第四話 『戦場で踊る虎よ、昏き現在を撃ち抜く射手よ』 その17


 ―――なぜ、なぜ……私に、そんなことを、語るのですか……!?


 ルチア・アレッサンドラは、シスター・アビゲイルに訊くのだ。


 ……そんなことを知らされたら、私は……ッ。


 信念が揺らぐとでも、言うのかい、小娘?





 ―――左腕に負った傷に、どこからか取り出した包帯を巻きながら老婆は笑う。


 お前が踏みにじる、無数の命の物語の、たった一つさ、その程度で苦しむな。


 ……そんな、言い方を……ッ、酷いです……シスター・アビゲイル……っ。


 事実を事実として言ったまで、それこそが、お前の好む『真実』だろう?




 ―――『カール・メアー』の巫女戦士として、何かを言い返さなくてはならない。


 それでも、シスター・アビゲイルの強い視線が……彼女を射竦める。


 ……ホホホ、未熟な者に任せる役目ではないのう、異端審問官なんてものは?


 いいや、未熟な者だから……知恵無き残酷な猟犬として、『使える』のだろうさ。




 ―――あわれな未熟者め、泣くのはおよし?お前の涙などで、誰も救われない。


 シスター・アビゲイルは大人げないことと知りながらも、未熟な者を虐めていた。


 世の痛みに関する苦しみを与えることを、僧侶の修行だとアビゲイルは信じている。


 ……お前の信仰とやらで、救えた者などおるのかい?暴虐が、慈悲だと?ふざけるな。




 ―――無力で愚かな、皇帝のメス犬め……お前は、女神の下僕などではない。


 薄汚い、皇帝のための殺戮者さ?……お前の間抜けな師匠に代わり、真実を語ってやる。


 どうだい、お前の好きな『真実』は……痛ましくて重いだろう?


 ああ……震えるな、まだ……話してやるべき物語がある。




 ―――そう緊張するな、お前などを非難する物語ではない……。


 私の大切な弟子たちの一人……『嘘』を背負った、もう一人の娘の話なのさ。


 聞いてもお前の罪にはならんよ、『ジル』のことは……『ジリアン・マクレーン』の物語のことはな。


 銀髪に、翡翠色の瞳……ハーフ・エルフではなく、ただの人間の娘だよ?




 ―――アレをな、未熟な瞳しか持たないお前は、『エスリン』と誤解したな?


 ああ、そうだろう……調べていた特徴と似ていただろうからねえ。


 エスリンと同じように、私の弟子だ……気配もそっくりに、仕上げている。


 ……彼女が、『何』か……分かるかい?




 ―――彼女はな、全てが『嘘』の存在なんだよ。


 エスリンの父親と私が用意した、エスリンの『影武者』さ……。


 『カール・メアー』の引きこもりのお前らでは、知り得ぬほどに悲惨な世界はある。


 彼女はな、その世界の犠牲者だ……子供の奴隷、あらゆる搾取を受けた、惨めな存在。




 ―――ヴァンガルズ伯爵と『アーバンの厳律修道会』で、潰した組織の犠牲者さ。


 里子に出したかったが、見つからなくてねえ……。


 なにせ、心が壊れていた……『道具』でなければ、取り乱す……。


 『飼い主』に依存させられるように、調教された哀れな『道具』さ。




 ―――ヒトは、どのように扱われたら、ああなるのかは分からないが……。


 そうなるように心を改造された『生きた道具』が、お前を騙しきってみせた娘の正体さ。


 ……この女神の下僕として長く生きたババアでさえ、かける言葉を無くした娘さ。


 未熟な尼僧のように、ただ無言で泣きながら、抱きしめてやるしかできなかったな。




 ―――長く生きた我々でも、あの子を救う方法が分からなかった。


 『道具』なのだ、どこまでも、あの子はヒトではなく、『道具』にされてしまった。


 我々は遅すぎたのだ、助け出すのが、あまりにも遅かったのだ。


 ……『道具』としてしか、生きられぬ娘に……私らがどんな道を用意したか?




 ―――『エスリン・ヴァンガルズ』の『影武者』さ……エスリン自身も知らぬな。


 秘匿された存在だ、私が知る誰よりも、『嘘』の存在。


 有事の際に、エスリンに化けるよう、私と伯爵が指示を与えて育ててきた。


 どうだい?……じつに、エスリンだっただろう?




 ―――彼女は、お前の心を覗き、お前の心が描いた理想のエスリンに化けたのさ?


