第三話 『賢者の石は、『ホムンクルス』の血肉に融けて』 その2


 古い木で造られた重たげな扉を、ルクレツィアはゆっくりと押し開いていく。扉の隙間からは、この闇を切り裂くような白い光が入ってくる。


 この深くねじれた螺旋の階段に差し込む白が、空気のなかに漂っていた微細なほこりをキラキラと輝かせていたよ。


 まばゆいほどの白光に、人間族の生身の右目が眩んでしまう。だが、左眼は眼帯の下にあろうとも、オレに確かな視界を提供してくれた。


 ルクレツィアは人間族を元に創られた『上位ホムンクルス/クイン』だからだろうか、この強烈な闇と光の差を浴びせられたとしても、その瞳は眩むことがないようだった。


 ルクレツィアは気づいていないかもしれないが、彼女の身体的な能力は、人間族のそれを超えているのさ。君の腕の細さでは、フツーの人間族の女は、あの重たい古木の扉を片腕では動かせないよ。


 無自覚な超人性を、君は発揮している。


 ……『より強く』。


 アルテマが人間族だとするのなら、すでにその項目は一段階は登っていたのだ。千年も昔に、『アルテマの使徒』たちが産み出されたそのときに。


 アルテマはその強化で、十分だと考えていたのだろうか?


 それに。


 不吉な連想が頭をよぎったよ。


 『青の派閥』の連中も、『人体錬金術』という学問の徒だ。つまり、『人体を強化する/より強く』のがテーマの集団……たとえ一枚岩でなくても、大きな目的はそれだ。


 たんに錬金術の基本的なテーマだからか?


 これは偶然の一致に過ぎないのか?


 ……『より強く』を体現した『ホムンクルス』の住む土地に、『より強く』を探求する錬金術師の組織がやって来て、『ストレガ』の花蜜の採取という表立った目的とは別に、『星の魔女アルテマ』の遺産が眠っていそうな『地下』を探っているらしいのは。


 何を探しているのやら。


 この土地の『地下』には、オレの求めていない存在が眠っていそうなのは確かだ。悪い予感というものは、外れない。


 何故ならば?


 策略というものは悪意で出来ているからだ。して欲しくないこと、起きて欲しくないこと。敵という存在は、そういった部分へ喰らいついてくるものさ―――。


 だが。


 今は……オレの魔眼は、悪意を帯びていない光景を見つめていたよ。


 まばゆく白の光に包まれた、その花園は、何とも幻想的な美しさを宿していた。ルクレツィアが、まるで少女のように無邪気な笑顔で、その光のなかで両腕を広げて踊っていたよ。


 彼女は鮮やかな紅を宿した『ストレガ』の花畑を走り、くるりと回ったのさ。子供じみたステップだ。大人の肉体でその軽やかさを体現する者は、鍛え上げられた戦士の肉体を有する者のみ。


 しかし、その高度な肉体の曲芸を、彼女は無邪気な笑みのまま行った。


 集中力を使うこともなく、それだけの体さばき。


 『メルカ・クイン』は……オレたち猟兵に匹敵するほどの戦闘能力を、その身に秘めてはいるのだ。


 悪意なく踊る、無邪気なルクレツィア。彼女はその強さと美貌で、オレを感動させてくれるよ。そして、たしかに、『メルカ・クイン』が創り上げ、継承してきたこの空間は、この世のものとは思えないほどに美しい。


 地下なのに、光に満ちていて。目の前には紅い花畑が広がっている。『ストレガ』の花畑―――任務として探していた存在。それらに誘われるように、オレの脚は紅い花畑へと進んでいく。


 蜜蜂が飛んでいた。


 花蜜を狙う、狩人だ。多くはない。偵察にして来ているのかもしれない。新月の夜に備えて、花蜜を溢れさせるという『ストレガ』の花……その様子を見に来たのかもしれないな。


 しかし。地下空間でも、月の魔力に花たちは支配されているのだろうか?


「……どう?ソルジェ殿?素晴らしい庭園でしょう!!」


 うつくしき『ホムンクルス』の長は、男を知らないかわいい女の顔で笑う。まるで修道院のシスターのように、無垢で穢れのない笑顔だった。大人の女性には、なかなか出来ない子供のような微笑みさ。


 男のいない土地で生まれ育ったからこその、その無垢な笑顔は、花畑に遊ぶ彼女に似合っているよ。


 絵描きならば、彼女の純粋無垢な笑顔に心を撃ち抜かれるかもしれないな。オレは、彼女のタイプじゃないって、数時間のうちに何度も聞かされたから誘惑されない。タイプじゃないんだもん。


「どーしたの?感想は!?」


「ああ。素敵な花畑だよ。君も含めてね!……なあ、そうだろ、オットー?」


 オットー・ノーランが彼女の純朴さにハートを囚われていたりしたら、面白いんだがな……彼は、花畑でも、まして、あの元気娘な美貌を宿す29才の『ホムンクルス』でもなく、『上空』を見上げていたよ。


 三つの目が全開だった。


「……どうした、オットー?」


「団長、アレを見て下さい……」


「アレ?」


 オレは『上空』を見上げる。つまり、この地下空間の『天井』をな……。


 そこにあったのは、白く輝く光の球体。とんでもなく大きい。その物体が『何』なのかは一瞬では分からないが―――その謎の球体が持っている『意味』なら分かる。一目で十分だ。本能が、アレをこう呼ばせるのさ。


「―――『太陽』か」


 そうだ。


 アレは人工的に創られた太陽。魔眼が機能を始め、金色を帯びた竜の魔力が、あの白い光の『中身』を解剖していくよ。歯車と、ミスリルの柱たちが、『太陽』の裏側には設置されている。


