序章 『嵐と共に来たりて……』 その8
嵐が去る直前に残した東風を使い、『ヒュッケバイン号』と5つの新造船たちは北西を目指して海上を走る。アリューバ半島へと戻って行く航路さ。
嵐の去った空は晴れ渡り、温かくなっている。
5月も半ばになろうとしているからだろうか、ここからアリューバ半島へと向かうほどに気温は下がってくるはずだが、豪雨と暴風のセットを味わう状況から比べれば、とてつもなく温かい。
ゼファーはミアの願いに従っていた。
ずぶ濡れのミアを思えば、すぐに『ヒュッケバイン号』へと向かい、そこの船室を借りて着替えさせてやりたかった。だが、二人の意志を尊重することにした。合理的な判断ではないかもしれない。
オレたち全員がゼファーに乗らなくても偵察は十分だ。『ヒュッケバイン号』を追いかけてくるかもしれない、帝国軍船などという巨大な物体を、見通しのいい海上で、ゼファーの瞳が見逃すはずもないからな。
だが、それでもミアがしたいというのだ。お兄ちゃんは、ミアの体が冷えないように、腕で抱っこしてやるぐらいしか出来ないよ。
およそ一時間にわたり、その偵察および警戒任務は続けたが、敵の追っ手はどこにもなかった。ジーン・ウォーカーの作戦は、たしかに完璧だったようだな。フレイヤは、さぞかしあのヘタレを褒めてくれるだろう。
告白とかするいい機会かもしれないが……さて、どうなることだろうかな。
「……へっくし!」
お兄ちゃんは猫耳ケットシーさんの、くしゃみを聞いたよ。
「ミア。敵影はゼロだ。その報告も兼ねて、『ヒュッケバイン号』に戻るぞ。オレたちの報告があれば、ジーンもより早くアリューバ半島に戻れる航路を選べるかもしれない。それで、いいな?」
「……うん!ちょっと、冷えてきたもん!!」
そう言いながら、ミアがゼファーの首の上に立ち。くるりと後ろを振り返る。上空200メートルだが、慣れというのは恐いな。ミアは全く動じない。
「お兄ちゃん、合体フォーメーションを要請!両腕を上げて!!」
「おうよ!!」
「兄妹合体だあああああッ!!」
ミアはそう叫び、オレに正面から飛びかかるように抱きついていた。オレは、シスコンだからな。悪神の不思議な術に引っかかり、シスコンが強化された日もあったし?まあ、そんなことはどうでもいい。
ウルトラかわいいミアが、オレに抱きついてくれたから、ウルトラ嬉しい。ミアのことを、お兄ちゃんは抱きしめてやる。寒いのか?ならば、お兄ちゃんの体温の全てをどうにかしてミアに捧げてやりたいぜ!!
「あー、あったかいやー!ずーっと、雨に打たれて、正直、冷えてましたー!」
「そうか。素直なミアもかわいいぞ!」
「……まったく、仲良し兄妹だな」
「ウフフ。リエル、兄妹で合体ですってよ?」
「だ、だから、どうしたというのだ!?」
「いえ。別に?」
「……きょ、兄妹だから、合体とかしても、ぜんぜん、まったく……問題が……むしろ、あるような……ッ!?」
うちの正妻エルフさんが、からかい上手な『人魚』のお姉さんに弄ばれているような気がする。リエルよ、深刻そうな声音で、近親相姦……とか、つぶやくのは止めてくれ。人聞きが悪いではないか。
そもそも、オレとミアは魂で結ばれている真の兄妹ではあるが、血縁とかないから大丈夫。それに、オレはシスコンだけど、ロリコンではないのだ。
『……あー。くじらだ!!』
「え!?本当だ!!」
ゼファーが、ここより西の海上に、鯨たちの姿を見つけていたよ。10頭ぐらいの群れだった。子供が3頭に、大人が7頭。白波を立てながら、嵐の去った海を東へと向けて泳いでいく。
雄大な生き物だな。本当に、まったく、あれは―――。
「―――お兄ちゃん、あれ、美味しそうッ!!」
「ああ。美味しそうだな、新鮮な肉だッ!!」
すっかり、アリューバ文化に馴染んでいるオレたちは、大海を泳ぐ鯨たちを見ても、食欲がそそられるようになってしまっていた。まあ、しょせんは大きな魚……ロロカ先生いわく、魚に見せかけた獣らしいが。
