第五話 『悪鬼たちの夜』 その2


「……ソルジェ。ソルジェ、起きろ?」


 オレは正妻エルフさんの声で起こされる。うむ……もう、夜かな?


「……リエル、何時だ?」


「……夜の7時半だぞ?」


 精確を極めるギンドウ・アーヴィング製の懐中時計、それを見つめながら、リエルはそう言った。


「うむ。今、31分だな!」


 相変わらず森のエルフは時間に正確だなあ。オレはあくびをしながら、ソファーに座り直す。眼帯の奥の魔眼に魔力を集中させる……ゼファーは、まだ、しばらくは戻りそうにない。カミラもね?


 でも、ルード王国からの帰路にはある。無事に任務を果たしてくれたようだな。何よりだぜ。


「ソルジェ、ゼファーとカミラは無事か?」


「……おお。大丈夫だよ……あの謎の女の子は、ちょっと怖いカンジだったが、暴れずにいてくれたらしいな」


「ふむ。あの娘は何者だろう?かなりの達人の指導を受けた人物に見えるが……?」


「シスター・アビゲイルの弟子ってとこだろうが……まあ、クラリス陛下とシャーロン・ドーチェの説得次第では、ルード王国軍に、更なる有能なスパイさんが誕生しそうだよな」


「そうか……それは良いことだ。仲間が多くなるのは、嬉しいことだものな、ソルジェ!」


 ツンツンしていたクールな頃の君が聞くと、自分でビックリしそうなセリフかもよ?


 くくく……でも、今の君もかわいいぜ?


「な、なにを笑っておるのだ?」


「……いいや。オレの正妻エルフちゃんが、今夜もかわいいから嬉しいのさ」


「そ、それは……そうだろ?私は、とっても美少女だもの!!」


「ああ。そうだな」


 さーて。セックスしたい。セックス依存症のオレの脳裏に、あさましい生殖本能が渦を巻く。だけど……ピアノの旦那が、何だか物言いたげそうにこちらを見ているぜ?


「……どうしたんだ、ピアノの旦那?」


 無口でやせた巨人の男は、あごを動かして、オレの視線を誘導する。この『酒場』の入り口には、アイリス・パナージュがいた。なんだか、怒っている?


 オレと視線が合うと、なんだかツカツカとこっちに歩いてくるね?リエルが、ソファーに座ってくる。オレの隣にな。よく見ると、複数のフルーツを混ぜ合わせた、美味しそうなドリンクを右手に持っていた。


「……美味そうだな」


「一口だけなら、やるぞ?」


「うん……なんか、栄養補給したい」


「たくさんはダメだからな?……おい、ピアノの旦那!ソルジェ用のモノも頼んでいいか?」


 リエルの言葉に、ピアノの旦那は頷いた。ふむ、ピアノだけじゃなく、ドリンクも作れるんだな。さすがスパイ、なんでもやれるね?


 オレはリエルのジュースを一口もらう。ああ、甘い。ノンアルコールだ。でも、イヤじゃないね?……帝国軍ってば、いいメシ食べてる。この鮮度を見ると、あるんだろうなあ、非正規の輸送隊の『中継基地』……そこに、馬とかも一杯いそうだね。


「なーにを、笑っているのかしら?」


「……君の目の下にあるクマさんについてじゃないのは確かだ」


 そう。アイリス『お姉さん』はお疲れだ。とっても疲れている。きっと、兵士どもを拷問し続けるという、悲惨な作業は、心も体も疲れさせるんだろう。ああ、ルチア・アレッサンドラも大変だったんだろうな。


 いい女だった。


 やっちまえば良かったかな?


 まあ、ミアの前じゃムリだよね?


「スケベな顔でヘラヘラしないのよ?」


「そりゃ、失敬。寝起きの男なんだ、だらしないのは許してくれよ」


 ああ、そう言えば……ヒゲも生えてる。無精ヒゲだな。アゴを指で掻くと、ちりちりと音を立てている。だが、ヒゲ剃っている場合じゃなさそう。仕事のことも考えているとアピールしないと、『お姉さん』に怒鳴られそうだ。


