第三話 『囚われの騎士に、聖なる祈りを』 その5


 炎のように赤くて長い髪に、強さを秘めた無垢でまっすぐな藍色の瞳。白い肌は陶器のようにつややかで、触れると指を楽しませるだろう。声はやさしく、背筋をピンと伸ばし、その重心は、あらゆる動作へと連続させるために安定している。


 常に女神イースの美しき『巫女戦士』であろうとするのが、このルチア・アレッサンドロなのか―――。


 彼女の純粋さには、畏怖を抱く。


 ああ、『カール・メアー』とは、どんなに恐ろしい山寺だ?死後に、敬虔なる魂たちを癒やす楽園のような美景を持っているとはしても、その秘められた存在意義が恐ろしすぎる……。


 信仰のためだけに存在し、殺人のための武術と、真実の告白を強いるための拷問術を学び、『教本』なるガイドラインを作りあげてきたっていうのかい?


 世俗から完全に切り離した環境で、少女たちを、『ルチア・アレッサンドラ』たちを作りあげてきたのか。『カール・メアー』以外の思考の種が、彼女らの頭に侵入し、思想を汚染しないようにと?


 ……恐ろしい山もあったものだ。


 美女を前にして、これほど戸惑ったことは無い。これがプライベートならば、誰の命も背負っていなかったら……オレは、彼女を置いて、このまま走って逃げたいよ。


 でも……血まみれで顔の腫れた男がいる。


 そして……ルチア・アレッサンドラは『次』の計画を選択するまで、そう時間はないだろう。暴力にこの男が耐えられるのは、せいぜい数時間だな。彼女は、拷問のプロだから、殺しはしないだろう。


 ある程度のダメージで、彼女は腕力由来の拷問をあきらめる。あとは、精神的な責め苦で挑むのさ。


 グレイ・ヴァンガルズの『妹御』を、この場に引きずり出すか……あるいは、ルチア・アレッサンドラが『グレイ・ヴァンガルズ』と信じる、この『自称・ルード王国のスパイ』を『妹御』の前に連れて行くかの、どちらかだよ。


 男どもに蹂躙された少女を見て、この男は……何を思うのだろうかね?


 ……もちろん、彼女は拷問のプロだ。


 『それ』を実行するのか、しないのかは未定だろう。彼女は、こう見えて『やさしい』。選択肢を与えようとはしてくれているのさ、この瞬間もね。


 どういう意味かって?


 この異端審問官さまは、あえて、『この男に聞かせている』。この拷問に晒されている男のとなりで、『グレイ・ヴァンガルズ』の『妹』が陵辱の危機にあることを、オレに話すフリをして、この男にこそ伝えているんだよ……。


 ヒトが善良だと、信じているタイプさ、ルチアちゃんはね。


 だから、『善意』を示す機会を与えようとしている。それが、彼女の心のなかにある贖罪という概念に近しい行為なのだろう。


 この『嘘つき』の男に、グレイの妹を『救う』機会を与えようとしている。正直にルチアちゃんが納得の出来る真実を告白すれば……グレイの妹は、男どもに陵辱されることなく、『刑』に処されるかもしれない。


