第二話 『汝、供物の聖痕を刻まれし生け贄よ』 その16


 オレは再びジュナを運ぶ。大きく損壊したジュナを毛布で包み、荷車に乗せて。こんな思いをしたことは、今まで無かったことに気がつく。こんな形の苦しみはない。助けられず、それでも罪滅ぼしをするかのように、彼女との約束を守った。


 ジュナを双子の妹のもとに届けたと。


 その行いは、正しい。


 ……いや、正しいと思っていたんだ。


 だが。結末は、思い描いていたものと、あまりにも違う。こんなはずではなかった。これでは、双子たちの心に刻みつけられた、まだ新鮮な痛みを放つ傷を、いたずらに広げてしまったようなものではないか。


 善人ぶるつもりなど、毛頭ない。しかし、それでもオレは……ジュナと双子たちに、何か、もっと……いいことをしてやれたつもりになっていた。


 現実は、そうじゃない。


 オレが連れ帰ったジュナの腹には、モンスターの卵が仕込まれていた。そいつは、呪術で刻印された時間が来ると、腐臭を放ちながら孵化し、ジュナの体を破壊した。双子たちから、オレはもう一度、姉を奪ってしまったような気になっているんだよ―――。


 屈辱と悲しみと……怒りと、そして自己嫌悪も混ざった息を吐いた。そんな愚かな息が口から出たことが、なんだか情けなくってな、オレは奥歯を噛みしめる。


 どうして、オレの魔眼は見抜けなかったのか?……それに、オットー・ノーランの三つ目さえも欺いただと?


 ……正直、『青の派閥』を舐めていた。


 さっきのモンスターは『暗殺用』の兵器さ。だから、魔力が、わずかにでも漏れ出さないように隠蔽していた。


 オレたちは最強の戦士、猟兵だ。そうだというのに、錬金術師の罠にも気づかす、そいつに、まんまと引っかかってしまったというわけだ……ッ。これほどの屈辱は、久しぶりだッ。


 ルクレツィアの背中を追いかけるようにして、オレたちは『メルカ』の町を歩いて行く。誰もが無言だった。道ですれ違う人々も、悲痛な顔で祈りの姿勢を選ぶだけだ。


 無言でも、すべきことは分かっている。ジュナと……ジュナの腹に仕込まれていたリザードマンの死体を運ぶのだ。


 ルクレツィアの、アトリエとやらに。


 白い町並みを、昏く沈んだ目をした双子の戦士が歩いて行く。彼女たちは、オレと共に姉の乗る荷馬車を運ぶのだ。


 ククリの口が、獣のように牙を剥き、怒りを表していた。ククルの口は憎しみに歪み、噛まれた唇からは、報復を誓う赤が流れる。


 ああ。


 オレもだよ。


 この怒り、この屈辱、この絶望を……忘れることはないぞ。必ずや、思い知らせてやるのだ。偉大な女戦士ジュナを、どこまでも穢した帝国の錬金術師どもを、ぶっ殺してやるぞ!!


 これを仕掛けた者を見つけ、その肉体ごと命を引き裂き……怒りのままに、その邪悪な魂を噛み砕いてやるッ!!


 荷馬車を引く指に、力が込められる。


 怒りの貌はいつものように。牙に風の味を教えてくれる。この白い町並みを走る寒く清廉なる風が、心で渦巻く怒りの炎をかき立てるのが分かるよ。皮膚が熱を帯びる、激怒の熱量に燃える血潮が、体のなかで暴れて狂う。


 ジュナから故郷での静かなる眠りを奪った錬金術師にも……そして、彼女の腹に仕掛けられていた『罠』に、まったく気づけなかったオレ自身にも腹が立つ。アーレスよ、大きな失態だ。


 大きすぎる、償いきれない罪だぞ。


 オレたちの魔眼ならば……見抜けなければならなかった。


 どんな卑劣に隠蔽されていたと言えども、お前の力が宿り、お前の魂の一部である、この魔法の目玉は……彼女に仕掛けられた悪意を悟り、双子たちの元に連れ帰るより先に、取り除かなければならなかったのに―――。


