序章 『嵐と共に来たりて……』 その7


 実は、すでに『放火』は完了している。


 イドリー造船所のほぼ全ての建物には、火がつけられているのだ。その多くがもちろん室内だ。雨の当たっていない、『内側』から焼いてしまうというわけだな。


 まあ、その施設のほとんどが材木の加工場である。雨が降っても作業が行えるように、屋根付きの加工場があり、材木たちが置かれているのさ。ここで船に合うように、木を削るというわけだろう。


 あとは鍛冶屋のように、鋼を打つための設備さ。これも単純明快だな。船に使うための釘やら何やら、金具の全般をそこで作るというわけだ。


 ここには炭が多くあったはずだな。なぜかって、鉄を加工するためには、鉄が溶けてしまほうほどの熱量がいる。それは、薪じゃなくて炭火で作るものだ。


 グラーセスのドワーフたちは石炭を用いて、刀鍛冶をしているようだが……帝国の造船所では何を用いていたのだろうか?


 ……どうあれ、鍛冶仕事をする場所には、燃料が山ほどあるってもんだよ。そこから盗み出した炭だか石炭だかを、海賊たちはあちこちの加工場の下に設置して火を放っていたようだ。


 よく燃えているぜ。


 運び込まれていた、帝国軍船の材料たちが、赤い炎に炙られていく……。


 食堂からも火が上がっている。香ばしいにおいを、オレは雨のなかにも感じるよ。油分を多く含んだにおいさ。ふむ、ヒマワリ油か。いい趣味だな。


 さすがに油はよく燃える……数カ所にある食堂からも火が上がっているのだが、加工施設に比べて、はるかによく燃えていた。


 もちろん、肝心の『作りかけの軍船たち』からも火の手は上がっている。これらは屋外に置かれているものばかりだが、ちゃんと燃えている。


 鯨油と松ヤニを原材料とする、錬金術作品は、雨にも負けることなく、生まれる前の船を焼いているのさ。コツは、これも内側から火をつけるってところ。雨に打たれない場所からなら、しっかりと燃えてくれる……。


 しかし、『魔法のたいまつ』か。


 オレたち『パンジャール猟兵団』も仕入れておきたいな。魔術に頼ることでも夜間の灯りは確保できるが、それでは疲れてしまうからな―――。


 ―――ハナシが逸れてしまったな。


 つまり、わかりやすく言うのであれば……『アリューバ海賊騎士団』の仕事は、完璧だったということだ!!


 5つもの軍船を奪った!解放したドワーフ奴隷を乗せて、逃げ切り体勢は十分だ。


 そして、造船所へのダメージも十分だよ。作りかけの船はもちろん、材料とその加工場、労働者のための食堂も燃えていた……つまり、イドリー造船所にある屋根付きの建物と倉庫の全てから、今では火の手が上がっている。


 ……やはり、数年は考え抜いていた計画のようだ。いくら精鋭とはいえ、たった百数十人の海賊たちだけで、短時間のうちに、ここまで完璧な破壊工作を行う?……いくら何でも準備が周到だぜ、ジーン・ウォーカーよ。


 ヘタレと呼ばれるほどに『慎重な男』。


 あの黒髪の生えた頭の中には、まだ幾つも、『熟成されつつある作戦』が眠っているのかもしれないな。我が友よ、今後も期待しているぞ……アリューバと、そして『自由同盟』のためにもな―――。


 さて。


 オレとジーンの予想の通りに、雨が弱まってきているぞ。敵意でも宿しているかのような、あの激しさはすっかりと消えていた。


 雨雲は内包する水のほとんどを解き放ったのか、小雨になっている。雲も厚みはあるものの、さっきまでの黒い色は失われ、灰色の雲となり、わずかに日の光がこぼれている。春を告げる嵐も、過ぎ去ろうとしているのだ。


 魔法のような隠蔽を発揮してくれていた、うるさく分厚い雨の時間は、終わろうとしていた。魔眼を使わずとも、対岸にある街並みがよく見えるほどだからな。


 赤茶色のレンガの壁を持つ建物が、海のすぐ近くに並ぶように建っているのが分かるよ。おそらく、商人の館だろう。


 今は、鎧戸が閉められているが、その窓はかなり大きい。いつもはあの窓からイドリー湾を眺めるのかもしれないな。そして、来客と共に、建造中の船を見ながら商談をまとめていたりするのかもしれない。なかなか優雅な暮らしをしていそうだが、それも終わる。


 さて。そろそろ、バレるだろう。


 こちらから見えるということは、あちらからも見えるってことだからな?


