第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その12
『吸血鬼』であるカミラ・ブリーズの昼間の視力は、人間族よりは上だ。彼女に見えるということは……『黒羊の旅団』にいる、偵察の技巧を深めたベテラン傭兵に、悟られる距離でもあるということだ。
昼間に近づくべきところではないのは確かだ。昼行性のモンスターもいるからな。あのキャンプ地には、見張りもいるだろう。
眼帯をずらして、左眼の力を解放する―――『望遠』の力。竜並みの視力を用いて、そのキャンプ地を舐めるように観察していく。
羊毛のフェルト布で作られた、少しくすんだテントが無数に見える。そう言えば、『黒羊の旅団』の前身となる組織は、遊牧民だったとガルフ・コルテスから聞いたことがあったな。
フェルトのテントも、その頃からの伝統を継承したのだろうか?
連中の羊に対する愛着が、どれほどまでのものかは知らないが、あのテント生地は羊毛製だ。それなりに頑丈さがあり、居住性は高い。雨に濡れて体力の回復が遅れるというようなことは無さそうだ。
『黒羊の旅団』の評価は、オレの中で上がったよ。体力の維持につとめる、居住性や食事に意識を向ける連中は、野戦では粘り強く戦うことが多いからな。
さて、その羊毛製のテントは、本当に多い。正確な数を把握することは、オレではムリだ。そこはゼファーに任せるとして……ヤツらの組織哲学を探るかね。
……敵が、どういう哲学でこの戦場に望んでいるのを見るのさ。ふむ。あの頑丈さと大きさを兼ね備えたテントのあいだには、それなりに広さがあるな。火事を恐れてのことだろう。
隣接していれば、燃え広がってしまうからな。連中は、あの中で暖を取るために火を使っているのかもしれない。いい考えだな。
テントの間を広く取ることには、他にも意味がある。通路の確保だ。襲撃されたとき、すみやかに、そして、より多くの戦力を移動させるための仕組み。守備に優れた構造をしていると言える。
大型の木製の盾と主力兵装になるであろう槍、そして弓もか。それらの武具を木の杭でつくった『置き場』に野ざらしにしてあるな。武具を雑に扱っているだって?
とんでもない。
……そうじゃなくて、『実用性』を求めてのことだ。あんな大型の武器をテントの中で装備しては、外に飛び出すことも出来やしないからな……。
襲撃されたとき、彼らは着の身着のままでもテントの外に飛び出し、テントの入り口近くにある武具の『置き場』で、槍と盾を装備する。そして、すぐに防衛のための決められた約束事に従い、陣形を織りなすために走るだろう。
防御に優れた発想だよ。
敵がどの方角から攻めて来たとしても、『黒羊の旅団』は、しぶとく戦い抜くだろう。
「……強い敵に、襲われたな」
「……ああ。たくさん倒したけど、たくさん、傷つき、殺された」
「撤退した敵を追いかけ、打撃を与えたのはいい策だった」
「姉さんの判断だ。仲間も数名、捕らえられていたから。それを救出し、敵を倒した。撤退する時間を、姉さんが一人で稼いでくれた」
「だから、『黒羊の旅団』は君たちを今でも襲撃していない。君たちが有能さを示したから、『黒羊の旅団』は、これ以上の損害を出したくなくなったのさ。我が妻ジュナは、最高の戦士だった」
「……うん!」
ククリの頭を撫でていた。発作的にな。妹として見ているからかもしれない。セクハラと怒られるかとも心配したが、今は、そのルールに抵触しないようだった。
「……連中は嫌いだ。でも、『プリモ・コルン/筆頭戦士』は、戦場では冷静であるべきだから。今は、感情ではなく、冷たい心のままに戦士でいる!」
「ああ。猟兵と同じ心得だ。さすがは、オレの妹分だぞ、ククリ・ストレガ。この高度だからこそ分析できることもある。戦場を把握し、次の戦に備えるぞ」
「うん!」
「戦闘では、勝利した部分もあれば、敗北した部分もあるはずだ。勝利は理屈なく腕っ節でも引き寄せられるが、敗北はそうではない……敗北した理由は必ずある。それを頭に思い浮かべろ。敵は、君らの襲撃に対して、迅速な反応を示さなかったか?」
「……う、うん!想定していたよりも、早かった!盾を持って来たんだ!あれに、手こずってしまった……」
「それについても理由がある」
「え?」
オレは連中が大盾と槍をテントの出入り口の近くに設置してあることを、妹分に説明してやったよ。なるほど!……という素直な言葉が聞けて安心だ。姉の仇ではある。憎かろう。だが、『黒羊の旅団』の戦略は、優れている。