 そうだ、『刑』にね……。


「……ルチア・アレッサンドラよ」


「なんですか?」


「この男と、グレイの妹は、どうなるのですか?……その、真実を語った後は?」


「……私の出番は、そこまでです」


「……というと?」


「女神イースさまは慈悲深い存在です。罪を悔い改めるのなら、私は赦しの炎で彼らの左手を焼き落とし、イースさまに代わって、赦しの痛みを与えましょう」


 異端者への罰そものものは、想像していたよりも軽いな。殺すのだと思っていたが、片手だけで済むのか。とてもイヤだが、殺されるよりはマシか―――。


「―――ただし」


「……ただし?」


「ヴァンガルズ兄妹は帝国人。異端行為が……身分を偽称していたことが白日の下にさらされたのならば……帝国の法が、それらの罪を裁くのでしょう」


「……つまり、彼らは『狭間』として裁かれる?」


「そうなるのでしょうね」


「彼らは、処刑されるのか?」


「……ありえる罰ですわ」


「……『狭間』は、結局、救われないのか」


「いいえ。女神イースさまは、その魂を救います」


「……死後の救済ね」


「聖なる泉の湧く楽園で、安らかな眠りに誘われる……罪を認め、贖罪のための炎で、その左手を焼き落とされたのならば……それは、救いではないでしょうか?」


「女神への嘘が、そこまで許されない行いだと言うのか?」


「はい。異端行為ですから」


「……その嘘をつかねば、帝国で『狭間』が生きていけなかったとしても、許されないと君は言うのかい?」


「……苦しいことですが。そうです。女神イースへの信仰に、血にまつわる『嘘』を用いてはいけません。その『嘘』を殲滅し、清めることこそが、『カール・メアー』の役割なのです」


「……『狭間』に、死ねというのか?」


「……兵士殿、あなたは……信仰とは、何と考えておられますか?」


「……きっと、君とは違う解釈をしているよ」


「そうでしょうね。ですから、私が教えて差し上げます。信仰とは―――」


 彼女のやわらかな指が伸びてくる。穢らわしい拷問用の棍棒を握るオレの手を、やさしく包む。


 藍色の瞳は信仰の炎に熱されているのか、恋する乙女のように潤んでいる。そうだ、彼女は女神イースを愛しているだけだろうよ。


「―――信仰とは、『全てを捧げ尽くすこと』をいうのですよ?」


「……命もかい?」


「はい!!命を捧げてまで示した、女神イースさまへの愛ならば……楽園での救いの日々に、魂は癒やされるのだから……」


「宗教は……現世での救いを拒絶するのか?」


「聖絶へ導き、魂を救う……それが私たち『巫女戦士』の使命です。穢れなき信仰心のままに、命の全てを女神イースさまに捧げることが、この苦しみにあふれた現世で信仰なく生きながらえることの惨めに比べて……あまりに慈悲ある安らぎだと思えませんか?」


 たしかにね?


 この世は苦しみにあふれているのさ。


 乱世だし、みんなで殺し合い、憎しみ合っている。悲惨なものさ。そんな乱世に、『狭間』なんていう社会的弱者に生まれてしまった日には?……あまりにも救いの乏しい日々を過ごすだろう。


