第五話 『悪鬼たちの夜』 その20


 ―――死んだのか、ジーロウよ?


 『盲虎』の声に、ジーロウは起き上がる……その目は涙で濡れていた。


 坑道内に造られた、難民たちの檻を見る……皆が、憎しみの目で見ている。


 涙で歪んだ海に暮らす、ドワーフの漁師と同じ目だったよ。




 ―――かつてより勇気が出たのか、それとも義務感を覚えたからなのか……声の主を探したよ。


 女の子は……いた……エルフじゃなくて、ケットシーさ。


 その子の青い瞳は海のようで、そして、やっぱりジーロウを睨んでいる。


 恐怖に震えながらも、『虎』たちを睨んでいるのさ。




 ―――呆けていたジーロウが、『盲虎』に蹴飛ばされる。


 檻に蹴飛ばされたジーロウの巨体がぶつかり、難民たちは怯えて逃げた。


 その暴力を受けながらもジーロウの目玉は、ただただ女の子を見ていた……。


 ……鼻水が垂れてくる、涙があふれてくる……。




 ―――ジーロウは、言うのさ……すまねえなあ、ごめんよお……ッ。


 弱くてみじめな『虎』がいた……殴られ過ぎた脳が、彼から見栄を取っ払う。


 あるのは……そうだ、もう……本能じみた、言葉だけ。


 まるで祈りみたいな感情を帯びた、謝罪の言葉だったのさ。




 ―――連れっていって、やるはずだったんだあ……っ。


 でもなあ、オレは……弱虫だから……兄貴なんかが、怖くて……。


 『白虎』なんかが、怖くて……だからよう……オレ、とんでもねえ嘘つきになっちまったよう。


 すまねえ……ひとりぼっちだったのに……。




 ―――あのとき、オレの船にはよ……エルフは、お前だけだったんだ……っ。


 母ちゃんも、父ちゃんも……いねえで……お前、ひとりぼっちだったんか……?


 それとも……先に、西に行ってて……お前を、待ってたのかなあ……っ。


 なあ……どうだったんだろう……お前、だったのかなあ?死んだのは……ッ。




 ―――お兄ちゃん……誰のこと……?


 私じゃないよ……きっと……その子はね……私じゃ、ないよ……。


 ケットシーの言葉に、ジーロウはうなずく、鼻水と鼻血が混じったものが垂れていた。


 うん……そうだあ……そうだよ、ごめんなあ、まちがえた……っ。




 ―――ジーロウの様子はおかしかった、難民たちが、気づく。


 これは、『虎』同士の戦いなのか?『白虎』同士で、なんで、戦う……?


 ジーロウは檻を斧を握った拳で圧しながら、立ち上がるんだ。


 呼吸を整えながら、口から唾と血を吐いて、彼は……難民たちを見る。




 ―――助けてやるから……そこから、出してやるから……待ってろ!!


 その言葉に難民たちは戸惑いさえ覚えてしまい、誰しもが無言を選んでいた。


 ジーロウもね、どうして、そんなことを口にしたのかは自分でも分からない。


 だが……彼女は、檻の中で希望を捨てていない少女は、ジーロウに問うんだ。




 ―――本当……?本当に、出してくれるの……?


 『虎』が、その大きな口を横に開いて、悪いヤツみたいな笑顔を浮かべる。


 ああッ!!絶対だッ!!絶対にッ!!助けてやるんだ、今度こそッッ!!


 その誓いが歌となった直後に、ジーロウの顔面を蹴りが襲っていた。




 ―――蹴られた巨体が、また、檻にぶつかる。


 檻が揺れる音がして、ジーロウは、笑っているように開いた口から血を吐いた。


 ……お、お兄ちゃん。


 ……へへへ、心配するなって……ッ、勝つから……ここから、『盲虎』に勝つんだからよ!!




 ―――ジーロウの言葉を聞いて、『盲虎』は嗜虐的に笑う。


 フフフ……ついに、おかしくなったか?


 ああ……ここは、坑道の中だろう?目の見えるお前は、闇に恐怖を覚える。


 修行を怠ったか?……師から、心を闇に融かす術を習っただろう?




 ―――うるせえよう、『盲虎』……オレは、もう、師匠のところから巣立ったんだ。


 いいや……それだけじゃねえよ……『白虎』からも、オレは巣立った。


 オレは……『バガボンド/漂泊の勇者たち』だ、コイツらの、仲間だッ。


 だから、コイツら、守るんだよ……お前を、ぶっ殺してッ!!




 ―――おいおい、どうしたんだ、ジーロウ?


 『白虎』を抜けるのはいいが……難民どもと共に行くのか?


 ……その先に、何がある?何もない。


 私の見える世界よりも、真っ暗だ。




 ―――兄弟子としての忠告だ、『虎』は、弱者と混じるべきではない。


 せっかく、そこまでの強さに至ってみせたのだぞ……もっと、上を求めるがいい。


 強くなるためにも、環境というものが要る……。


 『白虎』は、悪くないぞ。




 ―――だから、アンタは、『白虎』にいるのか?居心地が、いいから?