それを認めて、敵の発想ごと喰らうんだ。
「敗北は克服できる。敵の作戦も喰らって、己の戦術に組み込め」
「うん!」
「獣毛のテントを破壊する方法も、お前たちにはあるはずだ」
「え?」
「錬金術師だろ?」
「ああ!!そうだ。長老に言えば、融解できる!!」
「皮革作業の処理に使う、『獣毛溶かし』。まあ、体毛を融かす『僧侶のハゲ薬』でもいいが、錬金術に優れたお前たちにはあるはずだ。そういう薬が」
ククリの装備に魔獣の革が使われているのを知れば、想像出来ることさ。
「そうだな、あるぞ!」
「うむ。ならば、敵のキャンプ地に単独で侵入し、それらを撒くだけでも、ヤツらのテントの劣化を促進出来る。長丁場の戦なら、寝床から破壊していくのも悪くない」
「修繕作業にも時間を省けるな!」
「そうだ。付け火と違い、『こっそりと侵入したまま、敵の物資を破壊しまくれる』のが利点だぜ」
「四時間後には、融けるようにボロボロ……うむ、『アルトン薬』を混ぜれば、時間差で火事にも出来るもんね!」
……より高度な錬金術知識が飛び出して来たな。なんだ、『アルトン薬』とは?クソ!『蛮族でも分かる錬金術学入門』を、もっと読み込んでおくべきだったな。しかし、このタイミングで妹分に質問出来るか。
「そうだ!!」
「さすがだ、兄さん!!」
……概要が分かればいいのだ。きっと、獣毛と『獣毛溶かし』と『アルトン薬』を混ぜて、数時間おけば?炎が吹き上がるんだろ?
よく分からんんが、そういう薬品なのさ、アルトンさんはな!
おそらく、千年以上昔のアルトンという錬金術師が作り出した、異臭を放つ素敵な薬液だろう。錬金術師やら発明家は、自己主張が強い。名品を生み出したら、自分の名前をつけたがるものだ。
「……いいか。ククリ。敵を観察することで、敵の戦術を己のスタイルに取り込んでいくのも有りだ。お前たちの身体能力は優れている。受け継いできた戦術もある。バリエーションを増やすだけで、お前たちは今よりもずっと強くなる」
「わかった!……そうだな。敵の力も、呑み込んでしまえばいいのか!」
敵の力を呑み込む、その言い回しを気に入ってくれたか?オレもだよ。そいつは、先代の団長、ガルフ・コルテスがくれた言葉だ。猟兵の始祖、『白獅子』の言葉だよ!
「……そう。それに、お前たちならではの錬金術の知識もある……敵の想像を超える攻撃も繰り出せるはずだ」
「そうか。錬金術を、戦にか……うん。たしかに、今よりも、ずっと強くなれそうだよ」
「そうだ。敵の観察を続けるぞ」
「わかったぞ、ソルジェ兄さん!」
さてと。観察を続けるか。
ふむ。馬を防ぐ柵まではナシ。『アルテマの使徒』たちが、馬を持っていることを知らなかったのか、それとも少数だと考えていたのか……そもそも、対人の戦闘を想定してもいなかったのかもしれないな。
「……連中が攻めてきたのは、いつだった?」
「三日ほど前。いきなりやって来て、情報を要求された。拒むと、戦いになった」
「……初めから戦う気で来ていたな」
「そうなのか?」
「そうでなければ、すぐに戦は出来ん。兵士の質では、お前たちの方が上だ。無策で来ていたら、『黒羊の旅団』は今の三倍は殺されている。追撃されたら、撤退を余儀なくされるところだ」
「……ふむ。たしかに、交渉決裂、即、戦だった」
「『黒羊の旅団』は、『アルテマの使徒』の情報を渡されたのが、このレミーナス高原に来てからだったのだろう。そうでなければ、もう少し戦力を連れて来たはず」
「……連中、まだいるのか?」
「『黒羊の旅団』は、本来2000の部隊だ」
「そ、そんなにいるのか!?」
「……ここに来たのは、一部に過ぎん。ゼファー。敵のテントと馬車の数は?」
『てんとは、ろくじゅうはち!ばしゃは、じゅういち!……でも、『わだち』のかずをかぞえたら……ぜんぶで、にじゅうさん!!』
「スゴいな!!ここから、轍が見えるのか!!」
「竜の眼と頭脳なら、それも可能だ」
「……しかし。かなり馬を用意しているんだな。騎兵もいる……」
「150頭程度だろうな。軍馬は、およそ100頭ほど。それ以外は、錬金術師どもの、『青の派閥』を運んだり、物資を運ぶための大型馬。戦には不向きだ」
「数まで分かるのか?」
「大まかな数ならな。傭兵だけでなく、錬金術師どもを運んでいる。連中が調査隊だ。傭兵たちと一緒に、『ストレガ』の花畑と、それに、『地下』を探っているらしい」
