第五話 『戦場は落陽の光を浴びて、罪過の色をより深く……』 その12


 ゴブリンの歯形がついた傭兵の死体を見下ろしながら、想像力を働かせる。彼の命を奪った一撃は、深く、鋭く、的確だ。『犯人』は、武術の腕と、この傭兵からの信頼を併せ持つ存在と考えればいいだろうか。


 あるいは想定外な存在。『小柄でおしとやかなレディ』とかなら、傭兵だって背後に置いていても警戒はしない―――まあ、ダンジョンの闇に潜み、傭兵の背後にいるのは、そんな人物じゃないだろうけどね。


 彼の年齢は30才ぐらいか?……十分なキャリアを持つ、ベテランだろう。顔や体のあちこちに古い傷が入っている。装備を剥がせば、全身に古傷が見つかるだろうな。


 それが強者の証になるのかは、必ずしも全面的に同意することは出来ないのだがね。負傷が多いと、健康面で心配だ。壊れた体は、戦闘能力を完璧に発揮することは不可能だからだ。


 しかし、経験豊富な傭兵であることの証明ではある。多くの戦闘をこなし、その上で生き抜いてきたことの証明にはなるよ。この火傷のように、ただれた肉が盛り上がった古い傷痕の数々はね。


「……相応の疑り深さを持つ古強者。それを一撃で仕留めたか……だが。そうだとして、この出血量は……多いな」


 傭兵の死体は赤い水たまりに沈んでいる。ヒト一人の出血量としては、やけに多い。とくに一刀のもとに斬り捨てられたとすれば、傷口は一つだけ。


「短時間で死ぬというのに、この出血量ってのは、おかしいな。動脈を切って吊るしたわけではないはずだが……?」


「うむ。天井には、ロープをかけた痕跡はないぞ。そもそも、ロープをかけるところも無いがな」


 リエルに言われて天井を見る。たしかに、そこにはすき間がない。芸術的なまでに磨かれた石材が、ダンジョンの天井を覆い尽くしている……。


「……たしかに、ロープをかけるすき間もない……とんでもない建築技術だな」


 かつてここにあった小王国、その連中が掘り進めた坑道……そこを、美意識と高度な建築技術を持つ『ベルカ・コルン』たちが、これほど丁寧に加工していったのか?


 さぞや長い時間がかかっただろうな。


「―――お兄ちゃん、『2号』を見つけたかも」


「2号?」


「うん。あそこに、スライムがいるの」


 ミアの言葉に、オレとリエルは指に『炎』属性の魔力を満たしながら反応した。悪意あるゼラチン野郎を殺すのには、焼却するのが理想的だからな。


 ミアが覗き込んでいるのは、このメインの通路から枝分かれする、幾つかの小道の一つだった。オレとリエルもその道を覗き込む。


 ……40メートルほど先にある暗がりに、そのスライムはいやがった。ゼラチン質のカタマリが、弾力よくプルプルと震えながら、体内に取り込んだ『肉』を消化していた。2号こと、二人目の傭兵をオレは見つけたのさ。スライムの緑いろの体の中にな。


 『ベルカ・モンスター』にありがちなことだけど、このゼラチン野郎にも独特な陰湿さが備わっていやがったよ。


 ガジガジと切れ味の悪いノコギリを使っている時の、ノコギリの刃が空回りするような音が聞こえてくる。


 フツーのスライムには、『歯』なんてない。ガンダラから、どこかの地方のスライムは消化を助けるために、己のゼラチン・ボディのなかに尖った石を吸収して、それで捕らえた獲物の肉を裂きにかかるってハナシは聞いたことはあるが……。


 だが、『ベルカ・スライム』は生まれながらの歯を体内に宿しているらしい。ゼラチン質の体のなかに、無数の歯が浮かんでいた。


 その歯を前後に揺らすようにして、ヤツはその身に閉じ込め、強酸の体液を絡めることで、融かした獲物を刻もうとしている。


 噛み潰し、噛みちぎり……というような力強さこそないようだが、緑色の体に捕らえた傭兵の体を、その切れ味も力もない歯を当てている。おそらく、あんなものでも消化に要する時間は劇的に短縮するのだろう。


