第七話 『星の魔女アルテマと天空の都市』 その37


 戦場は同時にさまざまなことが起きる。オレは左眼でゼファーとリエルの戦いを身ながらも、右目では『悪神と魔女の死体の融合物/アルテマ』を睨み続けていた。


 『金羽の鷲獅子/ロイヤル・グリフォン』を特攻させることで、隙を作りたかったのか、大勢の戦士を殺したかったのか。


 何にせよ、この囲いから逃れようとしていたのかもしれないが……残念だったな。現実は、貴様の想定していた通りには動かなかったぞ。ストラウス家の竜であるゼファーと、リエル・ハーヴェルの命がけの献身により、我々は無傷のままだった。


 『アルテマ』は、その自身が望まぬ結果に衝撃を受けたのか、あの闇色の体をゴボゴボと泡立たせながら沈黙を続けていた。眼があれば、それを見開いていただろう。ヒトのような体があれば、茫然自失の蒼白と緊張に静止していたのかもな。


 まあ、関係ない。


 敵が、どんなことを考えようとも。


 敵が、何を求めようとも。


 そんなことは、オレたちには何一つだって関係ないのである。殺すだけだ!!戦場にいる敵とは、何が何でも、殺すためだけの敵だッ!!


 『ロイヤル・グリフォン』の特攻という戦況のなかでも……復讐の女神たちは、その鋭い殺意を緩ませることはない。


 何故か?


 復讐の女神たちは、そもそも死ぬことをも想定して突撃しているからだ。命を操り、己の生存のための道具としか認識しちゃいない『アルテマ』には、理解が及ばぬ力だろう。


 ルクレツィアには、全てのホムンクルスから託された、1000年の祈りがある。彼女は、呪いに束縛されて来た、ホムンクルスたちが血で綴った復讐の物語……その集大成である。


 全ての過去と、これからの『未来』のために―――彼女は、貴様ごときとさえ、刺し違えるつもりだった。だから、『ロイヤル・グリフォン』が横やりを入れようとも、『メルカ・クイン/最強の魔女狩りの戦士』は止まることないのだ。


 クロヒョウのように俊敏に、ルクレツィア・クライスは怨敵へと向かう。


 ……もちろん。


 もう一人の復讐の女神も、似たようなものだ。


 『彼女たち』には、1000年の恨みはない。


 23年間の命だ。


 だが……彼女たちは複雑な愛と死別の物語のヒロインたちだ。『ベルカ・コルン』たちの祈りが、形となったような……もしくは、ただ、とある男が、とある女に惚れて出来ただけでもあるような。


 壮大でもあり、なによりも個人的な愛の果てに生まれた存在でね。ホムンクルスたちにとっては、まるで訪れを願った『未来』そのもののような存在さ。


 ホムンクルスの『未来』は……とても自由な女たち。彼女たちは、歴史の因縁なんて背負っちゃいない。


 『シンシア』は、ただひたすらに愛するシャムロックおじさまのために……。


 『ゾーイ』は、父親代わりに慕っていたシャムロックのために……。


 とっても自由で、とっても個人的な復讐のために、『ホムンクルスの未来』は殺意と魔力を爆発させていたよ。奪われた愛のために戦う女は、なんとも美しく、世界の誰よりも深く復讐の刃たりえるのさ―――。


 『シンシア/ゾーイ』は、純粋な怒りの化身であって、戦士ではない。戦士ではないからこそ、ただひたすら純粋に……戦場などではなく、ただ獲物を睨みつづけることが出来たのだ。二色の双眸を殺意に燃やし、復讐の女神は、愚直なまでにまっすぐだったよ。


 ルクレツィアとゾーイの魔力が、獲物に近づくにつれて高まっていく。


 それゆえに、『アルテマ』に悟られてしまう。


 『アルテマ』は、女神たちの殺意を浴びせられて恐怖する。この二人のどちらもが、自分を消滅させるに十分な魔力をため込んでいることに気がついたのだ。


 自己の『保存』を……生存を求める『アルテマ』からすれば、それはあまりにも恐ろしい事実であったのさ。


 この底なしの浅ましさで命を渇望する邪悪は、己に迫る脅威に敏感であった。その不定形の肉体を変形させて―――『アルテマ』は『口』を開く。泡立つそのドロドロとした体とは違い、開かれたその口のなかには固さを保った無数の歯が並んでいた。


 歯列が並ぶ醜い歯茎は、死人の肉のように紫がかり、その奥からは死臭と共にグロテスクな『舌』が吐き出されてくる。『舌』とは言うものの、そいつは比喩になるのかもな。


 皮を剥がれた大蛇にも見えるし……内臓を吐き出していると表現できなくもない。


 蠢く腸、あるはい舌、あるいは触手……とにかく、『アルテマ』の醜い奥底からは、美しい言葉で形状することは、とても不可能な肉塊が、粘つく体液をまといながら二本ほど飛び出していた。


