第二話 『汝、供物の聖痕を刻まれし生け贄よ』 その9


 東へと進む。高度は、可能なかぎり高くだ。地上から見上げたところで、人間族の肉眼では、鳥にしか見えない高さまで飛ぶ。空気が薄くなり、ゼファーの羽ばたきの強さが増す。


 この高さでは、人類の肺は希薄となった空気に耐えられない。オレたちがそこそこ平気でいられるのは、オレが竜騎士だからだ。それ以外の者たちの体調は、カミラの『吸血鬼』の力である。


 血液をコントロールして、その祝福をかけてくれているのさ。オレの心臓と血の流れをカミラが『見て』、オレたち全員の血液の動きを、竜騎士風に調節してくれている。器用なもんさ。


「……みんな。しんどくないっすね?」


「うん。なんか、空気が吸いやすくなってるよ、カミラちゃん」


「造血の秘薬のような力なのか……?ふむ。ソルジェの体は秘密が一杯だな」


「竜騎士のトレーニングのたまものさ」


 呼吸法で心拍をコントロールする。竜騎士は、空を飛ぶ高さに応じて、呼吸の質を変えている。海中戦で大活躍した、空気の球を呑み込むことで、より高いトコロまで飛ぶコトが出来るがな―――。


 空気はさらに薄くなり、竜の翼は、やがて叩くべき空気を失うそうだ。それが真の天空の領域で、竜に襲いかかる自然の摂理さ。それ以上は、飛べないという高さが存在しているようだ。


 ……近いうちに、ゼファーと挑戦してみるべきかな?


 アーレスがかつて到達した『限界高度』。もしも、それを超えることが出来るとすれば、その孫であり、同じ『耐久卵の仔/グレート・ドラゴン』である、ゼファーだけであろう……。


 いや。


 まだ早いか。老練なアーレスに挑むには、ゼファーの翼は、まだ幼く素直過ぎるように見えてしまうからな。


「……しかし、上空ほど呼吸が苦しいということですか。空気にも『重さ』があるのは有名ですが。こうやって体感すると、世界は物理法則に依存しているものなのだと、確信が抱けますね……」


 オットー・ノーランは博学だ。ロロカ先生、ガンダラに次ぐ、『パンジャール猟兵団』、三番目の頭脳の持ち主である。


 ゆえに。時々、難しいコトを口にするのだ。リエルは『薬草医』としての『知識』は豊富であるが、脳みその出来の善し悪しを示す『賢さ』では、そうでもない。


 カミラは田舎育ちの素朴な少女時代を過ごしたゆえに、『知識』は比較的少なく、『賢さ』は……そうでもない。


 ミアは……いいんだよ!!


 ―――とにかく、猟兵女子ズは、オットー・ノーランの言葉に対して無反応であった。シカトしたのさ。下手に反応すると、己のアホさを露呈する結末になるのではないか、そんな緊張感から来ての行動である。


 そういうところが、オットー・ノーランを女っ気から遠ざけているのかもしれない。賢さを見せすぎる男なんて、扱いにくそうだもんね……。


『……『どーじぇ』。あのおやまが、『かーりーん』なの?』


「……ああ。アレだ。このバシュー山脈で最も高い山だな」


『でっかいねー』


「ああ。デッカいなー」


 幾つもの層に別れた雲が、その山にはかかっていた。薄ぼんやりとしていた山陰が、近づくにつれて、乾燥した、生命力の低い山肌が見えてくる。遠目からでは、枯れた木と、大きく武骨な岩ばかりが目立つ。


 バシュー山脈の最高峰、『カーリーン山』だ。せいぜい、その高さは4500メートルほど。そうだ、大陸のその他の山脈にある、それぞれの最高峰たちに比べると、高さはかなり低い方だな。


 しかし、この山に高さはないものの、横へは広い。比較的、なだらかな斜面が続き、山頂部は台形のように平坦になっていた。やけになだらかで、大きな山ではあるのだ。


 東西、双子の山脈のあいだにある『レミーナス高原』は、湿地や森林が豊富なのだが、この『カーリーン山』は生命の気配が希薄で、五月の終わりだというのに、あちこち雪がまだ残っている。


 『雪女』の物語が、一瞬、頭をかすめてしまうよ。ああ、よく見れば、山頂部は青いぞ。あそこは氷に覆われているな。残雪というよりは……もっと大きな氷のカタマリだ。


「オットー、アレは氷河か?」


「ええ。『カーリーン山』の上層部には、それなりの大きさの氷河があります」


「雨や雪が固まったのか?」


「そうでしょうね。その氷が、自重に耐えきれず、ゆっくりと山を下りてくる。このなだらかな地形は、長い時代が過ぎ去るあいだに、少しずつ氷河に削り取れてしまった結果なのではないでしょうか」


「三ちゃん、氷に山が、食べられちゃったの?」


「ええ。ミア。私には、そんな風に見えるのです。アレは……もっと尖っていた山だったのではないでしょうか……それが、氷河に喰われ、独特な形状を成したのでは?」


 オットーの探険家としての知識と経験値は確かなものだ。彼が、そう感じ取るということは、信頼してもいい直感だと信じられるよ。この土地は、氷河に削られて、在るべき形から逸脱してしまったらしい。


 なるほど。それゆえに、ここまで異常な平坦さを持つのか。まるで氷のカタマリがヤスリのような作用を帯びたというのか。それに削られるようにして、『カーリーン山』は鋭さを失っていったか。


 だが。


 その氷河は山肌を傷つけ過ぎたのかもしれない。豊かな栄養素まで、削り取り、この山から生命の気配をも遠ざけているようだ。


 雪解けの水から作られている川は、このなだらかな斜面を、蛇行しながら長く走る。冷たすぎる水は、草木を育てるには適していないだろうな。


 冬が来る度に氷河は膨張し、大地を削った。削られ、深い『傷』を負った場所には、雪解けの水が流れ込んでいき、不安定でそれなりに大きな『池』をいくつも作っている。大雨が降る度に、あれらのどれかは決壊するのではないか―――?