「……それで、アイリス。『輸送隊の中継基地』の場所は、吐かせたか?」


「……む。怒鳴ろうとした直前に、ビジネスのハナシとか、ズルくないかしら?」


 だって、怒られるのイヤだもん。


 そんな軽口が頭に浮かぶけど、口には出さない。目の下に大きなクマを飼う三十路女を刺激する気はない。あのクマは攻撃性を帯びているもの……。


「まあ、いいわ。ビジネスのハナシをしましょうねえ、プロフェッショナルとして」


「そうしてもらえると助かるよ」


 暴力を振るうのは好きだけど、暴力の犠牲になるのは嫌いだからね。


「で。どこにあるんだい、『中継基地』……この物資の量は異常だよなあ、しかも、鮮度までバッチリだ。『白虎』の密貿易ルート……そいつは、どこにある?」


「輸送隊だった連中と、ここに来たばかりの新兵……そして、金目の宝石を持っていた、お給料に分不相応な軍曹さん……そういう連中の指をへし折りながら吐かせたわ」


「それは信じられるな」


 リエルがフルーツジュースを味わいながら、そう語る。


「それぐらいの暴力で口を割るのなら、嘘で肥大したハナシではなさそうだ」


「ええ。そうだと思うわ。この情報には、自信がある」


「さすがはオレたちの有能なスパイ、アイリス・パナージュさまだな!」


「そうねえ。貴方がうちの旦那のピアノを聴きながら、安らかそうにグーグー眠っている間に……私は地獄の獄卒が日々聞いてそうな悲鳴を浴びながら作業していたものね!」


「……君は、いつだって旦那のピアノを楽しめるんだから、いいじゃないか?」


 たまには地獄の獄卒の一日体験だって、面白いんじゃない?コレは余計なセリフだから、オレは口にはしなかったよ?世渡りって、そういうこと。色んなコトを黙っておくのさ。


「それは、そうだけど……」


「スパイの道とは『忍耐』だろ?……オレ、スパイじゃないから分からないけど?」


 でも、そんなイメージはある。アイリス『お姉さん』は、目を細める。


「スパイの労働条件、改善して行きたいところだわ」


「なかなか、通りそうにない要求だ。猟兵だって、こんな夜中から働きに行くんだぜ?君が敵の指をへし折ったり切り落としたりして、手に入れた情報を頼りにしてね?」


「……そうね。私はこれからちょっと休むけど、貴方たちに任せるわよ?」


「ああ。だから……君が旦那のピアノで眠る前に、教えてくれるかい?オレたちが、行くべき戦場を教えてくれよ」


 ちょうど、ピアノの旦那がオレと君のために、絞りたての果汁100%のジュースを運んできてくれたしね?オレとアイリスは、ピアノの旦那の長い腕が手渡してくれた、大きなグラスをキャッチする。


 とりあえず?


 大人の常識。


 アルコールじゃないけど、乾杯さ!


 ガラスの音を立てながら、オレたちその甘い果汁を一口飲む。疲れてアホさが増した脳みそに、過剰なまでの甘さがエネルギーを伝えてくれるイメージがした。ああ、これで頭の回転も良くなりそう。


 脳みそってのは、甘いモンが最適だもんな?


 アイリス『お姉さん』はソファーの前にあるテーブルに、一枚の地図を広げる。端っこの方にそこそこ新鮮な血が飛沫となって散っている。


 捕虜に重傷を負わせたのかもな。これぐらいの血液量じゃ、死なないし……べつに死んでても、別にオレは何も思わないな。帝国人は死ねばいい。


「さて。コレを見てくれる?……この赤い丸が、私たちのいるところよ?つまり、『バガボンド』のキャンプ地点ね?」


「ふむ……じゃあ、そこのバツの字が描かれているところが、例の?」


「輸送隊の拠点か……?しかし、二つあるぞ?一つが正規のもので、もう一つが『白虎』との密貿易用の拠点だな……おそらく、この山岳地帯に近い方が、密輸ルートか」


「そうね。リエルちゃん、さすがエルフ女子!美人な上に、可愛い!!」


 アイリス『お姉さん』も疲れていそうだぜ。


 リエルは、オレの肩を指で突いてくる。


「どうした?」


「良かったな、可愛くて賢い正妻のエルフがいて」


 ドヤ顔で、そんなこと訊いてくるから、たまらなく愛おしいよ。オレの子供を今すぐに妊娠して欲しいね。だから、君と一晩中セックスしたいけど……ダメだ、今、オレたち仕事中だもん。


「……さーて、密輸ルートの拠点の方が、本命だよなあ」


「そうね?正規の拠点の方は、撤退している可能性が高いわ。私たちに『足』を奪われるなんて、最低の出来事だもの」


「ああ。オレがこの土地の指揮官だったら、輸送部隊は引き払う。相手に奪われ、利用されたらたまらないからね?」


「ええ。でも、密貿易ルートの拠点の方は、ハナシが違うわ」


「だろうね。ヤツらは自分たちの存在が予測されていることを知らない。それどころか、これが最後の密貿易のチャンスだと考えるかもしれん……大勢が残って、ここで積荷を受け取っているはずだ」