 その肉塊の表面には、相手の肉を切り裂くためと考えられるナイフのような金属質のトゲが無数に生えている。それらがうねりながら、美しい復讐者たちの身を貫く、破壊してやろうと戦場に射出された。


 ルクレツィアもゾーイも無防備だ。攻撃のために、全てを捧げていたからな。だからこそ、『曲がり角の死霊/ホーンド・レイス』ども死体を踏みつけながらもオレは走り―――どうにか、間に合うことが出来たというわけだ。


 乙女たちを追い越しながら、その前に踊り出る。


 ガルーナの竜騎士としての、在るべき場所だな……最前線ッ!!死臭を貌に浴びながら、ストラウスの剣鬼は、鋼と共に舞うんだよッ!!


 ズギュシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!


 竜太刀と竜爪が、その邪悪な肉質に斬撃を叩き込むッ!!それらは研がれた鋼の鋭さと、剣鬼の腕に宿る怪力により、同時に切断されていたよ。二本にまとめたか。威力を集めるための策だ。二人だけを殺そうと、本能がそれを選んだのか。


 そいつは、なんとも合理的な判断だがよ……双刀の技術を『虎姫/シアン・ヴァティ』から学んだオレに、たったそれだけの手数では、とてもじゃないが足りないのさ。


『また……また、おまえか……ッ』


「―――シャムロックとの、契約を果たしに来たのさ」


 猟兵だからね。シャムロックからは、『報酬』をもらっちまったんだ。先払いさ、ヤツの『命』を受け取ってしまっている。そのままではな、猟兵の道が廃るというものだ。『パンジャール猟兵団』は、組織哲学に反しない依頼は、絶対に全うする。


 どうだ?


 守ってやったぜ。


 アンタの『シンシア/ゾーイ』も、アンタの親友に似ているルクレツィアのことも……どうだ、マキア・シャムロックよ!!


 これで、アンタに文句はあるまいッ!!


 冥府で鷲みたいな険しい貌でもしたまま……ホムンクルスたちの復讐を、見届けろッ!!


 ルクレツィアと『シンシア/ゾーイ』が、オレの左右を駆け抜ける!!最大限にまで高めて集めた魔力のおかげで、世界は熱く、歪んで見えるほどだった!!


「1000年分の、怒りを、くれてやるわ、『アルテマ』ああああああああああああああああああああッッッ!!!」


「アンタなんて、死んじゃええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」


 復讐の女神は歌を重ねて、魔術を撃った。強力な『炎の嵐』と『爆炎』の熱量が、邪悪なバケモノへと襲いかかる。視界の全てが、真紅につぶれるよ。世界のあらゆるものから焦げるにおいが放たれていた。


 目玉が熱いな。眼の表面にある薄い涙の膜が、沸騰しちまいそうだから、瞳を細めて、それでも睨む。守るべき二人の女性たちの前に、ストラウスの誇りと、老竜よりの教えにかけて……オレは進む。


 ヤツが完全に滅びるまで、警戒は解かない。炎の余波を顔に浴びながらでも、この最前線にこそ、いるべきなんでね。


『あつい、あついい!!とける、こげる、し、しんでしまうううううううううううううううううッッッ!!!』


 邪悪なるモノが、死を怖がり、炎の果てで悶えて踊るのだ。復讐の女神たちは、容赦ない。さらなる『炎』を、撃ち込んで、ヤツの滅びを促進していく。


「消えろ!!『アルテマ』!!」


「アンタが犠牲にした、全ての命に、あの世で謝れ!!」


 紅蓮の灼熱が、世界を赤く焦がす。


 千年燃えつづけて来た反逆者の業火と、愛に裏打ちされた怒りの爆炎は混ざり、融け合い―――『悪神と魔女の死体の融合物/アルテマ』の全てを、紅蓮の底へと呑み込んでいく。


 星空より降りて来た悪しき『ゼルアガ/侵略神』は、すがるような声で、新たな契約者を求めていた。


『け、けいやくしろおおおお!!だ、だれでもいいんだああ!!……す、すべてを、あたえるぞおお!!いのちも、ちからもおお!!ちえも、すべてをおおおおおおお!!!ねがいを、かなえるちからを……あたえる!!あたえてやるのだぞおおおおおお!!!』


