序章 『雨の降る町で……。』 その14


「……ちょ、ちょっとおおおおおおお!!君たちいいいいいいいいいッ!!」


「あ、危ないよおおおおおおおおおお!!逃げないでえええええええッ!!」


 ククリとククルが、オレたちの伝えるべき言葉を、この灰色の沼地に響かせていた。侮っていたかもしれないな……沼地の浮浪児たちの脚の速さを。


「あいつら、かなり慣れているな。この沼地の走り方を心得ている……」


「そ、そうだね……本当に、大人顔負けの速さかも?」


「しかも……四人がバラバラの方向に逃げていきますよ……」


「実戦的ではある。『ヒト狩り』から、ああやって逃げて来たのだろう」


「ひ、『ヒト狩り』!?」


「……それは、その言葉通りの意味なのですか!?」


 妹分たちは、オレの言葉に衝撃を受けているようだった。『メルカ』には、無かった仕組みだろうな。


 だが、この大陸には、残念ながら天空の都市には無い、強力な悪意が幾らでも存在している―――下手をすれば、あの身勝手で邪悪な『アルテマ』よりも残酷な者もいれば、悲惨な仕組みも存在している。


 『ヒト狩り』もその一種かもしれない。


「……亜人種や、『狭間』に対して、人間族は…………いいや、この大陸における、『異種族』のあいだには、憎悪が渦巻いている」


「……憎しみ合っているから……殺し合うの?」


「……そうだな。どこから流れて来たのかは知らないが、あの沼地の浮浪児たちも、おそらくは人間族の集団に追われたこともあるのだろう。だから……バラバラに逃げた。その方が、効率がいい。一人を犠牲にすることで、他が助かることもある」


「捕まえて……殺すんですか、あんな小さな子供たちを?」


「……そういう時もあるだろうな」


 ……オレは、言葉を選んでいたよ。盗みを働く浮浪児を殺すこともあるだろうし。それが女の子なら、人買いに売るか……強姦してから殺すとかも当然あるさ。


 乱世だ。大人から守られていないガキどもは、大人の邪悪な欲望や殺意に、その命を消費されるだけ。それが現実だ。殺すだけじゃない。利用してから、殺すんだ。


「そんなの……っ」


「間違っていますよ!!」


「……ああ。オレもそう思う。だが……世界の残酷な現実は、その間違ったことを、『正義』とまで呼ばせることもある」


 差別と排除の歴史があるのさ。下らない。じつに下らないが、それは現実にこの大陸を縛り、人種間の争いを生んできた。


「……そんな……それじゃあ、世界って、1000年前と……」


「……ぜんぜん、変わらないんですね……」


 『アルテマの叡智』として、多くの『知識』を過去の世界から継承して来た二人は、その重たい言葉をつぶやいていた。


 1000年前も、世界はこんなありさまだったらしい。人種のあいだにある憎悪は、見境のない殺意を生むこともある―――じゃあ、これから1000年経っても、人類ってのは、変わっていないのかもな……。


 それでは、まるで……本能にでも刻まれているかのようだ。


 変わることのない、絶対の本質。排他的な性質こそが、人類の本能そのものなのかもしれん。ヒトの所業が1000年前と変わらないのなら、1000年後さえも……ヒトは、変わることなどないのだろう。


「……すまんな。もっと、美しくて楽しい世界を、お前たちに見せたかったのだが……ヒドい、休日になってしまったようだ」


「……ううん!」


「ソルジェ兄さんは、悪くないですよ……でも」


「でも?」


「ちょっとだけ……」


「……悲しいんだよ」


 初めての『外』の世界だったのだがな。あの何もないバシュー山脈から、初めて降りて来たというのに。何とも、業深い経験をさせてしまっているようだ。


 強い雨に打たれながら、灰色の沼地で朝から立ち尽くす……滑稽なほどに、間違っている休日の朝だ。


 モンスターの返り血のせいで、生臭いかもしれないが、オレは、雨のなかで泣いている妹分たちを、抱き寄せてやった。


 背が高いことが、うれしいな。コイツらの雨よけに、ちょっとだけなりやすいから。


「……そるじぇにいさんっ」


「……す、すみません、ないちゃって……めいわく、かけてますよね……っ」


「……いや。あの哀れなガキどものために、泣いているお前たちを見ると……ヒトってのは、本当はやさしい動物なんだと、信じられる……いい子でいてくれて、ありがとうよ」


 世界から隔絶されて生きてきたお前たちが、やさしいってことは。


 ヒトの持つフクザツな本能ってのは……やっぱり、やさしさも持ち合わせているんじゃないかとね……ククリとククルがやさしいから、オレは思えたよ。そいつは、小さなものだけど、崩れることのない希望のようにも思えて、オレはとても嬉しいんだよね、何だか。


