第七話 『悪鬼獣シャイターンと双刀の剣聖』 その4


 ―――ジーロウ・カーンは、『ギラア・バトゥ』の毛皮を被り原初の森林を走っていた。


 ハント大佐とシアン・ヴァティの『主力部隊』と別れた彼は、仲間と共に森を走る。


 『陽動部隊』さ……彼らはハイランド王国軍に、『見つかる役目』だよ。


 地味な役目だけど……負傷しているジーロウには丁度いい。




 ―――虎ゆえの生命力と、エルフの秘薬のおかげで、ジーロウはそれなりに動けたんだ。


 ジーロウは森から出かけては、王国軍に見つかるんだよ。


 そして、急いで森に逃げる。


 何度か船泥棒もしているよ?そのまま、西へとヴァールナ川を下り、追いかけられる。




 ―――捕まりそうになると、森へと逃げ込むことを繰り返していった。


 たくさんの仲間たちと共にね!森のなかで、無意味に焚き火をするよ。


 あちらこちらで、たくさんの焚き火を行う。


 昼間の内は、そらに多くの煙が上がったし、夜中は森の木々の間から炎の光がこぼれた。




 ―――何をしたいのかだって?……もちろん陽動さ!


 『主力部隊』が、ここらの森に、まだ潜んでいると誤認させたかったよ。


 ここにいたのは、ジーロウを含め、たったの四十人ほどだけど?


 焚き火の数や、ムダに多く行った偵察の回数で、王国軍は誤認していた。




 ―――森に入って偵察を行いたいが、少人数で原初の森に入るのは危険である。


 かといって、あきらかに待ち構えている敵に対して、大人数で近寄るのも危険。


 王国軍には使命があるよ、ハント軍を倒すことよりも、優先しなくてはならないことが。


 ハント軍と戦うことで、疲弊しないことさ。




 ―――もしも、ハント軍と戦い、共倒れするようなことになれば?


 南にいる帝国軍が、侵略戦争を開始するかもしれなかった。


 アズー・ラーフマだって、侵略され属国にされることは望んではいないからね。


 強大なる仮想敵国を前にしての内戦だ、ハント軍も王国軍も、傷つけ合うことを本能的に避けようとした。




 ―――ただし、王国軍には有利があるんだよ、物資と補給の面でね。


 帝国のキャンプを襲ったとはいえ、ハント軍の資源は少ないもの。


 持久戦に持ち込めば、飢えて降参すると王国軍の将たちは考えていた。


 それは真実であり、確かに彼らの困窮は目に見えていたよ。




 ―――王国軍は、積極的な偵察も攻勢も仕掛ける必要がなかった。


 そもそも、ハント大佐は王国軍の中では信望が厚いからさ。


 彼と戦うことを望まない兵士たちも少なくない、『白虎』の支配力は衰えていたんだよ、確実に。


 アズー・ラーフマの目論見とは異なり、ハント大佐が現れて、『王殺し』を否定したからね。




 ―――アズー・ラーフマの焦りと暴発的な王の殺害が、彼の不利を創り出してしまっていたのさ。


 今では、王国兵の士気は下がりつつあるし、ラーフマへの信頼は大きく揺らいでいる。


 だから、最も楽な作戦である、対峙したまま待つ……という行動しか選べない。


 ラーフマが攻めろと命じてきても、帝国の大軍に背を向けられるかと拒否することも出来たしね。




 ―――そんな背景があるだけに、ジーロウたちはシンプルな工作でも敵を騙せていた。


 動き回る必要はあったけど、それだけだった、戦闘らしい戦闘は起きもしない。


 ジーロウは笑う、そりゃそうだ、『白虎』の精鋭どもが連中に殺されちまったもんな!


 軍の連中、猟兵どもに『白虎』の精鋭が簡単に殺された事実を、知っているんだぜ?




 ―――とてもじゃないが、ビビって近寄れねえのさ……!!


 飢えさせるだけで、楽勝の戦なら……ケガしに頭突っ込む意味はないってか。


 へへへ!ありがたいよ、その士気の低さが……。


 おかげで、オレみたいな『二等兵』でも仕事が出来る。




 ―――ガチな偵察を派遣されたら、さすがにバレちまうところだぜ。


 こうなることも、読んで動いていやがったのか、『パンジャール猟兵団』め。


 ソルジェ・ストラウスめ、ずいぶん狡猾な赤毛野郎だな……。


 それとも、アイリス・ババア・パナージュ隊長の入れ知恵なのか?




