第一話 『星の降る山』 その3


「なんか邪魔しちゃって悪いね?……君たちのただれた繁殖行為を?」


「ただれたとか言うな。愛のある行為だ」


 夫婦三人で愛し合うだけだ。何も悪いところも、おかしなところもないだろう?夫婦ってのは愛し合う存在だもん。


「でも。ソルジェ・ストラウスくんの『奥さんたち』、となりのケットシーちゃんの部屋に行っちゃった。怒ってるかな?」


「……仕事ならば許してくれるさ」


 しかし、酒に強いというのも考えものだな。寝てしまえば、こんな深夜にルードのスパイの相手をしなくてすんだのだが―――まあ、急ぎならば仕方がない。


 リエルとカミラと愛し合うはずの部屋に、オレは中年スパイと一緒にいるよ。


 フレイヤが気を使って用意してくれた、高級な部屋なんだがね……ベッドもキングサイズ。ほんと、中年スパイと一緒にいるべき場所じゃないなあ。


 マルコ・ロッサは赤茶色の癖毛をかきながら、特徴的なあの死んだ魚のような瞳を細めていた。


「……そう露骨にイヤな顔をするなって、ソルジェ・ストラウスくん」


「そんなに不機嫌な顔をしているかな?」


「ああ。スパイスを切らしたときのオレみたいな顔だ」


 カレー・マニアの価値観を、完全には把握することは出来ないのだが。マルコ・ロッサは、スパイスの切れた瞬間を想像するだけで、殺気立つ表情になっていたよ。一瞬だけだが、殺気を放ち、次の瞬間には無気力な顔に戻った。


 ……オレは、一体、どんな顔になっていたのだろうか?


「オレも、君らを邪魔するのは不本意だったさ」


「だろうな」


「ああ。だって、一目で分かる。『素敵な夜』を計画してたんだろ?……見ろよ、この部屋!オレの腐ったホテルには存在しない、素敵な部屋だもん」


 相変わらず変な自虐を持っている男だな。気にしないでおこう。変人だけど、調子が出て来たらルード・スパイらしく有能さを発揮してくれるはずだしな。


 あの燃え尽きた灰みたいな無気力さに濁る目玉は、外見とは裏腹に高性能な分析能力を有している。頼りになる頭脳の持ち主な男だよ。


「―――それで。マルコ・ロッサ。どんな情報だ?」


「……ソルジェ・ストラウスくんは聞いているかな?シャーロンくんと、弟の方のノーランくんが回収してきた、敵サンの死体」


「知っている。『ヒュッケバイン号』で運んだんだ。そのとき、オレもそこにいたぞ」


「そうだったね。でも、彼に使われていた薬物についての分析結果は?」


「……ついさっき、カミラから聞いたばかりだよ。完全な情報ではなかったが、ヤツらの体に打たれていた薬物の原材料の一部が、分かったんだろ?」


「ああ。そうだよ。特別な薬草だ……それが生えているのは、『レミーナス高原』。聞いたことはあるかい?……ほら、ミーケの詩にもあるアレさ」


 みーけ……?


 ふむ。有名な詩人さんのようだが……オレの脳内に、その人物の詩が浮かぶことはなかったな。ケットシーのスパイが、死んだ魚のように濁った目玉で、オレを見つめて来ている。居心地が悪いな。自白しよう。


「無学さを晒すようで恥ずかしいが、詩集は読まなくてね」


「だろうね。君は、繊細な言葉で綴られた文学とか、嫌いだろうよ」


 ちょっと辛辣な言葉で、知識の少なさをバカにされてしまった……。


「……そうでもないと思うが、詩集は読まないだけだぞ」


 一体、マルコ・ロッサは、オレをどんな野蛮人だと思っているのか?オレだって、本を読むことぐらいあるのだ。冒険小説とか好きだぜ?騎士道物語も好きだ。


 あとシャーロン・ドーチェが書いたゾルケン伯爵夫人シリーズは、ちゃんと購読しているぜ?恋愛小説……いや、官能小説だけど。


 うむ。


 オレ、もっと、ちゃんとした読書生活をして、ちゃんとした大人になりたい―――。


「―――まあ、ソルジェ・ストラウスくんに分かりやすく説明をするとね、『レミーナス高原』のある場所は、ハイランド王国から、おおよそ南東に1200キロあまりのところさ」