 そうだ。


 オレだけが知ることの出来た、唯一の違和感がある。


 彼女をずっと抱きかかえていたオレだからこそ、気づけたことがあるんだ。あのほとんど完璧に違和感のなかった遺体には、なぜか、ほとんど死後硬直がなかった。彼女の体は、何故だか死の硬直をすることなく、関節はやわらかなままだった。


 戦場で死んだ戦士の体は、彫像のように固まる。


 何度も見てきたではないか、まるで、ついさっきまで動いていたかのように固まった、戦士たちの死体を。戦いのあげくに死んだ戦士は、すぐに、全身がそうなるはずだ……。


 それなのに、彼女には、それが起きてはいなかったぞ。


 異質なことは、疑うべきなのに……。


 それにどんな意味があったのかは、誰にも分からなかったとしても。どんな些細なことでも、違和感を覚えることが一つでもあったなら、もっと深く考えるべきだった。


 そこには、悪意が仕掛けられていることもあるのだから。


 まして、錬金術師のように悪知恵の働く者どもの手から、連れ戻した遺体であるのならば……もっと、あらゆることに、過敏さを持って挑まねばならなかったのだ。


 ……後悔というものは、不快だ。


 体中に粘りついて、どうあがこうとも振り払うことは出来やしない苦しみだ。己の愚かさを噛みしめながら、ただ、終わらぬ苦しみに耐えるしかない。


 敗北の重みを、その全身で味わいながら。オレたちは、『メルカ』の町の中心から最も離れた場所にある丘へとたどり着く。


 この丘だけは『メルカ』の外周を守る城塞がない。その代わりに、青白く分厚い氷河が存在し、より鉄壁な守護につつまれていた。


 そこにあるのが、『長老』、ルクレツィアのアトリエであった。


 白を好む『メルカ』の町とは異なり、石組みで造られた黒みがかった灰色をしていて、どこか物々しさがある。物見の塔のようにも見えるが……それを、この若い『長老』殿が改築させたのだろうか。


「さあ、まずはこっちに入れて」


 そう言いながら『長老』殿は、一階部分にある大きな扉を開いていく。華奢に見えるが、その腕力は相当に強そうだった。


 招かれるままに、オレたちは二台の荷車をそこへ運んだよ。その一階部分は倉庫代わりになっているようだった。ゴチャゴチャと、さまざまな物資が置かれている。『コルン/戦士階級』たちとは異なり、『長老』は整理整頓とかに興味がないようだ。


 薬品のにおいがするな。ジャン・レッドウッドをここに連れてきたら、逃げ出してしまうかもしない。『人狼』の鼻は、この濃い薬物のにおいに耐えられないだろう。


 ……多趣味な女性なのか、天球儀に、人骨の標本―――もしかしたらホンモノの人骨だろうな―――がある。薬草の束を吊したものに、燃料用の薪が山積みされていたり、その横には登山用の装備の数々があった。色々と雑多なものがある場所だ。


 だが、二台の荷車を置けるだけのスペースは十分にあったよ。それほどに広い。ルクレツィア殿のアトリエは、欲深い探究心を予感させるには十分の奥深さがあった。オレの耳は、広い地下室があることにも気づいている。


 多趣味ゆえの『収集家』の癖があるのだろうか……?


 ジュナや双子たちの長というよりは、全くの別の雰囲気を感じる。彼女は『戦士/コルン』ではないからか……?


