第二話 『魔王は、命の値段を訊ねられ……』 その19


 ―――ピアノの旦那、そう呼ばれるようになってから、この巨人は『ピアノ』と名乗る。


 元々、本名などあってないような存在だ、スパイというのはそんな存在。


 ルード王国軍の『影』であることを望んだときから、名前など、どうでもいい。


 アイリス・パナージュ……彼のパートナーだって、本名じゃないものね。




 ―――サー・ストラウスは、面白い男だ。


 首に機能を失った『魔銀の首輪』をつけ、帝国軍のキャンプに近づいていく。


 巨人族は帝国人に迫害を受けているが、反抗心が少ないため奴隷として、あちこちで使われている。


 『秩序』を好む性質が、巨人族にはあるからな、ピアノの旦那はそう考えていた。




 ―――人類の種族の数がアンバランスになりすぎた、支配者は多数が奪うだろう。


 巨人たちはそう考えていた、争いを好まぬ巨人の先祖たちは、支配を受け入れたのさ。


 それが運命であり、自分たちの信じる『理性』の出した結論だったから。


 ……でも、ピアノの旦那はそうは思えなかった。




 ―――数が少なければ、『意味』を成さないのだろうか?


 希薄になり、取るに足らない存在と、ただただ否定されるのか……?


 それはひとつの哲学になるのかもしれないが、それだけで人生をあきらめるのか?


 秩序なのかもしれないが、それが正しいことだなんて、彼には思えなかった。




 ―――だから、主を殺して、魔銀の首輪に締めつけられながらも、走って逃げた。


 ああ、そうさ……ピアノの旦那はもう一人のガンダラみたいな存在だ。


 もしも、彼のことをガルフ・コルテスが知っていたら?


 きっと、ピアノの旦那を雇っていたよね?




 ―――『14』を背負った猟兵が、誕生していたかもしれない。


 でも、運命はそうじゃない、運命が彼に用意していたのはクラリスだった。


 彼がハンターたちに捕らえられる寸前に、15才だったクラリスは彼に出会う。


 クラリスは血まみれの彼を哀れに思って、自分の馬車にかくまったよ。




 ―――奴隷ハンターたちも、まさかルード王家の馬車には近づかない。


 ルード王国は、ずっと前から奴隷制を止めていたからね。


 学園都市からルード王国へ向かう途中だったから、ピアノの旦那も同行した。


 クラリスは彼を自分の『護衛』と偽ろうか迷ったが、彼の指を見て、思いつく。




 ―――長くてキレイな指ですね、巨人族の方は、記憶力に優れていると聞きます。


 あのですね、楽譜を覚えられますか……?


 彼はうなずくよ、一度見たものを忘れない、僕と同じ能力を彼も持っていた。


 彼はクラリスの出してきた16枚の楽譜を、即座に暗記していくのさ。




 ―――『最も賢い種族』なのさ、巨人族はね、脳の容量までもビッグサイズだから。


 その中でも、『反抗心』をもち、『秩序』を拒絶する巨人は、おおよそ天才さ。


 クラリスは彼の能力に心底感心して、彼に、学園都市でピアノを習えと進めた。


 身分を偽称するための書類は、すぐに書けるけれど、勉学するにはいい場所だから。




 ―――面白い馬鹿なヒトがいるのよ、芸術家気取りのおバカさん。


 文才は無いのだけれど、彼の指はあらゆる楽器の才に長けているわ。


 貴方より、だいぶ年下の『先生』になっちゃうけれど……ガマンしてね?


 シャーロンなら、無料で引き受けてくれるわ、彼、私に夢中なのだから。




 ―――そんな言葉を使ったのさ、そして?


 僕はクラリスに好かれたいがために、その願いを聞いたかだって?


 ああ、そうさ、彼女の連れて来た目つきの悪い巨人に音楽を教えることを即答したよ。


 でも、あんまり目つきが悪いから、髪を伸ばした方がいいよ、とアドバイスした。




 ―――楽しい時間だったよ、年上の生徒は、僕が知る誰よりも天才だったから。


 コンテストに出たこともあるよ……あきらかにトップだったね、ピアノ部門では?


 でもね、やっぱり音楽会も閉鎖的だから、得点は露骨に少なくされたよ。


 僕が社会に心底、絶望したことの一つだよね。




 ―――でも、彼は満足していたよ、観客の学生たちが騒いでくれたから。


 それだけで何よりの勲章を得たと、彼は喜んだ。


 僕は、なんだか人間族であることが恥ずかしくなったけれど。


 彼は言ったのさ、人間も色々だ、ただ恥じることの無い生き方を選べばいい。




 ―――そう言いながら、彼は自分の未来を選んでいた。


 音楽家にだって、なれるのに。


 彼が選んだのは、同胞たちを救うための道……。


 ルード王国軍だったよ、音楽隊もあるしね?