「バシュー山脈にあるのか?」


 大まかな地理なら詳しい。細かな地域名までは、覚えきれるか。世界は広くて大きいのだからな。


「うん。そうだね。大陸を南北に隔てているバシュー山脈。その、だいたい中央部あたりにあるのが、『レミーナス高原』ってわけだよ」


「ずいぶん、寒そうな土地ということか?バシュー山脈の最高峰は、山脈の中央部より、やや北の辺りになるが」


「そうだね。高原というぐらいだから、標高は高い。結果として、かなり寒いところになるだろうね」


「『そこ』に……『ナパジーニア』を『狂戦士化させた薬』の原材料が、生えているというのか?」


「ああ。そこらしいね。トーマの弟くんと、錬金術師たちが努力したおかげだ……詳しい方法を教えた方が良いかな?」


「錬金術には詳しくないんだよ」


「だろうね。まあ、肝心なのは、この『レミーナス高原』に、ターゲットがあるってことなのさ」


「……ふむ。敵地の真ん中だな。だから、オレの出番ってわけだ」


「さすがにハナシが早いね。そうだよ。シャーロン・ドーチェくん経由で、クラリス陛下からの依頼が、君に来ている」


「その高原に行き、その草を処分するんだな?」


 空を飛べるゼファーならば、帝国領内を堂々と飛び抜けることが可能だからな。


「そうなる。正確には、草というか花だがね」


「花?」


「うん。花の蜜が……あの危ない薬物の原材料らしいよ」


「そいつは、危ない蜜があるもんだ」


「その花の名は、『ストレガ』……『魔女』の意味を持つ、レミーナス高原が原産の植物だよ。群生しているらしいね……つまり、『花畑』があるはずだ」


「その言い方だと、その場所までは特定出来ていないのか?」


「そうだね。オレたちルード・スパイにも、知らないことだってあるのさ」


「ふむ。なら、ゼファーで上空から探せばいい。あとは、その『花畑』を焼き払うとするか。なかなか気楽な仕事になりそうだな」


「……それは、どうかな」


「なんだ、帝国軍が見張っているのか?」


「いいや……そこにいるのは、軍隊じゃない。『ファリス帝国錬金術師協会』……錬金術師たちの組織だよ」


「どういった性格の組織なんだ?」


「もちろん、錬金術師たちの組合だよ」


「いや、それは分かる。だが、このハナシに絡むというのなら、怪しげな裏の顔でも持っているんだろ?」


「ご明察。とんでもない『裏の顔』がある。彼らは、複数の派閥から成り立っているらしいね。それぞれの派閥が、パトロンにした貴族同士が仲が悪かったり、学術的な研究方針でもめたり……あるいは双子の姉妹同士でもめたりしている―――」


「―――なんだか、分からなくもない」


「そうかい?」


「ああ。学者たちが殴り合う姿を、目撃したことがあってね」


 ……学者同士というものは、意外と仲が悪いモノだ。オレはこの9年間、傭兵として生きてきている。傭兵とは戦争が起きていない時には、食うにも困るほど金に縁遠くなるものさ。


 だから、ときには護衛の仕事や賞金稼ぎをすることもある。かつて、古い地層から出て来たモンスターの骨を見たいという学者たちの護衛を受けたことがあった。


 モンスターが多く出没する深い森を旅したあとで、その崩れた崖にたどり着いたよ。崩れた斜面からは、巨大なモンスターの骨が突き出ていた。


 その骨を学者たちは掘り出して、延々と観察し、情報を集め、議論し、ケンカになっていた。


 まるで、お互いを先祖からの敵同士であるかのように睨み合った。オレに対しては、温厚かつ理性的な態度で接してくれていた中年たちがだ。そして、顔を完熟したときのトマト並みに紅潮させると、本気で殴り合っていたんだよ。