 これは山みたいに巨大なカラクリの一つだ。


 よく分からん素材だな。オレの知識にはない金属も存在しているようだ。おそらくオリジナルの魔法金属。『太陽』とそれを動かしているカラクリは、これらのためだけに特別に錬金された、魔法金属が用いられているのだろう。


 この壮大なカラクリが、あまりにも高度な錬金術装置だってことは分かる。史上最高の錬金術師である、『星の魔女アルテマ』。彼女の持つ『叡智』の一端が、この地下空間に『太陽』を産んでいた。


 いや。『太陽』だけではない。魔眼で見抜いた天井の『裏側』には、星座盤があるし、月の『影』を創るためと思しき、円形の金属板も配置されている。それに、それらのカラクリが載った『天空』の外側には、刻まれるように配置された段差が在った。


 あれらは歯車だし、無数にある……目で数えるのは辛いが、数えなくとも見当ぐらいはつくさ。男心を舐めてはいけない。『アストロラーベ/占星術時計』にワクワクしない少年はいないもんだ。


「365の歯車。一日ずつズレて、星と太陽の軌道も、正確に『天空』を模倣するというのか」


「……そうだけど。男って、花よりカラクリが好きなのね?」


「花にも十分感動しているが、光を放つ、超巨大な『アストロラーベ』さんが天井に埋め込まれているんだぞ?……そっちにだって感動しちまうさ」


「この花畑と、植生を再現するための装置なのだけどね」


「……ミス・ルクレツィア、あの太陽の光は、魔力を帯びていますね」


「ええ。ミスリル鋼の亜種よ。『メルカ・ミスリル』とでも言うべき、私たち『メルカ・クイン』の発明ね!太陽と全く同じ魔力を放つ輝きを生み出せるのよ。もちろん、光だけじゃなく熱もね!……消耗品で、ときおり補充してあげないといけないけれどね」


「魔銀灯を強化したような存在か」


「そうね。ただの魔銀を使ったものとは、はるかに性能が違うけど!」


「……ルクレツィアよ、感動した。君たち『メルカ・クイン』の大いなる仕事にな」


「ウフフ。私たちを有能だと認めてもらえるなんて、うれしくてたまらないわね!」


 だから、ドヤ顔か。リエルと同じく、ドヤ顔マスターの『メルカ・クイン』をしばらく観察したあとで、オレは視線を『庭園』に向ける。


 足下の『ストレガ』の花畑の先には、ガラスで覆われた『温室』が十数個ほど立っている。その『温室』たちの奥は、壁だった。白く塗られているな。


 光を反射させるためなのか?それともただの趣味なのかは分からない。『メルカ』の町も、白を基調にしているからね。この町の衆が、白を敬愛していたとしても、別におかしなことはない。


 白は清潔感があるし、高貴な色にも見える。つまらん地味な色でもあるが、いい印象だって少なくはない色なのさ。


「……ここは、球状の施設だな」


「ええ。そうよ」


「重量を分散するための仕組みですね、ミス・ルクレツィア?」


「スゴいわね、最近の三つ目族は、そんなことまで知っているの?」


「オットーは特別に有能な人物ってだけだ」


「有能かどうかは別として……私は、各地の遺跡を探索してきましたから。調査のためには、建築学の基礎も必要ですし、イヤでも学びます。落盤に巻き込まれたりすれば」


 生き埋めを経験したこともあるようだな、うちのオットー・ノーランは。それでも遺跡探索がやめられないか。彼にとっては、大いなる魅力にあふれた場所なのだろう、ダンジョンという存在はね。


「……広さは、直径300メートルと言ったところか」


「いい目玉よね、測量機能つきなの?」


「武術の鍛錬の結果だ。戦士ならば、長弓が飛ぶ距離ぐらいは目測ではかれないと、戦場で矢の雨に降られて犬死にだよ」


「へー。スゴいわね、本当にソルジェ殿はフツーの人間族?」


「ああ。蛮族だから、竜が宿っていない方の目玉も性能がいいのさ」


「しかし、ミス・ルクレツィア。ここは、一体、『何』なのですか?」


「……温室でもあるし、天体観測のための装置でもある。この星座盤には、私たち『メルカ・クイン』が新たに発見した星の知識を刻みつけてあるのよ」


「占星術の装置でもあるのか?」


「……ええ。これを見上げながら、寝るの。そうすると、私は夢のなかで、あの『アストロラーベ』と一つになれる。その状態で、占星術をするとね、何故だか外れたことがないのよ」


「……オレたちの来訪も、それで察知したとか?」


「本当は敵の動きを読みたかったんだけどね。でも、敵ではなく、味方を呼べた。私はその『絶対当たる占い』をしてしまうと……数時間は、動けなくなる。魔力を枯渇するのね」


「それは、『星の魔女アルテマ』から継いだ力なのか?つまり、『メルカ・クイン』の能力?」


「……不思議なことに、そうじゃないわ。先代も、先々代も、占星術はマスターしていたけれど……『絶対当たる占い』なんて非科学的なコト、出来なかった。私も、変わり種ではあるのよ、双子たちと同じく……進化した存在なのかもしれないし……アルテマの策略で至った、『収穫物』なのかもしれない」


「君自身の力だと信じた方が、精神衛生上、好ましい。そうすべきだ。偉大な力を持っているのだからな。自信を持つべきだぞ、ルクレツィア」


「……ええ。そうすることに努めている。でも、千年の法則から外れるということは、不変が常であった『ホムンクルス』にとってはね、ちょっと恐ろしくもあることなのよ」

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