第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その11
空の青に魅入られるまでに、時間はかからないものさ。竜の力強い羽ばたきを聞きながら、空を飛んでいると。世界を支配したかのような気持ちになれる。
これは竜と心を通わす者だけの特権だ。
最強の翼でなければ、到達出来ない高みがある。
オレの脚の間で、黒髪の少女が笑っていた。
「あはははは!!な、なんだか、慣れて来たよ、ソルジェ兄さん!!」
「ああ。そんなものさ。君ほどの戦士なら、すぐに分かるだろう。空にあろうとも、ゼファーの重心は安定している」
「うん!!」
「それに自分の重心を預ければいい。それだけで、通常の移動ぐらいでは落ちることはないさ」
「兄さんは、落ちたことがあるの?」
「戦場では、落ちることもある。竜の唯一の弱点は、空中にあるときに、矢で翼を射抜かれることだ」
「た、大変だ。そうなると、つ、墜落するのか!?」
見なければいいのに、ククリは眼下に広がるレミーナス高原を見てしまう。背の低い木がつくった森と、岩石の層がむき出したの山肌を見て、例のガクガクブルブルを再発していた。
「訊かなくても、分かる!!コレ、お、落ちたら、死ぬ高さだッ!!」
「そうだが、落ちないから安心しろ」
「う、うん!!」
「ククリちゃん、下じゃなくて遠くを見ると、高さがあんまり分からなくなるっすよ?」
「なんと!!それは、いいアドバイスだ!ありがとう、カミラ殿!!」
そのアドバイスに従い、少女ははるか彼方を流れる雲を見る。天空を東へと向かって流れる強風に、薄く長く伸ばされた雲を見つめているようだ。
ガクガクブルブルが、止まっていた。
「ホントだ!!効き目が抜群だぞ、カミラ殿ー!!」
「ああ!!ククリちゃんってば……っ!とっても、素直ないい子っすッ!!」
カミラはククリがお気に入りのようだな。地上であれば彼女のことを抱きしめていただろう。でも、今はオレが邪魔だからね。それは叶わない。その代わりといったように、オレのコトをギューッと抱きしめてくれる。
今のオレは、乙女の寝床に置かれているクマの人形か何かの代役になっている気持ちだ。
「はうー!!なんだか、たまんないっす!!妹分、最高っす……っ!!」
新たなシスコンの萌芽だろうか?
まあ、いいさ。世界には竜を愛する気持ちと、そして妹を愛する気持ちが、もっと多くてもいいと、オレは常々、感じているのだからな―――。
『くくり、さむくない?』
「ん?ああ、寒くないよ、ゼファー!『コルン』は高地とか、寒冷地とかに強いんだ!」
『そうなんだ!すごいね!』
「ああ。スゴいんだ。『アルテマの使徒』は、この風の寒さに負けないように、この土地で生き抜いてきたんだ」
『でも、そらは、ちじょうよりもひえるから。もしも、さむくなったら、いってね!』
「ああ。いい子だな、ゼファーは」
そう言いながら、ククリの指がゼファーの首のつけ根を撫でていた。
ゼファーはきっと笑いたくなるほど気持ちいいだろうに、背中に乗せたククリを驚かさないように、大笑いして体を揺らすことはなかったよ。
さすがはアーレスの孫である。騎士道に生きる竜として、女性を驚かせることを躊躇っているのさ。いい心構えだな……。
「……それで、ククリさん」
「え?なんだ、オットー殿?」
「『フラガの湿地』は、こちらの方角でよろしいのですか?」
「ああ。太陽の位置から見て、こっちだぞ!しばらくは、このまま南に進む。そうすれば、どんどん標高が低くなって来て、池や小川が増えてくる……そしたら、『フラガの湿地』に着くはずだ」
「距離はどれぐらいですか?」
「んー。いつもは、馬に乗っての移動となるんだ。行きに二日と半日。だけど、ゼファーの翼ならば、今から二時間ちょっとで済むかも。空を飛べるから、高低差とか関係ないし」
地図を立体的に把握出来ているな。それに、見知った『ランドマーク/地理的特徴』と優れた体内時計を使い、ゼファーの速度を推し量ったようだ。
さすは、『ホムンクルス』と褒めるべきか?