「つまり、そこを我々が襲えば?」


「ああ、『バガボンド』に輸送隊が手に入る……それに、この『山』には、解放すべき連中がたくさんいそうだな」


「そうよね。ここは、鉱山でもあるのよね。帝国軍に捕まった難民たちの内、元気な男は、まずココに送られていた。過酷な労働で疲れさせて反抗心も挫けるし―――」


「―――しかも、鉱物資源を掘り出せるか。一石二鳥だな?」


 ここを攻撃しちまえば、馬車と……戦力まで手に入りそうだぜ。


「なるほど。いい山だ……地図から見て、ここから七キロほどか?」


「ゼファーならば、一っ飛びだが……仕方ない。久しぶりに馬に乗るとするか。アイリスよ、捕まえているな?」


「ええ。ピエトロくんたちが、必死になって戦場に逃げた馬を確保しているわ。無傷なモノが50頭はいる。無傷じゃないのは、皆でバーベキューにして食べているところよ」


「……馬肉のバーベキューか……っ」


「仕事の前に、腹ごなししたいって顔をしてるわねえ」


「ああ。肉がいい……肉が食べたい!」


「シアンお姉さまみたいなことを言ってるな?……でも、私も賛成だぞ!」


「うふふ。じゃあ、ここの厨房を借りて、私が作ってあげるわ?ステーキとかでいいかしら?すぐ出来ちゃうし?お肉の塊を食べたい気分でしょう?」


「ああ!!そういうの、胃袋が大歓迎だぜッ!!」


「もしくは……『バガボンド』の皆がバーベキューしている場所に行くとか?」


「悪くはないが……酒が入りそうだよ。それに、この『バガボンド』は、最終的にイーライ・モルドーの軍勢にしたいんだ」


「……傭兵の悲しさね?去りゆく時のことも考えている」


「スパイさんだって同じじゃないか?」


「まあね。だって、影の存在だもの」


「オレも似たようなもんさ……ちょっと派手だけどな」


 そう。必要以上に、オレが『バガボンド』に関わるのは、マズい。リーダーは、イーライ・モルドーだ。オレはあくまで臨時の指揮官だしね?


「オレがここを去る日も近い。残る者たちで、結束してもらうべきさ―――ああ、そう言えば、イーライは敵の偵察に出ていたよな?」


「敵の動きをバッチリ見てきてくれたわよ!……彼は、本当に有能ね。今後の偵察に向きそうな場所をピックアップもしてくれた。今は、そこに偵察兵を配置してある。敵の動きがあれば、すぐにこちらへと伝わるわよ」


「つまり、敵がここにたどり着く前には、原初の森林に逃げ込めるわけだな」


「そうよ。良い仕事をしてる。さすがよね?」


「頼りになるよ。オレが、いつかガルーナを奪還したときは、スカウトしに行こう」


 オレの軍隊の指揮官の一人になって欲しいね、イーライ・モルドー?その弓兵としての卓越した指揮能力は、欲しいぜ。


 だが……今は、まだ、そのときじゃない。


「よーし。メシを食わせてくれ、アイリス・パナージュ!!」


「ええ……それじゃあ。ステーキを焼いてあげるわ!!」


「うむ。じゃあ、私はミアとシアンお姉さまを起こしてくるぞ!!」


「ああ……皆で肉を食べて、そしたら出発だぜ。馬車と、帝国への復讐心がたっぷりな戦士たちを、手に入れてやるぜ!!」


「了解よ。イーライには、例の『交渉』を頼むのよね?……時間はかけられない、明日の昼前には終わらせておきたいところよ」


「うん。出かける前には、声をかけとくさ……彼なら、きっと乱暴者のオレがいるより、上手にやれるはずさ」


 そうだ。オレたち順調だ、とても、いい調子だな。


 うん……こういうときこそ。


 ガルフの言葉を思い出す。


 ―――好調な時は、泳がされてるものさ。


 ―――密かに、闇に乗じて……迫っている脅威がある。注意しとけよ?


 ああ……確かにな。今では帝国軍もハイランド王国軍も来ないだろうが、『残りの脅威』は来るかもしれん。軍隊使わずに、集団を潰すとなると……ムカつくが、アレだろうよ……。


 ……仕方ねえな、メンバーを変えるか。鉱山の方には『パンジャール猟兵団』だけで仕留めに行くつもりだったが……ここを守れるヤツがいる。猟兵を配置しておかなければならんか。


 『虎』たちの統率力や、予測される襲撃の『質』を考えると―――シアン・ヴァティが最適だ。敵のスピードを考えるとミアもか?


 それはいいが……オレたちの方が手薄になり過ぎるな。オレとリエルだけでも落とせはするだろうけど、さすがに時間がかかりそうだ。


 じゃあ、あの若手二人の手を借りるとするか……ここらの地理に詳しいフーレンと、難民がいるなら……強制労働させられている連中とも、会話しやすそうだ。頼りないところもあるが、彼ら若手に経験を積ませるいいチャンスかもしれんしな。




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