 そんな時代のなかで、『狭間』たちが真実と共に、苦しみをも捧げることが、女神イースへの最大の信仰の表れであり、愛情表現であるという主張は事実ではある。


 それはまるで自己満足に過ぎないのかもしれないが、納得出来る生き様であり死に様であるのならば……信心深い者たちにとっては、たしかに救済ではあるだろう。


 女神イースさまが、本当にやさしい女神ならば、苦しみの果てに命をも捧げた信者たちを、救ってやらぬわけがないだろう―――。


 その正義は分かるよ、ルチア・アレッサンドラ。


 でもね。


「……オレにはそれが、あきらめのように聞こえるよ」


「……え?」


「ああ。イースは生け贄を求める女神ではないだろう?」


「……もちろん」


「そうだよ。イース教は、そんな狂暴な宗教じゃない。慈悲深い教えのはずさ」


「……私の言葉が、間違っていますか?」


「うん。間違ってる」


「……ッ!!」


「君も、疑問には思うだろう?君は、やさしい子だし……何よりも、オレなんかに、まるで諭すように語りかけてくれるのだから―――『敵』である、オレなんかにね?」


 オレの言葉に彼女は反応する。テントの外で、彼女を狙っているミアもね。でも、まだだ。まだ、殺さなくていいんだ、ミア。この子は、殺しちゃダメだよ。


「……君ほど優れた戦士なら、オレの殺気を見抜くだろう?」


「……ええ。雑兵などではありえません。誰ですか、知っていると思いますが、私は『嘘』を嫌います」


「うん。でも、君は叫ばないのか?オレが、誰なのか、薄々、理解しているんじゃないのか?」


「……確信がないことを口にしたりは、出来ません。でも……貴方の実力は分かる。私では、騒ごうとすれば、即座に無力化されてしまうでしょうね」


「それでも怯えないのか。スゴいことだよ」


「……信仰を全うして死ぬのは、本望ですから」


「死なせないよ。オレは、たくさん殺す罪深い獣だけど……多くの命を救いたいと願っているのさ。信じてくれるか?」


「ええ。信じます。貴方は、罪を抱えた瞳をしています。真実を話して、それなら、信じます。きっと、貴方の罪も、少しは軽くなる……」


「……ああ。オレの罪を見てくれると助かるよ」


「なら、真実を」


 そうだな。


 嘘の時間は終わりだ。


 左眼の偽装を解くのさ。青い瞳の夢幻は晴れて、金色に輝く竜の眼が現れる。


「……その金色の眼……ッ。赤い髪に、背の高い男……やはり、貴方が、ソルジェ・ストラウス。ガルーナの、竜騎士……ッ」


「そうだよ。オレはガルーナの竜騎士、ソルジェ・ストラウス。もっとも、今ではご存じの通り、ルード王国に雇われている身だけどね?」


 その言葉に『巫女戦士』は目を見開き、一瞬、自分が拷問を施してきた、あの男を見た。そうさ。それでいい。


 純粋で無垢ではある。そして、宗教家の全てが迷いと共に在るように、彼女も迷いを抱きながらも、理論でそれを駆逐してきたタイプだろ?……狂信的な宗教家はね、ただのバカと理論の構築に優れたタイプに分かれている。


 もちろん。


 君は後者だよ。やさしいから、疑問を抱き。そして、その疑問を砕くために、理論をもって反駁してきたんだろう?


 ルチアちゃんは、信念はともかく頭脳は理性的だということさ。だから?オレが『ソルジェ・ストラウス/ルード王国の雇われ竜騎士』だと確信すれば?……君は、どうしたって考える。


 拷問してきたあの男が、『グレイ・ヴァンガルズ』では無い可能性を。『グレイ・ヴァンガルズ』と『ソルジェ・ストラウス』の接点など、君には見抜けないさ。


 当たり前だ、オレだって戦場で偶然、出会っただけだもん。


 グレイを助けに来る義理もなければ、理由もない。君はそう判断しているはず。


 でも?その男が自白した通り、『ルード王国軍のスパイ』であるのならば?……ルード王国軍に雇われたオレが、この場にやって来ることに説明がつくだろう?


 ……見知らぬ帝国貴族を助けに来るより、帝国貴族に成り代わろうとしていた有能なスパイを助けに来るというシナリオの方が、知性ある者ならば納得しやすいはずだろ?


「……まさかッ!?」


 そうだ。思い込め。その男が、ルード王国軍のスパイだと、信じろ。


 ……信じたか?


 なら、お休みの時間だぜ、やさしいルチアちゃん?


「……ッ!!」


 オレの殺気に異端審問官は反応したよ。背後に跳びながら、腰裏のナイフを抜く。そう、素晴らしい動作だ。とても速い。速いけど?……オレを誰だと思っているんだ。


 さて、ルチア。もう気づいているよね?君は、反応したんじゃない、オレに反応させられただけさ。あえて殺気なんてぶつけたよ。怯えさせて、反応させた。なぜか?君をより無傷で捕獲するために。


 ほら?オレは棍棒を投げているぞ。軽く、やさしく、さほど力を入れず、指だけで君の顔近くに、それを投げている。


 攻撃を警戒している君は、ほんの一瞬、その視界に踊る『無害』な棍棒に視線と注意を向けてしまうのさ。訓練で速めた反射が、災いすることだってある。君は悪くない、相手が悪いだけさ。


 この間合いで、オレに対しての警戒を、一瞬でも外してくれるなら。君よりも圧倒的に強くて速いオレは、何でも出来るよ。


 たとえば?逆手にナイフを握る君の右手首に、オレの指が伸びている……棍棒に反応してしまい、わずかに浮いてこわばる肘にもね?オレは掴むよ、君の手首と肘を。


 ちょっと乱暴なことをするけど?ナイフを使い慣れている君なら、壊れないだろ?


