第五話 『悪鬼たちの夜』 その1


 ―――シスター・アビゲイルとルチア・アレッサンドラ、二人の取引は成立したのか?


 その答えを僕たちが知るのは、ずっと後になってからのことさ。


 真実はともかく、僕たちの現実で語られる状況はこういう形に落ち着いた。


 グレイ・ヴァンガルズは、ルード王国でスパイと入れ替わられていたようだ。




 ―――その入れ替わっていたスパイは、魔王ソルジェ・ストラウスに回収され……。


 『バガボンド』が国境警備隊を殲滅した際に、魔王の手下はグレイの妹……。


 つまり、エスリン・ヴァンガルズを『誘拐』した……。


 そういう状況を創り上げることには、成功している。




 ―――ヴァンガルズ伯爵も、シスター・アビゲイルも帝国では名のある人物たち。


 彼らは『魔王の被害者』として、しばらくのあいだ話題を誘う。


 この小さな戦の敗北を、帝国は民衆から隠したかったからね?


 新聞記者をコントロールして、『人さらいの魔王』の記事ばかりを書いたのさ。




 ―――ソルジェは帝国域内では、より邪悪な存在として罵られるようになるよ。


 『アーバンの厳律修道会』の娘を、誘拐したってね?


 でも、その悪名こそが、『アーバンの厳律修道会』と僕たちの繋がりを隠してもくれる。


 気持ちの良い作戦ではないけれど、それでも……この悪名は効果的だった。




 ―――ヴァンガルズ兄妹を確保したことで、ヴァンガルズ伯爵との繋がりも持てる。


 理想的な流れではあるね、ソルジェは名誉よりも実利を選ぶタイプだ。


 ……なんだか、気を遣わせてしまって、すまないね、ソルジェ?


 『アーバンの厳律修道会』と、ヴァンガルズ伯爵……それらのカードは、僕らの切り札。




 ―――それらとの秘密のつながりが強化されたことは、僕たちの政治力を強めるよ。


 交渉はクラリスに任せるといい、彼女は魔法のような交渉術で、多くを勝ち取るさ。


 ヴァンガルズ兄妹とジリアンのことは、任せるといい……悪いようにはしない。


 彼らが無事である限り、伯爵と修道会は僕たちの密かな協力者だからね?




 ―――この三人は、我々の密かな絆の証さ……可能な限り、丁重に扱うよ。


 彼らのことは任せてよ、ソルジェは、そっちの事態の解決に集中して?


 3000人の捕虜を確保したんだ、時間稼ぎも……そして、『交換』も可能だろう?


 さーて、『経営者スキル』の出番だね?がんばるんだよ、ソルジェ!!




 『バガボンド』による帝国軍のキャンプ地の占領は、容易いものだった。慌てて撤退していく帝国軍の連中を、ゼファーで焼いたのさ。


 それだけ脅せば十分だよ。深追いをすれば、あと千人ぐらいは殺せただろうが……。


 間違って、シスター・アビゲイルたちを戦闘行為に巻き込むわけにもいかないからな。まあ、今日はこれで良しとするよ……ほぼ無人となった軍事拠点を、占領出来たわけだしな!!


 まったく、いいところだぜ、ここはよ?豊かな物資が魅力的だ。ここは、軍事拠点でもある上に、『白虎』と帝国との『密貿易』の現場でもあるからな!


 食糧、酒、武器……そして、密貿易における紙幣の代わりを果たしていたと思われる、金銀財宝……なかなか、魅力的なものに満ちているぜ。


 くくく、笑いが止まらない。


 ……そりゃあ、そうだろう?


