第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その4
オレたちは『ストレガ』の花が詰まった袋を持ち上げて、あの薄暗い螺旋の階段を登っていく。アトリエの二階にある幾つかの部屋の一つに、オレたちは移動したよ。そこにも錬金術用の大釜があった。
空の大釜さ。
牛でも丸ごと煮込めそうなほどの大きさのそれに向かって、『ストレガ』の花は注がれていく。
「雑にブチ込むけど、いいのか?」
「ええ。傷薬に使うのは、煮詰めたあとに浮いてきたエキスだけ。泥やなんかは、下に沈殿するのよ」
「草の茎や根は?」
「ソルジェ殿はあまり錬金術を知らないようね?」
「……無学ですまんね」
「いいわよ。教えてあげるわ」
そう言いながら、ルクレツィアは薬品の入った瓶が並ぶ棚へと向かう。鼻歌まじりにね。彼女は錬金術の作業が好きらしい。青と黄色の霊薬が入った瓶を、白い指が掴んでいた。迷うことなくね。
釜の前に戻って来た錬金術師殿は、それらの小瓶の液体を、『ストレガ』の花に満ちた窯へと惜しみなく投入していく。薬液の酢にも似た香りを嗅ぐよ。あまり気分の良いにおいではなかった。
「……今の黄色は、植物を融かす薬液ですね?」
インテリのオットーは、そう語ったよ。インテリの彼には錬金術の知識も、それなりにあるのだ。
「オットー・ノーランさんは錬金術を知っているようね?」
「探検隊では、傷薬なんかは自分で作っていましたから。『茎溶かし』という薬品で、薬草の邪魔な部分を排除していましたね」
「『茎溶かし』ね。分かりやすいネーミング。私の使っているものは『カルネアム薬』っていうの。まあ、茎、葉、根っこ……植物を構成する固い繊維を分解してくれるわ」
「……ほう。薬草を崩して、中の薬効成分を取り出すというカンジかい?」
「そうよ、『ストレガ』の有効な成分を、回収するってこと!」
「卵の殻を割るイメージかい?」
「ええ。そして、もう一つの『ムーミーン薬』で、幾つもある薬効成分を合成していくのよ」
「合成?結びつけるのか?」
「うん。無数の薬効成分を、『ムーミーン薬』で結びつけると……紅い液となる。他にも数種類の薬液を足しながら、一晩も煮込めば……止血と痛み止め、化膿防止と治癒増進作用のある液体が、この釜の上に浮かぶわ」
「それが、『ストレガの傷薬』か?」
「『メルカ・クイン』特製の傷薬よ……さてと。これで作業は完了ね。あとは時間が解決するわ!じっくりコトコト煮込むだけ!」
「……そうか。これで、オレたちはクラリス陛下からの任務の一つを片づけたことになるな」
「ええ。ですが、花畑はもう一つ残っている」
「……ああ。そいつは、どこにあるんだ?」
「ゴハンを食べてからでもいいと思ったけど、せっかちなのね。花蜜を大量に回収出来るのは新月の晩までよ?あと三日はあるのに」
「『ストレガ』の花蜜を使って作られた薬に強化された兵士は、顔に矢が刺さっても笑っていたし、凶暴性、筋力の強化も起きていた。厄介な効能だよ」
「……なにそれ、興味深いわね」
「『炎』、『風』、『雷』……少なくとも、それら三つの属性を強化し、暴走させるような薬でした」
「ふむふむ。『ストレガ』の花蜜ならば、それぞれの属性を強化する薬物を、調和に導くわね……薬物が帯びた魔力量を調整して、バランスを取る」
「戦ったときに、三つ目で観察しましたが、たしかに、そんなイメージでした」
「……見当がつくのか、ルクレツィア?」
「まあね。その薬を使った敵兵は、個人差が大きくなかったかしら?」
「ああ。とくに、精神的な副作用が大きかった。忠誠心が強化されたり、言葉を無くした狂戦士にもなり、自爆を厭わない者もいたよ」
「やっぱりね」
魔女の『叡智』をそれなりに継承する錬金術師殿は、ドヤ顔全開で腕を組む。ルクレツィアは有能な錬金術師なようだ。
効能と副作用を聞くことだけでも、『ストレガ』の花蜜が使われた、その薬品の概要を想像できるらしい。
「それを作った錬金術師のセンスは、なかなかのものね!……非人道的だけど!」
「悪を褒めるか」
「倫理的にはともかく、発想は有能よ。悪人の武術が冴えていたら、貴方は性格の悪さだけで、その能力を小さく見積もったりするのかしら?」
「……たしかにな。善悪と、能力の優劣は、別物だ」
「そうよ。錬金術もそうね。お二人は、『炎』、『風』、『雷』の、いわゆる三大属性が、ヒトの精神活動に大きな影響を与えることを知っているかしらね?」
「……オレは知らん」
「私は、それらの魔力の詳細を見分けられますので、少しは分かります」
