序章 『雨の降る町で……。』 その15


 必死になって、全力で走っていたな。


 強い雨の降る沼地のなかを。


 大人顔負けの走り、見事だな。


 たしかに、才能があるが……それだけじゃない。


 あれは追い詰められた者のあがきだ。肺が痛くなり、死にそうなぐらいキツかっただろう。まだ短い脚で、沼地の泥を蹴りつけて走ることは。


 でも。そうしなければ、殺されると考えたからこそ、やれたことだ。ただの必死なあがき。死ぬよりも、生きていたいと願うから、あれだけ走れた。


 あれは……経験に裏打ちされた動きだ。


 まったくの迷いなく、確信を込めて、走り抜けていたからな。つまり、あのガキどもは見たことがある。失ったことがある。


 仲間を、捕らえられて……殺されたことがあるな。


 見せしめに、吊された仲間であった子供たちの死体を見たのかもしれない。


 浮浪児を排除する方法を、大人はよく知っている。見せしめで、恐怖を与えてやればいい。そうすれば、浮浪児はその町から逃げていく。だから、よく浮浪児は吊されている。まるで盗人や殺人鬼みたいにな。


 冷えて固まり、歪んだ顔と……痩せ細った体の持ち主は、命の価値も軽いかのように、風に吹かれてよく揺れる。縛り首の死体は、風通しが良い場所ならば、『落ちてくる』まで吊されているのが通例だ。


 どうしたら落ちるのか?……首が腐ったとき、首と胴体が、千切れちまう。すると、ロープの輪から骸は抜け落ちるんだ。だから、子供の死体は、早く落ちることもある。首が細いから、すぐに痛んで千切れるからさ。


 ……見たことがあるのだろうな。


 そういう浮浪児たちの死体を。


 あるいは、棍棒なんかで、野良犬を処分するときみたいに、頭を打たれて死んだ仲間を見たことがあるのかもな。


 人間族の大人であるオレが、ヤツらを追いかけていって、日々のストレスの解消も込めて、棍棒であの小さな頭をかち割るとでも思ったのだろう。


 だからこそ。


 心の底から恐怖できる。


 肉体の限界を超えるほどに、走る抜けることが出来た。


 あれは想像力から来る恐怖ではない。ただの痛ましい喪失の経験が、あれだけ体を走らせたっていうだけさ。


 本当に、世界ってのは……。


 ヒトってのは、残酷なもんだよ。


 ……ファリス帝国ってのはね、認めたくはないが、それなりに裕福な連中が多い。だから、帝国領内で浮浪児の盗人集団を減らしたいのなら、すべきことは簡単だ。浮浪児を保護し、食事と教育と職を与えればいい。豊かな国家ならば、難しい負担ではない。


 読書好きのガンダラ曰く、帝国には、純粋な人間族の浮浪児は、かなり少ないそうだ。だが、その反面で……『狭間』の浮浪児は多いらしい。


 なんとも、帝国らしいよ。


 彼らの文明は、彼らの哲学は、彼らの政治は……亜人種も、そして亜人種と人間族のハーフである『狭間』を……認めちゃいないんだ。純粋な人間族以外にとって、帝国領には『生きていていい場所』なんてものは、どこにもないってことだ。


 徹底している方が、差別は政治力を持つのだろうよ。それを権力の維持に組み込みたければ、より徹底した差別と排除を実践する。より多くの者たちを巻き込んで。


 不思議なことに、より多くの者が参加した政治的な判断ってのは……なぜだか、善悪の基準から解放されて、どんなクソだろうとも正義を掲げるようになり、威張り散らすものさ。


