序章 『雨の降る町で……。』 その16


「……ティートっ!!」


 ハーフ・エルフの子が、おそらくオレの膝の下にいるガキの名前を叫んだ。


「叫ぶ必要はない。オレは、ティートを殺したいわけじゃない。お前たちもだ。逃げる必要はないぞ!殺しに来たわけじゃない!……そこは、分かってくれ」


「……じゃ、じゃあ。何をしに来たんだよ……ッ!?」


 膝の下のティートが、恨みがましい青い瞳でこちらを睨みつけてくる。なんて目をしているのか。猜疑心に満ちた、昏い瞳をしていたな。大人を疑うこと、それが沼地の浮浪児たちが生存するための鉄則だったらしい……。


 なんとも悲惨な半生を過ごしたようだ。同情するよ。同情するが、現実を知るべきでもある。そろそろお前は、この田舎の者たちでさえも見過ごせなくなるぞ。


「……ティートよ」


「気安く呼ぶな!!」


「いいや、呼ぶ。浮浪児や、『垂れ耳』と呼んでも、お前の心には響きにくいだろうからな。本名かあだ名かは知らんが、仲間に呼ばれた名前こそが、お前の真実の名。だから、ティートと呼ぶぞ」


「……わけが、わからないぞ!?」


「分からなくてもいい。だが、理解するんだ、ティート。オレはお前たちの敵ではない。とりあえずは、ハナシをしようじゃないか。まずは自己紹介、オレの名前は……ソルジェ・ストラウス。ガルーナの竜騎士……いつか、魔王になる男だ」


「ま、魔王……っ!?」


「ビビるな」


「ビビってない!!」


「ああ、そうだな。勇敢なティートよ。お前は、仲間たちのために勇気を出した。オレは感心しているんだ。あの姿には騎士道を感じたよ」


「……騎士なんて、何もしてくれないクズ野郎だ!!きれい事ばかり言って、何もしちゃくれない!!」


「それは偽りの騎士しか知らないからだ。お前は、お前たちに何もしてくれなかった偽りの騎士どもよりも、偉大な騎士道を歩もうとしている。仲間を守ろうとして、魔王なんぞに立ち向かう。立派な行いだ」


 ティートは大人に褒められても嬉しくないだろうがな。オレは、ティートの首からナイフを外す。だが、膝で泥水のなかに押さえつけたままの姿勢は維持するよ。説得は途中だからな。


 逃げられては、手間だし……双方の体力と時間をムダにする。


「おい、そこの少年」


「は、はい!!」


「これを渡しておく」


 オレはそのハーフ・エルフのチビッコ少年の足下に、ティートの錆びたナイフを投げた。ハーフ・エルフは足下にナイフが転がって来たことに怯えたが、やがて、恐る恐るといった様子で、そのナイフを拾い上げる。


「……コンラッド!!それを……ナイフを、オレに寄越せ!!」


「え、え、ええ!?」


「はやく、投げろ!!それに、お前たち!!さっさと逃げろよ!!」


「コンラッドくんと、レディーたちも、動くんじゃないぞ。無意味なケガをしたくないだろう?……ティートよ、暴れるな。お前を殴って気絶させたり、縛り上げないのは、勇敢なお前への敬意の表れでもあるんだぞ」


「……逃げろ!!逃げろよお!!」


 聞いちゃいないな。その祈りにも似た言葉を放つために、全力で暴れている。右肘は捻りあげているままだ。


 関節の軋む、なんとも不安を招く痛みを感じているだろうが、まったく強気なガキだな、それでも動く。これ以上、暴れると、折れてしまうぞ。


 ああ、話術でどうにかならんかな。試すしかない。


「おい、仲間の気持ちも考えろ。あの子たちは、お前を見捨てたくないんだ」


「……ッ!!……いいから!!オレのことは、いいから……ッ!!い、今までだって、そうして……他のやつ……置き去りにして……逃げて、来たじゃないか……ッ」


 トラウマの傷を開いているのか、強気なティートの目に涙が浮かぶ。この『垂れ耳』は、何人かの仲間を置き去りにしてこの灰色の沼地にたどり着いたようだな。


 それを負い目に感じられるか。強い子だ。そして……哀れなまでに勇敢だな。


「……ティート、聞け。お前よりも、他の子たちの方が理解出来ている。年長者のお前がいなくなれば……もう終わりだ」


「そ、そうよ……ティート。私たち……ティートを、おいて、逃げても……っ」


「あきらめんな!!マエリス!!お前が、オレがいなくなっても……二人を守れ!!」


「ムリだ。彼女も、他の二人も痩せすぎている。これ以上、こんなに不衛生な沼地にいれば、やがて病気になり、死んでしまう」


「もう、これ以上は、死なない!!オレが……オレが、守るんだ!!」


「……いいや。お前だからこそ、守れなくなる」


「……え」


「お前は、良くも悪くも、『強い』。戦士としての才能があるんだ」


「あ、ああ。守るよ……父さんだって、いい兵士だったんだ……っ」


「『強い』ことに価値があるのは、正しい使い方をしている時だけだ」


「正しく使ってる!!だって、皆を、守るために―――」


「―――そうだな。今のところは、そうだろう。だが……これ以上、他の三人が、痩せて衰えたら?……血を吐く病気にでもかかれば?……お前は、あの錆びたナイフと、戦士としての才能で……町の医者を脅す」


