第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その14


 『町』……正確には沼地に半ば呑まれた古い廃墟か。夕焼け色に染まり始めた、ただれた傷口みたいに不潔なその場所には、崩れかけたレンガの家が乱立している。


 それらは、何世紀前の建物の名残だろうな?


「……沼に、建物が沈んでいるっすよ?」


「初めから沼地に家を建てたわけじゃないでしょうね。町を作ったあとに、水が流れ込んできて、沼地になった」


「そうだ。私たちが受け継いだ『記憶』によれば、5世紀前に、ここには『ベルカ』と同盟関係にある町が創られた」


「同盟を結んだ?……小規模な城塞都市との連携ですか。見返りは?」


「……奴隷だな」


 奴隷。つまりアレだな。『雪女伝説』の残酷な事実を思い出すぜ。人体実験用の『被験者』を要求するヤツさ。


「その奴隷を、『人体錬金術』の素材にした?」


「そうだ。『ベルカ・クイン』は、その見返りとして、『フラガの町』に医療と、土木技術を与えたんだ」


「土木技術、ですか?」


「頑丈な建物を作れる、特別なレンガとかだな。見事に、500年近くもっている!」


 たしかにね。泥沼に沈みながら、ボロボロにはなっているが、原形を失ってはいない。


「でも。『ベルカ』が滅びた後で、連中は滅んだんだ」


「敵に攻められたんすか?」


「ううん。違うんだ、カミラ殿。連中は、忠告を忘れた。町を広げすぎるな、井戸を作りすぎるな。それの他のいくつか忠告を破った」


「その結果が、これっすか?」


「そうなんだ。地下水を汲み上げすぎると、地盤が沈下する。ここは、元々、レミーナス高地でも、かなり低い土地だ。東西の双子山脈からも、北からも、水が注ぎやすい」


「そんな土地に、こんなに広い町を?」


「南だし、高度が低い。温かくて、農作物が育てやすかった。町は広がり、それに比例して畑も広がった。畑に水を与えようと、井戸を使って、水を汲み上げていたら……地盤沈下がヒドくなった」


「地下水を汲み上げ過ぎたんすね」


「そうだ。沈んだ土地に、どんどんと水が溜まり、頑丈だが重たい『ベルカ・レンガ』の家は地に沈んだ」


「……それは、良くないっすね」


「うん。とても良くなかった。そもそも、沈下する以前に、『ベルカ・レンガ』を大量に作るため、そこら中の土を掘り返していたことも良くなかった」


 沈む前から、それなりに地面は削られて低くなっていたわけか。『ベルカ・レンガ』。500年建っても、分厚く頑丈そうだ。それだけ多くの土を固めては焼いたのか。


「町が沈み始めると、次は墓地だった。大きな町だったから、何百年ものあいだに墓地も広がっていた。あまりに広がった墓地を、まとめるために『地下墓地』を作っていたんだ。一カ所に骨を集めて納めるために」


 地盤沈下に加えて、地下に大穴を掘ってしまったわけか。当然、そこも水に沈むんだろうな……。


「その地下墓地にも水は流れてきてんだ。水に浸食された土地は、地下から崩れた。そうして、また池を作ってしまう」


「『ベルカ』は、そうなることを理解していて、忠告していたんですね?」


「うん。オットー殿、ここはバランスを失わなければ、肥沃な土地だった。でも、忠告を忘れて、欲に駆られた『フラガの町』の人々は、増えすぎていたし、町を広げすぎていた。町の東の斜面にあった草原でも、牛を飼うなと『ベルカ』は忠告していたのにな」


「左手の方にも、川があったな?」


「そうだ。昔はそこに斜面と草原があったんだ。そこで、牛は川から水を飲めるし、草原で草を食べられる。町からも近い」


 ……良いことづくめに聞こえるが、このハナシの流れで、彼らが幸福になることなどないのだろうなあ。


 『村の近くで牛に草を食ませるな』。


 ガルーナでは農民たちのあいだに伝わる教訓さ。家畜というのは、自然の調和を乱す存在ではある。


 おそらく、この教訓的なエピソードを、リエル・ハーヴェルがあの長くて綺麗なエルフの耳で聞いてたら、げんなり顔で、ヒトの欲深さを罵ったことだろう。


「当たり前だが、草を食まれた土は、脆くなる。強い雨に流されて、土が融け出しやすくなるんだ。そうなれば……東にある川に大地は強く浸食されてしまう」


「そして、川は東から西に向かって広がっていったわけですね?」


「そう。町に向かって、川はゆっくりと広がった。そして、削れた土は、東に流れていき、やがて東の川をせき止めた。固い岩盤のあいだの小さな隙間から、山脈の東へと流れていた川だ。泥や小さな無数の石と、ちょっと大きめの岩が、そこに転がり込めば、閉じてしまう」