 あの侵略国家であるファリス帝国軍が、初めて他国から領土を侵略されたワケだが?その名誉を成したのが、まさかの難民を中心にした部隊『バガボンド』だったということには、歴史家は驚いてくれるかもしれんな。


 そう。


 ここは帝国の領土さ!……なかなかにスリリングなハナシだろ?怒り狂った帝国軍の連中が、すぐさま何万人も集まって来そうだが―――実際はそうならない。


 国境というのは、僻地だからな。


 ヒトが多く住むのには、向いていない土地が多い。派遣できる兵士の数そのものに、限界があるというわけだ。軍隊は、非生産的な存在。消費は激しいが、農作物を育てたり畜産に励んでいるわけではないからね。


 この土地の帝国軍の密度は、そう多くない……それゆえに、敵がすぐに集まって来るということにはならないのさ。そのうたま、遠方から大軍がやって来ているかもしれないわけだが……しばらくは余裕がある。


 しかも……ここは帝国領だ。オレたちに対して、複雑な気持ちを抱いているハイランド王国軍も、ちょっかいを出してくることはない。ここまで、オレたちをハイランド王国軍が追いかけて来たら?


 帝国領土への侵略行為だ。


 そうなれば、ハイランド王国とファリス帝国は全面戦争に突入するさ。まだ『白虎』がハイランド王国を支配しているあいだは、オレたちは北から攻められるワケはないということだよ。


 なかなか、逃げ込むには理想的な環境だってことさ。


 とくに……食糧備蓄がたんまりなのは、最高だな?オレはミアとピエトロを使いに出して、原初の森林に隠れていた大量の非戦闘員とヴァンガルズ兄妹を、ここまで連れて来た。


 森のなかに隠れているあいだは、『ギラア・バトゥ』の『血』も消費してしまうしな……資源は有限だ。


 何より、『ここ』になら雨風を防ぐためのテントもあるし、十分な食糧も医薬品まであるんだぜ?……難民たちの体力を回復することは、十分に可能というわけだよ。


 期間限定ではあるが、最高の領土をオレたちは帝国からブン取ったのさ。


 ニヤニヤしちまうが、この喜びにいつまでもひたっている場合ではないのが辛いところだな。


 仕事は山積みだ。


 まずは、武器の回収……武器は幾らあっても困らない。戦場に散った敵兵の死体から、武器や鎧を始め、可能な限りの物資の回収を開始する。


 そうだ、どんな物資でも構わないのさ。兵士の携帯食料は日持ちがする乾燥食品だし、医薬品は腐りにくい。


 金目のモノを回収するのも有効だ。


 世の中は、金があるほどに世渡りが楽だからな!


 大金を掴ませれば、敵だって買収できる。


 『バガボンド』の男たちの仕事さ、死体を動かすのは手間だからな。女子供には向いていない作業だった。


 女たちは負傷者の手当に、調理に奔走しているよ……死体を転がすよりは、女子向きの作業だとオレは思うんだが?もちろん何にでも例外はある。シアンは『虎』どもを率いて、死体から武器や鎧を剥ぎに行っていた。


 リエルとモルドー夫人は、大量の秘薬作りを開始したよ。軍事拠点の物資で、エルフの秘薬の大量生産……巨大な窯で色んな素材を煮込んでる。回復薬も、毒薬も今なら作り放題だ。


 そういうものは無くて困ることはあっても、多くて困ることはない。とにかく、こういう消耗品は作れる内に作るべきだな?……帝国軍の薬よりも、効果はずっと上だしね。今後の戦にも重宝するよ。


 ゼファーは、護送任務。もちろん、ヴァンガルズ兄妹と……なぜか、ついて来たというシスター・アビゲイルの弟子のジリアン・マクレーンちゃんだ。カミラとも仲良しだ。よく笑う女の子だが……気配がシスター・アビゲイルに似てる。


 つまり、本質的には油断ならない子だ。


 だから?……シャーロン・ドーチェとクラリス陛下に任すのが最適と判断した。頼むぜ、このジリアンちゃんは……オレの嗅覚が反応してる。スパイとか暗殺者に向いているのさ。三人まとめてゼファーに乗せて、ルードに送った。


 護衛についたのは、カミラ。珍しく本人が志願して来た。まあ、ジリアンちゃんと仲が良い―――ということぐらいしか『懸念』はない。


 ジリアンちゃんなら、ヴァンガルズ兄妹とは違い、カミラを出し抜けそうな予感はするが……シスター・アビゲイルの躾を信じよう。カミラとゼファーには、ジリアンちゃんだけには気を抜くなとは言いつけたから、大丈夫なはずさ。