「でしょうね。『花蜜の薬』はね、三大属性を強化、暴走させる薬物よ。『炎』で闘争心を、『風』で素早さを、『雷』で力を上げている。『複合強化魔術』を、凡人に使わせている」
「そんな印象だったよ」
「『複合強化魔術』を使えるのは、少なくとも二つの属性の資質を持つ術者だけね。でも薬物で、その資質がなくても、属性の資質を『強制的に補う』ことで、疑似的な『複合強化魔術』を発生させたのよ」
「……足らない要素を、無理やりに足した?」
「そうよ。体への負担は大きい。そんなものを常用していれば、遅かれ早かれ腎臓と肝臓は壊れるわね。しかし、代償は効能を実現するのよ、無痛と剛力と神速を帯びた戦士になれる。でも……」
「でも?」
「おそらく、その薬は、術者の魔力量や属性資質を考慮されていない。『複合強化魔術』において、最も大切なことは?」
ルクレツィアが博学なオットーではなく、オレの顔を見つめながら問いかけてきた。彼女はオレが、『複合強化魔術/竜の焔演』を使えることを察しているようだな。
まあ、それを成すために、ストラウス家ってのは、代々、有能な魔力の質を持った女をさらって来たわけだけどね。蛮族の発想ぐらい、賢者サマにはお見通しってことか……。
「ソルジェ殿は使えるでしょ?無意味に三大属性保持者をやっていないはずよ?」
「ああ。使えるさ……『複合強化魔術』に必要なのは、バランスだ。それぞれの属性の魔力に過剰や不足があれば、肉体を壊してしまう」
「そう。真の『三大属性複合強化魔術』は、それほどの威力を持つわ。でも、薬物で至るのは、もっと低次元な世界。肉体が壊れるほどの反動はないけれど……脳に影響が出てしまうのよ」
「脳の、バランスが崩れる―――つまり、精神活動に異常が起こるワケか」
「ご明察よ、私の友だち。その薬物は、投与された者たちの、それぞれの属性魔力を無理やりに引き上げる。『炎』、『風』、『雷』の資質が、3、1、6のヒトがいても、5、3、8にするだけ……アンバランスなまま、強化が無理やりに起きる」
「アンバランスな属性魔力が、ヒトを狂わすのか?」
「その大きな原因の一つになる。おそらく興奮剤も入っているから、それの影響もあるはずだけどね。とにかく、『低レベルでアンバランスな複合強化魔術』を、肉体に強いるのよ。『ストレガ』の花蜜が、どうにかもたらしてくれる『調和』の効能のおかげね」
「……ふむ。それぞれの属性魔力の値の過不足が、固有の精神症状を招く?」
「うん。その通りよ。『炎』が多すぎると理性を失い、『風』が多すぎると他者への依存心が強まる―――つまり、忠誠心が増えて見えるんじゃないの?」
「……魔力の質をいじくられるだけで、そんなことが起きえるのか」
「起きえる。魔力は心が制御する。二つは構造的に連動している……だからこそ、逆もある」
「心と魔力が結びついているから、魔力が動けば、心も動く?」
「そうよ。『魔力の色を見ることで感情を読んだり』、『魔力の走り方を見ることで、相手の動作を予測する』……魔法の目玉の使い手である、貴方たちには、理解しやすくない?つながっている存在は、一方的な影響を与えるだけじゃない。双方に影響を及ぼすわ」
ルクレツィア・クライスは有能だ。シャーザーの三つ目の力に対しての理解も深いようだし、そのうえ、オレの目玉が相手の感情を見抜く力がありそうなことさえ予測しているのか。
「……オレの魔眼の力に、想像がついているのか?」
「ええ。私たち『ホムンクルス』にもある、共感性……それに近しい力を感じるもの」
「言葉を使わずに、意思の疎通をはかれる力か……」
「ええ。私たちのは、魔力の構造が同じ、つまり同じ精神構造だから通じ合える……でも、貴方のそれは、ヒトの心が放つ魔力が描いた軌跡を見抜くのでしょうね」
「……君は、魔力を読めるのか?」
「ええ。貴方たちほどじゃないけれど、魔力を共感させて来た経験が千年分もあるわ。読めるのよ、その不思議な目玉の質ぐらいね」
賢者の黒い瞳が、恐るべき推察の知性を帯びて、竜の力を宿した左眼を見つめている。オットーに分析されている瞬間よりも、はるかに深く……不躾なまでの好奇心を賢者の視線は宿していた。
「ねえ。その眼帯を外して見せてよ」
「……ああ」
友の願いだ。悪意ではなく、無邪気で、底なしに深い純粋さを帯びた願い……無下に断ることも出来まい。そして、期待してもいる。アーレスさえも予期せずに発生した、この魔眼。それについて、賢者の見解を聞ける機会は初めてだからな。
眼帯を外し、金色の眼を空気と、賢者の視線に晒したよ。黒い瞳は楽しそうに、魔眼を覗き込んでくる。ルクレツィアが近づいて来て、その花の香りがついた手で、オレの頭を左右から持った。
