第七話 『悪鬼獣シャイターンと双刀の剣聖』 その17
―――ソルジェがその強い瞳で、金の細工が施された玉座を睨んでいたころ。
玉座の裏側に隠れた、細くて複雑な通路のずっと奥にある、王のための生活空間にアズー・ラーフマは逃げ込んでいた。
……そこでヤツは脇腹を押さえていたよ、『炎』の魔術を呼んで、男はその傷痕を焼いて塞ぐ。
ヒドい治療法だが、『傷口』を放置しておくよりはいい……背中の傷は、放置する。
―――アズー・ラーフマは脇腹と背中に深手を負っていたものの、ニヤリと笑うよ。
残酷なマフィアの本能が……為政者ぶった仮面の奥から現れていたのさ。
悪意はにじむ、己よりも苦しみ嘆く存在を見て、身体の痛みは消えていく。
麻薬のように、その背徳は彼の心を慰安するのだよ。
―――絶望の声は、太陽に捧げる尾長の鶏の歌みたいに響いていたが……。
もう、静かになっていたのさ……目の前にいるのは、絶望が焼き尽くした『灰』だ。
6才のシーヴァは、世界の何も見たくないといった表情になっている。
うなだれ、膝を突きながら脚を広げるように座り……黒い尻尾も力なく垂れていた。
―――ただ、どこまでも深い闇が潜む口の奥で、その声を漏らす。
……ははうえ……ははうえ……そんな……こんなの、ひどいよ……っ。
ハハハ!……そうだよ、シーヴァ?
世界ってのは、残酷なんだよ!?ハハハ!ハハハハハハハッ!!
―――時間を少し、戻さなくちゃならないね。
その悲劇を知りたがるヒトも、きっと多いし。
ソルジェの歌は追う者は、知らなくちゃならない……シーヴァの物語をね?
あるいは、これは……彼の母親の物語だよ……。
―――シーヴァさま!シャオさま!……ラーフマさまが、お呼びです……。
数分前のこと、あのメイド長は、王子の部屋に行ったのさ、悩んだが職務は放棄できない。
これが最良とは思えない、だが、彼女は知っている……。
ハントの父を殺したのは……カーレイ王だったから。
―――カーレイ王は海賊被害を食い止められなかった罪で、大佐の父を責め。
その罪を償えと、斬首して、その遺体を北海に捨てたんだ。
若い頃だからね、カーレイ王も苛烈な『虎』さ……後年、それを悔いていた。
だからこそ、ハント大佐を可愛がったよ、贖罪の意味を込めて。
―――ハント大佐は父親のことで王を恨まなかった、斬首になる日の前のことだ。
父親は、ハーディ・ハントに言い残したんだよ。
王を恨むな、私は多くの民の財産を、海賊どもに奪われてしまった。
『虎』の将軍に、失敗は許されない、罪を背負う、それが私の誇りなのだ。
―――だから、ハント大佐は別に恨んではいなかった。
それでも、メイド長は竜の眼を持つヒトではなく、ただのフーレンの老婆だよ。
王族に長年仕えてきたが、ハント親子のような真の英傑は稀さ。
多くが、謀略と恨みと嫉妬に縛られた、権力の囚われでしかなったんだ。
―――多くを見てきた、恨みと権力に取り憑かれた邪悪な魂たちを。
だからこそ、メイド長はハント大佐を信じられなかった。
正義の名の下に、ラーフマを殺すだろう、そして……王になる。
王になれば?邪魔なシーヴァを殺すだろう……『虎』の王とは、そういうものだ。
―――あまりに哀れなこのシーヴァとその母親であるシャオ姫を、どうすればいいのか?
メイド長には手段はない……だが、確かに……王の部屋ならば、守りは固い。
メイド長は65才になるが、細剣は操れる……。
王家に仕えた女としての最期の意地か、王の部屋の前で、二人のことを守るつもりだ。
―――ハント大佐が来れば、彼女は刺し違えるつもりだよ。
もっとも、意味はない行為だろう……だが、あの哀れな母子より先に、死にたかった。
それが、彼女のプライドだよ、先に死のう、そして……したいことがある。
冥府で二人を出迎えてやりたいのさ、得意のスープを……シーヴァの好きな料理を作ってやりたかった。
―――シーヴァは怯えたが、母親のシャオは、うなずいた。
彼女もハント大佐を信じていない、ながく闇に囚われすぎた。
闇に蝕まれた心は、猜疑心が強まるよ……解放の日など、彼女は想像もしていない。
でも……それでも……死にたくないと息子は言ったのだ、だから彼女は決めていた。
―――はい、行きましょう……さあ、シーヴァ、生き抜くために、行きましょう。
泣きじゃくるシーヴァを引きずるようにして、シャオは走ったよ。
メイド長と『白虎』に案内されて、玉座の間を過ぎて……狭い通路を進んだよ。
そして、アズー・ラーフマがいる王の寝室の前に、三人はやって来た。
―――シーヴァさま、シャオさま……私は、ここで二人をお守りします。
たとえ、ハントがやって来ても、私は命をかけて訴えましょう。
お二人の命を助けてくれと叫び、訴え、それが約束されぬなら……。
私は……お二人の盾になりましょう、さあ、お別れです、シーヴァさま。
―――ばあや!?……ばあや、僕は、僕は、どうなっちゃうの……?
