第二話 『魔王は、命の値段を訊ねられ……』 その10


「な、なんだ!?」


「こ、この女、影みたいに動く!?……よどみがない!?」


 そうだよ。シアンの動きは天衣無縫。シームレスに、さまざまな技が繰り出されてくるぞ?無慈悲なまで速くて、精確……そして?実は力も強いよ?フーレン族だからね?


 シアンは階段を恐ろしい勢いで駆け上がる。


 だから?ターゲットにされていると自覚した右側の兵士は、双刀を抜き放ち、身構えていた。彼女のスピードと、気配から感じ取った極めて高い戦闘能力に、備えようとしたか。


 ……評価をつけるまでもないが、あえて言おう。


 『悪手』であるな。


 若者よ。君はその構えで、一体、何発受け止める気でいた?


 シアンが七発ぐらい連続して刃を打ち込んでくるとでも思ったか?


 でもね、その『虎姫』は君がしている、その消極的な防御姿勢を相手にしたときなら、50手以上は連続して打ちまくってくるぞ。練習であれば、無呼吸のままに百手は連続して放つのだからね、シアン・ヴァティは。


 シアンが守りを固めた若者に襲いかかる。加速しながら、低い位置から、かち上げるように刃が迫った。


 ギキイイイイイイイインンッッ!!


「―――は、速い……ッッ!?」


 火花が散り、鋼が削られ、鉄の歌は、陽気な宴の音楽が流れる砦に響いた。鋭い鉄の歌を浴びながら、若きフーレンの貌がこわばっていく。


 君は『間違い』に気がついていたな。そうさ、それを受け止めてはいけなかった―――その感想は極めて正しい。


 速いだけではない、『重さ』がそれには宿っているのだから。君は圧を受けたな?その圧は、君から反撃の機会を奪うぞ。


 硬直した肉体は、一瞬だけ君から動きを奪うからだ。そして、この一瞬が致命的だ。反射出来ぬほどの濃密な、双刀の斬撃のラッシュの始まりを、許してしまうのだからね。左右に上下と、あらゆる方向から『虎姫』の刃が君に迫るぞ。


「く、くそうッ!!」


 またたく間に防戦一方に追い込まれてしまう。君は視界のなかに踊る、美しい黒髪の剣士の剣舞を、双刀で受けるのに必死になる。


 よく防いでいるが―――気をつけろ?


 ときおり、君にパターンを読ませないように、トリッキーな『突き』が来るからな。それは、避けなきゃ死ぬぞ?全部、急所狙いさ。


「つ、突きまで、混ぜるのかよッ!?」


 そうだ、腰を引いて、後ろに跳ぶのも仕方はない。恥ずべき程の惨めな動作でもいいから、避けるといい。


 避けきれなければ終わりだぞ。


 大動脈を破られ、君の命はそこからぶちまけられてしまう。そうなれば、助からない。シアンは今みたいに『手を抜かず』に、一瞬でトドメを刺しに行くだろう。


「なんてラッシュなの!?……あれが、『虎姫』ッ!!」


「は、速すぎますよ!?あ、あんなに速く動けるものなのか、ヒトって……ッ!!」


 アイリスとピエトロが、うちのシアン姐さんの動きに驚いてくれている……でも、実はシアンには、まだ『上』があるんだ。こんなもので『虎姫』を見た気になられるのは、オレとしては不本意だよ。


 ……でも、猟兵を褒められると嬉しくなるのは、団長としての性か。


 自慢してやるのさ、ニヤリと口を歪めながら、オレは躍動するシアンを見つめる。黒くて長い髪を乱しながら、刃の乱打で相手を拘束してしまうシアン・ヴァティは、今宵もとても美しい。


「……うちの『虎姫』さん、スゲーだろ?」


「はい!!」


「ほんと、ムチャクチャなヒトね……でも、あの兵士、アレだけの猛攻に耐えているわ」


「練度がいいのさ。『白虎』の護衛として選ばれた戦士なのかもな……」


 たしかに、シアン・ヴァティの猛攻をよく受け止めているね。ちょっとした感動を覚えるよ。必殺の突きも、無様なステップではあったが躱してみせた。


 だが。


 そのラッシュを対応するにあたって、注意しなければならないことがある。いきなり彼女が影のように『沈んだ』ときだ。それは加速の合図で、君の想像を絶するスピードで、『虎姫』は動くぞ。


