第三話 『囚われの騎士に、聖なる祈りを』 その4
「……お兄ちゃん。このテントの中にいるのは……『ルード王国軍のスパイ』さんなのかな?」
ミアが血塗られたマイ・ナイフを、死んだ帝国兵の服から切り取った布で拭きながら質問する。ああ、やっぱり、気になる言葉だよね?
『ルード王国軍のスパイとしか言わない』。
『本物のグレイ・ヴァンガルズさまの居所を吐かない』。
「……ニセモノさん?でも、まあ、ルードのスパイなら、助けてあげないと!」
その純粋な言葉に、オレは何だか嬉しくなる。なるほど、素直ないい子だよ。オレはミアの黒髪を撫でてやりながら、語るのさ。
「いいや。まだニセモノとは限らないさ」
「え?」
「とにかく、ちょっと待ってろ。オレが、『ルチア・アレッサンドラ』を『確保』してくる」
「殺さないの?」
「うん。彼女には、大きな利用価値があるんだ」
オレたちの『仲間』である『アーバンの厳律修道会』……彼らの保身に役立ってもらえるかもしれない。ダメなら、その時に……捕虜にするか処分するかは決めればいいさ。
いい子ちゃんでいてくれよ?
ルチア・アレッサンドラさんよ?
……オレは一晩の内に、女を二人も殺したくないんだよね。
彼女のいるテントが近づく。オレは作戦を考えているよ?バカにするな?行き当たりばったりで生きている猿みたいな動物とは、違うんだぜ。
さーて、若い女で、美人なんだろ?そして、性格はマジメ。兵士たちの会話と、彼女自身の声で分かるよ。だったら?『こういう作戦』は、どうかな?
オレは、テントの入り口に来ると、あえて大きな声を出すんだ。
「る、ルチア・アレッサンドラさま!!」
「え?な、なにごとですか!?」
テントの中から、想像していて以上の美女が出てくる。オレと同じような赤い髪で、それは腰の高さまで伸びている。青いふちの眼鏡で、瞳の色はインディゴ・ブルー。
分かりやすい知的でマジメそうな美人だ。同じ赤毛だから褒めているわけじゃない。さて、あまり乱暴な手段は使えないな……。
「あなたは……誰ですか?」
「あ、す、すいません。オレは……さっきの兵士たちの代わりです」
「なるほど。彼らは……『聖なる任務』とはいえ、無抵抗な者を痛めつける作業に、心を痛めていたのですね」
ルチア・アレッサンドラは、オレを代わりの兵士として疑っていないようだ。お人良しそうだな。うむ、『異端審問官』。拷問をも生業にする恐ろしい職務とは言え……いや、それだからこそ、高い倫理や教養を求められているのかもしれない。
『教義』のための、戦士か―――。
そうだ。彼女は戦士だよ、おそらくは『僧兵』。さっきオレが殺した兵士どもは、彼女を誤解していたな。彼女は『お嬢さま』なんかじゃない。
鍛錬に鍛えられた肢体に、ぶれぬ重心と、鋼の精神を持つ最高位の戦士だろうさ。とてもじゃないが……オレはこの美女のことを、『お嬢さま』だなんて愛らしい言葉で認識することは難しいね。
「どうか、なさいましたか?」
「い、いいえ。立っている姿が、とても美しいなと」
「そ、そうですか?」
「ああ。すみません……何か、武術をなさっているんですか?アレッサンドラさまは?」
「……はい。『カール・メアー』では、イースさまの『巫女戦士』としての修行を積んで参りました」
「……『巫女戦士』、ですか?」
「あ、ああ。すみません。世俗の方は、知りませんよね?」
どこかバカにされたような言い方だが、悪気が無いことは伝わる。そう、彼女は、きっと世間知らずだ。
それがお嬢さまを連想させるのだろう。だが、正体は深窓の令嬢などではなく、生粋の戦士すぎて『世間知らず』なだけってわけかい。
「浅学なもので……『巫女戦士』とは、何なのでしょうか?」
「女神イースさまに仕える戦士……私は4つの時から、『カール・メアー』の山に修行に入り、その山を守るためだけに生きて参りました」
……世間離れもするよな。世俗に離れて生きて来すぎたらしい。
「それは、とても大変そうですね」
「いいえ?私は、その人生を疑ったことがありません。『カール・メアー』は女神イースさまが世界に降臨されたという、清らかな聖山……楽園にも似ていました」
「楽園に、似ている、ですか?」
「あ。す、すみません。変な言葉でしたよね?死を迎えていない、私が、楽園を知ってはいないはずなのに……」
「故郷をうつくしいと思うのは、別に悪いコトではありませんよ」
「ええ……そうですね。でも……」
「でも?」
「実は、帝都の美術館で、見たのです!レクサー・ロペシュの描いた、『楽園の女神』を見てしまいまして……あれは、『カール・メアー』に、そっくりだったのです!!」
「……それは」
「え?あなたには、あの不思議なことが、説明できるのですか?」
「いや、レクサー・ロペシュが、『カール・メアー』の風景を見て、絵画にしたのではないでしょうか?」
ルチア・アレッサンドラは眼鏡の下にある、インディゴブルーの瞳をパチクリさせていた。なるほど、純粋な娘ではあるらしい。それゆえに、教え込まれた『教義』のまま、動くだけのお人形さんなのか……?