 強い雨の降る、灰色にうねる空を見あげる。


 粘るような灰色は、太陽も青い朝の空も奪っている……何よりも、昨夜よりも、今の方がはるかに冷えてしまっているな。降りつづく雨が、大地から熱を流し、太陽を遮りつづける雲のせいで、陽光がこの地上には届かない。


「……あの、やせっぽちどもを、見つけてやらんとな。この雨では、あんな痩せたガキどもは……風邪を引き、肺炎になり、死んでしまう」


「……はい!探しましょう!!」


「うん!!探そう!!無理やりにでも、捕まえようよ!!」


「……そうだな。だが……あの連中は、かなり素早い。ハーフ・エルフと、ハーフ・ケットシーだから。かくれんぼが上手だ。魔力を消し、呼吸も小さくしている……技巧のある大人に、学んだことがあるようだな」


「……そうだね。あの子たち、とんでもなく脚が速いし、小柄だし……」


「この沼地を知り尽くしてしまっていますね……隠れる場所も多い」


「……ムダに追いかけ回すと、あいつらの体力を消耗させるだけになるかもしれない」


「……じゃあ?」


「……どうしましょう?」


「……『罠』をかける。あいつらを、『あの場所』に誘導する。それが、手っ取り早いように思えるんだ。ほら、耳を貸せよ」


 賢い二人に、コソコソと耳打ちをする。


 二人のダメ出しも期待していた。オレはマゾヒストではないが、助言を受けることは好きなんだ。


 でも、兄貴分の顔を立ててくれたのか、それとも、心底から同意してくれたのか……二人とも、この『作戦』にうなずいてくれたよ。


「……いいと思う!」


「……私も賛成です。そちらの方が、全員を手早く捕まえられます」


 ……オレの作戦に乗るか。ふむ。彼女たちも、浮浪児という存在の扱いには慣れてはいないだろうからな。


 もちろん、オレも慣れているわけではない。子供に受けそうな顔はしちゃいないよ?左眼は金色に光っているしな。巨大な竜太刀を背負った傭兵なんだぞ?……母親が、子供たちに近づいて欲しくないヤツ第一位かもしれん。


 だが。作戦を考えるのは得意じゃある。しかも、オレの有能な副官たちと違ってね、オレはアホ族なもんだから、子供に近い発想が出来るような気がする。


「よし。じゃあ、『演技』を開始するぞ―――『ガントリー!!依頼のモンスターは、仕留めたぞおおおおッ!!引き上げようぜ!!アンタは、クライアントの牧場に向かって、報酬を受け取ってくれ!!オレたちは、酒場に戻って、一杯やってる!!』」


 沼地をクライアントと一緒に、こちらへと向かってきてくれていたガントリーが、その歩みを止めた。


 彼は……察しがいい男だ。口は悪いが頭は良い。『青の派閥』の『実験台』としての監禁生活は、彼に学問を吸収させる時間にもなったようでな。ああ見えても、かなりのインテリだ。見た目と言動が粗雑なのは、彼の生来の特性なだけ……とにかく、彼は賢い。


「……なるほど。ああ、分かった!!戻るぞ、シモンズ!!事件は解決だ!!オレたちの報酬である、馬を受け取りに行かせてもらうぞ!!」


「……え……だが……」


「ほら!!とっとと動け!!オレたちをただ働きさせたいのか!?だとすると、今度はあの蟹に代わって、このオレがお前のトコロの馬を、蛮族鍋の具にして、食っちまうぞ!!」


「わ、わかったから!!尻を叩こうとするな!!……まったく、蛮族なんて雇うんじゃなかったよ!!」


 ガントリーはオレの考えを読んだのかね。戦場では、指揮官の命令に従うことが大きな利益に結びつくものだということを、ベテランの戦士である彼は熟知しているのかもしれない。


 オレは、ククリとククルの肩を抱き寄せる。両手に花モードになり、スケベ野郎の顔で笑うのさ!