 ―――まあ、どっちでもいいさ……オレは死にかけ、前線には、しばらく出れねえ。


 だから、こんな森の中で、コソコソと焚き火の番でもやってやるよ。


 ……ああ、そーいえば、ヴァン・カーリーは生きているのかねえ?


 そろそろ殺されちまっているのかもしれねえなあ、オレが殺すべきだったんだが……。




 ―――誰が殺してもいいか……そんなに価値のある命じゃねえもん。


 うん、きっと、死んでるな!あの連中に狙われているんだ、生き延びられるワケがねえもん……。


 いつか、オレも地獄に落ちる日が来たら……そのときは、改めて殺してやるさ。


 アンタには世話になったけどな、元・兄貴?……オレはもう本物の『虎』なんだよね。




 ―――アンタの言葉は聞かないし、自分の正義に反することもしねえんだあ。


 そういう生き方を貫いて、そういう死に様を晒してやることにしたよ。


 ああ……『盲虎』の兄貴も……地獄にいるだろうね?


 『盲虎』の兄貴、アンタの斧に、オレは相応しい腕になるよ……地獄でまた、戦おうな。




 ―――ジーロウ・カーンは、空へと向かって咆吼を放つよ。


 それは、まるでレクイエムかな……ただの偶然だけど、彼が叫ぶちょっと前に。


 ヴァン・カーリーは錬金釜の中で、融けてしまっていたんだよね。


 ただの偶然だったけど、地獄に落ちるヴァン・カーリーは弟分の歌に見送られたのさ。




 ―――ジーロウたちの『陽動』は上手く機能し、王国軍は台地の南に集結していたよ。


 ゼファーが南の空をウロチョロしているせいで、警戒はさらに引き上げられる。


 その理想的な環境を背景にして、シアン・ヴァティは走っていたよ。


 初めこそ、馬を使って北上していたけれど、馬たちは残念ながら限界だ。




 ―――深い森を縫うように走る道を、走り抜けたおかげで、馬の脚が折れ始めていた。


 可愛そうだが、死ぬまで走らせてしまうんだ。


 どうせ、この原初の森林に踏み込んだ時から、馬たちの終わりは見えていた。


 夜通し走らせて、とてつもない距離を稼いだよ。




 ―――馬に乗ることが少ないフーレン族たちだって、これだけ乗れば慣れるほどにね。


 走って、走って、馬どもはどんどん倒れて死んでいった。


 命を潰して走った距離は、400キロ近かった……その馬たちを切って焼いて、食べたよ。


 食事をしながらでも、シアンたちは歩き続けるのさ。




 ―――ただただ真っ直ぐに北を目指す、食事が済んだら、戦士たちは走ったよ!!


 シアン・ヴァティは、ハントとその支持者たちを連れて、北へと走る。


 戦士たちはその圧倒的なスピードに、必死について行く。


 選りすぐりの戦士たちだからね、それに士気が高いんだ。




 ―――この国を『白虎』から取り戻す、その信念が、彼らの脚を支えていたよ。


 ひたすらに走りつづけ、彼らもまた命を潰すような疾走を見せていた。


 深い森を走るんだ、脚は痛むし、心肺機能は酷使のあまりに悲鳴を上げた。


 それでも、装備が最低限なことだけが幸いした。




 ―――ほぼ水筒だけさ、馬を喰ったのは、食料すらも持たずに軽さを捻出したからだ。


 鎧も革製のモノばかり、鋼を使っていたとしても薄皮のようなプレートだけだ。


 軽装に食料も無し、ただただ走るための集団だったよ、最初から最後まで。


 悪夢のような苦しみに満ちた、地獄のマラソン、でも……この暗い森でも迷わなかった。




 ―――この濃密な森林の迷宮の全てを、シアンは戦いの記憶と共に覚えていたからね。


 どこをどう走れば、どこに辿り着けるか……。


 それを覚えなければ、原初の森林の北西部からは、生きて抜け出せないのだから。


 複雑にして怪奇な構造を、彼女は全て覚えていた……だから、迷うこともない。




 ―――ハントたちを、ひたすら北へと案内が出来たんだよね。


 ……それはハイランド王国の住民たちからすれば、ありえない冒険だ。


 原初の森林の北西部を抜ける?……そんなルートは、あまりにも危険だったのさ。


 常識外れだ、『ギラア・バトゥ』の血が無ければ?シアンの案内が無ければ?




 ―――絶対に不可能な踏破だったのさ、この道を貫いてしまうなんてことはね!!