「……雨が、止んだ!」


 オレの脚の間でミアが、雨雲を見上げて確認する。その顔には、もう雨粒が降らない。天に向かって伸ばした腕の先で、花みたいに広げた小さな手にも、雨を感じることはないさ。


 ミアの表情も晴れた。雨なんか、嫌いだよな?ミアは外で元気に走り回る、お日さま愛好家さんだから。


 ゼファーも空を飛びやすくなっただろう。イドリー造船所の上空を旋回する翼を、ビュンと振った。飛翔とは関係ない動きであったが、翼にまとわりついていた雨が、空に飛沫となって散っていく―――。


「12時11分か……雲を見る竜騎士の目は、確かなようだな!」


 時間に正確なことを好む、マジメな正妻エルフさんがストラウス家の目玉を褒めてくれるよ。金色の方じゃない目玉でも、それなりに有能なんだぜ?


 君を見つめてドキドキさせてやる以外にも、すぐれた力が宿ってる。


「まあな。ほーら、見てろ……そのうち、東の風も吹いてくるぞ」


 ストラウスさん家の伝統が、まるで予言のように嵐の動きを予測する。風が始まった。もちろん、東から吹く風だ。北東に抜けた嵐の最後の土産さ。しばらくは強く吹く。


「リングマスターは、空や武術には本当にくわしいですわねえ。本当に風が吹き始めましたわ。嵐の道筋が読めていましたのね」


「……そんな言葉が使えるのは、嵐の仕組みを知っている者だけさ。レイチェル、君の故郷の海も、嵐がよく来たのか?」


「年に数度は。特別多くもなく、少なくもない。そんな穏やかな海です」


「『人魚』たちの住む、穏やかな海か。一度は行ってみたいね――――と」


『まちのほうで、かねが、なってる』


「ああ。造船所が焼けてることがバレたのさ」


 警鐘が鳴り響く。若い男が力一杯、鐘をハンマーで叩いている。酔っ払って眠っている船大工たちも、叩き起こされているのだろうな。


「大雨の大嵐の日に、消火活動をするハメになるとは、連中も想定外だろうが……やたらと優れた指揮官殿がいられると困る……敵をより混乱させるために、頼むぜリエル」


「……うむ。任せろ、ソルジェ団長……『昏き森の木に記された、戒めの炎の術よ。エルフの言葉に応え、今こそ暴れよ』―――紋章地雷、起爆ッ!!」


 リエルの呪文が風に運ばれて、あの人工的な杉林のなかに響いたようだ。リエルがおよそ二時間のあいだ、杉の幹に刻みつけてきた紋章地雷が動き出す。


 『延焼』の魔術が込められた紋章地雷だ。それからは、しばらくのあいだ、それなりに強い『炎』が吹き上がりつづける。


 野営地のかまどの中でも活躍する、オレたち『パンジャール猟兵団』には馴染みの深い紋章地雷だ。戦場で使えば、うっかりアレを踏んでしまった者に『炎』を浴びせかける。よくて火傷、悪ければ火だるまさ。


 まあ……今日に限れば、濡れた杉の木を焼きにかかるという、時間がかかる仕事だ。


 気長に観察しよう。


 東からの風を食いながら炎は成長している。とくに、イドリー造船所は炎に包まれているよ。消防隊も、はたしてどれから手をつけるべきなのか、迷っているだろう。理性的に考えれば、どれも手遅れだということぐらい悟れるからな。