 ホムンクルスたちは、その問いに応えることはない。


 もちろん、オレたち『パンジャール猟兵団』もな。


 悪神の誘いに乗るほど……我々は愚かでもないのだ。


「……願いは、いつか自分で叶えるもんだ。『星』よ……この世界には、貴様の居場所など、どこにもありはしない。とっとと滅びてしまえ」


『……おまえでも……おまえでもいいんだあ…………なあ、あいするものを……とりもどしたくは……ないのかあああ……?』


 怒りのせいで、奥歯がガギリと鳴っていた。この期に及んで、まだ、オレを取り込もうとするのかよ。


「―――貴様ごときの浅知恵で、取り戻せるほど、安っぽい愛は、オレには無いんでね」


 ……オレのセシルを、軽んじるんじゃねえ。


 どれだけ取り戻したくとも、失われた者は……二度と戻りはしないのだ。姿が、形が、どれだけ同じであろうが。あの瞳が、あの髪の色が同じであったとしても。あにさまと呼ぶ声が、全く同じだったとしても!!


 その子は、セシルじゃない。セシルの物語は、もう終わった。7年しかない、悲しい物語であったが……それでも、セシル・ストラウスは、『彼女だけの物語』を生き抜いてみせたのだ!!


『な、なぜ……そ、そんな……こ、こわいかおを……す、するんだああ……』


「貴様には分からんよ。永遠の命などを求め、命の価値など理解すら出来ぬ、貴様のような邪悪にはな」


 竜太刀に、黄金色の炎が宿る。気高きアーレスと、焼け焦げた魂たちが、鋼に宿り……その黄金色の爆炎に、力を重ねてくれるのさ。ジュナ・ストレガ、ジャスティナ・アルトランデ……『メルカ』と『ベルカ』の英雄たちよ……。


 一緒に、コイツを消しちまおうぜ!!


 黄金の爆炎が逆巻きながら、螺旋を描く。竜太刀に、あらゆる怒りの熱量が集まっていく。死者の怒りも、まだ物語の最中にある、オレたちの怒りもな。さあて、見せてやるぞ、セシル。あにさまは、今日も、世界で一番、強いんだッッッ!!!


「魔剣!!『バースト・ザッパー』ああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 復讐の女神たちが呼んだ、業火に……竜と死者の怒りの炎をも叩き込む!!『アルテマ』の巨体を構成する、あの歪んでうごめく黒い体が、爆裂の力に引き裂かれて、空と大地に飛び散りながら、焼失していく―――。


 この場に、わずかに残った『アルテマ』も、復讐者の炎は赦すことはない。


 燃えながら爆ぜていき、地の底で千年を生きつづけて来た邪悪なその骸は、悪神ごと燃えて崩れていく。抵抗など、無意味だと言わんばかりの熱量が、『アルテマ』を沸騰させて、蒸発させていくのさ。


 ドロドロの不定形な黒が、焼け落ちていき……その奥に、燃えていく女の形状が姿を現していた。巨大さは完全に失われて、細身の女の形だけが残っている。


 彼女が……かつて、『星』を呑んだ者だろう。『錬金術師アルテマ』、その成れの果てが、踊るように手と上半身を揺らして、灼熱の地獄から逃れようと、空へと手を伸ばす。星でも探すみたいにね。


 しかし。


 灼熱は、ヤツを許すはずがない。復讐の熱量は、ただただ残酷に……魔女の形状を炎の破壊を絡め、その死骸をも焼き尽くしていく。


 滅びから逃げ延びようと、焦げ臭い煙の立ち込めた天へと伸ばしていたその腕は……そのか細い指たちは、何も掴むことなく、風に崩れて世界から欠片も残さずに消え去っていったよ。


 それが……『星の魔女アルテマ』の滅びであった。あとには、焦げた大地と、カーリーンの山頂氷河から流れる、冷たい風が踊る空だけがあったのさ―――。


 魔女と悪神が滅びた世界は……よく晴れていて、そのことが……1000年の呪いの終わりには、相応しい景色であるような気がした。まるで、死んでいったホムンクルスたちが、祝ってくれているみたいだな―――。


「……や、やったのか……ソルジェ兄さん」


「わ、私たち……勝ったんですよね、兄さん?」


 ククリとククルが、オレに訊いてくる。オレは、うなずくよ。『兄さん』という言葉が、心に深く響いているんだ。痛みと、悲しみと、苦しみと……それでも、歓喜をともなって。


「―――ああ、全て……終わったぞ」


 その言葉に双子の妹分たちは笑い合い、万感の思いが融け合って生まれた涙を浮かべながら、勝利を歓ぶ歌を放つ。


「やったあああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


「勝ちましたあああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」


 若き戦士の歌が響き、それを合図にして、すべてのホムンクルスたちは、歓喜の歌と涙をもって……この勝利を記念する。オレは、ようやく緊張を解き、竜太刀をしまっていたよ。


 もう、この場所に……斬るべきモノなど存在しないのだから。

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