第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その26


 死んだヒドラが燃えていく。再生能力はとっくの昔に限界を向かえて、肉は灰になりながら崩れていった。不死身なほどの生命力も、灰からの復活はありえない。


 『フラガ湿地』は、火に包まれたその巨大なモンスターの死骸が焦げる臭いに満たされていく。その臭いに聖なる存在の死を嗅ぎ取ったのか、『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』どもが、夜が始まった沼地に、悲しげな遠鳴きを放っていた。


 邪教の終焉が訪れたのさ。豚顔の信徒どもは、沼地のなかに突っ伏して、悲しい歌を放ちながら、神が死んだと泣いているのだろう。ヤツらの豚顔にある鼻は、きっと焼ける神の肉に気づけるのさ。


 歪んだ信仰は終わりだ。『ベルカ・クイン』の遺した錬金術のせいだろうか、あのオークどもが、おかしな習性をしていたのは?……半端に底上げされた知能が、邪教の礎なのか?


 『イモータル・ヒドラ』と組むべくして創られたのだろうか―――連携するために、ヒドラへの『忠誠』を『知識』として与えられていたのかもしれない。その『忠誠』に、オークの心が選び取った形状が、あの盲目的で無私なる邪教だったか……。


 想像の範囲を出ないな。それを調べる手段も、おそらくは存在しちゃいないだろう。


 それはいい……それはいいのだが。


 ……ククリは当然ながらショックを受けているようだ。


 うつむいたまま、地上で燃えるヒドラの死骸を見つめていた。カミラとオットー、やさしい二人が声をかけることが出来ない。いや、兄貴分の仕事と、オレに任せてくれているのかもしれん。


「……ククリ、大丈夫か?」


「え?……う、うん。大丈夫だよ、兄さん」


「大丈夫そうじゃない」


「……そ、そうかも。ちょっと、ショックだった」


「そうか」


 広義の意味では、自分の『同胞』にあたる存在だ。それがモンスターを『強化』するための道具にされていた。


「……彼女は『ベルカ・コルン』だったのか」


「うん。私には分かる。あの子は、私よりも幼くて……私を憎んでいた」


「お前を憎む?」


「……そうだよ。あの子は、あの『ベルカ・コルン』は…………っ」


 ククリが鼻をすすり、言葉を止めた。


「…………か、悲しくて、辛い言葉を……口にしないと、通じないって、不便だ……っ」


 『コルン』同士なら……いいや、アルテマが創った『ホムンクルス』たちなら、言葉を使うこともなく、多くの『知識』や『感情』をやり取り出来るのか。


 だから、『メルカ・コルン』たちは本当に悲しいときは、言葉を使わなくてもいい。そういうことか。ククリたちは、あまりに辛いときは、言葉にしなくても心を通じ合わせることが出来る。


「……すまんな。オレは、お前に辛いことを口にさせなくちゃならない。じゃないと、お前の苦しみを分かってやれることが出来ない」


「……わ、悪いコトじゃないよ。兄さんは、別に悪いコトをしてないし……っ。あ、あのね。あの子は……恨んでいたんだ」


「恨んでいた?……『ベルカ・クイン』を?」


 ククリは首を振った。


「ちがうんだ。『ベルカ・クイン』のことを、あの子は、恨んでいなかった。『ベルカ・クイン』は……たしかに、無茶なことをしたけれど……ヒドいことをしたけれど、『ベルカ』を守ろうとしていたのは、事実だったから……」