そうだとすると、彼女もまた悲しい運命の囚われに過ぎないのかもしれないな。
「な、なるほど!!……本当に、そっくりだったので、ビックリしてしまったのです」
「……仕方の無いことですよ。『カール・メアー』……オレは聞いたこともない土地ですよ。しかも、貴方のような『巫女戦士』が、本来ならば生涯を捧げる土地……封鎖され、秘匿されている場所なのでは?」
「は、はい。そのような土地でございます……世俗から切り離されている土地ゆえ、まさか、世俗の方が訪れ……その風景を絵に描いたという発想が無かったのです」
「……アレッサンドラさまは、純粋なだけですよ」
「そ、そうなのでしょうか……ドジなだけかもしれません。方向音痴ですし」
なかなかチャーミングなキャラクターのようだ。一緒にいて、少し会話をしただけで、オレは彼女に攻撃性を抱けなくなりかけているよ。
さっき殺した兵士たちの言葉に、うなずけることがあるな。
もしも、この女性が『異端審問官』とやらではなければ……ただの『巫女戦士』という存在であるのなら、こんなに血の香りを漂わせていなければ―――誰からも無条件に愛されるような純朴な娘であったのだろうに。
罪作りな人選だぜ?
誰に選ばれてしまったのかな?
君は……きっと、『カール・メアー』という楽園で、純粋なままの信仰に生きたほうが良かったのかもしれないぜ、ルチア・アレッサンドラよ。
「……そ、それでは!!さ、さっそく、仕事の手順を、説明してもよろしいですか?」
「……ええ。お手伝いしましょう。『彼』は、どこに……?」
そう聞きながらも、実は知っている。
『彼』は、すぐ近くにいるよ。テントの中を仕切る布の、一枚めくって、そのすぐ奥さ。ここに入ってから、魔眼で探っていたからね。魔眼は瞳の色を偽装していても、効果は発揮できる。
アーレスの目玉は、とっても有能なのだから。
「はい。こちらです……」
彼女はあくまでも素直だった。その仕切りの布を、穢れを知らなさそうな手で引くのさ。そして。オレは、『彼』を見た。
目隠しをされて、両腕を背後にある十字架に縛られている。膝を突いてうなだれていて、足首は魔銀の鎖でぐるぐる巻き。上半身は裸だった。全身に傷がある。新しい傷口もあれば……時間の経過で腫れ上がり、青くなったアザもあるね。
血まみれの顔は、みにくく腫れ上がっている。だが、まだ腫れ方が緩い。骨にヒビまではいれてないってか?
かつて見た『グレイ・ヴァンガルズ』の面影はない。顔が変形してるからか?それとも別人だから?
……なるほど、自称・ルード王国軍のスパイよ?……オレは理解しているぜ。君の行為の理由をね。よく耐えたな。
「なかなか、非道な光景に思えるかもしれませんが―――」
ルチア・アレッサンドラは、その手に鋼の棍棒を持っていた。それをオレに差し出しながら……彼女は表情を曇らせている。それでも藍色の瞳はね、使命感に燃えているんだよ。
眼鏡の下で、迷い無く。
その瞳はオレを射抜いてくる。
不自然なほどの純粋無垢を、オレに印象させながら、彼女の唇は静かに言葉を続ける。
「―――これは、正義を示すための行いなのです」
「……正義、ですか?」
「はい。異端審問は……イース教を穢した『間違い』を取り除く行為です」
「『間違い』……?」
「ええ。彼は、『嘘つき』ではありませんか?」
戸惑いを覚える言葉だったよ。
これだけの残酷な暴力を振るっておきながら、『嘘つき』という、どこか可愛らしい単語を吐くのかい?オレは、彼女の世界観が、よく分からない。
「……『狭間』であることが、罪なのですか?」
訊いてしまう。好奇心がその言葉を選ばせたのだろうか……。
「……いいえ。聖なる杯に混ざる血を、偽ることが、罪なのです」
「……ですが、『狭間』たちは、偽ることでしか……この帝国に、居場所を見つけることが出来ないのでは?」
「はい。だからこそ、悲しいことです。でも、イースさまの前で、嘘をついたことは、許されない。ゆえに、真実を吐き出させてあげないと、彼の魂が、救われないのです」
彼女の『教義』は、オレには理解が出来ない。きっと、もっと長く複雑な教義に裏打ちされたあげく、オレのような無信心者に、分かりやすい言葉を選んで、彼女は告げた言葉なのだろう。
でも。
なんだろう、この不気味さは。
共感を覚えることが不可能な、純粋さ。無垢なまでの、排他性?……彼女は……というか、おそらく、『カール・メアー』の『巫女戦士』という存在は……ユアンダートの『毒蛇』と、『暗殺騎士』たちのような存在……。
いいや。
ただの暗殺任務を強いられる戦士ではない……。
『巫女戦士』とは、生粋の、宗教的狂戦士……『聖なる暗殺者』。そういう存在なのだろう。イース教の、最も深い闇に潜み、イース教の敵対者を狩るためだけに作られていた、イース教の守護者……っ。
それが、この狂った純粋無垢な魂の、正体なのではないか……?
