第五話 『悪鬼たちの夜』 その19


 ―――ジーロウ・カーンの心臓が停止する、十五分前のことだった。


 全身に重傷を負いながら、それでも怯むことの無い『虎』どもは命を削り戦っている。


 絡んでもつれ合うように……なんだか、踊るように彼らは坑道の中へと突入していくのさ。


 ジーロウが貧血にふらつき、彼は坑道の壁にその大きな背中をもたれかける。




 ―――出血が激しく、疲れ果てている……熱くなった背中に、その岩壁は冷たい。


 なんだか、支えられているような気持ちになり、ジーロウの顔が微笑んだ。


 『盲虎』は、ジーロウの顔は見えないが同じように笑った。


 彼は褒めているのさ、弟弟子である、ジーロウ・カーンの成長を!!




 ―――素晴らしい出来だ、よくぞ、ここまで強くなった。


 ……へへへ、いやあ、アンタが、弱くなったんだぁ……きっとね。


 どうだろうか?加齢もあるが、自分では、鈍った感覚はない。


 ……オレに、肩を噛み千切られたのに?




 ―――ああ、そうだな。


 だが……この傷こそが、お前の成長の証だと認識しているぞ。


 かつてより、容赦がなくなり、獲物に対して無慈悲となった……。


 イー・パール師よりも、その点だけは、お前は上だ。




 ―――師匠は、強くて、やさしいからな……オレたちみたいなのとは違う。


 強いから、オレたちみたいに必死にならなくても、十分に、足りていたんだよ。


 オレたちは、足りていない……強いよ?でも、頂点からは、やっぱりずいぶんと遠いんだ。


 ……シアン姉ちゃんを見て、思い知らされた……上には、上がいて、本当に遠いんだ。




 ―――なるほど、頂点、シアン・ヴァティを知って、残虐さを得たか?


 必死に、残虐にならなければ……お前はその頂きに近づけないと?


 ……ああ、そんなことろだよ……オレは、強くなりたくなった……。


 強くなりたい……『虎』ならば、誰にも縛られないからさ……『自由』でいられるだろ……?




 ―――ジーロウは、一瞬、気を緩めていた。


 その一瞬を『盲虎』は見逃さなかったよ、一瞬で間合いを詰めてジーロウに前蹴りを命中させる。


 顔面を蹴られたジーロウが、坑道内の坂道をゴロゴロと転がっていく。


 幸運だよね、その転がりがあったから、意識を取り戻せるための時間が稼げたよ。




 ―――転がらなければ、『盲虎』の双斧のラッシュで肉片にされていたよ。


 転がりながらもジーロウは悟る……やっぱり、『盲虎』の兄貴は、強いなあ。


 勝てねえか……そうだ、そりゃそうだ……勝ったこと、無かったじゃないかよ。


 なんで、オレは……それなのに、突っかかったんだろうねえ?




 ―――だってよ?いただろ、ソルジェ・ストラウスが……。


 シアン姉ちゃんの『長』だ……つまり、あのシアン姉ちゃんよりも強いんだぜ?


 ……へへへ、そーだよ……だから、オレ、腹ぁ、殴られて気絶した……一撃で、負けた。


 くやしいぜ……でも……そうだなあ、オレ……だから、だっけ……?




 ―――あまりにも出血と傷がヒドすぎた……そして、敗北を悟った彼は動けなかった。


 転がるよ、無様に、どんどん……坑道の奥へとね……。


 やがて……どれぐらい転がったのか……『虎』が、止まる。


 ……そこは、やけに臭かった……血と、汗と、排泄物のにおい……なんとも劣悪な環境さ。




 ―――ふ、フーレンが来たぞ!!……しかも、顔に入れ墨……『虎』だぞッ!!


 わ、我々を、こ、殺しに来たのかッ!?


 そ、そうだとしても……負けて、たまるか……ッ。


 ……そうだよ、こ、こわくなんて、ないもん……っ。




 ―――最後に聞こえた幼い声に、瀕死の『虎』の黒い尻尾が動いた。


 どこかで聞いたような、声だった……どこだっけ?