 弱り目に祟り目みたいな、悲劇のラッシュだな。


「さらに、溢れた水は東の山肌をも浸食し、巨大な土砂崩れを招いて、東への排水をなしていた場所を完全に潰した」


 ……もう、どうにもなりそうにないが。事実、どうにもならなかったようだ。見事に滅びてるもんな、この町は……。


「そして、この『フラガの町』は水にあふれていき……沼地となって、町ごと沈んだ」


「……なんだか、欲深さは身を滅ぼすというよーなお話しっすね」


「うん。そんなカンジだ。レミーナス高原は、あまりヒトが多く住めるような環境じゃないんだ。多くの民を集めた勢力から、自然を破壊し、自滅していく」


 無情な土地だ。それでも、鉱脈が目に見えるほど剥き出しの場所もある。それを掘り返せば大金を手に入れることも可能……そんな欲望から、小国が乱立しては、自然との戦いに負けていったというわけだな。


 『120人』という小規模集団だったからこそ、このレミーナス高原は、『メルカ』の人々を生かしたのかもしれない―――。


「―――感慨深く、教訓に満ちているエピソードだった」


「ためになったか、ソルジェ兄さん?」


「ああ。いい社会勉強だったよ。この、ただれて醜く、腐臭を放つガスに満ちた、残念な沼地は、ヒトの欲望が産み出した結末だったとはな……」


「……ヒトが住む場所というのは、大なり小なり自然から逸脱してはいます。私が旅をした多くの遺跡たち。その半数は、土に埋まっていました」


「つまり、『フラガの町』を同じ運命だったと?」


「おそらくは、そうだと思います。外敵に滅ぼされるような規模ではない町でさえ、水と土に呑まれて、滅びることも少なくはないんです。ククリ、ありがとうございます」


「え?」


「……歴史に残らず消えて行った都市が、いくつもあります。それについての論文を数多く読みましたが……貴方の『記憶』は、それらのどの論文よりも、私を納得させてくれました」


「そ、そうか。それは、良かった!」


 褒められると喜ぶ。ルクレツィアとよく似ている?いいや、そうじゃない。若者ってのは、どいつもこいつもそうだ。自分自身を証明したいって、願って足掻いているのさ!自分の力を示さねば、若者は自信を持てないからな!!


「良かったな、ククリ。世界中を旅した博識のオットーに褒められるなんて、兄貴分として、誇り高いぞ」


「え、えへへ!」


 ククリ・ストレガが嬉しそうに笑ったよ。


「こ、この辺りについては、詳しいんだ。ここのオークどもは、放牧してある我々の牛をよく盗む。それを、姉さんとククルと一緒に、追いかけて、オークを倒して牛を取り戻してた……いい思い出もある」


「……そうだな」


 我々は戦士だ。本質として、戦いを尊び、それを欲している。仲間に称えられる仕事ならば、モンスターと殺し合うという、その血なまぐさい仕事さえも喜びにあふれるよ。


 想像すると、口元が微笑みに歪む。


 『メルカ・コルン』の三姉妹が、牛泥棒のオークと追いかけっこか。なんだか、楽しげな冒険譚だよ。


 さて。


 遙かな過去と、乙女たちの思い出にひたるのもいいが―――仕事をせねばならんな。


 夕日を浴びて、赤く沈むこの沼地……あちこちに、牛の骨やら、人骨やらが転がり、泡立つ泥が見える……『醜い豚顔の悪鬼/オーク』どもは、その醜い姿に相応しい劣悪な環境に住んでいるようだが……ああ、見つけたぞ。


 浅黒い肌のオークだな。ルクレツィア曰く、『ダーク・オーク』……『ベルカ・クイン』が『人体錬金術』の実験体として産み出したかもしれないモンスター。


「……身長二メートルほどで、大柄ですし、武装していますね……」


 沼のほとりで、そのオーク野郎はロープで吊り上げた腐りかけの牛の死骸を見つめていた。下あごから伸びた黄色く巨大な牙を、曲がった爪で引っ掻いている?歯の間にはさまった、腐肉の繊維を取っているのか。


 不愉快な『歯磨き』だ。こんな不衛生の極みのような土地に生きているくせに、お口のケアに余念が無いとはな。健康に気を使い、長生きするタイプのオークかもしれん。


 その健康志向のオークは、確かに腰にサーベルを差している。大きなサーベルだな。あの長身と体躯から振り下ろすか。かなりの戦闘能力だろう。それに―――。


「―――アイツ、牛の革を剥いで、それをまとっているのか?」


「『上着』にしているっすね?……知能が、高そうっすよ」


「あんな行動をするオークの噂は、聞いたこともありませんね」


「……ふん。『人体錬金術』の贈り物か。人類にとっては、負の遺産ばかりがある場所だな、ここは」


 ……『ベルカ・クイン』もルクレツィアに似ているとすれば、あの29才の大人女子が見せる、愛らしいドヤ顔とも、ソックリな表情をする瞬間もあったのかな。


 なんだか、冥府にいる『ベルカ・クイン』が、オレに向けてドヤ顔しているような気がする。『どう?私の作品は?私が死んだあとでも、あんなに元気でやってるのよ!』……みたいなコトを言ってそうだ。


