第二話 『汝、供物の聖痕を刻まれし生け贄よ』 その8


「そういえば、牛がいました」


 あの小さなダンジョンを抜け出したあと、オットー・ノーランはそう語ったよ。その言葉に、オレの心は躍動していた。


「ホントか?」


「ええ。朝方、崖の下で鳴いていましたね」


「群れか?」


「30数頭ほどでしたね。野生化した群れのようです」


「仔牛はいたか?」


「ええ。いましたが……食べるんですか?」


「そうじゃない。オレは、今からチーズたっぷりのカレードリアを作るんだぞ?」


「……食べるハナシですが……?」


「『牛乳』が欲しいのさ。ホワイトソースを、新鮮な牛乳で作りたいんだ」


「牛乳でつくるんですか、そのソースを?」


「……ん?ああ。グラタンとかにも、使ってるだろ」


「グラタンに……たしかに、あれも白いですね」


「……牛乳が手に入らないときは、オレはヨーグルトを使うようにしているんだ。あれでも酸味があって、玉ねぎとよく合うホワイトソースが出来るんだが。牛がいるなら、牛乳を使いたい。牛乳のほうがカロリーたっぷりで、栄養価も豊富だしな」


「なるほど。それの材料にするわけですね……えーと、ホワイト……ソース……の」


 オットーは、ホワイトソースがどんなモノなのかを、分かっていない気がするな。じつは、今までオレはオットーって、グラタンが好物なんだと勝手に考えていた。


 だって、『美味しいですよ、温もります』って言うんだもの。でも、そうじゃないのかもしれない。


 ……もしかして、『口に入る物体が高温であれば、他はどうでもいい』……のか?


 なんて味覚だ。


 出来たての食事ならば、全部が美味いことになる……。


 なんだか恐いから、深追いはよしておこう。


「どうかしました?」


「いや、なんでもないんだ……ああ。そうだ、オットーよ。君は牛乳を搾れるか?」


「ええ。搾れますよ。ラクダの乳を搾りながら、砂漠を越えたこともあるんです」


「……さすがだ。その動物をオレはよく知らないが……ゼファーと一緒に、野生化した牛から、牛乳を採取して来てくれないか。仔牛がいるなら、乳を出す母牛もいそうだ」


「お安いご用です。でも、肉は、いいんですか?」


「ああ。今朝はとりあえずカレードリアを作りたい。食糧も買い込んである。余分な重量はゼファーの翼を遅くする。ゼファーが食べたいなら、食べさせてやってくれ」


「分かりました!」


「……助かる。なあ、ゼファー。起きろ」


 ゼファーのそばにいって、ゼファーの大きな頭を指で撫でてやる。ゼファーは寝息を止めて、まぶたを動かしていた。金色に輝く瞳が、きょろりと動いて、こっちを見つめてくる。


『……『どーじぇ』、おはよう』


「ああ。おはよう、ゼファー。仕事を頼めるか?」


『おしごと?どんなことを、すればいいの?』


「野生の牛の群れがいるようだ。そこに、オットーを連れて行ってくれないか?」


「牛乳を取るのです。頼めますか、ゼファー?」


『うん!!いいよ、おっとー、せなかにのって?』


 ゼファーは仕事を頼むと、喜んでくれる。ホント、オレはいい仔に恵まれた『ドージェ/父親』だぜ。


 うちの仔は、その漆黒の大きな背中に、オットーを乗せてやる。


『じゃあ。いってくるね?……ねえ、『どーじぇ』?』


「なんだ?」


『うしさんは、たべていいの?』


「お腹が空いているのならな」


『うん!すいてる!……きのうは、いっぱい、そらをとんだから!』


 そうだっったな。アリューバ半島からここまで飛ぶだけでも相当な距離だし、昨夜は夜中も飛び回った。腹が空いても、おかしくはない。ヒトを4人喰ったぐらいでは、足りなかったんだな。