 群れれば、悪行を成せる。


 このクソ田舎町の帝国人どもが、沼地の浮浪児たちを皆殺しにしていないのは、人口が少ないからだ。


 『子供を殺す』ということに対して、まだ集団が掲げている組織哲学よりも、ヒト本来の拒絶が、わずかながらに勝っている。


 『ホロウフィード』が、もう少し大きな町だったら……とっくの昔に、浮浪児たちは皆殺しだろう。だから、この田舎に流れて来たのかもしれない。


 田舎者は粗暴だし、まったくもって洗練されちゃいないが……都会者みたいに、悪行を美しく誤魔化せるほど、洗練された理論武装も持っちゃいない。


 正義のために、子供をロープで吊す?……それを正当化できる言葉を口から吐けるクソ外道は、それなりに洗練された学ある者だけで、都会には多く生息しているな。


 悲しく残酷で、そして厳格なる淘汰の圧力が……この沼地に、浮浪児たちを追い込んだのだろう。


 その厳しい条件を、はね除けるようにして、あの四人は生き延びて来た。


 ……オレはね、世界の誰もが嫌うであろう、あの小汚く、まちがいなく臭くて、引くほどガリガリに痩せていて、変な皮膚病とかにかかっていて、オレも含めて世の中の『大人』どもを心の底から恨みまくっているであろうガキどもに、会いに行くことを選んだよ。


 ……おせっかいだな。


 異常なほどの、おせっかいかも。


 そうだな、オレ自身もそう思う。オレは猟兵、残酷なる復讐の戦士。ファリス帝国を滅ぼすことが使命であり……浮浪児に会いに行くことが仕事じゃないはずだ。


 それでも、なんで、こんなことをしているのか?


 そう考えてしまうと、自分でもよく分からん。


 ……分からんが、どうでもいいさ。


 そうしたい気がするから、ここまで来たぞ。なあ、アーレスよ。この行動も、もしかしてオレのセシルに対するシスコンからかな?……分からんが、すべきことは決めちまっている。幸いなことに、今回は『アテ』があるしな。


 さてと。


 入るとするか。オレはあの洞窟のなかへと一人、入って行く。入り口を、ククリとククルに封鎖させてな。ああ、竜太刀はククルに預けていた。あんなデカい剣を背負って近寄ってくる大人の男は……浮浪児たちじゃなくたってビビっちまうだろうからね。


 闇のなかを、歩く……ただ一人で。恐怖こそないが、なかなか緊張する瞬間ではある。盗賊たちのアジトに侵入している方が、もっと気楽だな。浮浪児に、保護してやると説得するか……どうにも不慣れなミッションだ。


 闇の奥から……小さな声が聞こえてくる。


「……さむいよう。火を、起こそうよ」


「まだ、ダメだ……煙が、上がっちまったら、あいつら戻って来るかもしれない」


「でも、このままじゃあ、風邪を引くかも……」


「あたしの、ぬいぐるみ……ない……!」


 四人の声が聞こえてくる。


 声に力を感じる。ケガをしている者も、病気を患っている者も、あの連中のなかにはいないらしいな。かつては、いたのかもしれないが。


 ……いいことを考えよう。


 あの連中だけでも、健康そうで良かったじゃないか。そう考えることにする。さてと、間違いなく驚かせてしまうんだが……声をかけるか。こういうとき、シャーロンとかみたいに楽器を弾けたら、愉快な音楽と共に登場できるんだが―――。


 ―――それは、それで、ワケが分からんな。


 ああ、くそ。


 しょうがない。なるようになれだ!


「おい。ガキども」


「……ッ!!」


「……っ!?」


「……ッ!?」


「……っ!!」


 闇のなかで沼地の浮浪児どもが、驚いていた。そして、侵入者であるオレに気がつき、警戒する。


 10才ぐらいのハーフ・エルフの女の子が、年下のぬいぐるみを探していた『垂れ耳/ハーフ・ケットシー』の子を抱きしめる。庇うようにな。怯えた瞳で、睨みつけてくる。心が痛む。オレが、もっと可愛い姿形をしていれば良かったんだが。


 筋肉質で、たくましい大男で、片目は金色に光っているし、髪とか炎みたいな赤毛だし……可愛さゼロにもほどがある。


「ひ、ひとさらいだああああ!!」


 ハーフ・エルフのチビッコが、怯えながらもオレを罵ってきた。


 まったく、言うに事欠いて人さらいかよ……たしかに、ストラウス家は気に入った女を誘拐して来て、ヨメにして子孫を作ったりもしているが……オレはそういう、うちの親父みたいな結婚はしていないのだがな。