たしかに、肉を喰らったことで分かるが、アレは魚じゃなく、獣の一種だ。なんで魚みたいなマネをしているのかは分からないが……連中にとって、その生き方は性に合ったのだろう。
ミアのお腹が、くー、と可愛い音で鳴いた。
「あうー……そう言えば、作戦のあいだ、ご飯抜きさんだったー」
「そうだな。食糧の補給も兼ねて、『ヒュッケバイン号』に戻ろう」
他の船には悪いが『ヒュッケバイン号』だけは、は元々、食糧事情が豊かだろう。食事を食べて、ミアに温かい風呂も……そして、オレ、ミアに添い寝してやりたい気持ちだ。
「ゼファー!『ヒュッケバイン号』に着陸だ!!」
『うん!おりるね!!』
そう言いながら、ゼファーはその身を右に傾けていき、『ヒュッケバイン号』に目掛けて降下していったよ。
ジーンが操舵輪を握る、後方の甲板に、ゼファーは着陸するのだ。
『ヒュッケバイン号』が、大きく揺れるが、大丈夫だ。この黒き烏の海賊船も、ゼファーの重みに慣れて来ているのだろう。揺れはしたが、壊れることもない。
ただ、ジーンは少しビビっていたな。
「さ、サー・ストラウス!?」
「おう。ジーン、見事な放火だったぞ」
「あ、ああ。アンタの方も上手く行ったかい?」
「もちろんだ。誰の魔術だと思っているんだ?」
「フフフ!そうだぞ、私だ!この、リエル・ハーヴェルさまの魔術だぞ!!」
リエルは嬉しそうだな。
たしかに、彼女の魔術師としての腕に、今日は驚かされた。今度、たっぷり夫婦ならではの愛ある方法で褒めながら、ていうか、エロいことをしたい―――と考えていたら、海賊どもが慌ただしい様子だ。
「……どうしたんだ、ジーンよ?」
「ああ。鯨が潮を吹くのが見えたから、ボートを下ろして狩りに行くんだ」
「む?食糧は、あるのではないか?」
「それは、あるよ、リエル大魔術師さん」
「大魔術師……ッ!!いい響きだぞ、ヘタレ!!」
「へ、ヘタレって言うなよッ!?」
……それはムリだな。ジーンよ、君がさっさとフレイヤ・マルデルを自分の女にしない限り、アリューバ半島に詳しい者たちの認識は変わらん。嵐の海で、全力でヘタレをイジられていた貴様の姿を思い出すと、空腹の腹がよじれてつらい……ッ。
「それでー。ジーン、食糧があるのに、鯨の狩りに行くの?」
我が妹ミアは目を細めながら、ヘタレな海賊船長を睨んでいる。
「……一刻も早く、奴隷だったドワーフさんを、アリューバに連れ帰ってあげたいのに」
「まあ。それも分かるハナシだけど、ドワーフたちの持ち込んだ食糧が、かなりヒドい。あんなものを食わされていたのかと思うと、悲しくなる」
「……古いイモと言っていたな」
奴隷の食糧か。思えば、かなり悲惨そうだ。
「食えないことはないけど。でも、そんなものを食べさせる気にはならないだろ?」
「まあ。ヘタレ男のくせに、いい発想ですわね」
『人魚』にもからかわれているな。『海の専門家』にヘタレ海賊と認定されたんだ。もうヘタレ海賊ジーンは、永遠に複数の海で語られるのかもしれないな。
だが、恋愛に奥手なところはともかく、それ以外ではイケメン野郎ではある。
「いい心がけだ」
「サー・ストラウス……アンタはいいヤツだよ」
……目の端に涙を浮かばせるな。面白くて笑えてしまうじゃないか。
「オレも、ミアとドワーフたちに、新鮮なあの大魚の肉を喰わせてやりたくなったぞ」
「え?サー・ストラウス、鯨漁とか経験があるのか?」
「ない!」
「ないのに、行くのか?」
「当たり前だ!たかが動物をぶっ殺すだけの、簡単な仕事だ!!銛をブチ込めばいいだけだろうがッ!!ミアが、腹空かせているんだ!!あと我が戦友たち、ドワーフの戦士たちに、カビの生えたようなイモを食わせてなるものか!!」
「うむ!よい心がけだ、それでこそ、我が夫だ!!行って来い!!」