 いつだっけ……そんなに、前じゃないんだよな。


 そうだ、つい最近じゃないか?……オレは、運んだぞ……運んだはずだ。




 ―――西に行ったらね、『自由』になれるの!!


 そっかー、帝国ってのは、そんなにヒドいところなのかよ?


 うん、とっても、ムチャクチャなのよ……いつも怯えて、ビクビクしているの。


 ……ビクビクねえ?お前みたいな、明るいのが?




 ―――うん、昔はそーでもなかったけど、最近はいじめられるんだあ……。


 いじめられる?……へへへ、なーんだ、そんなことかよ?


 えー、『虎』のお兄ちゃんは、いじめられて悲しくなったこととか、ないのお?


 ……ねえよ!『虎』だもん、強いんだ、オレは……。




 ―――ジーロウは嘘をついた、昔、隣の家にいる黒髪の女フーレンにいじめれていた。


 トロいと言われて、弱いとなじられて、もっと強くなれと殴られたあげくに怒鳴られた。


 シアンは愛情あふれるシゴキと考えていたけど、ジーロウはそう受け止めていなかった。


 こてんぱんにされる度に、なさけなくて、悲しくて、涙が出た。




 ―――ジーロウ・カーンは気が弱いのさ、頭も良くない、武術の才もあまりない。


 彼が『虎』になれたのは、奇跡だね……シアンの壮絶なシゴキのおかげかもしれないよ。


 天才シアンの動きを見て、トロいなりに努力した成果かも?


 いいや……じつのところジーロウは、ただ黙々と武術の訓練をすることだけは得意だったのさ。




 ―――オレは、最初から強かったんだから、いじめられたりしねえんだ!!


 バカな大人がついたその嘘を、エルフの娘は信じたのか?……分からない。


 彼女は10才だけど、苦労は人一倍していたからね。


 そっかー、ジーロウちゃんは、強くていいねえ。




 ―――バカにしてるのか?……嘘なんかじゃねえんだぞ?『虎』は、最初から強いんだ!!


 はいはい、わかりましたわかりました。


 ……バカにしてるだろ?なんだい、せっかく、運んでやってるのに?


 ああ、ごめんねー、あやまるよー……だから、追いてっちゃ、ダメだよ。




 ―――ジーロウは『白虎』でも下っ端だったから、細かな状況なんて分からない。


 『螺旋寺』で修行ばかりしていたから、世間に疎い。


 エルフの少女が、そのとき、まるで大人みたいな表情をしていた理由が分からない。


 追いてっちゃ、ダメ……その言葉を言ったときの少女は、不安に満ちていた。




 ―――だから?……愚かなジーロウは笑うんだ、大丈夫、お前らを運ぶのが仕事なんだ。


 きっちりと運ばないと、ヴァンの兄貴に、怒鳴られちまう……。


 だから、安心しろって、泣くなよ……置いていったり、絶対にしないよ?


 不安に怯えて泣いてしまう、強気なはずの少女の涙に戸惑っていた。




 ―――ジーロウが難民たちを連れて、ヴァールナ川の西にたどり着いたのは……。


 首魁・ラーフマが『白虎』の全員に、政策変更を告げた直後だったのさ。


 ……そのときのジーロウは呆然とするよ……船に乗せて、戻るのか?せっかく連れてきたのに?


 そうだ、ラーフマの親父が決めた、オレたちは従うのみだぜ。




 ―――ヴァン・カーリーは、そう言いながら、呆然としているジーロウの肩を叩いた。


 これも、ビジネスさ?……もう連中は、この国を通れやしねえ。


 オレたちが運ぶのは、金になるモノだけだ。


 ……ああ、そんなに暗くなるなよ?……送り返すのは、お前じゃない。




 ―――おつかれさん、メシをたらふく食え、いい宿もある、いい女も酒も、薬もな?


 また今度、頼むぜ、ジーロウ?……お前はなあ、オレの『虎』なんだ。


 オレが飼ってやっているから……いい暮らしが出来るってことさ、覚えてるか?