 瞬間移動されると思えばいい。視覚の残像の導きと、勘に従え。気づいたときには、背後を奪取されている。彼女の神速を防ぐ術は、君にはないよ。


 なぜ、シアンはそんなことをするのか?……もしも、ここが戦場なら、君の急所である腎臓を、背後から突き刺して壊すためさ。でも、今は?君の相棒が、君の援護をするために放つ斬撃を、しゃがんで躱すためでもあるよ。


「くらえええ!!」


 戦士が叫び、大剣を振るう。剣舞を踊るシアンの背後を無防備だと感じたか―――隙につけ込もうとする発想は良いのだが……その刃は空を斬るだけに終わった。


 唐突に地を這うように沈んだ彼女を斬るには、普通の動きでは当たらないよ。


 そして、沈んだ彼女は、とても速く動く。ルードの練兵場で、オレに向かって岩から飛んで来た時みたいにね。曲げた足と刀を握った拳で、地を衝いてでも、神速を帯びるのさ。


 シアンは、加速する―――二人の兵士たちを置き去りにして、双剣使いの背後に踊り出ていたよ。一瞬のうちにね。


 シアンは、君を手数で圧倒しながらも、もう一人の敵の動きさえも気取っていたのさ。ときおり剣舞のあいだに顔を倒して、視界の端で見ていたし、足音も聞いている。だから、こんな風に、二人を同時に手玉に取れるんだよ。


 シアンはたった一人の獲物に集中しているわけではない。その感覚の全てを用いて、戦闘の行われている空間のあらゆる情報を掌握するのさ。


「スゴい!!」


 ピエトロが声を上げる。


「どうスゴいか、分かるか?」


「い、いいえ!?でも、分からないぐらい、スゴいですよ、シアンさん!!」


「そうだ。その認識は、とても正しい」


 素直な言葉だよ。かわいくなるね、オレの大ファンだという、この少年くんは?未熟さを隠さない。


 でも、となりのアイリスはベテランだ。この魔法のような状況を作りあげたシアンを、どうにか分析しようとしている。しばらく考えて、彼女の口が開いた。


「……もしかして、あれが、『影飛び』?」


「『影飛び』?」


 ピエトロが女スパイに質問する。


「なんですか、それは?」


「……『須弥山』に伝わる奥義の一つよね。私は名前しか聞いたことなかったけど……きっと、アレがそうなんでしょうよ?」


「『須弥山』の……剣聖たちの山の……奥義。な、なんだか、スゴそうです!!」


「ええ。至近距離で、いきなりあの低さまで沈まれたら、『見失う』んだわ」


 そうだ。ヒトの視野は狭いからね。オットー・ノーランみたいな『サージャー/三つ目族』ならともかく、二つ目の種族では、あの低さを見切るのは難しい。


「まるで、『影』のように低いもの……そして、次の瞬間には、相手の『影』……つまり背中に回り込む。死角を作って、次の瞬間は本当の死角に移っているのね」


「む、ムチャクチャな技ですね」


「ホント、そうよ……『虎姫』さまが仲間で良かった!」


 ……なるほど、あの技巧は『影飛び』と言うのか。


 恥ずかしながら、オレは知らなかった。もちろん、あの『動き』については知っているんだけどね?名前を知らないのさ。


 だって、シアンはなかなか技巧の名前とか教えてくれないんだから。知りようがないだろう?……シアンは、技についた名前なんかには、あまり意味がないと感じているのかもしれない。


 だが、オレは技巧の名を知れた方が、想像力を働かせやすくていいと思う。


 自らを『影』に化けさせ、相手の『影』へと飛び込む。だから『影飛び』。クールな技だ。でも、オレには出来ないな。


 柔軟さとしなやかさが足りないもん……嫉妬を覚えなくもない。女の柔らかさと、獣の強靱さを持つ存在……つまり、『女のフーレン』……『虎姫』のみにしか、使えない奥義だろう。


 おそらく、あまりにも使い手が少ないから、フーレンの戦士でも対応出来ないわけだな。


「く、くそ!?一瞬で、背中を取られる!?」


「なんで、オレの剣を、避けれるんだ!?背後からだったのに!?見えているはずが、ないのに!?」


 フーレン族の戦士たちが、自分たちが巻き込まれている技巧の深みに、まったく、ついていけなくなり始めている。


 ああ、良かったな。君らの腕が、まだ未熟で?