 『貪欲な流体/スライム』に、ヒトが捕食されている瞬間ほど、嫌悪を抱く光景は少ないし。あんなグロテスクなシーンを、マイ・スイート・シスターにこれ以上、見せてはいけない。


 ゼラチンのモンスターのなかに浮かぶ、半分ぐらい溶けた人体?……悲惨すぎて、ミアの心に悪影響を及ぼしかねない。


 ミアの健やかな成長を願うオレとリエルは、同時に『炎』を放っていたよ。その牛ほどの大きさもあるスライムは、一瞬のうちに燃えてしまう。『ベルカ・モンスター』の陰湿な性格が、そこにもあった。


 スライムを弱点である『炎』で焼き払えば、異常なまでに燃えるのさ。しかも、燃えながら、ヤツはスライムらしからぬ機敏さで暴れている。


 ゼラチン質を『腕』とも『足』とも『触手』とも形容しがたい姿に変えながら、とにかく四方八方に伸ばすだけ伸ばして、己の燃える肉体を飛び散らせてくるのさ。


 傭兵の体から、大量のリンを摂取しているせいなのか、その炎は赤だけでなく、緑色の炎も帯びていたよ……。


「……ああ、ちくしょうめ。近くで燃やしていたら、大火傷させられているところだぜ」


「やはり、好きになれんぞ、『ベルカ・クイン』の発想は」


「『メルカ』に対する憎悪というか、攻撃性だな。『メルカ・コルン』は『炎』と『風』の攻撃術を使うんだ……その対策だろう」


「じゃあ。『炎』と『風』を使うの、マズいんだ……」


 ミアは『風』の資質しか持っていない。自分の戦術が封じられることに、ストレスを感じているのかもしれないな。


「……『風』の攻撃術はな。鋼や体に帯びることは、有効のはずだぞ。戦術を縛りすぎることはない。『風』と武術を完全に合わせる技巧は、ケットシーぐらいにしか出来ない。ここのモンスターにも対策は取れないはずだ」


「分かった!補助術を中心に使うね!」


「ああ。オレとリエルは、『雷』の攻撃術ばかりにしておこうぜ?」


「うん。そうだな、『メルカ・コルン』対策に傾倒しているのなら、『雷』属性は有効そうだ―――まあ、それを逆手に取られるかもしれない。慎重に行くべきだ」


「そうだな。賢くて、陰湿な性格をしているようだしな」


 スライムに歯と『燃えやすい体』を与えるとは、なかなかイヤな性格の女じゃないと発想しないんじゃないか?……考えついたとしても、それを実際に造り上げる作業をこなすってのは……。


 はあ、『蛮族にも分かる錬金術入門』を読んでなくて幸いだったかな?ルクレツィア似の美女が、錬金術の窯の前で、スライムと変な動物の牙かなんかをグルグルに煮詰めて作ったりするシーンしか、オレは想像が出来ないが……。


 実際には、もっと異常な行いをして、『ベルカ・スライム』を造ったんだろうしな。


 ……死後、あんなものに喰われるなんて、あの傭兵も哀れなもんだよ。


 オレは、彼の死体を調べることはしなかった。溶けているし、炎で焼き払われている。どんな傷で致命傷だったのかを、分析することは出来ないだろう。


 それに、色々と分かることもある。


 少なくとも二人があそこで殺されていた。死体を処分するゴブリンやスライムが、『他の死体』を消化していないとも構わない。だが、出血の飛沫から察するに、犯行現場はあの場所だ。


「『犯人』は……一人じゃないだろう。複数で動いていた。少なくとも二人はいるようだ。『黒羊の旅団』に信頼されている『犯人たち』は、同時に背後から傭兵を斬り殺したのかもな」


