第一話 『星の降る山』 その4


 人体実験。


 どこか現実味を帯びない言葉ではある。


 だが、マルコ・ロッサの口から出た情報だ。信じるに値する情報なのだろう。錬金術師のなかには、ときおり、それを行う者がいるのは事実だからな……ああ、そうだ、記憶を辿れば、何人かいたか、どうしようもないクズ野郎どもが。


 戦場の死体泥棒や、墓荒らし。


 信仰心どころか常識を大きく欠いた行いではあるが……ヒトの死体を求める外道という連中がときおりいて、その中に錬金術師という存在が混じっていることは少なくない。


 なぜか?


 もちろん、金になる可能性があるからだな。


 世は争いにあふれている。ファリス帝国は巨大だ。この大陸の95%を支配下に置いている。しかし、各地に反乱勢力は息づき、大なり小なりの抵抗で帝国人を攻撃している。


 その結果、何が起きるか?


 戦地でヒトが死ぬ。帝国人も、それ以外も。


 ……さて、この『戦死者の遺体』を、故郷に待つ遺族のもとに運んでやりたいと願う者もいることは、想像はしやすいだろう。


 それはいいが……一つ問題があるな。死体は腐るのだ。なので、死体を長距離運ぶという行為は、通常は推奨されることはなかろう……。


 しかし。もしも、死体を腐らせない『錬金術の薬』があれば?


 貴族や金持ちの子息の遺体を、腐らせることなく故郷へと持ち帰ることが出来る薬があったら?……彼ら富める者たちは、その薬を求めるだろうな。


 錬金術師のなかには、『強力な防腐剤』を作り上げるために、死体を盗み、自分で作った『防腐剤』を試す輩がいる。まあ、『合法的』に死体を遺族から買う者もいるがな―――。


 盗人もいる。


 かつて、戦場の近くにある小さな村に酒を買おうと立ち寄ったとき。墓泥棒の事件と遭遇した。


 死んだばかりの若い娘の墓が、あばかれたのだ。父親はすでに戦で死んでおり、現世にひとり残された母親は、空になった娘の墓で夜になっても泣いていた。


 ……そこの村人たちは、悪い意味で信心深く。娘の死体が消えたのは、その娘がふしだらな娘で、悪魔との性交を楽しんだからだと暴言を吐いていた。


 死体は、悪魔に花嫁とされるためにさらわれたのだと。地元に伝わる古い伝承を口にして、母親を一人にしていたよ。


 竜太刀が鳴くのでな。


 オレとガルフは、その泣き腫れた瞳をもつ母親のために墓地を調べたよ。そして、見つけたぜ、『深く沈んだ足跡』だ。よほどの巨漢の足跡なのか、あるいは女の死体を担いだ男の足跡か。


 どちらの可能性もあるが、オレとガルフは後者だと推察したよ。


 足跡を追うと、墓地の裏手にある小道に出た。墓泥棒は住民の迷信深さをバカにしていたのだろう。


 死体を花嫁にする悪魔の物語を信じ、彼らが詳しい調査などしないとでも考えていたのか、荷車のわだちを残していたよ。


 日の当たらない暗い小道に、その車輪の跡はつづいていた。オレとガルフはそれを追いかけて……隣村の錬金術師の納屋へとたどり着いた。


 そいつも、『永遠の防腐剤』の実験に夢中だったよ。ネズミやアライグマではダメだったのか、ヒトの死体で試していた。そいつをぶちのめし、縛り付けて、ガルフの馬に乗せた走ったよ。


 オレの馬は……薬品のにおいのする若い娘の死体を運んだ。『花のような香り』をさせて、腐敗臭を誤魔化す手段にしたのだろう。そのおかげで、彼女からは花のような香りが漂っていた。


 ガルフはその墓泥棒を村人に渡したよ、オレは彼女を埋葬した。母親は……状況を理解出来ない様子だった。善良な田舎者であり、周囲の村人と己の信仰を、それまで信じてきたのだろう。


 ヒトを疑うことを知らなかった、善良なる母親は、ただただ困惑していた。彼女にはこんなことをヒトがする理由など、理解できなかったのだ……。


 錬金術師の多くは豊かな身分だ。それなのに、富める者がより多くを稼ごうと、自分の娘の墓をあばき、盗む。そのせいで、死んだ娘は悪魔に貞操を捧げた穢れた娘として、村人たちに罵られることとなったのに―――。


 世界は、残酷だ。


 オレの世界観を、補強するような事件であったな。ヒトが持つ底なしの欲望と、利益のためならば、どこまでも無慈悲になれる残酷さ―――母親は、それが信じられないという顔をしていたよ。