 もしも、鍛えあげられた技巧を出す敵なら、ここまでシアンに手加減されることもなく、とっくに殺されているところだよ。未熟だからこそ、シアンは遊んでくれているのさ。


 さあて、シアンの容赦ないラッシュは続く。無慈悲なほどの速攻は、若者をただただ深く混乱させていくぞ……。


 そして、それだけではないな。致命的な破綻はすでに起き始めている。あまりに速く、そして威力もある攻撃を、さまざまな角度から浴びたおかげで、もう彼の指は壊れつつあるんだよ。


 手が痺れ、指が緩む。


 シアン・ヴァティは、その『ほころび』を見過ごさない。隙があれば、残酷かつ容赦なく、そこに攻撃を浴びせる。それが、オレの知る『虎』の最低限の水準だ。


 ギュキイイイイイインンンッッ!!


「うわ!?」


 双刀が、双刀によって絡め取られていた。シアンの双刀が回転するように動いて、左右の指から、鍛えられた鋼の刃は奪われる。


 牙を抜かれた獣がいたよ。


 両手から刃を取られてしまった剣士は、泣きそうな顔をしていた。無防備な状態で、目の前には琥珀の瞳を殺気に満たしたシアン・ヴァティがいる。ハハハ、怖すぎる体験だよ。


 でも、どうすることも出来ない。『虎』の反射神経は、『トドメ』を刺すときが、最も速く機能するのだから。シアンが、動いていた。今までよりも、さらに速くね。


「……ひいッ」


 ひょっとして、殺すのかな?……一瞬だけだが、そう感じた。だが、違った。彼女は大人だったのさ。


 未熟な若手で『遊ぶ』ときは、殺さないらしい。刀の腹でブン殴っていたよ?ホントは、左右から頭部を切り裂く技巧なのだがね。


 同胞相手だから、やさしいのかも?もちろん、死にはしないが死ぬほど痛いし骨は壊れるよ。死に比べればなんたる軽傷か。


 鋼に側頭部を両側から叩かれて、気を失った兵士が床へと倒れていく。ピクリとも動かないが、死んではいない。勘じゃないぞ?魔眼で、心臓を動かす魔力の回路を見て、確認しての発言だ。


「き、貴様あああああああああああああああッッ!!」


 太刀を振り上げて、もう一人が走る。仲間が殺されたと感じたのかもしれないな。戸惑いや恐怖が消えている。今、彼にあるのは必死さのみ。


 シアンに手数では勝ち目がないと理解してのことか。それとも、己の出せる最大の威力をもってでしか、シアンを止めることは出来ないと考えていたのか。太刀を振りかぶり、走り込む。


 どうあれ、いい動きだ。


 踏み込む足は強く、床を叩いた。その全身を上下に躍動させて、太刀の重心に自分の力と重さを喰わせていく。なかなか見応えがある、素晴らしい一撃だよ―――。


 だが。残念ながら上には上がいるのだ。


 シアンは、敵の動作を、琥珀色の瞳でじっと見つめながら脱力し、再び『沈む』。


「なにッ!?」


 そのときのシアンの体は、あまりにも軟らかく、それゆえに、まるで地を這う獣のように低く、深く、『沈む』のさ―――だから、彼の放った一撃は、再び大きく空振りする。


 その行動を少しぐらいは予測していたはずだが、彼は対応することが出来なかった。


 私的な意見だが……トリッキーな動作を予測しようとすることは、避けるべきだな。不規則を探り当てるのは集中力を費やす割りに、メリットが少ない。彼も、予測しようとシアンの動きを見すぎていたのが失敗のもとだ。


 残念だが、シアンは予備動作なく動けるし、動きも複数あるよ。予測は通じないのさ。いきなり動くモノを、注視していると、その技巧からは逃れられない。


 さて。『沈む』のは、避けるためでもあるが……今回のは、それだけではない。これは『影飛び』ではないぞ。


 かち上げるために、沈んだのさ。全身のバネを使い、最速に最重量の威力を帯びさせ……なおかつ、対応が極めて困難な『低い位置』から、急角度で放つためにね?