 さてと。


 肝心のヤツは、オレに気づいて、顔をしかめた。失態だと感じている。この事態を想定はしていたはずなのに、現実のものにしてしまったとな。リーダーの気質がある。『垂れ耳』の少年は、悔やみながらも決心を固めたようだ。


「みんな!!逃げろ!!コイツは、オレが何とかするッ!!」


 ……何とかするか。いいセリフだ。出来るハズがないと、コイツは本能的には悟っているはすだ。


 当たり前だな、暴れる雄牛の群れを、棍棒一つでは制圧出来ないだろう。魔王サマを、浮浪児のガキがどうにも出来るはずはない。


 ヤツは。


 死ぬ気で来たよ。


 腰裏のナイフを逆手に握りしめて、オレへと飛びかかって来る。正面からではない、わずかに横へと沈みながら、その後でオレに向かい跳んだよ。フェイントを使った。勘がいいな。右目の方に動いてからの、攻撃だった。


 たしかに、そっちは生身の目玉。魔法の目玉ほど暗がりでも見えはしない。だが、剥き出しの殺気ではな、目を閉じていても躱せる。オレは、寝込みを襲ってきた男を、寝たまま斬り殺すような男だぞ?


 『垂れ耳』の少年の飛びつき攻撃を、オレは躱した。


「……っ!?」


「素早い動きだぞ、ガキんちょ。でも、オレには通じん。あきらめろ。ケガなんてしたくないだろ」


「あ、あきらめるかよ!!」


 うむ。いらぬ誤解を与えてしまったかもしれない。あきらめろとは、悪い意味ではないのだが……オレも、ガントリーに文句を言えないな。オレの口も、基本的に攻撃的な言葉を吐いてしまうらしい。


「うあああああああああああああッ!!」


 ふむ。この『垂れ耳』、両利きか。器用なケットシーには、よくいるが、コイツもその血を強く反映しているらしいな。さっきは右手でナイフを抜いたのに、今は左手に持ち直して振り回している。


 逆手ではなく、順手でな。素早い持ち替えと、用途と間合いに分けての選択。判断力に優れて、技巧もある―――誰かが仕込んだのかもな。教育を感じる。コイツの父親は、軍隊にでもいたのかもしれん。


 さっきの逆手のナイフは、殺すための技巧を帯びていた。


 順手に持ち替えるよりも、抜いたその姿勢のまま攻撃したかったのかもしれないが。飛びついて、肉に深々と刺すつもりだった。避けなければ、あの錆び付いたナイフの刃が、オレの胸に入っていたのかもしれん。


 ……正直、さっきの攻撃が、ジャック・シモンズあたりに向けられていたら?彼は死んでいただろうな。やはり……いい意味でも、悪い意味でも、コイツは成長している。


 だが、まだまだ甘い。錆びた鋼は空を斬り裂くばかりだったよ……。


「く、くそ!!でかいのに、速い!?」


「お前はまだガキだからな、素早くても、腕の長さが足らんのだ。オレに、それを当てることは難しいぞ」


「だまれよ、人間ッ!!」


 順手握りのナイフで攻撃しているんだからな。リーチを、少しでも捻出したいのさ。分かりきった弱点を、言葉で突かれて、ヤツは焦っている。


 ちなみに順手のナイフは、斬りつけ振り回す『攻撃』に向く。逆手のナイフは、リーチはないが力が込めやすいため『防御』に向く―――というのが相場だな。


 まあ、状況に応じて、色々と持ち方を変える。それが、ナイフという貧弱にして器用な鋼の使い方だ。変幻自在にスタイルを変えて、戦況に即座に対応していく。それがナイフ使いのコツ。


 しかし、本当にコイツの器用さと素早さは……その鋼に適しているな。


 いいナイフ使いになれる。コイツの体格では、戦場で戦士と正面から戦うことには向かない。だが、夜間、敵地に忍び寄り、無数の死を刻む、静かなる暗殺者なんかにコイツは向いているな。容赦なく、自分を作戦に捧げられるところも好意が持てる。


