第二話 『汝、供物の聖痕を刻まれし生け贄よ』 その15


「……なぜ、いきなりこんな悪臭が!?」


「そ、それに……この邪悪な気配は!?」


 双子の戦士たちが慌てている。それは、そうだろう。腐敗した人肉の臭い。その発生源など、この場で思い当たる原因は一つだけであった。


 しかし。


 ジュナの遺体が、この悪臭を放つには、いくらなんでも早すぎる……。


 ありえないこの悪臭。それは、異常なことが起きている証だった。全員が戸惑いを隠せないまま、オレとオットー、そしてミアがほとんど同時に動き出していた。


 オレたちは双子の戦士たちが用意してくれた、このハーブの香りの場所から離脱し、悪臭を追いかけて走る。さして巨大ではない屋内でのことだ。この旅路は、十秒もかからずに終わっていたよ。


 悪臭を追いかけたオレたちは、それを見てしまう。


 おそらくは、それは生前のジュナの部屋であったのだろうな。最低限の家具しかない、極めて質素な空間に……ベッドはあり、聖なる儚さをまとった純白の衣服をまとったジュナの遺体が寝かされていた。


「……ど、どうして!?」


 ミアがそう叫ぶ。


 たしかに、その疑問はもっともだ。


 二つの意味でな。


 死体が腐敗臭を放つには、やはり早すぎる。この土地は寒く……ジュナの遺体は腐敗から守られているはずなのに―――それに、もう一つの謎は、大きくふくらんで、うごめいていた。


 ジュナ・アルテマ・ストレガ・コルン……その偉大な女戦士の『腹』が、大きくふくらんでいた。まるで、妊婦であるかのように?


 ……いや。


 死体が妊娠するはずがない。あくまで、オレの常識の中ではだがな。


「……腐敗して、ガスがたまっているのか!?」


 ……冷静なはずだが、声を荒げてしまう。オレも……そうだな、慌てているのか。感情的になっているらしい。未熟なことだが、常識外の状況になると、ヒトの心は脆いモノだ。


「そんなはずはありません。この気温で、これだけの腐敗が進むはずが……それに、ただ腐っただけでは、死体の腹に魔物の気配を感じることはありません!!」


 オットーは、オレよりも冷静だったと思う。


「ミア、ここは……下がっていてください。あなたは、双子のそばにいてあげて」


「え?う、うん!」


 ミアがそう言いながら、廊下に戻る。だが、双子もリエルもカミラも、この場所に雪崩込もうとしていた。ミアが、両腕を広げて、彼女たちの行進を止めようとした。


「ダメ。ククリとククルは、見ちゃダメなの!!」


「え!?」


「ど、どういうことです―――!?」


 そうだ。


 どういうことが起きるかなど、予想はたやすい。爆発しそうなほどに、ジュナの腹はふくれた。そして、動いて、暴れている。分かるさ。ガスじゃない。腐敗した肉が放つ悪臭が、あれほど悪意を持って、動くはずがないのだ。


 肉が裂ける音が聞こえる。


 ジュナの腹が裂け、死者のための聖なる衣が赤く染まる。あの血液は、そうだ、ジュナの血液ではなかった。ジュナの腹のなかで『孵化』しようとしている、モンスターの体が放つ、悪臭を帯びた邪悪な血液だった。


 それを出産などとは呼びたくない。


 知っているさ。


 家畜の腹に宿ったモンスターが、母体を食い破りながら、体外に出て来ただけのことだ。ありえないことだ。常識としてはな。魔力を帯びたヒトの肉体には、『呪いの風』が入り込むことはない。


 たとえ、ジュナが妊娠していたとしても、その胎児が『呪いの風』でモンスターに変異することはない。死体となった後でも、リエルがエルフの秘薬を用いて、ゾンビ化も防いでいた。


 この世界を呪う、悪神どもの邪気を帯びた風は、ジュナの骸を犯すことはなかったはずなのに―――だからこそ、オレは人為的な悪意を嗅ぎつけてしまう。そうさ、人為的。こんなことをすることが出来る集団は、この土地には一つだけ。


 帝国の錬金術師集団、『青の派閥』。


 ヤツら……ジュナがまだ生きているあいだに、モンスターの卵を、ジュナの腹へと埋め込んでいたというのか。


 残酷な予想が、オレのさほど良くない脳みそに浮かんでいく。傭兵どもに犯され、『アルテマの呪い』にその身を切り裂かれていく彼女に、錬金術師は、そんなものまで腹に詰め込んだのか。


 ……どこまで、彼女の尊厳を踏みにじりやがるッ!!


『ぎゃしゃあああああああああああああああああああああああああああッッ!!』


 弾けるように、ジュナの腹と聖なる衣が裂けて、腐臭を帯びた血肉と共に……そのリザードマンは、朱色に染まった歪な肉体を、くねらせながら産声を歌っていた。


 そうだ、リザードマンだった。


 ジュナの肉を喰らい、ヤツは、孵化した。


 空気に触れたモンスターは、ただちに巨大化するものだが―――この血まみれのリザードマンも、その法則に従っていた。しかも、異常なほどに早くだ。何かの術が施されているのは明白だ。