「ソルジェ兄さん、拉致るのはアイツにするのか?」


「……ふむ。竜騎士のロープ技なら、一瞬で拉致できるが……アレほど体格がいい個体なら、『黒羊の旅団』にぶつけてやりたいな―――それに、まずは『花畑』を確認したい」


「ああ、そうだったな。兄さんたちは、『ストレガ』の花畑が邪魔なんだな?」


「……すまないな。ジュナの好きな花だったのに」


「いいんだ。姉さんが守りたいのは、花よりも人命。あの花畑を処分すれば、兄さんの仲間たちが助かるんだな?」


「そうだ。『ストレガ』の花蜜があれば……帝国軍の兵士が強化されてしまう」


「……『人体錬金術』か。どこでも、錬金術師の考えることは、一緒だな」


 ヒトの業なのかもしれない。


 『より強く』。


 力は、欲望を叶えることに直結する。ヒトは欲望を叶えるために、暴力を磨く。牙を持つ残忍な獣たちの一種に過ぎないのかもしれない。


 そうだとしても、『戦士』のすべきことは変わらない。家族と仲間のために、強く在る。オレたちは、どうしようもなく邪悪な獣に過ぎないのかもしれないが、それでも、滅びたくはないんでね。


 今日も敵を屠るために、全霊を尽くすのみだ。


 夕闇の赤く染まる空をゼファーは進み、その飛翔は……この醜悪な光景の最奥へとオレたちを運んでくれたよ。『フラガの湿地』と呼ばれる、腐臭の霧が漂う悲惨な場所。血のように赤く染まる呪われた沼地に、そのヒドラは『飾られていた』。


「……ククリ。訊くまでもないことだが、一応、確認する。アレか?」


「ああ!見たままの通りだ!……『信仰』されているようだよな?」


「……たしかにな」


 そうだ。


 ヤツは崩れかけた『イース教』の教会の壁に、鎖やロープ、あるいは錆びた鉄や木製の杭なんかで、はり付けにされていた。


 なんでそんなことを『醜い豚顔の大悪鬼/ダーク・オーク』どもが考えついてしまったのかは、想像することも出来ない。


 だが。現実は、そこに広がっている。教会の高い尖塔に、その大きな赤い蛇のような頭部と首が巻きつけられ、野太い杭で突き刺すように固定されているのさ。


 信仰している物体にアレはナシだろ?という発想が頭に浮かぶよ。ああ、ヒドい美的センスだな。あちこち崩れちまったせいで、野ざらし死体の肋骨みたいになった教会の柱にも、ヒドラの他の首がまとわりついている。


 体長20メートル級の超特大ヒドラの死体。その幾つもある長い首どもが、教会の残骸に絡みついている。いや、オークどもが無理やりに絡みつけているんだ。


 まるで、その死体に、関節技でも極めたがっているかのようにも見えるが……たしかに、それはオーク流の信仰なのだろうさ。


 べつに場所が教会だからじゃないぜ。ヤツは、くり抜かれた目玉の穴に、赤い『ストレガ』の花束を突っ込まれているんだ。


 それに、舌が垂れて全開になっている口の中にも、あの赤い花が無造作に突っ込まれている。教会の庭だった場所には、『ストレガ』の花畑があって、そこにはヒドラの胴体が転がっている……。


 胴体は赤い花に囲まれているし、赤い花を、体中の穴に突っ込まれているんだ。


 丁重に飾られているのさ……。


 そして、ダーク・オークどもの何匹かが、その『ヒドラがはり付けにされた壁』のことを、地面に膝を突いた姿勢で見上げている。


 祈りを捧げる聖職者そのものの様子に見えた。あらゆる信仰に対しての、冒涜のような姿勢だよ。あの様子を色んな宗教の坊さまが見たら、ふざけてる!って腹を立てて怒鳴るんじゃないか?


 でも、ダーク・オークどもの信仰心は『本物』らしい。


 連中、沼地から取り上げたばかりのモノなのか、腐った肉がたっぷりとついた牛の大腿骨を掲げているんだぜ?壁にいるヒドラに向かってな。


 そして、うがいする醜男のノドが放つような気分が悪くなる大きな音を、デカい牙の生えた口から放っていた。赤い空が、豚の遠鳴きの合唱に震えている。


 たぶん、祈りの言葉だろう。日々の糧となる腐肉を与えて下さった、ヒドラさんに感謝でもしているのかもな。


 ああ。なんだ、コレ?……この底なしの狂気を、『信仰』という言葉以外で説明するのは、蛮族の知性では、とても難しい。


 野蛮人らしく、ただの感覚でモノを言わせてもらうが、豚顔どもは、間違いなくヒドラを崇拝しているよ。


「―――画に描いたような『邪教』だな。人類の誰に問うても、焼き払うことに賛同を得られそうだよ」


 だから?人類代表として、竜の劫火で、アレを焼き払ってやるだけさ!!

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