 黒髪で長身の『長老』殿は、鼻歌まじりに身をくねらせる。


「……さてさてー。まずは、モンスターのほうには、この注射をしておくわね!」


 ルクレツィアは自身がまとったローブの、ゆったりとした袖の内側から、巨大な注射器を取り出していた。


 そのあまりにも巨大な注射器を見て、ミアが、ひい!!と悲鳴をあげてオレの背中に隠れてきた。


 ミアは注射器が好きではない。いや、正確には『注射』が嫌いだった。


「ウフフ!……安心しなさいよ、仔猫ちゃん。あなたに打つわけじゃないのよ?……この紅いトカゲ野郎に打つんだから!」


 アトリエに戻った『長老』殿は、猫をかぶるのをやめた古女房のように、図太げな性格を露呈し始めていた。


 この人物は、他の『アルテマの使徒』たちと、どこかが違う。そう、どこか感情が少なげな『戦士/コルン』たちとは異なり、彼女は、ムダに豊かな感情を持つようだった。


 まあ、よく言えば社交性がありそうだ。


 悪く言えば、変人だな。


 どうあれ、質問には答えてくれそうな雰囲気があるのは、無学な野蛮人であるオレにはありがたい。『アルテマの使徒』たちには、オレの知らないことが多すぎる。


 まず、にやつく彼女が持つ、あの巨大な注射器のなかに濁る、黄色い液体なんかもね。謎が多い。愚かさにつまずいたばかりのオレは、知識欲と警戒心が増している。


「……それは、どんな効果がある薬なんだ?」


「呪術を壊す。より正しくは、こういった類いの呪術の基礎に使われがちな、脳・脊髄液に、私の呪術を帯びさせた特性の『カビ菌』を撃ち込んでやるのよ!」


「……何だと?」


「―――団長、彼女は『カビ』を使って、呪術の『栄養源』となる物質を、『汚染』するつもりです……つまり、自分の呪術を使って、敵の呪術から『エサ』を『横取り』するという手法らしいですね」


「はあ?……そんな発想が、あるのかよ?」


「……『長老』は、そういう考えが出来るから、『長老』だ」


「はい。『コルン』では、そうはいきません」


「そうよ。私は『長老』だから……って。その呼び名は止めなさい。『クイン』で呼んで欲しいものね。『女王』のほうが、29才の才媛には、合うわ。ババアあつかいは止めて欲しいわ」


 29才なんだな、『長老』殿は。三十路前の女を、『長老』と呼ぶか。なかなか勇気がいる行いのように思えてくるな。


「さて。とにかく、コイツを背骨にブチ込んで、こうして注射すれば……はい!お終い。どんな呪術もこれで機能停止!……コイツは、あとから私がかっさばいて、詳細を探るわ。さて、赤毛のお客人」


「なんだ?」


「……ジュナを、二階に運んであげてくれる?」


「オレで、いいのかな?」


「……ええ。ジュナは、それを望んでいるはず。あの子のために、ここまで来た。彼女は貴方に感謝を捧げているわ。死んだ今でもね」


「……悪い結果になっちまった気がするが―――」


「いいえ。家族に、姉を戻した。その事実は、変わることはないわ」


「……そうだ。竜の戦士。感謝はしている。それは変わらん」


「はい。ソルジェ・ストラウスさま。私たちも、姉さんも、深い感謝を貴方に持っています」


「……そうか。そう言ってくれるなら、ありがたい。彼女を運ばせてもらうよ」


 オレはジュナの遺体を、また抱えた。今の彼女は、死後硬直が始まりつつあるようだ。もう呪いはないのだろうか。


 いや、油断は出来ないだろう。『専門家』に任せるべきだ。そう、錬金術師の罠には、錬金術師で対応すべきだな。


「長老……いや、ルクレツィア」


「いい選択ね。いい男にはそっちの名で呼ばれたいわ」


「わかった、そっちで呼んでやる……それで。君は、もしかして、錬金術師なのか?」


「ええ。『星の魔女アルテマ』の『子孫』たちの中でも、『よりアルテマを再現した質を持つ存在』。それが、『クイン』って立場……私は、いい錬金術師よ。敵の仕掛けたことの全てを、ジュナの遺体から読み解く。貴方と……そっちの三つ目族の方も、手伝って」


「……ええ。お任せを」


 あのオットー・ノーランを『サージャー/三つ目族』と一瞬で見抜くか。たしかに、フツーの女ではなさそうだ。しかし……なんだ、『アルテマを再現した質を持つ存在』とは?……賢い女ならではの変わった自己紹介の言い回しだろうか?


 ……だが。再現した質?……まるで、人為的な行いで、その才能を与えられたかのような言い方ではないだろうか―――。


 まあ、いいさ。とにかく任務を受けた。魔法の目玉を使いこなせていない、ダメな騎士の腕でよければ、何度でも君を運ぶぞ、偉大なる女戦士ジュナよ。

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