好奇心を満たすために、彼女はオレの頭の位置を変えて、自分が覗き込みやすい姿勢へと誘導していったよ。見つめ合う男女としては、これほど色気のない形も珍しいね。
「……興味深い目ね」
「……オレは一度、戦場で死んだような気がする。そのとき一緒に死んだ年寄り竜が、オレに命と魔力を注ぎ、蘇生したらしい」
「そのときに、黄泉からこの目を掴んで戻ったのね」
「……竜さえも、この力は想定外だったらしいのだ。竜には、魔眼の使い手が何匹もいたが、オレもそれらに似た力を使えている。竜騎士が、ヒトが魔眼を持つハナシは、オレも聞いたことがなかった」
「竜の力でもあるでしょうね。でも、一瞬でも死んで、黄泉の属性を帯びたからこそでもあるわ。貴方は死の構造を識ったのよ。だから、死に行き、崩れ落ちていく魂が放つ、魔力の断末魔……それを、この瞳で聞くことが出来るのね」
「そうらしい。死者の声を、聞くことがある」
「……ジュナの声も?」
「……彼女が、自己紹介してくれた。冥府へと旅立つときに、名前を教えてくれたよ。そして……オレが結婚を申し出たときにも、彼女はオレに返事をくれた」
「結婚を許可してくれたのね」
「ああ。オレだって、無理やりに婚姻関係に持ち込みたいわけじゃない」
「ストラウスさん家は、そういうお家でしょうに?」
「くくく。まあ、そうなんだが……ジュナは、受け入れてくれたよ」
「……そう。彼女は、人生の最後に、笑えたのね」
そう言いながら『メルカ・クイン』の指がほほから離れて行く。彼女は、その賢者の瞳に涙を浮かべていたが、強気な子供みたいに、袖でそれをぬぐったよ。
「―――私たちの話には、脱線が多すぎるわね」
「だが、お互いを知ることも出来る。君は、仲間のために涙を流す、素晴らしいリーダーだと知れたよ」
「……おだてても、傷薬の質は良くならないわよ」
「見返りのためにヒトを褒めることなど、蛮族の口は出来ないものさ」
「……ウフフ。そうね。貴方は、そうあるべきだわ、ソルジェ殿」
「さて……本題を語ってくれるか?薬物強化兵の謎は、それなりに解けたしな」
「ええ。教えてあげるわ。『ストレガ』の花畑は、レミーナス高原の南東部に位置する、『フラガの湿地』にあるわ……標高が低く、暖かで……モンスターが多い」
「……『フラガの湿地』は、『ストレガ』の生育環境の記述とは、あまりにも異なりますが?沼地に咲く花ではなかったはずです」
「オットー・ノーラン氏は有能ね。その通り、本来は棲息出来ない土地。そもそも、他者の管理がなければ、『ストレガ』は育たないモノだしね……」
「……誰かが育てているのか?」
「そうよ。『醜い豚顔の悪鬼/オーク』たちが、『崇拝』しているのよ」
「……オークが育てているという意味か?しかし、なんだ、『崇拝』ってのは?」
「沼地にいたヒドラの死体が、その花畑では腐らずに保存されているのよ」
「ヒドラの死体?」
「ええ。ヒドラの死体を、オークどもは神のように崇拝しているわ」
「どうしてだ?」
「知らないわよ。私はオークの研究家ではないものね!」
知らないことを訊くと、この29才の才媛は怒る癖があるな。彼女の自尊心を傷つける行為は、基本的にタブーであるようだ。困った賢者さまだな、知らないことを訊くと怒鳴り返す。だが、物知りだからね、何でも質問したくなるのだがね……。
「……とにかく、その『フラガの湿地』とやらに、最後の『ストレガの花畑』が存在しているわけだな?」
「ええ。『ストレガ』が沼地に咲かないと考えるほどの知恵者は、まず探さないわよ」
「ですが。8週間も、『青の派閥』は探している……」
「探す場所がなくなれば、どこでも探し始めるか……」
「でも、オークの群れは、それなりに数が多いわ。沼地には『樹霊』もいるしね」
「攻め込みにくい土地か……オレたちにとっても、『青の派閥』と『黒羊の旅団』たちにとっても……」
「ええ。つまり、団長。彼らをつぶし合わすことが出来れば、楽になる―――」
「―――そうだな」
オレとオットーは、その『策』を頭に浮かべる。オレたちは『ストレガ』の花を運んで来た袋を覗き込む……オレの袋には、花が五つ袋の編み目に引っかかっていた。
「こっちには、五つある」
「私のほうは、四つありますよ!」
「なになに?悪だくみ?」
あの黒い瞳を好奇心で一杯にさせて、ルクレツィアが訊いて来たよ。笑顔と共に返事をするのさ!
「ああ。敵をつぶし合わせるための方法を、オレたち見つけたぜ!!」
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