 まだ、してもいない罪で、子供を責めることは正しい行いではないだろう。だが、この子たちは社会に完全に見捨てられている。帝国領では善人でも『狭間』のガキを拾うことはない。例外はあるだろうが、極めて稀なハナシ。


 そして。


 この戦士の才能と騎士道を持つティートは、近いうちに起きるであろう、あの子たちの衰弱や発病を見過ごせない。まだ、今までは弱かったから、大した悪事をこなせなかった。


 だが、もうすぐ、ティートは素人の大人ならば、いくらでも殺せるようになる。


「お前は、才能があるからな、生来の殺し屋としての才能がある。心に浮かんだ殺意のままに、あのナイフを操る指は動いてしまう……近い将来、お前は仲間たちのためにヒトを殺して奪うようになる。薬か、食糧か……」


「オレは、そんなこと……」


「そうしなければ、あの子たちを死なせる」


「……っ!!」


「そうなれば、お前は必ずや強盗になる。追い剥ぎをするだろう。あの子たちを助けるために、お前は戦士の才と、騎士道を全うする。罪など、愛情や覚悟の前では、お前を止める壁にはならない」


「……オレは……っ」


「『家族』を守るためなら、お前は、罪をも背負う。だが、お前は……戦士として強すぎる才がある。お前のことを、『ホロウフィード』の田舎者たちも、やがて、無視することはしなくなる。本職の戦士を雇い、お前も、この子たちも殺すだろう」


「……じゃ、じゃあ!!ど、どうすればいいんだよ!!どうすれば……ッ!!誰も助けてくれない!!どこに行っても、追い払われる!!皆、一人ずつ、くたばっちまった!!どうしたら、いいんだよ!!どうしたら、いいっていうんだよッ!!」


 世界には、救われない者もいる。


 この沼地の浮浪児たちのように。


 『カール・メアー』の言葉が、ルチア・アレッサンドラの言葉が頭に響く。女神イースの慈悲とやらだ。


 『この現世で、苦しみしか与えられぬならば……殺すことさえも、慈悲』。この哀れな叫びを上げる幼子たちに……どれだけの幸運が訪れる?


 このまま、沼地で、カエルを捕まえて食うだけの、野良犬と同じような日々の果てに、病気にでもかかり……痩せ衰えて死ぬだけの人生に。


 苦しみしか与えられない生ならば、むしろ死だけが救い。そして、死後の安寧を女神イースに祈るのかよ。


 この場に、あの『カール・メアー』の異端審問官のルチアがいたら、このみじめな子供たちを抱きしめながら、女神のもとに送るのだろうか。


 ……やがて罪にまみれて、苦しみながら死ぬだけならば、ここであの女神のように美しい乙女の指で、本心からの救済の祈りと共に……首を絞められて死ぬということにも、価値が無いとも限らんだろう。


 事実。


 子供たちは、疲れている。


 沼地の浮浪児として生きるこの生き方に……この三人の子供たちは、じつはもうあきらめている。だから、逃げない。世界に絶望しているのだ。もっと露骨に言えば、死にたがっているんだよ。


 この子たちにとって、人生とは、確かに苦しみと恥辱と絶望だけがある悲惨な時間に過ぎない……何も得ることはないだろう。


 幸福など、訪れるはずもない。


 まだ、年端もいかぬ子供たちだがね、本当に『絶望』という言葉の意味を知り尽くしてしまっているのさ。だから、三人は……オレから逃げない。恐怖はあるだろうが、それ以上に絶望の重みに、体が押しつぶされそうになっている。


 誘惑してくるのさ。


 死は……安らぎかもしれない。二度と、カエルなんて食わなくてもいいもんな。死後の世界には、そうだ、失われた全ての魂たちが、そろっているのだから。かつては、この沼地の浮浪児たちにも父と母がいた。産まれた日には、抱きしめられただろう。


 それをしてくれた者たちが、おそらく、あの世にはいるのだから。


 『カール・メアー』が説く、女神イースの慈悲は、残酷なのか?……まったくの救済に値しない行為なのか?……オレには、分からんときもある。苦しみしかないのなら、せめて死後の安らぎを与えよう。