 ゼファーをねぎらうために、オレは竜の顔を指で撫でた。


『あはは!くすぐったいよ、『どーじぇ』!!』


「……ああ。それじゃあ、頼んだぞ、ゼファー!」


『うん!!いってくるね!!じゃあ、とぶよ!!つかまっていてね、おっとー』


「ええ。ターゲットは、北北西に700メートルほどです。おねがいしますよ」


『まかせて!!そんなきょり、ひとっととびだよ!!』


 そう言いながら、ゼファーは翼を広げながら、崖の下へと飛び降りていた。翼が崖を駆け上がる風を捕まえて、ゼファーは、ほぼ高さを失うことなく飛翔していく。


「見事なもんだ。たくさんの飛び方を覚えている。多くの風を翼で知ってきた成果を感じさせてくれるな!!羽ばたく力も増したが、羽ばたきに頼らず、風に乗るだけでも、あそこまで飛べるようになって……」


 ゼファーの成長が、嬉しくてたまらないよ、『ドージェ』は。


 ……さて、顔をにやつかせながらも……仕事をしなければならないな。チームのために朝食を作るのだ!元気が出て、寒さが吹き飛ぶ、そんな熱い料理をな!!


 オレは怠惰ゆえに、オットーとゼファーに牛乳搾りを任せたわけではない。


 オレにもすべき仕事があるからだ。


 昨夜作った石積みのかまどを、オーブンに変えるのだ。野良犬みたいな環境で、9年も生き抜いてきた料理好きの男に不可能はないさ。


 石で組まれたかまどだが、単に石を重ねただけではない。石との間に、粘土がはさまっている。この粘土が一晩中、高熱で炙られて、すっかりと固まっているのさ。我ながらいい仕事だ。


 昨夜のうちに、この原始的なかまどは、オーブンに変わるための仕込みを済ませていたのである。石組みのかまどは、子供が悪ふざけで蹴りを入れても崩れはしない。ミアが乗っても、こわれないだろう。


 野良犬みたいに世界を放浪しつづけたことで、オレの調理の技術も相当なものになっているのだ。さて。この石組みのかまどに、愛用の鉄板を噛ませていくぞ?ゼファーから下ろした荷物に入っている、その名のとおりの鉄製の板だ。


 場合によっては、コレを融かして鏃をつくったり、壊れた鎧を補修するための鉄にするんだがな……もちろん、料理にだって使えるのさ。


 石組みのかまどの上に置くだけで、広々と使える鉄板の完成!肉や野菜を同時にたくさん焼けるから便利。鉄板を巨大なフライパン代わりにつかうんだよ。野戦で美味いものを多くの猟兵たちに素早く供給するためには、これがあれば便利。


 この便利な鉄板さまをな、石組みのかまどに噛ませていくと、簡易なオーブンは完成する。三層構造だ。一番下の空間で薪を燃やす、真ん中の空間が調理の現場だ。一番上には炭を入れる。


 そうすると?真ん中の空間が上と下から加熱される。つまりは、オーブンだ。これに煙突、空気穴をつくり……前面のがら空きの部分を、新たに石と粘土で壁を作ってやる。


 ああ、取り出し口は、鉄板を縦に置くだけさ。フタにして熱を閉じ込めるのさ。熟練とは恐い。ほぼ隙間など無く、鉄板のフタが前面を覆ったよ。これで、『ガルーナ式・野戦オーブン』の出来上がりである。


 まあ、こんなことをしなくても、フライパンの上にあの鉄板でフタをして、その上に炭にを置けば、フライパンのなかでピザぐらいは作れるのだが。やはり……ガルーナ式・野戦オーブンの多機能さには敵うまい。


 この自作の野良オーブンには、火と対話しつづけてきたオレの歴史がつまっている。屋根のない場所でも、より美味しいものを作ろうと足掻き抜いた歴史の結晶体だ。


 雑に見えるかもしれない。ところどころが歪んでいる?だが、それも計算の結果だ。用意した石の形状、オーブンを配置した場所に吹く風の流れ、それらにより空気穴と煙突の位置を調整しなければ三流の野良オーブンでしかないからな。


 全ては熟練の結果だ。この歪みも、機能を高めるための計算し尽くされた構造なのである。見た目は悪いが……性能はリアルなオーブンにも負けない。これこそが、真の野良オーブンなのである。


