第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その9
竜を初めて目の当たりにした者は、怯えるのが一般的である。ククリ・ストレガも、そんな常識的な人物であった。ここは白に覆われた、『メルカ』の入り口付近だ。
漆黒のウロコと黒ミスリルの鎧を身にまとったゼファーは、白と黒の明確なコントラストをもって、異質っぷりを表現していたよ。
ガタガタブルブルと、『メルカ・コルン』の最強戦士、ククリ・ストレガは震えまくっていた……。
「こ、こ、これに、の、の、乗るのかッ!?」
常識的な反応を見れて、オレは竜が特別な存在だということを思い出していたよ。そうだ、まちがいなく地上最強のモンスター。それが竜だ。フツー、そういう存在から、ヒトは怯えて逃げるものだよね。
ゼファーは『メルカ』の入り口を守るために、そこで眠りこけていた。竜の眠りを妨げるだけでも、勇者と認められる逸話もあるが……ククリの動揺ぶりを見つめていると、その理由がよく分かる。
一般的な価値観では、竜とは近寄ることさえ躊躇われる生命体なのだ。
「……なれたら、かわいいんだがな」
「カワイイ!?……外と、我々では、言葉の意味が、違ってきてはいないか!?」
「そんなことはないっすよ。ゼファーちゃんは、とってもいい竜さんですから」
カミラに我が妹分、ククリがフォローされているよ。カミラは今日もあのうつくしい金髪をポニーテールにまとめている。太陽みたいな元気な笑顔で、ククリに慈愛を注いでいるよ。
地獄で聖女にでも出会ったみたいな勢いで、ククリはカミラに泣きついていた。
「か、カミラ殿!!ガチで、大丈夫だよな!?食べられたりはしないだろうか!?黒い竜とか恐すぎる!!ソルジェ兄さんは、ちょっと価値観がおかしいヒトの気がするから、貴方が頼りだあああ!!」
「……なあ、オレって、そんなに価値観おかしいかな?」
オットーに質問してみる。オットーは首を傾げる。
「そうでもありませんよ」
「……そうだよな」
男どもの会話が聞こえていたのだろう。ククリが、大きな声で指摘してきた。
「自覚が無いだけだ!!死人と結婚したり、『ホムンクルス』を妹と呼んだり……っ。そんなの、ちょっとじゃなくて、とんでもなく、おかしいだろ!?」
「くくく。細かなコトを気にするなって?」
「細かくはない!!だって、『ホムンクルス』は……ヒトじゃ、ないし……」
……ルクレツィアもだが、どうにも『ホムンクルス』たちは、その出自に劣等感を抱いているらしい。
そんなに悩むことなのか、オレにはちょっと分からない。蛮族だから、繊細さにかけるのかもしれないな。
「オレには、君たちがヒトにしか見えないよ。だから、気にするな」
「……はあ。やっぱり、変なヒトだ。『クイン』と『コルン』の物語を知っているはずなのに。私自身だって、自分が呪術の産物にしか、思えない日もるんだ!……それを、気にするなだなんて……っ」
「思春期だからな、細かなコトに悩むもんさ。オレも17ぐらいの頃は、小さなコトを気にしていたよ」
「私は、自分の出自を小さなコトとか、思えないんだ。だって……呪われた存在だし」
呪われた存在。なかなか厄介な自虐を使う妹分だ。
そんなに、自分たち自身で、妊娠と出産を繰り返す行為ってのは、気になることなのか?……共感してやれることが、どうにも出来ない。思春期の妹分は難しいな。
「―――大丈夫っすよ。ククリちゃん。それを言い出せば、自分もそうです」
カミラはそう言いながら、あの活力にあふれた働き者の指で、ククリの手を握ったよ。
「カミラ殿?」
「『吸血鬼』は、きっと『ホムンクルス』よりも呪われた存在っす」
「……っ!」
そうだ。カミラ・ブリーズこそ、確かに呪われた存在だ。『吸血鬼』の『呪い』を継承してしまった、『吸血鬼』の哀れな被害者だ。だが、それは彼女の一側面にしか過ぎない。
働き者で、やさしくて美人で。
ブチ切れすると、けっこう恐い。
カミラ・ブリーズの一側面に、『吸血鬼』という貌があるだけさ。その『呪い』なんぞが、カミラの全てを決定しているわけじゃない。
「……ソルジェ兄さんは、呪われた存在を、恐れないのか?」
そうだ。
そう答えてやりたいのだが、ククリはオレではなくカミラに訊いていた。オレが自分で伝えるべき言葉ではないのだろうか?……それとも、ククリは、自分自身の『呪い』を受け入れているカミラに問いたいのかもしれない。
『呪い/ホムンクルスとして産まれた事実』。我が身を蝕む、その凶悪な劣等感に対して……折り合いの付け方を学びたいのかもしれない。
だとすれば、オレの言葉などではなく、カミラの生きざまそのものが、ククリの悩みを晴らす言葉となるのだろう。
「はい。ソルジェさまは、呪いなんて怖がらないんです。だから、ソルジェさまは私を三番目の妻にしてくれた。本当に、そういうの、気にならないヒトなんですよ」
「そ、そうなのか……っ」
「そうっす!だから、ククリちゃん。ソルジェさまのとなりは、『私』たちの『居場所』なんすよ」