「……『地下』か。アルテマの『遺産』を狙っているのか?」
そうだろうな。アルテマが呑んだという『星』。それに、『ベルカ』が要求した『金塊』。『ベルカ・クイン』の研究目的だったという、『賢者の石/人体錬金術』……。
この土地の地下には、『青の派閥』の錬金術師どもが惹かれそうな魅力があふれている。
「……予想は出来るが、あくまで予想だ。今は、想像力ではなく、肉眼を頼るべき時間だ」
「うん!偵察タイムだ!」
「そうだ。敵兵を見たい……」
ふむ。やぐらがあるな。木を切って、現地調達したのか。
「……ククリ。お前の目は、あの東側のやぐらにいる人影を捕捉出来るか?」
「……うん。どうにか!」
さすがは『プリモ・コルン』だ。いい視力をしているじゃないか。ナデナデしたくなるが、あとでまとめてナデナデしよう。
「武装を確認できるか?」
「……えーと。うん!弓だな!」
そうだ、弓兵が一人いる。若い傭兵だが、緊張感を保っている。
「手が弓を離していないし、腕が弓の重みに負けずに持ち上げられている。集中している証だ」
「なるほど。警戒している?」
「そうだな……いい意見だ。そして、それは変だよな」
「変?」
「集中し過ぎている。あれほどの視界を確保しておきながらな」
この穏やかに晴れた高原の昼下がりに警戒心全力かよ?三時過ぎの、オヤツが恋しい時間帯にだぜ?
あそこは……ミアを連れて、ハイキングをしたくなるような、新緑が芽吹いた黄緑の丘の上。
最高にリラックス出来るはずの空間なのに、ヤツは張り詰めた赤い感情を放っている。つまり、高い集中力をもって、この穏やかな空間と地味な任務に取り組んでいるのさ。十代後半か、20ぐらいの若者がか?
ベテランの傭兵とは、とても言えない未熟な気配を覚える。戦えば、こちらの攻撃に三手も耐えることなく、彼に致命的な破壊を与えることが出来るだろうな。
……彼は、その程度の戦士にしか過ぎない。所作の一つ一つから経験の浅さを感じるが―――それでも、彼は集中力だけは持っている。
いい指揮官に、シャキッとしろと命じられたばかりなのかね?
その可能性も否めないが……他のやぐらの傭兵どもも、警戒心が強い。心当たりがある。
「……連中は、マニー・ホークたちの『残骸』を見つけたようだな」
「え?」
「……昨夜、そいつを襲って、ジュナを取り戻した。オレたちの存在がバレないように、モンスターに見せかけて殺した」
「どうやって?」
「ゼファーに死体を喰わせた。その現場を調べれば、千切れた胴体や腕と、捕食の痕跡を見つけられる。モンスターだらけのこの土地に、喰われた死体があれば、犯人は?」
「おおっ!モンスターの仕業に偽装出来るのか!」
「そうだ。その死体を見つけたから、連中は警戒を強めているのさ。連中、大型で狂暴なモンスターがいると信じている。この土地の水準を超える、『イレギュラー』がな。だから、北西のやぐらには三人も人員が配置されている」
「スゴいぞ、兄さん!敵の配置から、そんなことまで分かるのか!」
ククリに感心してもらえて嬉しいよ。それに、戦略的に有効そうな情報を回収してもいるぞ。
「……オットー。やはり、マニー・ホーク以外のターゲットがいた可能性が高いな」
「ええ。昨夜襲った彼らの後を、数時間遅れで追跡していた者がいる。そうでなければ、これほど早くに、備えることは出来ない」
かなり距離が離れているのに、連中はすでに情報を把握している。あの馬車や死体を連中が発見したのは……オレたちが、馬車を襲撃してから、遅くても二時間以内。
深夜にモンスターがうろつく峠を通る者が、どれほどいるというのか。偶然ではないさ、追跡していた者が存在しなければ、そんな遭遇は起きやしない。
「マニー・ホークだけを仕留めるには、どうにも投入する戦力が過剰だ。『アルテマの使徒』の攻撃も想定しなければならんし、けが人も多い状況だ……暗殺なんぞに割り振る兵力の過剰さは、ターゲットその2の存在を感じさせる」
……そして、そのターゲットが持つ重要さもな。それほど小物ではあるまい。『ホロウフィード』には、やはりいるのかもしれない、『ハロルド・ドーン』とやらが……。
「―――よし。偵察は十分だ。これ以上、近づけば、ゼファーを目撃されるかもしれん。ゼファー、離れろ!!……『フラガの湿地』に向かうぞ!!」
『らじゃー!!』
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