 ガルーナ式・野戦オーブンを作り上げたとき、その出来映えに震えたよ。感動の電流が背中を縦に駆け抜けていた。


「……今回も、最高の出来だ……ッ」


 そんなとき、ゼファーとオットーが空から戻った。彼らも重要な任務をこなしたようだね。


「おつかれさまです、団長。牛乳、取ってきましたよ」


『ごはん、さきにいただいちゃった』


「ああ。二人とも任務の完遂、何よりだ。オットー、このオーブンを温めておいてくれるか?」


「ええ。一番上が炭火、下が薪ですね?」


「うむ。オレは、手を洗ったあとで、君が搾ってきたミルクをつかい、ホワイトソースを作っていこうではないか」


「了解です」


「任せたぞ」


 オレはあのわき水で、しっかりと手を洗ったあとで、調理を始めるよ。カレーと米は残り物でいいのさ。コイツはリメイク料理だからな……。


 ホワイトソースが大事だよなあ。小麦粉、バター、塩コショウ、牛乳……そして、アリューバの市場で仕入れていたカイマクだ。


 ああ、そうだ。カイマク……水牛の乳からつくる生クリームだな。やさしい甘さと香り、そしてなめらかな口溶け。間違いなく、水牛の乳以外は二番目以下のクリームだろう。


 そういえば、この牛乳はどんな牛のモノなんだろうか……脂肪分が多くなるか?


 まあ、いいさ!!ブチ込んじまえ!!味は後からでも調えられる!!戦場では栄養価が高いほど正義だしな!!


 ホワイトソースの材料をフライパンに乗せて、しっかりと混ぜながら、オレはガルーナ式・野戦オーブンに向かう。最上層の鉄板に指を近づけ、熱を感じる。ああ、十分だ。フライパンを置くよ。十分な熱量があるから、すぐにグツグツ言うだろうさ。


「オットー、コイツを混ぜててくれ」


「ええ。了解です。へー、これが……ホワイト、ソース……なんですねえ」


 初めて見たような顔をされると、君に40回以上はホワイトソースを使った料理を喰わせているオレの立場が無いなぁ……オットーがヨメをもらうとしたら、料理好きではマズい。


 オレはスルー出来るけど、料理好きのヨメが、その発言を聞いたらブチ切れしそうだもん。


 いつかノーラン家のキッチンあたりで発生するかもしれない、夫婦の争いを想像しながら、オレはカレーと米とデミグラスソースを混ぜながら、オットーと並んでガルーナ式・野戦オーブンの最上層でそれを炒めていく。


 甘いカレーだからな。デミグラスソースのコクと酸味を活かす方向で作りたい。この焼きカレーの時点で美味いけどなあ。カレーとデミグラスが混ざって焼ける香りが最高にいい。この時点で、喰ってもウルトラ美味いに決まっているぜ。


「それがこれと混ざるんですか?」


「ああ。そういうこと、混ぜるぞ」


 そう言いながら、オットーの作ってくれたホワイトソースを、焼けて香ばしいホワイトソースに混ぜていく。混ぜながら、炒めるのさ……コクと辛味に、甘さとフワフワの乳脂肪が合体だ。カレーとデミグラスに、牛乳の甘さまで加わるんだ。ほんと、ワクワクする。


 それらが混ざったら、オーブン用の大皿三つに分けていく。そして、チーズを千切って、豪快にそれに振りかけるんだ!!


 ……くくく!あとは、これをガルーナ式オーブンにブチ込んで、炎の加減を観察し、ちょっと棒きれで、火力を調整するために突く。あとは、鉄板を閉めれば待つだけだ!!


「リエル!!カミラ!!……ミアを、そろそろ起こしてくれ!!あと12分半で、ベストな出来でメシが出来る!!」


 そうさ。香ばしいかおりが風に融けている。レミーナス高原の寒さも、この美味さが雇った風の前には冷たさを失わせるだろう。リエルとカミラに起こされたミアが、砦のなかで歌うのが聞こえたよ。


「食べる前から、ウルトラ美味しいって、確信出来るんですけどッッッ!!!」


 そうさ。コイツは最高のチーズ乗りカレードリアさんだよ。


 食材の入った木箱をテーブル代わりにして、そこに三つのカレードリアさんを並べておくのさ。カロリーとボリュームと、美味しさはたっぷりだ!!