「おうよ。ミア……ちょっと待ってろ!!」
「うん。ミアのお腹が、ぐーぐるぐーって鳴り出すより先に、帰ってきてね!!」
「ああ。鯨狩り史上最速タイムを叩き出してくるぜ!!」
オレは甲板を走り、クレーンで『ヒュッケバイン号』の側面に降りていくボートに命令していた。
「おい、海賊ども!!オレを、連れて行きやがれ!!」
「もちろんっすよ、サー・ストラウス!!」
「アンタの銛を操る腕を、見せて下さいよ!!」
「当たり前だ!!」
そう言いながら、オレは『ヒュッケバイン号』の甲板から飛んで、ボートに乗り移る。ボートがぐらぐらと揺れたが、この程度の衝撃でアリューバのロープが切れることなど無いのだ。
「いいジャンプっすよ、サー・ストラウス!!」
「まあな。竜騎士は、脚力も強いんでね」
「そうっすか!!じゃあ、着水しますぜ!!舌を噛まないように、口を閉じておいてください!!」
海の男に助言をもらった。だから、オレは従うよ。自分の舌を噛むと、何とも心がブルーになるもんだからな。マヌケ過ぎるだろ?たまにやるけどさ……。
さて。ボートが海に着水し、それなりの衝撃が走ったよ。
海賊たちがボートを固定していたロープを外す作業が始まる。ふむ。気持ちが焦るね。早くしないと、ミアの腹がより空いてしまう。鯨どもが逃げてしまうかもしれない。
……だが、オレは戦闘のプロフェッショナル。
殺しの前に焦るなど、愚の骨頂と認識しているのだ。鯨の殺し方を、想像すべきだな……銛、銛を使っていたな、アリューバの漁師たちは……。
ふむ。銛と言えば……オレは見つけている。視界のなかに、一人の男と銛があった。ボートのなかにしゃがみ込み、銛の後端に細いロープを結びつけている海賊。オレは、彼に質問をぶつけていたよ。
「作戦は、どういう形だ?」
「このボートで鯨の群れに突っ込んでいきやすんで、そしたら銛を突き刺してやるんですよ、ヤツらの背中に」
「ふう。複数を狩るわけではあるまい?」
「もちろん。銛が当たったヤツを狙うことになるっすね」
「どこを狙う?」
「背中っすよ。ヤツらは素早く潜りますから、どこでもいいんで、逃げられる前に打ち込んでやるわけです」
「その銛にはロープがついていて……ロープの端には、樽?」
一瞬、『火薬樽』を思い出したが、そうではないだろう。
「浮きにするのか、この樽を」
「ええ。そうっすよ、この樽が浮かぶ力で、海に潜ったヤツらに突き刺さった銛を、上に引くんです」
「なるほど。いい策だな」
「そのうち、痛みと疲労で、ヤツらは疲れて……浮き上がってきます。樽が、目印にもなるっすね。そこに、また、突き刺しに行くわけです」
「……どこでもいいか」
それでは、芸が無いな。猟兵として、色々と考えたい。ようは、ヤツらの呼吸を潰しにかかるわけだな……ヤツらは魚ではなく、獣だからだ。長くは潜れんというわけか。
「心臓を狙うか」
「はい?」
「ガルーナでは誰でも知ってるクマ狩りの教訓ってのがある。矢でクマを射るときは、脚が前に踏み込んだトコロを、斜め後ろから射抜くんだ」
「脚っすか?」
「ああ。『肩甲骨』が前に動いた瞬間を狙うんだよ。肩甲骨とそれについた肉が前にズレているからね、肩甲骨の裏側にすべり込ませるようなイメージで矢を撃ち込むと、矢は深く刺さって心臓にも達するのさ」
獣ってのは、みんな肩甲骨に心臓を守らせていやがるもんだ。
「へー。ガルーナって土地では、クマなんて狩るんですね。食べるんですかい?」
「ああ。蛮族なんでな。鯨も獣っていうのなら、有効な策じゃないかと思うんだが」
「……でも、肉の厚みが違いますぜ?クマと鯨じゃ、大きさが……」
「厚みは任せろ、竜騎士は、槍投げも得意だ。この銛を、君が見たこともないほど深く、鯨の野郎に突き刺してやるぜ!!」
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