 ああ、それを否定は出来ないだろう?お前は、昔より大きく肥えている。


 ……そうだな、オレは、美味いモンばっかり喰わせてもらって、太ったよ……。


 それだけの暮らしを、お前は『白虎』からもらったと思っているのか?




 ―――ジーロウは、『盲虎』の言葉に戸惑ったよ、意味が分からなかった。


 ……いいか、『白虎』とは、強者のための狩猟場のようなものだ。


 私たち強者のために、弱者は肉となり、喰われる……。


 富は、『白虎』が与えたのではない、お前が守るとほざいた弱者から奪ったものだ!!




 ―――いいか、今さら笑わせるなよ、ジーロウ!!お前も、そいつらを喰った!!


 そいつらを喰い!!強くなった!!快楽を得た!!食事も女もだろう!!


 否定するな、その捕食者としての有り様を!!


 それこそが、『虎』だ!!強さのために、弱者を喰らい、その牙を研いだッ!!




 ―――いいか、ジーロウ?我々は、心をも悪鬼に至らせる!!


 邪悪なほどの冷酷を、その切れ味を、お前も理解しているだろう!!


 シアン・ヴァティ!!あの冷酷がいる!!ああでなければ、彼女に、勝てないッ!!


 喰らうのだ!!喰らい、冷酷で残酷な強さを得るのだ!!




 ―――喰らっても足りぬほどの、野心、欲求、衝動!!


 それらを磨くためにはなあ、喰らうしかねえんだよッッ!!


 『盲虎』がジーロウに跳びかかる、闇のなかで、ジーロウはわずかに遅くなったが。


 『盲虎』は、より速くなっていた!!




 ―――双斧がぶつかり合う、イー・パールの教えが、瀕死のジーロウを動かしていた。


 でも、ダメだ……圧されていく……力が、足りない……やはり『盲虎』は格上だ。


 斧の剛刃が、ジーロウの双斧を弾き飛ばし、前蹴りがジーロウをまた蹴飛ばした。


 再び、ジーロウが檻に背中をもたれかける……。




 ―――あ、あんた……ど、どーして、『虎』のくせに、『白虎』を裏切ってる?


 難民の男が、ジーロウに訊いた。


 ジーロウは……答えるよ……『虎』だからさ。


 オレは、ホンモノの、『虎』になりたいんだ……。




 ―――誰よりも『自由』で、誰のことも支配はしねえ……。


 へ、へへへ……ぜーんぶ、自分で決めるんだよ?ひとりぼっちでも、迷わずに。


 やりてえことのためになあ、命を……ぜーんぶ、つかうんだよ。


 いいかあ……ヴァンよ、ラーフマよ、オレはもう、自分のために生きるんだ。




 ―――テメーらの、好きにはさせねえよお……ッ。


 オレの船に乗せていいのは、オレが気に入ったヤツだけだッ!!


 いいか、お前ら!!西に行きたいなら、あの海を、渡りたいなら!!


 オレが……連れて行ってやる!!オレが……オレの船に、乗せてやるんだッ!!




 ―――で、でも……お兄ちゃん、ぶ、武器が……武器が、ないよ!?


 そうさ、ジーロウの双斧は弾き飛ばされていたよ、『盲虎』も瀕死だが、彼は強い。


 それでもジーロウは、闇を見上げながら笑うんだ。


 約束するんだよ、あのエルフと、このケットシーに。




 ―――だいじょうぶだあ、ホンモノの『虎』は、誰にも、負けねえんだあッ!!


 待ってろ、連れて行ってやる!!海だろうが、ルードだろうが、ザクロアだろうが!!


 それよりも、もっと遠くでもいい!!オレが、お前らを、運んでやる!!


 誰にも、文句は言わせねえ!!……だから、まずは、貴様を殺すぞ、『盲虎』おおおッ!!




 ―――『盲虎』は『虎』の美学に衝動され、歓喜を帯びて咆吼する!!


 いいぞ!!ジーロウ・カーンッ!!


 お前の殺意をッ!!見せてみろッ!!


 おうよ、来やがれ……アンタの知らない、師匠の技を、見せてやるぞおおッ!!




 ―――お前に、そんな技巧があるものなら!!見せてみろッ!!


 ジーロウ・カーンッッッ!!!


 『盲虎』がジーロウの首を斧で刎ねるために、全霊を込めて加速する!!


 闇の中、鍛錬を重ね続けたその男は……強かった。




 ―――だが、盲目の代償もある……彼が知る最強しか、模倣できなかった。


 全盛期の『双斧聖イー・パール』、最強無頼の激しき『虎』の一匹さ!!


 全盛期のイー・パールの、『首刎ね裂き』が左右から迫る。


 師匠の最強の技だった、『盲虎』は、それを完璧に模倣していたよ。




 ―――完璧さ、完璧すぎる模倣だから―――ジーロウ・カーンは受け止める!!


 ガグウウウンンンンッッ!!最強の突進技を止められた『盲虎』が驚愕する!!


 なぜだ!!斧を失い、どうして、止められる!!