 ルチア・アレッサンドラ……君に出会っていて良かった。


 君の言葉の意味を知れる、この悲惨な現実を前にして……オレは、それでも迷うことはないのだからな。


 すべきことなど、決めている。


 迷う必要はない。


「―――ティートよ。決めろ」


「なにを……ッ」


「ここに留まり、皆で死ぬか。それとも、オレと同じように、地獄のように険しく、苦しい道だとしても……死ぬまであきらめず、お前自身と、お前の『家族』のために、生き抜くのか……どちらかだ、選べ。選べば、オレは、お前の願いのために力を与える」


「……どうして……?」


「そんな生きざまを貫くような男で、ありたいからだ」


 オレは……ティートの腹からどいてやる。


 そのまま少し歩き、この洞窟の壁に背中を預けるよ。待つことにした。少しは考える時間があってもいいだろう。オレに頼るか、それとも死ぬか。


 ティートは、ゆっくりと泥水の中から身を起こす。限界以上に汚れている泥だらけの服は、水を吸ってティートの体に張りついている。痩せ細った体が分かるな。このまま沼地で暮らしたとして、コイツだって成長するまで、生きていられるかは不明。


 オレがすることは、実は決まっている。


 もしも。


 このクソガキどもが、人生をあきらめて死を選んだとしても。オレはその願いを叶えてやるつもりはない。女神イースに仕えているルチアちゃんならともかく、オレは魔王を目指す身だ。『カール・メアー』の真似事なんて、誰がするかよ。


 約束を破ることになるかい?……でも、構わない。知ったことか。ブン殴って、気絶させてでも、このクソみたいな沼地から、このガキども全員を引きずり出してやる。


 すべきことは、決めているのさ。とっくにな。


 だが。


 だが、聞きたいんだ。


 可能であれば、選んで欲しい。自分の意志で……死ぬコトなんて否定して欲しいんだよ。絶望的な暮らしのなかにある、お前たちには酷なコトだろう。


 でも、生きることをあきらめてしまえば、本当に弱い立場であるお前たちは、いつか死に魅入られる。


 ……だから。どうか、死を選ばないでくれ。ティートよ、オレがしてやれそうなことは、ちょっとだけでな。あとは、自力で、このクソみたいな世界を生き抜いてもらう必要があるんだからよ。


 他の全員があきらめているとしても、お前があきらめなければ、この群れは機能する。お前は、こいつらののリーダーなんだからな……。


 ティートは、『家族』を見つめる。見つめながら、その名前たちを呼ぶ。小さな洞窟のなかで、三つの名前が響いていたよ。それは気高い響きじゃなかったし、涙に揺れる、かすれるような声であったがな。オレの耳には尊く聞こえる。


「―――マエリス、コンラッド、リーファ…………オレ……オレ……う、産まれて来た、意味を……知りたいんだ!!こ、ここで……死んだら……な、なんのために、産まれて来たのかも、分からない……だ、だから……だから…………生きたいよ!!」


「……っ」


「……ッ」


「……ティート、わ、私だって、こ、こんなところで、死んじゃうの、ヤダ!!」


 それは、そうさ。


 軽んじられることなど、無価値であるかのように世界から見捨てられることなど、誰もがイヤに決まっている。


 人間族の『敵』である魔王さんはね、お前らが、その道を選んでくれたことが、たまらなく嬉しいよ。さあて、天国みたいな死の安らぎじゃなくて、地獄みたいに苦しい人生を全うしようぜ。


「……このクソみたいな世界が、気に食わないだろう、ガキども。オレと共に来い。世界を変えるための力の一つになれ」


「……世界を、変える……?」


「ああ。ティートよ。お前に、力をくれてやる。生きて、『強さ』を磨くための場所を与えてやろう。そして……いつかオレの騎士にしてやる。魔王の騎士にな」


「魔王の騎士……なにそれ、ちょっと悪人っぽい」


「『何』を悪と呼ぶのかは、なんとも揺らぎやすいものだと、お前は学んでいるだろう。悪でしか達成出来ぬことがあるのなら、そして、それが真に大切なものだと思うのならば、正義を見失わずにすむ。今後は、悪と呼ばれても平気な顔で笑っていろ!!」


 魔王も猟兵も、笑うもんだ。牙を剥き出しにして、気に食わん世界を噛み殺しに行くために!!


「盗賊に、なれって?」


「くくく!短慮なヤツだ……盗賊になどさせん。『魔王の騎士』にしてやると言っただろうが。世界を変える、ガルーナの魔王の騎士にな。そこで産まれて来た意味を探せ」


「……あんたは、あるの?」


「ああ。このクソみたいな世界を、ぶっ壊して、オレの欲しい世界を一つ、手に入れるんだよ。そのために、オレは産まれたのさ。来い!!ガキども!!……お前らに、『未来』ってもんをくれてやるぞ!!」

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