 ……覚えるよなあ……だったら、今後もオレには逆らうな?……逆らうと、殺すぞ。




 ―――ジーロウは、それから三日間、ホテルに閉じこもっていた。


 メシを食い、酒を飲んだが、麻薬と女はいらなかった。


 ただ……ベッドに転がり……西にある海を見た。


 難民たちは、送り返されていた。




 ―――あの海も、越えて……連れて行ってやればいいだけのことだ。


 行きたいところがあるのなら、行けばいいじゃないか……。


 帝国じゃよう、あの子……いじめられちまうんだからよう……。


 ヴァン・カーリーに言いたかった言葉が、何故だか、ここでも口に出せなかった。




 ―――脅されたからか、そうだ……そうだよ、ビビっていたのさ。


 だってよ?オレみたいな鈍いのを、使ってくれるのは、ヴァンの兄貴だけだ。


 ヴァンの兄貴が、そうしろと言ったんだ……しなきゃ、ダメだ。


 じゃないと……メシだって食えねえよ?酒だって、呑めねえよ?




 ―――なのに……なんだか……イヤで、イヤで、たまらなかった。


 休息の日々が過ぎて、今度はヴァールナ川を遡る仕事が来た。


 帝国に運ぶ、魚の燻製……その箱に隠した、麻薬だった。


 命に代えても守れよ、ジーロウ?この粉は、そこらを歩いているヒトより『高い』んだからな!




 ―――ジーロウは今までみたいにヘラヘラとは笑えなかったが、ヴァンに対してうなずいた。


 船が出るまでの時間、ジーロウは海の方ばかりを見ていた。


 漁師が、ジーロウを見つけて唾を吐いていた。


 ドワーフ族の漁師だよ、この国境の町の漁師の男さ。




 ―――『虎』をも恐れぬその男は、勇敢なわけじゃなくてね、たんに怒っていたんだ。


 ……なんで、ガキどもまで送り返しちまうんだ?


 テメーらのせいで、親と離ればなれになったガキが、どんだけいるんだ。


 おい、太った若い『虎』よ?……オレの網に、今朝、何がかかったと思ってる?




 ―――ジーロウは、無視しようした。


 だが、肌が赤い日焼けにおおわれた漁師の男は、クズをにらむ目をして彼に叫んだ。


 ガキだよ!!ガキのエルフの死体だよ!!


 ジーロウの尻尾が、雷に打たれたときよりも、激しく立っていた。




 ―――お前らが、また東に連れ戻そうとしやがるから……。


 どうにか、西に行こうとして、船から下りて、泳いだのか……。


 それとも、捕まる前に逃げて、海を渡って西に行こうとしたのか……。


 一人ぼっちで、魚とカニにまみれて……オレの網にかかってやがったんだぞ!!




 ―――オレが、どんな気持ちで、あの子を、網から外してやったか、分かるか!!


 ちっこい子供がな、オレの仕掛けた網に、かかっていたんだぞ!!


 女の子なのに、オレの網に、長い髪が絡まってて……ッ!!


 それを、オレはよう……あんまり外れないから……網を切ってやって……ッ!!




 ―――このクズ野郎どもがッ!!あそこのイース教会で、葬式してるんだ!!


 あそこに行って、見て来やがれ!!テメーらクズが、何をしたのか!!


 その腐った目玉で、見て来いよ!!


 ブクブクと肥え太るために、お前らが運んだのは麻薬か!?




 ―――いいか、この『帝国に飼われた豚野郎』!!


 テメーが太るために、川に捨てたガキを、その目で見て来やがれ!!


 怒れる漁師は、仲間に連れて行かれる……漁師だって、『白虎』ともめるのはイヤだ。


 彼らだって『白虎』に逆らい、船に子供を乗せる勇気は無かったのさ。




 ―――暴力の前に、大人たちはみんな沈黙する……ジーロウの耳が空に響いた鐘を聞く。


 死んだエルフが……あの子かどうかを、確かめに行く勇気なんて、彼には無かったんだよ。


 ……鼻水が、尋常じゃない勢いで流れ……涙は、もっと流れていた。


 西に見える海は、とても遠くて、とても広くて……青くて、歪んで見えたのさ。


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