「『さあて!!戻るぞ!!酒場に帰って、酒を呑んで!!腹一杯、メシを食うぞ!!』」


「『う、うん!!か、帰ろう!!』」


「『泥だらけになってしまいました。早くお風呂に入りたいですから』」


 ククリよりもククルの方が、自然な演技を発揮しているな。リアルな演技……まあ、実際に考えてもいるだろうな。泥だらけになっちまったし……。


 オレたちは、踵を返して引き上げる―――フリをするのさ。


 そのまま沼地を去るように、しばらくは早歩きで町へと向かったが……沼地の浮浪児たちから十分な距離を取ったと思うと、オレたち三人は『風隠れ/インビジブル』を発動させて、あの場所へと走ったよ。


 沼地に浮かぶ島のような、小さな丘のような……岩場でもあり、洞窟もある……沼地の浮浪児たちの隠れ家だよ。


 オレたちは、その丘の上に登り、静かに息を潜めていた。


 強い雨に打たれながらも、腹ばいになり姿を隠す。まあ、雨のおかげで、気配を隠すことは比較的やりやすくもある……呼吸を静かにして、魔力の活性を抑えていく。


 この『作戦』は、あのガキどもを待ち伏せするという方針でつくられている。


 追いかけ回すのが効率的でないのであれば……ヤツらにとって、唯一の『家』であるこの洞窟に戻ってくるのを待とうという魂胆だよ。


 他に、雨宿りをする場所があればいいが、そんな都合の良い場所はないだろう。この洞窟には、ヤツらの持ち物もある……それに、カエルの干物もあったしな。少ないながらも『食糧』をため込んでいる……戻って来るだろ?


 大人と違って……子供の体感する『時間』は長い。一時間もあれば、たっぷりと遊べる気持ちになるもんだからな。大人の欲深さを知れる感覚だよな。たった一時間でもたっぷり?……大人は、夜通し遊ぶんだ。料理を喰らい、酒を呑み、女たちと―――ん。


 ……気の早いことだが、沼地の浮浪児たちが『家』に戻って来ようとしている。風邪でも引いているヤツがいるのかもしれないな……警戒心を解くには、早すぎる。


 しかし、何にせよ、連中を保護するには、早い方がいいだろうからな。


 オレたちは、肉食性の獣みたいに静かに待ち伏せをつづける。


 沼地の浮浪児たちが、立ち枯れた木に身を隠しながら、ジグザクに沼地を走って来ている。いい技巧だ。身のこなしも素早く、発想もいい。ジグザクに走るのは、同じ方向に長く走りつづけることで、見つかりやすいと考えているからだ。


 たしかに、あの走り方で、この遮蔽物の多い沼地を移動すれば……よほど注意してあのガキどもを探そうとしない限りは、見逃すだろう。そして、あのガキどもは『ホロウフィード』の誰からも興味を持たれてはいない―――今のところはな。


 だが。


 良くも悪くも、戦士としての才能が有りすぎているな……とくに、あの『垂れ耳』のガキ。ハーフ・エルフの少年。11から12才?……やせすぎているから、本当は、それよりも年が上かもしれない。


 とにかく。


 あのガキは……かなりの才能だ。オレたちが気配だけでなく、魔力も消せるから、『風隠れ/インビジブル』の高度な使い手だから気づかれていないだけだが……並みの狩人の待ち伏せになら気づくかもな。


 オレたちが隠れている、この場所にも注意を払っている。仲間に的確な指示を出して、子供の動きとは思えないほどにチームを統率していやがるな。動きも、軽やか、痩せているのに、あの青い瞳はギラギラと輝いている。


 戦士の才を、多く宿した存在だ。


 ……あれを3年も仕込めば、ミアの足下ぐらいには及ぶかもしれん。ケットシーは早熟だからな。


 あと一年、生き抜き、今よりも力と知恵と体格を身につけることが出来たら、あれは……おそらく……他の仲間たちに『破滅』を招くことになるだろうな。


 死なせるわけにはいかない。


 ここで、無意味な強さを得ることで起きる『悲劇』ってのも、回避してやりたい。


 助けようじゃないか。


 騎士道は、ここまでおせっかいではない。沼地の浮浪児などに、尊い身分の騎士サマが助けるほどの価値などない。


 だがね。


 オレのなりたい魔王サマは、そうじゃないんだよ。


 沼地の浮浪児たちが、ひとり、また、ひとりと隠れ家に戻っていく。そして、あの青い瞳の『垂れ耳』が、最後に周囲を射殺すような視線で確認したあとで、音も立てずに走り、隠れ家のなかへと戻ったよ。


 さて、オレたちも動こう。なかなか難しい任務だな。あの『垂れ耳』は、抜き身のナイフを腰に持っていた。慈悲の心だけでは、近づくべき存在じゃあないよ。ククリとククルに指示を出す。


「入り口を固めておいてくれ。『垂れ耳』は、オレが相手するよ。ヤツがリーダーだし、間違いなく、暴れてくるだろうからな」


 ……オレも性格が悪く、大人になりきれていない。ちょっとだけ、ヤツの腕前と才能を見るのが楽しみだ。こっちを殺す気で襲いかかって来てくれたら、うれしいねえ。

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