 ジュナに仕込まれていた多くの悪意の罠が機能して、ジュナの死体から産まれたその醜いバケモノは、あっという間にジュナよりも大きくなり、オレを睨んだ。


「……来やがれ」


 血潮が怒りで沸騰していたが、動きは冷静そのものだ。身を屈めて、屋内でも背中の竜太刀を抜くためのスペースをつくり、それを抜刀していたよ。


 激怒を帯びた魔王の殺気に恐れをなしたのか、『ブラッディ・リザード』は首を動かして、窓を見た。マズいと思ったが、不安はいつでも射抜くように未来を当てる。


 今日もそうだったよ。


 モンスターの巨体がうねりながら、ベッドと床をその巨大で醜い足爪で蹴りつけて、その身を跳ねさせた。ガラスが割れる音がして、ヤツの巨体は戦士たちの家から外に出てしまう。


 オレの口が舌打ちを漏らす。


 『メルカ』の住民たちが、あのモンスターに殺される。その不安を覚えたからだ。だが、オットー・ノーランがすでに動いていてくれた。モンスターの突き破った、窓から、ヤツを追いかけるようにして、彼もまた屋外へと飛び出ていた。


 『ブラッディ・リザード』は、オットーの追跡から逃れることは出来ない。ヤツの牙も爪も、誰も傷つけることはないままに、へし折られるはずだ。


 だが。


 オレも行かねばなるまい。


 ジュナと、あの双子の姉妹たちのために、してやれることは少ない。否定したいほどに残酷な光景がある。苦しみに満ちた末期を超えて、ようやく永久の安らぎに包まれていたはずのジュナは、腹部を悪意に引き裂かれていた。


「ねえさん!!」


「そ、そんな!!」


 双子たちが、ミアの制止を超えて、この部屋に入り。モンスターに腹を突き破られて、大きく損壊してしまった姉を見つけてしまった。


「……二人を任せた」


「……ああ」


「はい!」


「お兄ちゃん、あのモンスターを、ぶっ殺して!!」


「了解だ」


 猟兵女子たちにその言葉を残して、オレもオットーと同じように、あの破れた窓を使い、外へと身を躍らせていた。


『ぎゃがあああああああああああああああああああああああッッッ!!!』


 外ではすでに戦いが開始されていた。


 オットー・ノーランと、『ブラッディ・リザード』は、高速で走り回りながら、『メルカ』の整然とした道のなかで、爪と棒を交差さていた。


 攻撃同士がぶつかって、激しい音を連鎖させていた。


 『アルテマの使徒』たちが、この騒ぎに気がつき、集まって来る。


 アレの出自を知らない彼女たちは、ただただ驚いているが、パニックにはなっていない。武器を構えて、オットーを援護しようとしてくれている。


 だが……それは必要ない。


 竜太刀を構えたオレが、すでにオットーと連携を取るために戦場を走っているからだ。


「オットー!!そのトカゲ野郎の、脚を止めろ!!」


「イエス・サー・ストラウスッ!!」


『ぎゃがががああああああああああああああああああああああああッッ!!』


 巨体を揺らしながら、『ブラッディ・リザード』がオットーに迫るが。オットーはその突撃をひらりと躱しながら、ヤツの太い脚に棒術による強打を浴びせていた。


 骨が折れる乾いた音が戦場に響いて、ヤツの巨体の脚がぐにゃりと曲がり、巨重を支えられなくなった脚は、もつれるようにして交差して、ヤツを転倒させていた。


「うおらあああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」


 怒りと殺意が、竜太刀に漆黒を呼ぶ。


 アーレスの、あらゆる敵を破壊し尽くす竜の闘気と魔力が、刃の鋼を黒い色で祝福する。その斬撃は、ただひたすらに、速く、強く―――『ブラッディ・リザード』の太首を斬り裂いていた。


 産まれたばかりの、そのモンスターは、頭部を失い即死する。痙攣しながら、その身を『メルカ』の大地に伏せるように沈ませて……白い石畳に、腐敗した悪臭を放つ血液の赤を広げていったよ。


 大した戦闘ではない。


 だが、血は熱量を帯びて、呼吸は荒かった。


 そうだ。オレは、疲れてなどいないが、怒りに狂っていた。


「クソがッッ!!」


 『メルカ』の空に、そう叫んだ。このモンスターは、あまりにもオレを怒りに導く……。このモンスターは、どこぞの錬金術師に利用されただけかもしれないが、たしかにジュナの肉を喰らい……彼女をエサにした。


 いいや……母胎として、多くを失ったばかりの彼女から、さらに貪りやがったッ。腹が立ってしょうがない。死んだあの巨体の腹から……ヘソの緒が触手みたいに伸びていることが。


 爬虫類型のバケモノのくせに……ジュナと、そんなもので繋がっていやがったのだろうか。オレには、それが、どうにも腹が立ってしょうがない。


 この腐った臭いを放つモンスターごときが、ジュナとのあいだに親子の絆めいた器官を有していることが、ムカつくんだよ!!


 魔術で焼き払ってしまおうか……そう考えて、魔力を込めた指をモンスターの死骸に向けたとき、『彼女』はこの場に現れていた。


「―――待ちなさい、お客人」


 それもまた、黒髪の女。だが、双子の戦士たちと、印象の異なる女だった。背が高く、鼻も高いし……戦士たちとは異なり、化粧と、煌びやかな装飾品を身につけた女だ。戦士ではなく、聡明さと知性を帯びた知恵者の視線で、オレを見つめていた。


「……貴方は、もしや……この町の長か?」


「ええ。ルクレツィア・アルテマ・クライス・クイン……『アルテマの使徒』の統率者です。それは……敵の情報が詰まっています。破壊ではなく、保存してください」


「だが……こんな不快なものを、どうするという?」


「……私のアトリエに運びます。そこで、母体にされたジュナと共に、私が解剖し、敵の手段と意図を探ります」

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