 強い風を喰らって、炎は残酷に暴れる。


 黒い煙が、空へと融けるように運ばれていくね。


 ゼファーの聴覚が、敵の叫びを聞き届けた。オレの脳みそに、地上での喧騒を作り上げる怒鳴り声が聞こえて来たよ。


「どこの誰がやった!!これは、明らかにつけ火だぞ!!早く、消すんだ!!」


「そ、そうは言ってもですねえ、所長……どれから手をつけたらいいものか……」


「消防隊を雇っているのは、こういうときのためだ!!どこからでもいいから、水をかけろ!!」


「は、はい!!」


「しょ、所長、あ、アレを見て下さい!!北に、軍船と……海賊の船が!!」


「海賊、だと!?……クソ!!ヤツらが、襲撃したのか……ッ!!だが、帝国海軍に追われているのか!?」


「い、いえ……アレは、うちで作りかけていた船です……おそらく、奪われたモノかと」


「なんだと!?……あ、ああ……ッ。たしかに……船が、ないぞ……ッ!!くそ!!海軍の兵士はどうした!?見張りにいたはずだぞ!?」


「そ、それが……みな、その……殺されていました……」


「……な、なに?かなり、大勢がいただろう?」


「ええ……それが、全員……」


「な、なんということだ……っ」


「しょ、所長!!た、大変です!!林が!!燃えていますッ!!」


 ふむ。


 火つきが早かったな。


 ゼファーの背で顔を動かすよ。あの植林地から火の手が上がっていた。リエル・ハーヴェルの声を、背中越しに聞かされる。


「どうだ!見ろ!私の紋章地雷の生んだ火力は!!濡れて燃えにくいはずの偽りの森が、すでに炎に包まれようとしているぞ!!」


 そうだった。リエルがドヤ顔モードになってしまうのも当然さ。あれだけの豪雨を受けたばかりの林が燃えている。


 オレも、もっと時間がかかると考えていたが……遠目からでも、本当にたくさんの場所から煙が立ち上っていることが分かったよ。


「いい仕事だ、リエル」


「うむ。当然だ。私は、リエル・ハーヴェルなのだから!」


 ドヤ顔エルフさんにご褒美のキスとかして、慌てさせてやりたいが、今は植林地がちゃんと燃えるかを観察したいね。


 今はリエルの魔力の強さのおかげだ。紋章地雷が施された木だけが燃えている……それでは、足らないのだ。運び込んだ燃料や、燃料つきの材木。そういうものにも着火してくれないとな……。


「……?お兄ちゃん、黒い煙だ」


 ミアの髪を撫でてやりながら、オレの唇はニヤリと歪んだよ。それはそうだ、あの黒い煙を待っていた。いい知らせなのだ、あの煙はね。


「……燃料を染みこませた材木に、燃え移った。あれは、隣の木とのあいだを、つなげるように立てかけている。リエルの『炎』が、これで加速的に広がるはずだぞ」


「おお。スゴい!!」


 仕掛けが、連鎖的に機能していく。ミアが『風』で枝を切り落として作った『空気穴』から、閉鎖的な植林地に東風が注ぎ込まれていく。


 炎が立ち上り、杉の頭よりも、はるかに高い場所まで火焔の赤を踊らせる。どんどん延焼していくのが分かった。丸焼けになった木が、ミシミシと鳴りながら、倒れていく。オレとドワーフたちの仕事だよ。


 切れ目を入れていて、良かった。倒れた木は、辺りの木にもたれかかり、それに延焼していくものもあった。


 もちろん、空振りするように杉と杉のあいだに倒れてしまうものもあったが、それはそれで構わない。豪快な音が聞けた。それでいいし、風を招く穴が出来たと喜ぶことも出来るからね。


 ああ、どんどん炎が成長していくのが、なんだか楽しい。ざまあみろ、帝国人め!故郷を焼かれる痛みを知るといい。邪悪な侵略者どもめ!!


 ものの20分もしないうちに、オレたちの努力は、雨に濡れた植林地さえも、たやすく焼き払うほどの大火に成長していた。風に吹かれる度に、炎の津波が林の中を走っていくぜ。


 林のなかで、全てが蒸発しているようだ。煙と混じって蒸気が上がる……空が煙にまみれているせいで、オレたちは全く見つかりそうになかった。


 確信出来るよ。これほどの炎になれば、植林地のほとんどを呑み込んでしまうだろう。


 イドリー造船所の方も深刻な火災だった。酔っ払った船大工たちは、もうとっくの昔にあきらめていたよ。イドリーの造船の歴史は、おそらく今日、終わる。


 オレはもう見守る必要もないと考えていた。この風が止まない限り、炎の成長は止まらない。あと二時間は吹く。そして、そのあとも、消火活動が功を奏することはないだろう。イドリーは破壊出来た。撤退の時だった。


「……ゼファー。もういい。ここを去るぞ」


「……お兄ちゃん。おじいちゃんは……どうなるの?」


「……彼が、故郷に戻る日が一日でも早くなるように……オレたちは、帝国との戦いを続けるぞ」


「……うん。ゼファー、北西へ飛んで!『ヒュッケバイン号』に追いつこう!あの船団の護衛をするんだ!!」


『りょうかい、みあ!!いくね、みんな!!』


 完全無欠な勝利など、世界には存在しない。何かを得るとき、失うものもある。ヒトは万能な存在などではないのだ。


 ……オレたちは、救えなかった者を残して、炎に沈む敵地を飛び去っていく。あの納屋に残ると決めたドワーフたちに、住民の暴力が少しでも振るわれないことを祈るほかない。その選択は……正しかったのか。


 オレ自身にも、判断がつかない。判断がつかないが、決断はした。彼らの意志を尊重し、オレはオレの戦いを全うすることを誓った。帝国を倒す。それで、オレが果たすことの出来る約束は多いのだ。


 ミアは……寒さとは別の理由で、鼻を鳴らしていた。奴隷であった彼女には、ここに残るドワーフたちに待ち受けている暴力が、オレよりも生々しく理解が出来ているのかもしれない。


 彼らを見捨てたような感情が、ミアの心にまとわりついているのだろうか。


 オレは泣いているミアの黒髪を撫でるよ、彼女のお兄ちゃんだからな。


 ……救えなかったという罪悪感。それを背負うことで、ヒトは強くもなれる―――『パンジャール猟兵団』は、ミア・マルー・ストラウスは、この日、また一つ強くなっていた。

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