「そうか……あの子は、望んで力を得たか」


 ククリの頭はうなずいていた。


「あの子は、勇敢な子だな」


「うん……仲間を、守りたかっただけ。後悔とかはしていない……でも、恨んでいる」


 ……なるほどな、想像がついたよ。あの『ベルカ・コルン』が憎しみを抱く存在、それには三つほど対象が思い当たる。


 一つ目は、あんな醜い存在に、彼女を結びつけた『ベルカ・クイン』。だが、これは違う。ククリが不思議な共感を使い、否定した。


 二つ目は、イース教徒。自分たちを滅びに導いた、侵略者。もちろん恨んでいるだろうな。だが、そうだとしても、ククリは傷つかない。


 三つ目は……。


「……あの子は、『メルカ』を憎んでいたのか」


「……うん」


 そうだ。同胞でありながら、自分たちを裏切った存在。それが『メルカ』だった。何事もそれぞれの事情というものがある。それに、痛みというのは、当事者だけの苦痛。『自分の痛み』と『他人の痛み』を重ねることを、オレは好まない。


 オレの痛みと、『ベルカ』の痛みは、別のものだ。


 彼女たちだけの痛みを、オレは理解した気持ちになどなりたくはない。当事者以外に、彼女たちだけの痛みを、完全に理解することは他人のオレには出来ないことだから。世の中ってのは複雑だし、ヒトの心は千差万別。同じ痛みなど、ありはしない。


 ……だが。


 あえて、『ベルカ』に感情移入しよう。分かりもしないことだが、分かったような顔をして、不作法にも彼女たちだけの痛みを共感できているような気持ちになろうか。


 ……似ているのさ。


 オレと似ている。オレは故国がバルモア連邦という敵に滅ぼされそうになったとき、ファリスという同盟国に裏切られ、家族を失った。


 あの『ベルカ・コルン』も、故郷がイース教徒という外敵に滅ぼされそうになったとき、『メルカ』という同胞に裏切られたのさ。


 ……あの『ベルカ・コルン』は、オレに似ている。全く同じ事情ではない。だが、彼女の苦しみを、想像することも出来るよ―――そして、苦しみよりも、憎悪の方が理解できるのさ。


 オレも、ファリスのことを永遠に許さないだろう。たとえ戦場で野垂れ死んだところで、許さない。あの『ベルカ』生まれの子がそうであったように、三百年経とうが、三千年経とうが……永遠に、憎悪と怒りは消えないだろう。


 本当に大事なものを蹂躙されるとは、愛する者を裏切りで失った者の怒りとは、そういうことだ。どれだけの時間が過ぎ去ろうとも、許されるべきではないことがあるのさ。


 あにさま、たすけて!!あついよう、あつよう!!


 ああ……夜の闇に、セシルの声を聞くんだ。いるはずのない、あの子の声を、オレはまた聞く。真に悲しいことは……いつまでも、その鋭さを失うこともなく、心に突き刺し、えぐり、痛めつけてくるんだよ―――。


 ……オレが、兄貴分でなかったら。


 『ベルカ・コルン』が『メルカ』に抱く、新鮮さを失うことの無い、永遠の憎悪を識ったククリのことを、放っておいたのだろうか。『ベルカ・コルン』にこそ、オレは共感することが出来るんだからな。


 でも。


 でもなあ。


 オレは死人のジュナ・ストレガを娶ったわけで。つまり、オレは、ククリの兄貴分なわけさ。


 『あにさま』は……泣いてる妹を、助けてやりたくて仕方がない生き物なんだよ。


「……ククリ。泣くな」


 やさしい声を使えるかどうかが心配だったが、口から出て来た声は、想像していたよりもずっとやさしさを帯びていた。セシルのことを、思い出していたからだろうかな。


 その声と共に、オレの右腕はククリのことを抱き寄せる。どうにも大した色男じゃないせいか、泣いてる女子にかける素敵な言葉を思いつけなくてね。こんなことしかしてやれない。


 泣いているときは、寒いもんだ。


 だから、誰かの体温で癒やされるもんさ。


「……ソルジェ兄さん……っ」


「強く在れ。お前は、『メルカ』の『プリモ・コルン』……『メルカ』を守る存在だ。過去の裏切りを悔やみ、その罪を背負うのならば……同胞を裏切ってでも守った『メルカ』を、お前は、何としても守れ」