「うわーい!!カレーとチーズと……デミグラス!!出来たてが、最高に美味いカレードリアさんだあああああ!!」


 ミアがはしゃいだよ。オレたち全員で席について、取り皿にカレードリアをつぎながら食べるのさ。


「あ、甘みが!!か、カレーの辛さを引き立てつつも、デミグラスの酸味と絡まって……お、美味しさがトリプルで仕掛けてくるよう!!それなのに、調和を崩さぬように、カイマクのなめらかさと、チーズの包容力が、ガッチリと包んでくれてる……ッ」


「ああ。美味いか?」


「美味いに決まっているよう、お兄ちゃあああんッ!!甘みを求めても、カレーを求めても、コクと酸味を求めても、即座に反応してくるテクニシャンだもの!!……コレは、カレードリアというワイルドの味に、奥深さとやさしさを与えてくれた!!カレーの王国!!カレー・ダイナスティだよ!!カレーの進化の歴史が、ここに、あるんだ!!」


「カレーの『王朝/ダイナスティ』か!!たしかに、ここに至るには、一筋縄ではいかなかった!!味だけではない、この場所に最高の野良オーブンを築くための経験もいるのだ!!」


「なるほどお!!それが、王朝の土台だったんだねっ!!」


「ああ。数え切れない失敗が、オーブンの完成度を高めてくれた!!失敗の口惜しさを忘れず、次こそはと戦い抜き、傷だらけになって作り上げたオーブンだ!!」


「うん!!そのオーブンがあってこそだよ!!」


「そうだ。王朝は、一日にしてならず!!昨夜のカレー、我が執念の結実たるオーブン、それに今朝のオットーとゼファーの協力!!それらがあってこそ、カレーは、ここまでの域にたどり着いたのだ!!」


「カレーのダイナスティだね!!ウルトラ、美味しいよおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 ミアが感涙しながらも、もぐもぐカレードリアさんを食べてくれるから、オレは嬉しくてしかたないのさ!!


 ミアの『美味しい』の連呼を聞いて、オレたちもガンガン、その熱くて栄養たっぷりのカレードリアを堪能したよ。本当に美味しかった。自画自賛するつもりではないが、野外でこれだけの味を創り出すことは、ほぼ不可能に近いだろうさ……。


 寒さも忘れる熱いカレードリア。オレたち『パンジャール猟兵団』は、それを喰らうことで今日の戦いを生き抜くための活力と栄養を手にしたよ。


 そうだ。


 今日も戦いが始まる……朝食を食べ終わったオレたちは、武装した。


「……まずは、『アルテマの使徒』たちと接触するのだな?」


「ああ、そうだよ、リエル。オレはジュナと約束をしたからな」


「……そうだな。よし、ちょっと待っていろ。上空で、『呪いの風』を浴びて、彼女が悪神の下僕にならぬように、祝福しておくから」


 そして……リエルが祈りの言葉と共に、オットーが花を捧げたジュナの遺体にゾンビ除けの霊薬を追加でかけた。


「これで大丈夫だ。運べ、ソルジェ。お前の腕なら、ゼファーの背でも、彼女を落とすことはない」


「わかった。ミア、一番前は、彼女にゆずってくれるか?」


「もちのろんだよ!」


「そうか。ありがとう」


 さてと。彼女を抱えるか……ふむ。死後硬直が、始まっていないな。霊薬のおかげだろうか。まあ、いい。これで腕で運びやすい。オレは彼女をお姫さま抱っこで持ち上げた。騎士道に準ずる運び方だろう。


 彼女たちの文化が、男を拒む文化であったとしても……まあ、それは構わんさ。彼女を運ぶと約束したのはオレだから、オレが力を使うべきだ。


「……東側の山脈の最高峰、『カーリーン山』に向かうぞ。女戦士ジュナを、『アルテマの使徒』たちの手に戻す!!……戦闘が起こる可能性もある、全員、気を抜くな!!」


 それが……オレたちの果たすべき約束だ。危険を冒す価値があるのか……?そう反対する者が、この場には誰一人としていないことが誇らしかったよ。オレたちはゼファーに乗り、反対側の山脈の中央で、天を衝くようにそそり立つ、カーリーン山へと飛び立った。

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