 二人は骨の形状が持つ意味において、もめていたのさ。


 骨の表面に走る『溝』に対して、血管が通るためのくぼみであるとか、いいや筋肉が付着するための場所であると、お互いがそれぞれに強く主張し、譲らず、議論し、罵りあい、ケンカになった。


 考えが違うということは、恐ろしいものだよね。徹底的に仲が悪くなることがある。


 脱線したな。


 ハナシを元に戻そう。


「……それで、『帝国錬金術師協会』ってのは、どんな連中だ?」


「とにかく、我々のような外部の者からすれば、理解出来ないほどに細かな派閥に別れているらしいよ」


「つまり、レミーナス高原に来ているのは、その一派に過ぎないってことか?」


「ああ。そうさ。帝国錬金術師協会には無数の派閥があるみたいだが……その中でも二番目に大きな派閥が、『青の派閥』だよ」


 ふむ。二番手の勢力。かなり大きい力を持っているというのか?


「それで。その二番手の組織は、何をしているんだ?」


「学術的な集団だけど……『青の派閥』の意志決定は、いつの間にやら錬金術の精密な探求由来ではなく、すっかりと、政治や思想という感情的で雑な論法に取り憑かれているらしいね」


 なんだか難しい言葉を使われた。つまり、科学者然とした態度を失い、暴走気味の組織ということなのだろうか?


 マルコ・ロッサが、『青の派閥』を気に入っていないことは、よく分かったが。


「……具体的には、どんな連中なんだ?」


「……ああ、分かりやすく言ってしまえば、一種の極右集団さ」


 錬金術師のイメージとは、たしかに異なるようだな。


「そういった存在は、良くも悪くも、それなりの支持とパトロンを確保出来るタイプの連中でね―――『青の派閥』も、大衆に媚びることで研究資金を手にした」


「ふむ……あまり好きになれる組織ではなさそうだ」


「そうだね。『青の派閥』は、邪悪なんだ。とんでもない大問題がある」


「大問題?」


「ああ。そうだよ、ソルジェ・ストラウスくん。『青の派閥』の連中はね、クソッタレの『人間第一主義』を建前にして、亜人種による『人体実験』を繰り返しているのさ」


「人体実験だと!?」


「そうらしいよ。なあ、ソルジェ・ストラウスくんは、『人体錬金術』という概念を知っているかい?」


「……ヒトの体を、錬金術を駆使して『強化』するってヤツだな……」


「その通りだ。連中も、『それ』をしているんだよ。捕らえた亜人種たちの肉体を、実験台に使うコトでね」


「クソ。悪趣味なハナシだ。ヒトの体がそうやすやすと強化されるわけがない!薬物で強化されたとしても、代償が伴う!!」


「だろうね。だから、亜人種をさらってきて使う。『たくさんの失敗』させて、教訓を学び取るためさ」


「失敗させることで、学ぶ?」


「……ああ。失敗は限界を表すだろう?……次は、それよりわずかに薬の量を減らす。やがて、適量が見つかるかもしれない。その理屈や、あるいはもっとキツい理屈を実践するために、新しい錬金術の薬を、どんどん実験台に投与するらしい」


「……最悪な集団だな」


「そうだよ。オレみたいな亜人種からすると、ホント勘弁して欲しい集団だよね。そんな鬼畜な錬金術師どもが……君が行くことになる『レミーナス高原』には大勢いるらしい」


「フン!今度の敵は、錬金術師かよ!」


 学者の一種だからな。強うそうな敵とは思えんが、毒物などを盛られると厄介だな。あとは知恵が利く集団ということも、懸念材料か。


 強さより賢さの方が、敵に回すと厄介な場合も存在するからな……。

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