「……じゃあ、犯人は『黒羊の旅団』?」


「同時に行動をしていた者にしかやれない、怪しいぞ」


「……そうだな。おそらく、殺された二人は、集団の最後尾を護衛するチームのメンバーだろう。このダンジョンの横穴は、広すぎるようだ。『黒羊の旅団』がルートを確保したとはいえ、完全に敵を殲滅しているわけじゃない」


「……モンスター、多すぎ。どこかに巣でもあるのかな?」


「ここ自体も巣だが……それに接続する地下坑道でもあるのかもしれない。オットーが教えてくれただろう?無数の小王国が乱立した。そいつらは、鉱石目当てで、地下に穴を掘りまくっていた……この土地は、穴だらけさ」


「そういう坑道を、つなげている……?」


「かもしれん。そうなれば、繁殖地も確保できる」


「……『ベルカ・クイン』は、地下にモンスターの王国でも作りたかったのか?」


「……あくまでも錬金術の実験がもたらした、副産物だとか……自分たちを防衛するための、必要悪としての兵器研究だったらいいんだがな」


 『ベルカ・クイン』の考えを把握することは難しいかもしれない。錬金術師の頭は、賢くて複雑だからな。


 ……まあ、理解の及ぶ範囲だけ考えることにしよう。


「―――とにかく。『犯人たち』は、『黒羊の旅団』と敵対することを決めたんだろう。死体の処理が、甘い。モンスターが必ず捕食するとは限らない」


「そうだな。もっと隠す方法がありそうなものだ」


「だいたい、ここは『確保された道』だ」


「……『黒羊の旅団』が見つけた、地下深くへの『最短ルート』だね!」


「そうだ。最も早く、最も安全であろう道。そこに死体を置きっぱなしにするなんて、見つけてほしいかのようだ。隠す気は、なかった」


「つまり、宣戦布告。『犯人たち』は『黒羊の旅団』を、堂々と裏切ったのか」


「じゃあ、やっぱり仲間割れ?傭兵同士で?」


「ヨソさまの傭兵同士では、よくあることさ……」


 うちは無いけどね!……絆が強い、アットホームな職場だもん。


「……何が狙いなのだろうか」


「そこは分からんが、『犯人たち』を『都合良く最後尾のチームに配置させられる人物』には、一人だけ心当たりがある。というか、『ヤツ』しかいない―――ビクトー・ローランジュだ」


「……『黒羊の旅団』の分隊長か。たしかに、それ以外の者では、人事を司れないだろうしな」


「……隊長が、部下を丸ごと裏切ったの?」


「丸ごとかは分からない。『犯人たち』は、ビクトーちゃんの『お友達』だろうからな」


「だが、『黒羊の旅団』の本隊からすれば、裏切りでしかない……報復されるぞ」


「知られればな」


「……証人を消すつもりか……?」


「モンスターあふれるダンジョンで、傭兵が死んだところで、誰も何も気にしない。証拠も残らない」


「……300人の傭兵たちが、『フラガの湿地』に向かった……それをチャンスと考えていたのは、私たちだけではなさそうだな」


「ああ。ヤツにとって、目撃者のいない状況は好ましいようだ」


「40人を選抜したのは、ビクトー・ローランジュ。そのうちの何人が、裏切り者なのだろう?」


「少なくとも、二人は殺さなければならなかったらしいな。ローランジュについて行こうとしている者は、多くはなさそうだ」


「そうか。40人以上いれば、ここに残す者の全員を『お友達』にすればいいものな」


「……もしくは、ここに処分出来るだけの人数を押し込めたのかもしれない。何も反逆者の全員がここに潜る必要もない」


「……外にも、ヤツの『お友達』がいるってこと?」


「可能性はあるさ。オレたちが見落としている人員が、どこかにいるのかもな……」


「……『ホロウフィード』から来た馬車か……」


「そうだ。とにかく、イヤな予感がする。『仲間』を殺し始めたんだ。何が目的かは知らないが、その殺意が『黒羊の旅団』以外にも及ぶかもしれない……シャムロックは、ここにいる可能性もあるんだ……先を急ぐぞ」

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