し、死にたく、ないよ……ッ、死にたく……ないんだ……ッ。
メイド長は、シーヴァを抱きしめる、畏れ多い行為と知りながら禁忌を犯す。
言葉を紡ぐよ、あなたは、まるで、私の孫のようです……愛しています、シーヴァさま。
―――だから、だいじょうぶです……さっきも申し上げた通り……。
ばあやが、お守りします……必ずや、この命に代えても、必ずや……。
忠誠ではないと、宣言していたよ、これは、ただの愛なのだと、メイド長は告げる。
だから、シャオは、ありがとう、と口にした。
―――シーヴァもシャオも、道具としてしか見られていなかった。
運命を操られて来たよ、産まれた日から?
いいや、そもそも産まれる前からね。
王族の定めは……そんなものさ、悲しいかな、運命に囚われ政治の道具となる。
―――だから、愛で動いてくれるメイド長の存在が、何よりもの慰めになる。
リンメー・パーズ、その名を持つ老婆だけが、シャオの心の支えであった。
メイド長リンメー・パーズは、シーヴァとシャオに一礼し、細剣を携え階下に消える。
王子とその母親のためではない……ただの母子のために、最後の砦に彼女はなるんだ。
―――その愛情が嬉しくて、その覚悟が悲しくて、それでも寂しさから頼ってしまう。
あなただけでもいいから逃げて、そんなカッコいい言葉は、口に出来なかった。
ああ、自分は、なんて弱い女なのか……っ。
シャオは、あの罪無き老婆に救いの言葉をも吐けない己が、情けなかった。
―――それでも、息子の願いを、一秒でも長く、叶えてやりたかった……。
だから……覚悟をしていたよ、『支配者』に媚びよう。
それをすることでしか……シーヴァの『未来』が開かれないのなら。
穢れきった私でも……息子のために、この命を捧げることは、出来るんです、あなた。
―――はいります、ラーフマ。
そう口にしながら、シャオはシーヴァを連れて、王の寝所へ入っていくのさ。
そこは……異質な気配がした。
お香のにおいがした……シャオの顔が歪むよ、異常な儀式の気配を感じてね。
―――そうさ、お香は『須弥山』の『呪禁者』たちが好む、呪術の媒体だ。
シャオも、そのことぐらいは知っている。
王家に嫁ぐときに、様々な儀式を『須弥山』で受けたが、いつもこの香りがしていた。
『呪禁者』、アズー・ラーフマ……ヤツは、ここで呪術を使っていたよ。
―――来なさい、シーヴァ、そして、シャオよ。
それが為政者の命令だと理解しているシャオは、怯えるシーヴァを連れて階段を登る。
階段の先には、カーレイ王のベッドがあったよ……シーヴァは震えが強くなる。
そうさ、シーヴァは見たんだもの、ここで、祖父であるカーレイ王は、殺されたんだ。
―――シーヴァの怯えを感知した悪人が、ニタリと笑う。
さあ、こちらへ来なさい……二人とも、ここが一番安全だ。
なあに、時間を稼げばいいのだよ、しばらくすれば、王国軍も戻り、ハントを殺す。
そうなれば、今までの通りだ……全てが、元に戻る。
―――今までの通り……その言葉の意味を、シャオは理解しているよ。
ずっと囚われだ、囚われて利用され、苦しめられ、利用価値がなくなれば殺される。
それだけだ、ただの道具……自分たちは、なんて、空虚な魂なのだろう。
だから、死んでもいいと考えた。
―――息子と共に、苦しみと屈辱しかないこの世界から消えたかった。
彼女にやさしい者たちの多くは、すでに黄泉にいるのだから……。
生きている意味などないと、彼女は悲しい確信を抱いている。
でも……息子が生きたいと願うのならば、命の使い道は一つだった。
―――ラーフマさま、シーヴァだけは、助けて下さいますか?
……ああ、もちろんだ、私には、秘策があるよ……この場所だけで使える秘策が。
それさえ、あれば……この密閉された場所を、守ることは容易い。
ここに閉じこもり、時間を稼げばいい、私が生きていれば、全ては、元通り。
―――そうですか、貴方は、邪悪ですが、たしかにお強い方です。
きっと、望みを叶えられるのでしょう……ですが……私は思うのです。
貴方は、よく嘘をつかれる……だから、この国の王に……私のシーヴァに。
ここで、約束していただけませんか?
―――貴方の殺したカーレイ陛下の怨念がこもる、この場所でなら。
貴方の心も少しは嘘を薄めるでしょう、罪悪感に、誓ってください。
シーヴァの前にかしずいて、この国の王に、誓いなさい。
そして、シャオはシーヴァを一人にしたよ。
―――シーヴァは怯えて母を見るが、母は強く言うのであった。
貴方はこの国の王になるのですよ、シーヴァ。
だから、強くならなくてはなりません……さあ、シーヴァ、命じなさい。
己の家臣である、アズー・ラーフマに、忠誠を命じさせるのです。
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