 ただひたすらに、目は昏くなり。神も希望も見てはいなかった。


 村人たちがリンチで錬金術師を殺すものだと考えていたが、錬金術師は金を支払うことを約束し、死を免れようとしていた。


 竜太刀がうるさく鳴くのでな。


 そいつを真っ二つに斬り裂いて、オレとガルフは酒場に行った。村人たちが一人も来ない酒場で、村人どものぶんまで酒を呑んだ。朝まで呑んで、少し寝て。それから、そのクソみたいな思い出しかない村を旅立ったよ……。


 いくつもある悪い思い出の一つを、なぜだか思い出してしまう。あの母親はどうなったのだろう……。


 もちろん、全ての錬金術師が、悪だとは言わない。善良な錬金術師たちも多く知っている。しかし、ときに邪悪な錬金術師たちも存在しているのだ。


 職業の問題ではなく、おそらくヒトの心の問題。


 悪党はいるのだ。世界に多く……。


「―――ソルジェ・ストラウスくん。なにか暗いことを考えている顔をしているね」


 マルコ・ロッサが煙管を口に咥えたまま、オレにそう訊いて来た。


「……まあな。ろくでもない思い出は多い。乱世を旅した、そうなって当然だろ」


「まあねえ……」


「煙草は?もういいのか?」


「うん。お仕事中だしね……まあ、君が望むなら、もう一度、吸うけど……?」


「いいよ。吸ってくれ。『風』の魔術で、アンタの煙は向こうにやってるから、オレの肺は痛まない」


「……りょうかい」


 そうだよ、長話もなんだし、そもそもオレは酔っ払いだ。


 しかも、話す内容はとんでもなく暗い。


 だから?オレは彼に煙草を吸うことを許可していた。なぜかというと、時間が欲しかったのさ。オレの肝臓がアルコールを分解し、頭がスッキリとするまでの時間がね。


 頭の回転が、少しは、普段並みには戻って来た気がするよ。


 錬金術師にまつわる、悲しくて暗い思い出が心に浮かんでしまったおかげでね。


 ……彼女の母親は、あれからずっとこの世に一人ぼっちのままなのか。


 誰かと再婚出来たのだろうか……。


 ふむ。オレは怒りのままに竜太刀を振るったことを、後悔することはない。だが、あの錬金術師に、ありったけの財産を、あの母親に譲渡させてから殺せば良かったと、今になっては考えている。


 経験が、そう考えさせるようになったのだろうか。


 分からない。


 だが、決断したことは変わらない。


 あの母親に、どんな形の幸せが訪れる可能性があるのだろうか。オレの想像力は、どうにも足りなくて……素敵な物語を頭に思い浮かべることが出来ないでいる。


 困ったときは、ヒトに頼るのも手だ。


「……なあ」


「なんだい、ソルジェ・ストラウスくん」


「不幸でひとりぼっちの中年女性がいるんだが」


「……ほう。謎かけかな?」


「いいや。ただの暗いハナシ……オレは、その女性のために、墓泥棒から死んだ娘を取り戻してやったことがある」


「なるほど。良いことをしているね」


「……その女性は、旦那も戦で亡くしていたんだ。娘もいなくなり、ひとりぼっちだ」


「そうか」


「……彼女は……あの日から、笑えたことがあるのかな……?」


 酔っ払いの質問だ。


 ムチャクチャな問いかけだと、自分でも分かるほどに。


 それでも、この賢いスパイに質問を投げていた。


「難しい問題だけど。サー・ストラウスくん。ヒトはね、家族が眠る墓にすがって泣くだけでも、ちょっとだけ心が軽くなることもあるんだよ。このオレは、そうだったから。そのオバサンも、そうなんじゃない?……オレには娘はいないけど、両親と姉貴は墓にいる」


「……そうだな。ああ、死者を感じることも、出来るんだよな」


「君の魔法の目玉がなくてもね」


「ああ」


「……ゴメンね。あんまり、良いこと言えなかった気がするよ。ポンコツ気味のスパイさんだから……勘弁してくれると嬉しいね」


「……いや。十分な答えだったよ。オレも、『家族』の墓のことを思い出した。離れていても、ストラウスの名を持つ者たちのことを……感じられるんだよな」


 オレは笑うよ。死者たちとの、楽しい思い出を心に浮かべてね……。


 だから……あの母親も、きっと、娘の眠る墓の前で……楽しい思い出の一つを振り返る日もあっただろう。もしも、その日が晴天に恵まれていたり、綺麗な声の小鳥が歌いながら空を飛んでいたり、雨上がりで虹でもかかっていたりすれば……。


 そのとき、彼女は少しは微笑みを浮かべられたのではないかな―――無責任だが、そう考えておくことにした。


 マルコ・ロッサが煙管から口を離す。


「……煙管を噛むのは、止めたのか?」


「ああ……ソルジェ・ストラウスくんのアルコールが抜けてきたように見えるから、煙草を吸う時間はいらないよね」


「そうだな。かなり、酔いは醒めたよ。だから、さっきのハナシの続きをしよう」


「うん。オレたちは、ルードのスパイとパンジャールの猟兵だからね!」

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