 媚びることを極め、『道具』であることを、幼き頃から強いられた娘の『嘘』さ。


 お前のような未熟者の瞳に、見抜くことなど出来るものか……。


 あの子の覚悟を舐めるなよ?……あの痛ましい全力の『嘘』が、あの子は我々への恩返しのだと信じている。




 ―――ジルは、普段はエスリンの友人さ、本物の友情もあるのだろうが……。


 ジルは使命を忘れちゃいない……エスリンの動きを観察し、模倣し、準備をしている。


 エスリンは仲の良い友だちにしか、思ってはいないがねえ。


 ホント、私が抱える最も深い苦しみの一つだ、ジリアン・マクレーンは……。




 ―――でも……模倣しすぎた結果なのか、あの子の『嘘』にも変化があった。


 普段のジルは、魔術で目の色も髪の色も変えているよ……?


 そして、エスリンの親友だ……伯爵の家にも、よく遊びに行っていた。


 そうすると……興味深いことになったのさ?




 ―――シスター・アビゲイルは、なんとも嬉しそうに目を細める。


 しわくちゃの顔が、歓喜に歪んでいくよ……彼女は、笑顔で語るのだ。


 ……あの『道具』めが……初めて、ヒトを好きになりおった。


 命じられたわけでもなく、初めて自発的に恋をしたぞ?




 ―――その奇跡の重さは、私と伯爵にしか、分からぬだろう!!


 あのゴミ溜めから、救い出したとき……あそこまで虚ろな魂しか無かった娘が!!


 未だに、『道具』で無ければ、不安で泣きわめいて夜も眠れなくなる、あの壊れた娘が!!


 グレイとかいう、ハーフ・エルフに、一目ぼれしちまったのさ!!




 ―――ああ、楽しいことだ……嬉しかったねえ、あんなこともあるものかい!!


 ……恩人である伯爵の面影を見たのか、師匠である私に似た魔力をヤツの耳から気取ったのか。


 とにかく……あのシスコン野郎に、ジリアン・マクレーンは惚れたのさ。


 ……あの吸血鬼が、ここに来た夜……私より先に、ジルが反応していた。




 ―――ジルは……私の中の、『最も優秀な弟子』だからねえ?


 吸血鬼を、刺客だと思ったのだろうさ、飛びかかり……もちろん負けた。


 戦って分かったと思うが、あの吸血鬼はほぼ素人だが……速さと力が桁違い。


 ヒトでは勝てぬさ……勝てるのは、せいぜい全盛期の私や、彼女の夫ぐらいだろう。




 ―――ソルジェ・ストラウスは、吸血鬼を殺して、あの娘を連れ出したそうだ。


 吸血鬼に捕らえられ、その奴隷にされていた、あのカミラ・ブリーズをなあ?


 だからこそ、カミラは魔王に惚れておる……。


 そんな魔王を誘拐魔と侮辱したのだ、それは怒るさ……誘拐されたあの子を助けたのが魔王さ。




 ―――哀れな吸血鬼と、私の哀れな弟子は……馬が合っておったな。


 妙に打ち解けてしまっておったぞ?……あの『道具』が恋バナだと?


 腹を抱えて笑いたくなった……それぐらい、私は幸せなのだ。


 そいつが、さっき……『コウモリ』に化けて、巣立っていった……私は、もう十分さ。




 ―――エスリンもグレイも、そしてジリアンも……みんな巣立っちまったんだ。


 だから……私が育てるべき、未熟者は……とりあえず、お前なのさ。


 なあ……未熟なヒナ鳥よ……騙してすまなかったな。


 私も、色々と言ってしまったが、女神イースさまの下僕だ……『嘘』は好きではない。




 ―――だから?お前に、『真実』を話してやったのさ……。


 すまないな、お前のような未熟な娘を選んでしまい。


 長く生き女神の戒律に反する邪悪な私の懺悔を相手するのは……辛かっただろう?


 ……泣くのは、おやめ……悲しい顔は、この世界から幸福を減らしちまうんだよ?




 ―――なあ……異端者の血が欲しいのなら、このババアを皇帝にでも突き出せばいい。


 『カール・メアー』を褒めて、金も信徒もたくさん『貰えるぞ』?


 お前の師匠の『聖騎士イシュー』は、喜ぶさ。


 バカにしているわけではない、ヒトは、誰しも認められると尻尾を振って喜ぶものだ。




 ―――お前の師匠は、それで満足する……血塗られた皇帝の聖なる剣としてな。


 そうでなければ?弱き者を斬り捨てるような仕事を選べないさ。


 真のクズにしか出来ない仕事だからな……未熟者よ、お前は、その道から抜けろ。


 お前は、その悪行が似合うほど、まだ穢れてはいない。




 ―――私の命を、『聖騎士イシュー』に差し出せ。


 それで、お前は『自由』になれる……。


 だから、私が命よりも大切に思う、あの三人は見逃してくれないか?


 ただ、それだけを望む……それが私の真実だが、この取引に応じるつもりはないか?



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