 決めているな。


 ここで、オレに殺されても、仲間のために時間を稼ぎたいようだ、この小さく未熟なリーダーくんは。


 くくく!ああ、ホント、戦士の素質にあふれている。勇敢で、ガンコで、仲間想いで、そして……これは得がたい才能にして、大きな欠点でもあるが……殺意を動きに変えてしまう発想を有しているのさ。


 生来の殺し屋の質だぜ。


 素晴らしい戦士の素質でもあるが……才能と力を持つ者には、それを統制するための倫理があるべきだな。このままでは、コイツは確実に道を誤る。大盗賊になってしまう素質も、十二分にあるってわけだ。


 だから。


 そうなるのは、勿体ない。盗人なんぞ、下らんよ。もっと、偉大な者に、お前ならばなれる。


「……おい、『垂れ耳』のガキんちょ。今から、お前を制圧する」


「な、なに!?」


「ムダに痛い思いをしたくなければ……あまり暴れるなよ。まあ、ムダだろうが、一応、助言はしておいたぞ。じゃあ、制圧するからな」


「な、なめんな!!」


 『垂れ耳』が全力以上を出してくる。ああ、ガキとは思えないほどの速さ。まちがいなく、ただの人間族の男ならば、反応することも出来ずにナイフで腹を貫かれちまいそうだな。


 制圧するための技巧は多くある。道場では、死人を出していたら困るからな。基本的に人死にが出ない制圧の技巧の研究は盛んであり、たくさんの技巧が発明され洗練されてきた。


 宣伝にもいいもんな。ナイフありのケンカで勝てるとか?ナイフをもった暴漢に殺されにくくなりますとか。


 オレも何だかんだで、色々な技巧が出来るんだが……今回は、このクソガキのプライドをへし折ってやろう。


 その方が、いい教訓になる。コイツは、なめるな!!……とか、オレに言い放ったが、舐めているのは、お前の方だ。『垂れ耳』はケットシーと同じか、それ以上に速い。人間族にはスピードでは負けない?


 単純にして、愚かな発想だ。お前よりも速く動く人間族など、いくらでもいる。オレも、その一人だ。


 腹を抉ろうと突いて来るナイフ。重心一直線に突いて来ているな。一番、刺すべきトコロだ。いい動きだし、速い。間違いはない。少なくとも、かするはずだとは考えていただろうが、残念だが、かすりもしないぞ。


 突き出されたナイフが伸びきり、オレにかすることもないまま止まる。


「……っ!?」


「お前の突きよりも、オレの後ろ跳びの方が速いんだよ」


 オレの方が速く動ける。だから、ナイフなんて当たるわけがないんだ。そして、空振りした腕を引くよりも先に、オレの左手の指は『垂れ耳』の手首を掴んでいた。掴みながら、コイツの右に回り込み、その細い腕を逆に捻ってやる。


 肘に痛みが走ったのか、『垂れ耳』の動きは止まる。まあ、痛み以上に力に怯えているかもしれない。オレは速い上に、怪力だからな。右手がヤツの胸ぐらを掴み、そのまま沼地の泥水が溜まった洞窟の底へと押し倒していた。


 そのまま、コイツの痩せた腹と胸に膝で乗り、抑え込む。抑え込みながら、離した右手の指でナイフを奪い取る。オレは右手の指でナイフを踊らせながら、『垂れ耳』のノド元に、その錆びた刃を押し当てる。


「……ッ!!?」


「動くなよ……オレは、殺したくないんだ。お前なんて、殺したければもう十回以上は殺せているんだ。理解をしろ……オレは、殺したくないから、こんなにやさしく遊んでやっているんだぞ」


 微笑む。微笑んでみるが……どうにも、オレは子供相手に向かないのか、『垂れ耳』の顔は恐怖に歪んでいる。まったく、向かない仕事だな、ガキの相手はよう。

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