その血肉に継承されてきた、『星の魔女アルテマ』の『叡智』は、ククリ・ストレガに脅威的な空間把握能力をもたらせているのだろうな―――。
……いや。妹分を褒めるのに、種族の能力を褒める必要などあるまい。
「……いい『感覚/センス』だ。ククリ、お前は竜乗りの才能があるぞ」
「ホントか?」
「ああ。ホントだよ」
オレはククリの頭をナデナデしてやる。だが、悲鳴が上がった。
「うひゃあ!!せ、セクハラだぞ、兄さん!?」
「ん。ああ、スマン。なんか、可愛らしくてな」
「か、可愛らしいとか、言うなあ!?」
「褒めているのにか?」
「褒めていたとしてもだ!!……あと。あまり、頭とか、ナデナデするのはナシだから」
「ソルジェさま、ダメっすよ?ククリちゃん、思春期の女の子ですから。男のヒトに触られるの、恥ずかしいんですよ」
「は、恥ずかしいとかではなくてッ!?そ、その!!き、基本的な恥じらいからだからッ!?」
「そ、それを恥ずかしいと言うっすよ、ククリちゃん」
「ほ、ホントだ!?で、でも、そんな、なんというか……う、うん!恥ずかしいかもしれないから、ナデナデは禁止だあああ!!」
……思春期女子は、青空にそう叫んだ。若さというか、未熟さを感じさせる。男を知らない若い娘の反応か。
……だが、たしかに、オレも気をつけるか。『アルテマの使徒』たちは、男という存在を知らなさすぎるようだしね。
女同士で妊娠と出産を繰り返して来た人々であり、その生殖活動に男は参加して来なかったようだ。というか……性行為で『アルテマの呪い』が発現するようになっているわけだしな。
アルテマの呪縛……男に抱かれると死ぬ呪い。なんとも、邪悪な仕掛けだ。そうまでして、『自分』を『保存』しようとしていたのかよ、魔女アルテマさんよ?『自分』に男の因子が混ざるのを拒否したか……いいや、『他人』の因子か。
「……なんか、スマンな。蛮族だから、繊細な乙女の感情を察してやることが出来ないんだ。気に障ることがあったら言ってくれ、可能な限り対応する」
「そ、そんなに、大げさにならなくてもいいけど」
「妹分に嫌われたくなくてね」
「……ソルジェさまは、戦でご自分の妹を亡くされているのよ」
「……え。そ、そうなのか、ソルジェ兄さん?」
「ああ。セシル・ストラウス。オレの妹。まだ七才だったのに、守ってやれず、死なせてしまってな」
だから。オレはシスコンなんだ。ミアにも嫌われたくないし、ジュナの妹たちにも嫌われたくないのさ。
セシルの代役が欲しいわけじゃない。ただ……妹を失っても、『あにさま』のままでいたかったのか?……そう在ることで、セシルへの供養になるとでも考えているの?
……自分でも説明しがたいが、オレは妹にも妹分にも、嫌われたくないということだけは事実だ。
「そ、その。ソルジェ兄さん!」
「なんだい、ククリ」
「……嫌いとかじゃ、ないぞ!」
「そうか」
「ソルジェ兄さんのこと、尊敬してる。妹分になれて、うれしいぞ。でも、その、いきなり『愛撫』?するのは止めてくれ」
なんだか語弊を招く言葉を、妹分が口走っている。オレの背中に抱きついている『吸血鬼』さんの吐息が、一瞬、荒さを増したような気がする。
「そ、ソルジェさま……『私』の死角になるようなところで、ククリちゃんの、胸とか触っていたっすか!?お空の上で、大セクハラしていたっすか!?」
「誤解だ!!頭しか撫でていない!!」
「そ、そうですか!?……ククリちゃん、頭だけしか触られていないっすか?」
「う、うん。頭を、ナデナデされただけ……」
文化の違いだろうか?妹分の頭を撫でると、『愛撫』って言われるのか?……そんなことはないと思う。頭ぐらい、子供の時分に撫でられただろう?
「……ソルジェさま。ククリちゃんは、頭撫でられるの、イヤみたいですから。今後は控えてあげてくださいね?」
「ああ。そこまでイヤがられるとはな。すまない、ククリ。今後は控える」
「……うん。そうしてくれると、うれしいぞ、ソルジェ兄さん!」
そう言いながら、ククリはオレの胴体に背中を預けてくる。これはセクハラにはならないらしいから、難しい線引きが絡み合う、複雑な『掟/ルール』が存在していそうだよ。
妹分の取り扱いには、繊細な注意が必要となるらしいな。
まあ、つまりは『お触り禁止』ということか―――この言葉そのものがセクハラ臭がするので、兄貴分は言葉にはしなかったよ。心のなかに、その標語を掲げただけ。
さてと、妹分の扱いには、そのうち慣れていくことにしてだ。
ビジネスと行こうか。
「……ククリ。敵のキャンプは、この辺りにあるんじゃないのか?」
レミーナス高原の中央が近い。そして、何より、そこには周辺が開けた小高い丘がある。見晴らしが良くて、モンスターの群れに対する警戒を築くのが容易な場所だ。
『黒羊の旅団』はベテランの傭兵集団。戦場でのポリシーを、あらゆる作戦行動に反映してくるに違いない。ベテランの強さとは、隙の少なさだ。この土地でも、まるで戦場にいるかのような鉄壁さで挑むだろう。
戦略的な合理性から言えば、ここらの丘に陣取るはずなんだがな……。
「……うん。ここからだと、右手に見えてくるはず」
「右か……ゼファー、オットー」
『うん!みえるよ!』
「ええ。こちらもです」
「ゼファー、高度を上げるぞ。敵からは鳥にしか見えないほどに高く飛べ。そして、テントと馬車の正確な数を数えるんだ」
『らじゃー!!』
竜の翼が羽ばたきを強めて、ゼファーは天に向かって昇っていく。上昇の軌道に重心が後退させられ、取り扱いの難しい妹分殿のバランスが崩れそうになる。セクハラと言われても構わん。腕と体で、ガクガクブルブルを再発したククリを包むようにしてやる。
「……兄さんっ」
「怖がるな。お前が嫌がることはしない」
「う、うん。ありがとう、落ち着いた!」
「ゼファーが高く飛ぼうとする時は、体を前に屈めろ。そうすることで、後ろに飛ばされるようなことはなくなる。重心をコントロールするだけで、安定感は増す」
「わかった。こ、こんなカンジかな!?」
『メルカ・コルン』の鍛えられた脚と腹筋で、ククリはその前傾姿勢を作り出す。竜乗りの才能があるな。理想的な重心の配分を作りあげたよ。
オレは彼女を支えていた腕を放す。
「その乗り方だ。お前は才能がある。ゼファーを乗りこなせるさ」
「う、うん!がんばるよ、兄さん!!」
「ああ。さて……見えるか、カミラ」
「はい。見えるっす!……右に、2時の方角に……敵のキャンプ地があります!」
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