「……さあ。これを、どうぞ?」
微笑みと共に差し出されてくる鋼の棍棒を、オレの指は戸惑いながらも受け取っていた。重量感がある。これで叩かれて、ヤツはよく骨が折れなかったな。
ああ、なるほど、使い手たちまで、ビビらせる?そういう演出を産み出す効果も狙っているのか。主催者である彼女以外が、怯える。全ては、彼女の仕事をしやすくするためだな。
よく考えられてくる。個人の嗜好じゃないな、組織と歴史を感じる。
オレが戸惑っていると考えたのだろう、彼女はやさしげな言葉で、オレをいたわるように語りかけてきた。
「無抵抗な者を殴ることは、兵士であるあなたの魂には、辛い行いかもしれません。ですが、これも彼の信仰のため……真実を、イースさまの前で語らせてあげなければ、なりません」
「……真実を、吐いたかどうかを、見極めるコツは?」
「整合性です」
「整合性?」
「はい。彼の行動と、歩んだ人生の記録……そういうモノと、発言が一致するようになれば、彼の言葉を信じられます……」
「ですが……彼は、『誰』なのですか?オレが知っている、グレイ・ヴァンガルズとは、まったく違う顔です……」
「それは殴られ過ぎたからですよ。私は、彼こそがグレイ・ヴァンガルズであると、確信しているのです」
「それは、どういう理由で?」
「ルード王国のスパイであるのなら、あんなに早く、自白はしません。どこの骨を潰すよりも先に、スパイが自白など、ありえないじゃないですか?」
暗殺者として、闇の存在として育てられたからこその自信と共感なのだろうか?
彼女の言葉にオレは疑問を抱けない。たしかに、そういう考え方も出来るだろうし、おそらく『彼』が本当にルード王国のスパイなら、両脚を切断されても口を割らないだろうさ。
「彼は、また嘘をついてしまった。私に、真実を話すことが、唯一の救済ですのに」
「だから、真実を話すまで、殴る?」
「ええ。嘘つきから真実を聞き出すためには、拷問が一番です。肉体的な責め苦を与え、次は、精神的な責め苦をも与えていくのです。そう、教本で習いましたから」
怖い教本だな。だが、純粋無垢な彼女は……秘匿された聖山で純粋培養されてしまった暗殺者は、それを疑うことを知らないのだろう。
しかし……イヤな予感しかしない。
だからこそ、訊かなければな……。
「……精神的な、責めとは?」
「彼の妹を、確保するつもりです。教本には、『その後、兵士たちに一晩与えよ』と、書かれていますね」
オレの表情がにごる。クソが、何てコトをしやがるんだ!?
「その意味を、知っているのか……?」
「いいえ?殴るのか……それよりもさらに残酷なことをされるのか、男性を知らぬ私には分かりません。ですが……とても悲しく辛いことが起きるのは、予想しています」
「それを理解していて、彼女を捕まえさせたいのか?」
「はい。辛いですが……彼女も、『聖なる杯』に、嘘をついたのですから……異端者の罪は、暴力でしか、嘘つきの血を流すことでしか、贖罪されることはありません」
「……あまりに、残酷なことを、言っているぞ、ルチア・アレッサンドラよ」
「……そうですね。ですが、これは聖なる痛みなのです。正義のために血を流す、それは貴方も私も同じなのではないでしょうか、兵士さま?」
純粋な信仰者は、オレの目をただ無垢な正義で見つめながら、そう訊くのさ。オレは、初めて感じるタイプの嫌悪に、ちょっと冷や汗をかいているぜ……。
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