 ……斧より、速く……動ければ……斧使いにゃ、負けねえって……ッ。




 ―――な、なに!?


 し、師匠は年食って、体痛めて、病気にもなって……ボロボロで。


 それでも、アンタが来てくれるの、待っていた……アンタのために、鍛えてた。


 アンタが放つ最強を、止めてやらなきゃ、失望させるからって……ッ。




 ―――アンタは、師匠が老いたから、弱くなったって、決めつけたんだろ!?


 そ、それは……ッ!!


 ジーロウは叫ぶのさ、見てきたからだ、イー・パールの鍛錬を。


 ジーロウこそ、イー・パールが認めた最後の弟子だから……。




 ―――師匠は、弱くなっていない、そうじゃない……ずっと、鍛錬して、アンタを、待ってた!!


 ま、待つぐらいなら!!何故に、私を破門したのだあああああああああああッッ!!


 知るかよ、バカ野郎!!そんなこと、自分で、訊きに来れば、良かっただろッッ!!


 怒りのままに『盲虎』が叫び……進んだ、ジーロウが圧される。




 ―――『盲虎』は悟っている、そうだ、これは『鉄指爪』だ……。


 古き『虎』の基本技……赤熱を指そのものに帯びさせて、強度を得る。


 ……そんな基礎の技を、師と共に、鍛えていたのかッ!!


 アンタが、いないからッ!!オレが、師匠に付き合わされたんだッ!!




 ―――たしかに、素晴らしい!!私の斧を、魔を込めた指でつかむなど!!


 だが!!だがしかし!!圧しきってやる!!


 ジーロウが圧される、そして、また檻にぶつかる……だけど?


 が、がんばって!!あの子供が、ジーロウの尻を押していた。




 ―――小さな力と軽い体重で、本当に小さな強さで……それでも、ジーロウは喜んでいた。


 お、オレらも、押すぞ!!あ、アンタは、きっと、『虎』のわりにはいいヤツだ!!


 ジーロウの背を、難民たちの指が、押してくれる……ジーロウが、口を開いた。


 ……ああ、そうだよ、オレは、お前たちに、やさしい、いい『虎』だあッ!!




 ―――ジーロウには、負けたことの無いモノが、一つだけある。


 それをもらいながら、『盲虎』は思い出していた。


 そうだったな、ジーロウ……お前の『口』は、本当に大きく、何でも喰うんだったな。


 難民たちに押されたことで、ジーロウは一瞬だけ『盲虎』を上回ったよ……体ごとぶつかりにいった。




 ―――ジーロウの牙が、口のなかに並ぶ強い歯が、『盲虎』のノド元に喰らいつく。


 そして……そのまま、『盲虎』のノドの肉を、食い千切ったのさ!!


 赤い爆発をジーロウは浴びて、『盲虎』は……強き『虎』を褒める。


 壊れたノドは言葉を遺さなかったが、ジーロウは、称えられたことは理解する。




 ―――口の中にある兄弟子の一部を吐き捨てて、ジーロウは……振り返る。


 檻があった、だから、檻を叩く……だが……ビクともしない。


 何度も叩くが……どうにもならない……ダメだあ……力がもう出ない。


 なんて、情けないのだろう……オレは……本当に、クズ野郎だ。




 ―――でもな、今は、仲間がいるんだ、外に、バカに強いのが二人……。


 頼りないけど、若いのが一人……。


 ……待っててくれえ……今度こそ、助けてやる……仲間を……。


 ここに……連れて来るから……信じてくれよお……っ。




 ―――檻さえ壊せぬ無力さに、『虎』は泣きながら、訴えた。


 その声を、信じていると伝えるために、『彼女』は言うのさ。


 ……うん、信じている!!待っているから、私たちを、助けてね!!


 だから?『虎』は笑って、体から血を流しながらも歩いたのさ。




 ―――血をどんどん失っていきながらも、とにかく歩いたよ。


 長かったような、早かったような……いつの間にか、ソルジェたちが見えた。


 あのお人良しどもめ……まーた、死にかけているヤツを、助けたがってるのかよ?


 ……まったくよう……でーも、今回は、オレの勝ちだあ、赤毛の竜騎士?




 ―――オレのが、たくさん、助けてるぜ……へへへ、オレの勝ちだ。


 ほらよ、この薬を使えばいいさ……ああ、そうだ……。


 ……あれ?……空が暗い……そうか……しぬのか……。


 なあ、お前らさ、そいつはもう大丈夫だから……あの子を……あいつらを助けてやれ。




 そうじゃないと、おれは、また、うそつきになっちまうよ。おれは、しんだあとでも、『とら』でいたい……たすけたいやつらを、たすけて……やるんだ―――――。





 そしてね、『虎』は、青い海の夢を見る。


 今度は、歪んでなんていないのさ。


 ジーロウの好きなモノだけを、一杯に乗せて。


 船はね、どこまでも青い海を進むのさ、どこまでも、ずっとね……。



 ジーロウは、約束を守れるよ、あの子と、自分の心に誓った約束を。



 ジーロウ・カーンは、本物の『虎』なのだから。



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