 シアンの殺気を浴びた大剣使いは、怯える。バックステップで後ろに跳びながら、必死な形相で剣を再び振り上げていた……。


 彼の姿勢が完成すると同時に、シアンが動き始めた。やさしいね。シアンは猶予を与えたんだ。殺すつもりなら、もうとっくに仕掛けていた。


「ち、チクショウ!!」


 崩れた姿勢であったとしても、兵士は迫るシアンに太刀を振り下ろすしかなかった。あまりにも分が悪い勝負だよ。


 シアン・ヴァティの神速に惑わされたその斬撃は、惑い、緩み、遅くなっている。経験が、そのカオスに導いてしまっているね?『当てなければ殺される』と感じて、それゆえに焦ってしまっていたのさ。


 残念だが……焦りを帯びた剣に、全霊の力が宿ることはないよ。そのような不完全な技巧では、シアン・ヴァティの双刀の『破壊力』を止めることは出来ないさ。


 ガギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンッッ!!


 振り落とされていた太刀が、左右からの刃に挟まれるように受け止められる?


 ……いいや、そんな甘いモノじゃないよ。


 それだけのために、シアンはこの動作に背骨を参加させて威力を押し上げたわけじゃない。シアンの双刀の『鍔/ガード』には、小さな『牙』がある。それが太刀の鋼に引っかけられていた。


 あとは、シアンのしなやかさを帯びた強靱かつ狂暴な腕の『引き』が加われば?


 威力に怯えたように揺れる鋼は、芯から砕かれちまうのさ。言っただろ?シアン・ヴァティの筋力は、とても強いんだ。


 柔軟性を活かして、一つの動作に全身の関節を参加させてもくるからね?ダイナミックな動作で、一瞬の動作に対して、彼女は全ての力を『集約』させるのさ。


 瞬間的な出力だけなら、オレともいい勝負するかもしれない。


 力と速さと技と角度。そういうもののかけ算によって、太刀の鋼をも砕く『破壊力』が創造される。


 神がかった技巧があれば、スピードや舞いが、破壊力にも化けちまうのさ。ゆえに、こんなことが怒る。太刀が、双刀に砕かれるなんてことも、起きてしまうのも現実さ。


 バキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンンッッ!


「……お、オレの、剣が……粉々にぃ……ッ!?」


 剣士の動きが止まったように緩慢となった。もしかして、魅入られているのか?シアンの放った、その美しいまでに残酷で、破壊的な技巧に?


 最前席で『それ』を味わえたのだから、君は剣士として幸せだ。


 オレも、かつてそれを喰らったとき、竜太刀を砕かれるとビビったよ。だから、指を離して、竜太刀を捨てた。そのあと、指で彼女の手首を掴んで防いだよ。


 無粋な防御だったな……技巧というよりも、反射と力に頼った、動物のような動作であった。


 そのときは不完全に中断された技術が、今宵はその全容をオレに見せてくれる。


 剣の鋼ごと、指の筋肉をも破壊されている彼に対して、シアンはまた沈むと、その直後に砲弾のような速度で『当て身』を当てていた。


「ぐふうッッ!!」


 ……本当は、双刀の先端を、腹から心臓目掛けて突き刺して、次の瞬間には切り開く殺人技だが、今夜のシアンは聖母みたいにやさしい女だよ。『不殺』の動作さ。ただの肩を入れる当て身だったぞ。


 もちろん、達人の超絶的な技巧を帯びた『それ』が、強烈な威力を放つことは疑いようのない事実だよ。


 ほーら、剣士の体が吹っ飛ぶ、そして?背後にあった大きな扉をこじ開けながら、その先にある広い室内に倒れ込んでいた。


 彼は、もう失神しているよ。あの体当たりは軽装の鎧ごと、彼の肋骨をぐにゃりと曲げちまいながら炸裂したんだ。肺が破裂寸前にまで痛んだはずさ。


 床に倒れた彼は、どうにか呼吸をしているが……意識は完全に消失している。まあ、それはともかく……。


 ああ。やはり、ここが『宴』の現場だったんだな。


 音楽が止むよ。太鼓も、笛も、長い首を持つエキゾチックな弦楽器も。兵士と女と楽器弾きたち……そんな連中が、凍りついていた。とくにここにいる兵士たちはベテランも多く、『虎姫』の姿を見るだけで、心に恐怖が訪れるようだ。


「……ん。ソルジェ・ストラウス?」


「おつかれ、シアン。ちょっとオレの出番だろ?」


 オレはシアンのとなりを歩いて抜け、その部屋に一番乗りする。『長』の特権だろう?


 だいたい、シアン・ヴァティよ?


 オレより拳で語るタイプの君に任せていたら……あそこでロープでぐるぐる巻きにされて倒れている、耳の長いオッサンについて、そこの鼻ピアスのフーレンくんに質問出来ないだろう?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る