「……そしたら、ゆるされるかな?」


「いいや。許されない罪もある。罪とは消えるものではない。背負うべきものだからだ」


 嘘くさく真実を濁す甘い言葉を口に出来ないのは、オレが色男じゃなくてストラウスの剣鬼だからだろうか。蛮族の戦士だ。嘘をついて誤魔化してやるほど、複雑な知恵を好まない。


「……戦士であるのなら、逃げるな。それが、戦士であるオレの立場で、お前に助言してやれる、ただ一つの言葉だ」


「……うん」


「すまないな。もっと、やさしい言葉をかけるべきだったか……?」


「ううん。それでいい。それがいい!……私も、兄さんも、戦士なんだから!」


 そうだ。痛みから逃げていたら、戦士はやれない。戦うということは、暴力を振るうということは、罪深く邪悪な行いだ。オレたちは邪悪の権化。悪人である人殺し。それを否定して、罪無き善良な存在などとは、思ってくれるな、我が妹分よ。


「……悲しいままだけど、苦しいままだけど、心は痛いままだけど……勇気は出てる」


「そうだ。戦士に必要なのは、痛みにも負けぬ勇気だ」


「うん!!」


 オレにそう返事した直後、ククリ・ストレガが竜の背から大きく乗り出す。オレの右腕だけを支えにして、彼女は『ベルカ・コルン』が崩れて消えた戦場を、あのヒドラを火葬するために踊る炎を見下ろしていた。


 そして戦士は歌うのさ。


「ゴメンね!!『ベルカ・コルン』!!『メルカ』はあなたのもとに、もっと早く来てあげるべきだった!!あなたが名前も失うよりも先に、あなたと対決しなくてはならなかった!!」


 逃げないこと。


 それが戦士の取るべき道だ。


 我が妹分は、お前のように勇敢だぞ、ジュナ・ストレガよ。


「……あなたは、戦った!!守るベき者のために戦った!!……あなたは誰よりも戦士だった!!三百年も、彷徨って、心が壊れて、何もかも分からなくなっていたはずなのに!!でも、あなたは、『メルカ』の『プリモ・コルン』と戦った!!あなたは、仲間の復讐を果たすために、最後まで、最高の戦士だったよ!!」


 ……『賢者の石』にされてしまった『ベルカ・コルン』に、適切な救いの言葉など、オレたちには分かるわけもない。戦士とは、素敵な言葉を使える詩人ではない。賢く知的な学者でもない。ただの邪悪で残酷な殺し屋だ。


 だが、殺し屋にも美学はある。


 戦士としての在りように、『惚れた』と伝えてやれること。それも、戦士が抱く美学ゆえのことだ。


 偉大なる戦士に、慰めなどいらない。ただただ、その勇敢さと、命の尽き果てるその瞬間まで貫き通してみせた正義に―――カッコいいと伝えてやれれば、いいだけだ!!


「ゼファー、戦士のために歌ええええええええええええええええええええッッッ!!!」


『GAAHHOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHッッッ!!!』


 竜の歌が、強敵の燃える戦場に響く。これは鎮魂歌ではない。ただ、戦士に捧げる敬意でしかない。死後も、彼女の憎しみと怒りは消えることは絶対にない。永遠に復讐者としての戦いを続けるだろう。


 だから、もしも、また、特別な縁が作用して、君とオレたちが再び戦うときが来たとしても。そのときも、互いの正義のために、殺し合おうぜ、偉大なる戦士よ。


 あるいは……不思議な定めの果てに、君とオレたちが同じ方向の正義を背負っていたときは、肩を並べて、敵の群れへと斬りかかろうじゃないか。


 こいつは、お互いが『正義』を失った惨めな亡霊などにならぬための、誓いの歌だ。


 誰よりも戦士であることを求めた、復讐者であるオレたちには、あまりにも似合う、戦場の歌ってことさ。

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