 アイリス・パナージュは……ルチア・アレッサンドラのテントを物色し、その後、そこを拷問室として捕虜をいじめている。情報収集のためさ。オレもしばらく見学させてもらったけれど……なるほど、スパイの尋問というのは、過激だな。


 でも、やり過ぎないのがコツだとも語っていた。


 やり過ぎると、嘘をつき始める。こちらの顔色をうかがって、こちらが喜ぶ虚構を吐くようになる……コツは、『整合性を失わない情報しか信じちゃダメよ?』……このテントの以前の主と、同じことを言ってたね。


 尋問しない捕虜たちは、労働をさせた。いい顔するようになったジーロウ・カーンくんの指揮の下にね。捕虜たちに命じたのは、そこら中の街道の敷石を除去することさ。


 過酷な労働を課して、捕虜の体力を削りたいだけではない……ちゃんと意味だってあるぞ?帝国軍の『移動能力』を妨害したいからだ。遠くない未来に、この道を通って帝国軍がオレたちを殲滅しにやって来る。


 そのときに敵の『足』を少しでも遅らせるための工作だ。デコボコした道を、馬や馬車は全力では走れないだろう?そんなムチャをしたら転んじまうさ。


 やるべきことは多い、迅速にそれらを行いつつ、オレは考えていた。いつもなら代わりに考えてくれる副官がいるんだけどなぁ……アイリス・パナージュはオレの器の大きさを試したいのか、あちらからリードするような情報はくれない。


 どうにもクラリス陛下から、『好きにしていいですよ』と、言われているような気持ちになる。だから、好きなようにしようと思うのさ……指示されることのみを好むようないい子ちゃんでもない。


 ……ヴァン・カーリーが何をやらかすのかも、見物だしな―――そう、ついさっき何でも出来る魔法のスパイ、アイリス・パナージュ『お姉さん』に、お願いしたんだよ。


 北の台地の上にある、ハイランド王国の都『シャクディー・ラカ』……そこにいるルード王国軍の優秀なスパイさんたちに、ヤツが『呪い尾』を使って、自軍の砦を攻撃したことを『噂』にしてバラまけとね。


 有能なルード王国軍のスパイの皆さんのことだ、良い仕事をしてくれるだろうさ。彼がどんな行動に出てくれるかは、楽しみでしかたがない……。


 さて。色々と画策したオレは、偵察に出たイーライ・モルドーの帰りを待ちつつも、ピアノの旦那のピアノにひたりながら……仮眠を取ることにする。そこは帝国兵が作った娯楽施設さ。テント張りだけど……酒場でもあり、ピアノが置いてある。最高の場所だね?


 無口な巨人のピアノ弾きは、この昼下がりは心が落ち着く曲を奏でてくれた。寝ることを許してくれているようだ。だって、オレは『今夜』も働くことになりそうだからね……ああ、昼夜逆転の生活ってのは辛いよ?


 ……少しは休んでもいいのさ。アイリス・パナージュが、オレのために情報を集めてくれているに決まっているんだからな。


 オレはピアノの旦那に、『パンジャール猟兵団』のメンバーが来たら、『夜に備えて眠れ』と伝えてくれとお願いした。そして、そのまま、この娯楽の空間に持ち込まれたソファーの上で雑魚寝するんだ―――。


 あの長い指が器用に動き、まるでアルコールが脳に回ってしまった時みたいに、どうにも腑抜けた気持ちになる。この血みどろの乱世の中心にいるのが、どうにも信じられないね……?


 弾む音が、心に染みる。ピアノは不思議だよ、激しくも歌い、静かにも歌う。音のベッドに寝転んだら、きっとこんなカンジなのかもな。


 そんなことを考えながら、踊る空気に身を委ねて、オレは大きくあくびをして、そのまま目を閉じるんだ。最高のピアノ弾きが演奏してくれる、そよ風みたいにやさしい音は、心からも体からも緊張を取っ払い、ヒトを睡魔の虜にしちまうんだな……。


 なんだか、とっても、いい夢が見れそう―――まあ、なにせ、オレはあのファリス帝国の領土を侵略して、そこにいるんだしね?……オレの予想では、きっと……ガルーナの風を浴びる夢を見るぜ―――。


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