドをな。
なあ、そうだよなあ、アーレス?……魔王サマとしてはよう、神サマにケンカを売った女の言葉を、ちゃーんと伝えてやる必要があるだろう。
「いいか。ティート、コンラッド。そのシスターは、彼女自身がとっても大切にしていた神サマよりも、毎日拝んでいた、イースよりも……お前たちのほうが、大切だった。お前たちのことを、彼女は、神サマのことよりも愛していたんだぞ。それだけは、死ぬまで覚えておけ」
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