「……私たちの、『居場所』?」
「うん。呪われた存在だと、自分自身が否定できないのなら、それでもいいんです。でもね、ククリちゃん。ソルジェさまのとなりは、呪われていたとしても、いてもいい場所なんです」
「……いてもいい場所?」
「いいんです。呪われていた存在だって、自分を受け入れてくれる場所があれば、呪いに縛られずにいられるっすよ!」
「呪いに、縛られない?……カミラ殿は、自分の『呪い』に、苦しんでいないのか?」
「はい。『私』は、もう『吸血鬼』を怖がっていません。それどころか、感謝する日さえもあります。この『力』だからこそ、皆を守れることだってありましたから」
「呪われた『力』だからこそ……?」
「そうっすよ。ククリちゃんも、『ホムンクルス』だからこそ、仲間を守るための『力』があるわけで……それって、ひとことで言えば、素敵な力です!!」
「そ、そんな風に……言われたのは、初めてだ」
そうなのかもしれない。『ホムンクルス』に対しての劣等感。それを、この『メルカ』の女性たちは共通して抱いている。ヒトと異なる生まれをした。たしかに『ホムンクルス』の生殖は、たしかに不自然ではある。
だが、そんなことに罪などあるわけがない。どんな生まれであれ、ククリはククリだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「とにかく。人生は、悪いコトばかりじゃないっすよ、ククリちゃん!」
「……か、カミラ殿!そ、そうだな……本当に、そうだ……ジュナ姉さんも、敵に捕まってムチャクチャされたけど……最後は、ソルジェ兄さんと結婚できた」
「良いコトっす」
「そうだな……っ。なあ、ソルジェ兄さん、知っているか?」
「……何をだ?」
「……当たり前だけど、『メルカ・コルン』は……『ホムンクルス』は、結婚したことなんてないんだぞ!でも、ジュナ姉さんだけは、あなたと結婚できた。それって、素敵なコトだ!」
「ああ。そうだと思うよ。さて……こっちに来い。ゼファーに乗るぞ、ククリ?」
いいカンジにまとまっていたが、ゼファーに乗るぞという言葉に、ククリの体は強ばってしまう。黒い瞳が動揺に震えて、ガタガタブルブルの症状が再発していた。
「……りゅ、竜は、だ、だいじょうぶだよな、兄さん!?」
「オレの妹分を襲ったりしないさ。なあ、そうだろ、ゼファー?」
オレは爆睡しているゼファーの頭を、指でやさしく撫でてやる。ゼファーの瞳がゆっくりと開き、巨大な金色の瞳が現れていたよ。最強の生命は、己の目の前で震える、黒髪の少女の姿を見据えた。
沈黙と共に、竜の好奇心が『ホムンクルス』の少女を見つめた。少女の心拍が早まり、全身から冷や汗が吹き出ていた。震えてぶつかる歯のあいだから、た・す・け・て。の小さな声が聞こえてくる。
大きな誤解があるようだ。ゼファーは君の仲間なんだぞ、ククリ?
『……だあれ?』
「え……こ、声が、かわいい!?」
「ゼファーは、まだ幼い竜だ。怯えてやるな。むしろ、君の態度がこの仔を不安にさせてしまうぞ」
「そ、そうなのか……っ?」
「いいか、ゼファー?彼女は、ククリ。オレの妹分だ」
『くくり。うん、おぼえた』
「彼女はオレたちの仲間だ。やさしくしてやれ」
『うん!よろしくね、くくり!』
「あ、ああ!!」
ククリはそう言いながら、ゼファーに近寄っていく……と思ったが、途中でその歩みはコースを変えて、彼女の体はオレの背中に隠れてしまう。
小さな早口が、不安の調べに乗ってスピード感よく聞こえてくるよ。
「兄さん、大丈夫かな?食べられたりしないかな?私が変に殺気立って、その殺気に反応して、あの子が私をバクリとやっちゃわないかな?」
「……大丈夫だ。ほら、一度、撫でてやれ。だいたい、それで落ち着く」
「な、なでなで?だ、だいじょうぶかな?いいカンジでなでれるかな!?私、牛とか撫でたら嫌がられるタイプだけど!?」
「ゼファーは、美人の指に撫でられるのに慣れているよ。ほら、触ってやれ」
オレはククリの肩に腕を回して、抱き寄せるようにしてゼファーへと向かわせる。ククリの指が、震えながら……その黒い瞳には涙を浮かばせつつ。それでもゼファーの鼻先に、彼女の指は触れていた。
「あ。意外と……温かいんだ?」
「くくく。そうだろ?それが、世界最強の生物の肌がもつ熱量だ。ククリよ、お前は、今後。世界のあらゆるモンスターに抱く恐れが、少なくなったぞ」
「そ、そうか。竜に触れたのだから……他のモンスターなんて、雑魚だもんな」
『うん。ぼく、つよい!!』
「ああ。そうだな。きっと、お前は、世界で一番だ!!」
妹分の『ホムンクルス』と、うちの竜の仔が仲良くなれたところで、さて、本番と行こうじゃないか?
「……さあ。竜の背に乗るぞ?……世界で最も楽しいことをしようぜ?」
「世界で最も楽しいこと……?」
「ああ。空を飛ぶということを教えてやるよ」
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