 だからこそ、ハイランド王国軍には気取られない。


 ジーロウたちのいる場所に、ハントもいると考えていたのさ。


 夕闇が訪れそうになった頃、全力で走りつづけた戦士どもが……ついに森を抜ける。




 ―――その川を見つけると、戦士たちは喜び、走り、水を飲んで、ノドの渇きを癒やす。


 限界以上に疲れ果てた肉体を、母国の大地に寝転ばせるよ……。


 元気だったのは、シアンだけ……イーライもピエトロも立っているのがやっとだ。


 ハントは、指揮官の誇りと責任が、立たせてくれていた……。




 ―――シアンはハント大佐を褒めていた、拷問を受けていたらしいが、中々に元気だ。


 さすが、『虎』だな……そう言いながら、彼女は西を睨みつける。


 ……我々は、予定よりもかなり早く着いたつもりだったが……。


 なかなか、やるな、ギンドウ、ジャン……。




 ―――シアン・ヴァティの琥珀色の双眸が、ガイート川を上ってくる高速商船を見た。


 シアンの瞳に睨まれて、ジャンが、ビクリと体を揺らしていたよ。


 ふん……相変わらず、臆病な男だな。


 ……ギンドウめ、また倒れている……海のような魔力があるのに、ムダが多すぎるのだ。




 ―――完成されたシアンのような剣聖から見れば、あまりに不出来なコンビだが。


 日が暮れる前にたどり着いたことは、褒めてやるつもりであった。


 そうさ、こうして……仲間たちは合流を果たす。


 『真なるハイランド王国軍』の精鋭220名は、高速商船にギチギチに乗り込むよ。




 ―――風に乗り、高速船はどんどん東へと走る。


 ギンドウの『風』もあったからね、おかげで森を駆け抜けた戦士たちは休息出来たのさ。


 心地よい風を浴びながら、とにかく脚を休ませた……。


 しばらく、すると高台へと至る傾斜が始まる。




 ―――そういうところは風だけでなく腕の出番だった、オールで漕いで、この急流を上っていく。


 脚の後は、腕の地獄だよ……ソルジェは悪夢のような作戦を描いたものだ。


 でも、やるしかないよ、幸い、船には食料があるんだよ。


 兵士たちは、腹だけは満たすことが出来たのさ。




 ―――川は右に左にと蛇行しながら、ゆっくりと高台を昇り始めるよ。


 南側の崖に比べると、こちらははるかに勾配が楽。


 海岸に浅瀬と岩礁が無ければ、ヴァールナ川よりも栄えたかもね。


 まあ、帝国にも繋がっていないから、『白虎』の政策には合わなかったけど。




 ―――ガイート川の急流を、オールを漕いで上っていくよ。


 『バガボンド』から選抜された有能な戦士たちと、『虎』のチームだからこそ出来た荒技。


 強靱さがムチャをはね除け、この道を進ませる。


 体力を使い果たしそうになれば、仲間と交替し、ローテーションを組んで山を登った。




 ―――しばらくすると、夕闇のなかに、その牧場が見えたんだ。


 そこにはいたよ馬たちが……この片田舎の牧場にしては異常な数がいる。


 ハントの部下である、最北の砦の『虎』たち30名が、そこには待っていたよ。


 近隣の馬飼いたちから、馬を借りまくって、ここに集めたのさ。




 ―――ハント大佐が創り上げ、発展させてきた、北海との交易。


 ここより更に北にある港から、この馬たちがいつもは荷を運ぶ。


 脚は遅いが、太い脚が荷物の重量に耐えるんだよ、この馬たちはね?


 ……馬は、今夜は武装を積んでいた。




 ―――北海の海賊たちと戦うために、ハント大佐が造らせた武器と防具だよ。


 戦士たちは船を下り、それを装備していく、より威力のある武器と頑丈な鎧を着込んだのさ。


 そして、そこからは馬が引く馬車に乗り込む……休息しながら、南下していくんだよ。


 食事を取って、可能な限り休息を取る……眠る者たちも多かった。




 ―――別に眠っても構わないさ、馬は覚えた道を勝手に歩く。


 敵の警備は手薄だよ、すでにハント大佐の部下たちの大半は捕らえられたからね。


 わずかに逃げた30名が、大佐との連携を狙っていたルードのスパイに拾われていた。


 ルード王国は貿易の国だからね、北海貿易があるこの地にも駒を置いてるよ。




 ―――商売っ気のするところ、戦の気配のするところ……。


 そこに昔からルードはスパイを派遣して、情報収集に力を入れてきたんだよ。


 元々、世界的な乱世に備えていたわけじゃなく、商売のためだったんだけど。


 時代の流れが悲惨だから、今では商業よりも軍事目的で機能している。




 ―――まあ、外交官を置いたと思えばいいハナシ。


 国交の無い国にも、非公式で行動力のある情報屋を派遣しただけ。


 ほとんど皆、商売人に化けているけれどね……大冒険を行うスパイは少数派。


 とりあえず、少数精鋭の『主力部隊』がここに集まったよ!!