 だから、土砂崩れも多いだろう。その土砂崩れは『カーリーン山』の表面をより平坦にしながら、そこにあった森も町も、全てを呑み込み、なだらかな土地へと変えてしまいそうだ。


 なんというか、かなり住みにくそうな場所だな。


 寒さと、氷河がもたらす破壊に、数年ごとに襲われるだって……?悲惨すぎるよ。


「……こんな場所に、『アルテマの使徒』は住んでいるのか?」


 この土地の様子から察するに、ここでの農業は過酷……狩りを行うにも、獲物が豊かな土地でもない。圧倒的な住みにくさに支配された場所だよ。居住性はサイアクさ。


「どうして、レミーナス高原に住まないのだろうか。あそこには、多くの野生化した家畜が群れを作れるほどの豊かさはあるんだぞ?モンスターは多いだろうが、この山の暮らしにくさを思えば、よっぽどマシさ」


「……『修行の地』なのかもしれません。宗教集団は、俗世との距離を取りたがるものですから」


「修行ね……たしかに、オレの腕のなかにいる亡骸となった戦士ジュナは、よく鍛えられている。『修行僧兵/モンク』の一種かもな。ストイックに、体を苛めたものにのみ、到達しうる肉体の頑強さを持っている」


「ええ。彼女は、大勢を殺し、仲間たちを庇ってみせた」


「ここで厳しい修行に耐えているのか?……宗教家の責務として?」


「そうかもしれません。彼女たちは、かなり閉鎖的な集団のようですから。少なくとも、ほかの地域との接触を、好むような集団には思えませんしね」


「異性と交われば、死ぬ呪いまでかけているしな……社交性は感じないな」


 その呪いは、彼女たちを縛る『掟』、あるいは戒律のようなものなのかもしれない。外では生きていけない。そう思い込ませるために、思考を制限するための枷のようにも思える……。


「どうあれ、外界に開かれているような態度ではないな」


「……はい。極端に閉鎖的です。その存在を、周囲の人々が、『雪女』の伝承でしか知らないほどに、交流が無いのですから。それは、一般的な集団の性質ではありません」


 暮らしにくい土地に住んでいるのだ。


 少なからず、物資は不足しているはず。それでも交易を頼らないのは、かなりの貧しさを覚悟することになるな―――。


「―――彼女らは、あえて、それをしているのか?……誰とも接触したくない?」


「閉鎖的なことに、意味があるとすれば、やはり、宗教的な動機かもしれない……そういったものならば、過酷かつ、閉鎖的である空間は、むしろ好ましい。他には、思いつけません。『アルテマの使徒』という言葉に、私が囚われ過ぎているのかもしれませんが……」


「……いや。とても参考になるよ」


 『アルテマの使徒』……その集団の思想は、今のところ憶測の域を出ない。あまりにも情報が少ないからね。


 オットーは、彼女らを、とこか狂信的な宗教集団として予想してくれている。現状では、彼の考えはベターなのだと感じるよ。もちろん、確信は抱けないけどな。


 オレがあの錬金術師を殺さなければ、もっと拷問して、有益な情報を集められたのだろうか……。


 どうかな。


 錬金術師殿は、あの手帳に書かれていたことしか、知らないかもしれん。オットーが読んだ手帳に、『アルテマの使徒』の情報は少なかった。錬金術師マニー・ホークの主要な任務と、彼女たちは、距離がある立場だったのかもな。


 いや、考えても仕方が無いことだ。


 知りたければ、これから会える『アルテマの使徒』たちに、直接、ハナシを訊けばいいではないか……。


 ゼファーは高度を低くしている。『青の派閥』や『黒羊の旅団』がいる『レミーナス高原』の上空を抜けたからだ。これからは、地表の近くを飛ぶことになる。『アルテマの使徒』たちの住み処を探すためにだ。


 『カーリーン山』の低い地域を、さっきからゼファー飛んでいるが……大昔の土砂崩れに呑まれたたような廃墟や、倒れた石柱なんかをいくつか見かけた。しかし、それらの場所には、現役でヒトの住んでいるような気配を感じることは出来ない。


 住みにくさはさらに増すだろうが、より山頂の近くに彼女たちの町はあるのだろうか。


 ファリス帝国に……というよりもイース教徒たちに、存在を抹消された可能性がある集団。女神イースの『敵』である、『星の魔女アルテマ』の『使徒』を名乗る人々は、どんな町に住んでいるのかね―――。


 ゼファーによる探索は進む……。


 そして、この山の東側に回り込んだとき、オレたちは氷河に覆われた山の頂近くに、天へと向かって立ち上る、煙を見つけていた。誰かが、炎を使っている。あの煙の下に向かえば、『アルテマの使徒』たちに会えそうだ。


「ゼファー。あの煙が出ている場所に、向かってくれ……皆、警戒は強めよう。ジュナは相当の戦士だった。あの煙が、『囮』である可能性も否定は出来ない」


「ふむ。あれに呼ばれて近づけば、無数の戦士たちに囲まれているか」


「ありえなくはない。だが。アレが『囮』だったとしても、あちらが、ゼファーの存在を知っているとは思えない。オレたちに有効ではない配置で待っているかもしれないが……好戦的な人々である可能性は、否定できんからな」

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