 掴んだまま君を斜めに引き倒す。地面にナイフが刺さり、君は這うような姿勢になって前受け身を取る。だから?……そのまま、ナイフを左足で払いのけるよ。ほら、無防備になった。


 君は怯えて、起き上がろうとする。素早いね。その動作を完全に止めることは出来ないけれど、その動作に便乗することは出来るよ?中腰になった君に正面から襲いかかった。


「きゃあ!?」


 君の胴体に腕を回して、その軽い体重を肩に担ぐ。


「お、おろして!!おろしなさい!!」


「ああ。すぐに、下ろすよ」


「え?きゃ、きゃあ!?」


 ここは異端審問官さまのテント。拘束されているとはいえ、野郎と同じテントの下で寝るのは危険だと思うけど。簡易なベッドがあるんだよね。知っていたさ。


 オレは彼女をそのベッドに投げ下ろしていた。


「な、なにを、する気ですか!?」


 なにか誤解されている。オレの顔は、また例の悪党みたいな顔で笑っていたのか?それとも、ベッドの上にいる美女に興奮していたのかも。無言のまま、彼女に近づいた。


 君は理解しているよ。最初から力量差を知っていたけど、この一連の格闘で、より理解が深まったはず。どうやってもオレには勝てないし、オレの暴力の全てを止める手段は、自分には無いって。


 強さが違う。残念だけど、オレと君では、絶対的な戦闘能力に差がある。だから、君はオレに悪さをされるとでも思ったのか、ベッドに近寄るオレに背中を向けた。


 ああ、一番すべきじゃないよね?敵に背中を見せるなんて行為は?魅力的な背中だ。最も無力な姿勢だよ。ここからなら、何でも出来る。オレは獣みたいに、彼女に飛びかかるのさ。


「や、やだあ……っ!?」


 本能的に這って逃げようとする彼女の右腕を、オレの右腕ですくい上げるようにしながら絡み取るのさ。そして、左腕は素早くヘビのように彼女の首を這っていく。そうさ、イメージはヘビ。


 型は完成。オレの腕力なら、乱暴に動けば、彼女の首を折ることも出来るけれど。そんなことはしない。オレは彼女をやさしく締め落とすつもりだよ。


 彼女の髪に顔を埋めながら、彼女に語りかける。


「……抵抗するな。殺しはしない、犯すこともしないよ」


「……っ?」


 オレの声が帯びるやさしさを不思議に思ったのか?まあ、君の嫌いな嘘が入っていない言葉だから、安心してくれ。そうだ、信じろ。オレは必要以上に君を苦しめることはない。


「……なぜなら、君は、オレに真実を話させようとした。つまり、オレの罪まで、清めてくれようとしたんだろう?……君の信仰は、苛烈だが……たしかに慈悲深い。オレは、やさしい女は、殺さない」


 そうだよ、ルチアはオレに悔い改める機会を渡そうとしたのさ。彼女なりの仕方で、オレの趣味とはちょっと違う行いだけど。でも、善意は疑わない。君は、オレの瞳に、罪悪感を気取ったか?


 ……ああ、じつはね、これがプライベートだったらさ?美人の尼さんに、泣きつきながら懺悔したい気持ちなのさ、メフィー・ファールを殺してしまったばかりだからな。彼女の呪いで肥大した心臓を、貫いた感触が、俺の指には残っているんだ。


 でも、今は懺悔よりも……文句を言いたい。ビジネスとして、君から情報得るために、君と会話をしたわけだが、今は君に説教してやりたい気持ちだ。


 そうさ、オレは、傲慢なんだよ。魔王だから、異端審問官さんとは『職業倫理』ってものが違うのさ。


「なあ……ルチアよ、死では、救えないと思うぞ」


「……っ」


「……それでは、ダメだ……間違っている。メフィーを殺したことで、救ったなどとは、オレは、思えないからだよ……不幸な者を殺すだって?……それは、決して、救いなどでもなく、慈悲でもないのだ」


 首への絞め技による酸素欠乏から、意識を消失していくルチア・アレッサンドラは、オレの叫びを、その聖なる耳で聞いていてくれたのだろうか?分からない。


 だが、気絶した彼女をベッドに仰向けで寝かせてやりながら、オレは告げるのさ。


「……死では、ヒトなど救えん。オレは、救いたい者の命を……守る。見せてやるぞ、ルチア・アレッサンドラ……死ではない、救済をな!!」


 きっと、君だって本当は見たいはずだろ?犠牲を強いないはずの、イースさまの巫女よ?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る