 ―――ハント大佐を含む『虎』の正規軍剣士たちが、120名。


 イーライ将軍と、ピエトロを含む『バガボンド』の軽装弓兵が、50名。


 『バガボンド』の元軍事経験者のドワーフやケットシーの戦士たちが、80名。


 そして、ルード王国軍の大嘘つきなスパイたちが、30名と……無敵の猟兵が3人も!




 ―――たった、283人と侮ることなかれ、精鋭ぞろいで士気も高いよ?


 しかも、嘘つきスパイと正規軍の『虎』がいるからね?


 検問だって、フリーパスさ……偽りの証書があるんだもの。


 王都防衛のための、特別増員である!!……偉いヒトのサインの偽造さ?




 ―――いくつかの検問を突破して、完全武装の283名は闇の中を進むんだ。


 これだけで、勝てるかって?


 勝てるよ、別にクーデターは戦争じゃあない、たんにラーフマを暗殺した瞬間に。


 ハント大佐がそこにいればいい、一人を殺すのに、280人と、猟兵7人と竜一匹。




 ―――過剰なまでの戦力だよね!……それに、王都の兵士や民衆が、『敵』とは限らない。


 大義はこちらにあるのだよ、ハント大佐には正しさがある。


 民衆が、どちらを選ぶのか……それも楽しみなトコロだよね……。


 さて、シアン・ヴァティは気に入った馬の背に飛び乗り、あぐらをかいて座ったよ。




 ―――彼女だから出来る危険な乗り方だ、絶対にマネはしてはいけない。


 闇でもくらむことはないシアンの琥珀色の双眸は、懐かしい風景を楽しんだ。


 『須弥山』が、はるか遠くに見える、そこに光るのは、道場の灯……。


 あの灯の下で、子供の彼女も刀と共に踊ったよ、誰よりも、踊った。




 ―――いちばん早くやって来て、いちばん遅くまで道場にいた。


 武にまつわる動きの全てを、識ろうと努力を惜しまなかったのさ。


 天才の技も、凡才の技も、全てを観察した……それは必要なことさ。


 誰しもが天才の部分を持ち、誰しもが凡才の部分を持つからね。




 ―――完璧な剣士など、存在はしない……強さも弱さも、価値がある。


 強い理由を認識し、弱い理由を把握する。


 相手の弱さを見抜き、自分の強さをぶつけていく。


 それが戦いだからね?強者の動きも、弱者の動きも、知る価値は強くなることと同等なほどにある。




 ―――それが、『須弥山』の哲学……強さも弱さも極めてこそ、真の『虎』である。


 そして、『須弥山』を制した夜に……シアン・ヴァティは最年少の『剣聖』となった。


 16才の誕生日さ、それからは『須弥山』を飛び出て、国中の荒くれ者を殺したよ。


 兄たちと共にね?家族でも殺し合った、父親を兄が殺したから、皆で殺し合いになった。




 ―――たくさん殺して、ひとりの兄と自分だけが残る。


 兄はこの国から旅立ち、外の国へと獲物を求めた、シアンもついて行ったのさ。


 シアンも強さを求めたかったからね、その後、色々なことが起きた。


 兄が誰かに斬られて、一族は最後の一人になった。




 ―――いいや、そもそも私は、拾われ子だ。


 義賊ヴァティの血は、すでに絶えてしまったのだな。


 年に一回ぐらい、兄たちの誰かに嫁ぎ、それの子を産んでやるべきだったかとも思う。


 だが、自分よりも強い男でなければ、惚れぬことを、彼女はよく知っていたよ。




 ―――『虎』は嘘をつけないからね?好きな相手の子しか産まない。


 シアンは生涯結婚はしないけど、数年後に子供は産む。


 その『虎』は、15才で剣聖になるんだけど、僕はあまり驚けないよ。


 まあ、そりゃそうだなあ、という感じ。




 ―――凶悪極まる二世どもの物語は、未来の物語……。


 雷帝斬り使いのドワーフ・クォーターと、『王虎』はライバルさ……。


 竜太刀を欲しがる彼らが、どこかの魔王に言われて競い合う日もあるわけだが……。


 今夜は、『悪鬼獣』の物語……『シャイターン』は、もうすぐ目覚めるよ?




 かつてよりも、はるかに完成された……本物の悪魔としてね。

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