 ―――運命は複雑で、彼はそこでクラリス以上に愛する女性が出来てしまう。


 耳の長い恋人さ、スパイ候補のくせに、なんだかやかましい。


 天才肌でだらしないところもある彼の服装を、いつも直してくれていた。


 天才は、感性で動くんだろうね、彼は音楽隊を辞めて、諜報部を目指す。




 ―――巨人族の奴隷に化けて、敵に紛れ込むのは常套手段。


 ルード王国軍も、それを研究していたよ?


 だから、彼も採用された、なにせ巨人の志願者はことのほか少ない。


 危険だし、奴隷がイヤで逃げ出してきた者ばかりだ、強いることは出来ないからね。




 ―――それでも、天才にとっては、屈辱なんて些細なことだった。


 大きな愛のため?そうだね、ほんとそうなのさ。


 無数の名前をもつ女と、クラリスのためならば、彼に耐えられない苦痛は無いのさ。


 奴隷に化けて、敵軍を探る……音楽を使える奴隷だよ?どこの軍でも重宝される。




 ―――鍵盤をその蜘蛛みたいに長い指で激しく叩き、彼は独自の音楽を研究する。


 絶対音感の耳は、酒場の会話の全てを聞き逃すことはないし、覚えている。


 全ての音が、彼の奴隷なんだよね?


 あらゆる音が、彼に真実を伝えてくれる。




 ―――あとは、踊り子、バイト店員、新聞配達員、保険のセールス……。


 色々な者に日替わりで名前と顔を変えてくる、長い耳のパートナーがいるからね。


 彼女も極めて有能なスパイだからね、それに多芸だよ。


 多芸なスパイは優秀さ、環境に融け込むのが早いからね。




 ―――その上、彼女もエルフの地獄耳……彼と違って素早いしね?


 屋根裏をネズミのように這いながら、軍人どものヒソヒソ話を集めるのさ。


 ああ、そう言えば猫の『ものまね』も得意だね、一人で二役もやれるよ?


 屋根裏での物音がバレたとき、猫のマネして窮地を逃れてた、未熟な時代の頃にね。




 ―――指の長いピアノ弾きと、耳の長いエルフのスパイは無敵のコンビ。


 ルード王国軍の影に潜み、数多の仕事を成し遂げてきたよ。


 スパイ稼業はスリルに満ちていて、芸術家の魂にはいい刺激。


 だから……彼らはこの危険を愛してもいるんだ。




 ―――ソルジェ曰くの『ピアノの旦那』は、今夜も帝国軍に潜っていく。


 反抗心のある巨人は、目で分かる。


 あと、心音でも分かるんだってさ?


 保守的で奴隷気質な『秩序派』とは異質なハートの音が、するんだってさ!!




 ―――ドのシャープが混じるんだ、そう言っていたね。


 ホントかどうかは知らないけれど、心が歌うことならば知っているよ?


 ピアノの旦那は、今宵もすぐに協力者を見つけていく。


 同じように潜入した仲間たちと同じく、口から『魔銀のヤスリ』を吐いていく。




 ―――これで、魔銀の首かせの刻印部分を削ればいい、二度と首輪は動かない。


 ピアノの旦那は、いつものように『自由』を求める巨人奴隷から情報収集。


 ……やはり、ソルジェの読みは当たるね、ソルジェは敵の心を読む才能に長ける。


 悪党であれば、なおさらね?……ソルジェが悪党だからじゃないよ?……多分。




 ―――ピアノの旦那は、情報を見つけていたよ。


 心臓のリズムを早くする、かなり大きな情報だ。


 魔笛を使うよ、エルフ族にだけ聞こえる魔笛を鳴らす。


 それを聞いた仲間がね、また魔笛を鳴らす……無音の歌のリレーだね。




 ―――夜の風に紛れて、秘密の暗号の歌がリレーされる。


 やがて……竜の背にいるアイリスのもとにも、その知らせは届いたよ。


 アイリスは驚くね、酒場の女将が染みつきすぎて、リアクションが大きくなっている。


 まあ、それも魅力的だけどね……アイリス・パナージュは、ソルジェに告げるよ。




「……帝国軍の幹部が……捕まったみたいよ」


「……ん?ああ、エルフ族の魔笛が聞こえたのか?」


「そうよ。うちの旦那からの連絡。いきなり大きな情報ゲットね」


「……ふむ。その帝国軍の幹部とやらは、何をしたんだい?」


「『血狩り』の検査に引っかかったみたい……そのヒト、ハーフ・エルフだった」


「ほう。そいつは、どこかの国のスパイなのか?」


「……そうじゃないみたいよ?帝国の貴族のご子息さまみたいだから。ていうか、私も名前を知っているわ。貴方には縁深いことに、第七師団で近衛騎士を務めていた男よ」


「……ん?……なにか、覚えがあるなあ……そいつの名前は?」


「『グレイ・ヴァンガルズ』。名門、ヴァンガルズ伯爵家のお坊ちゃんよ」


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