第二話 『魔王は、命の値段を訊ねられ……』 その4


 さて。出発!!


 あの揺れて軋みやがる階段をリズミカルに降りて、ステーキを平らげているシアンと合流するのさ。


 ああ。美味そう。オレは、彼女を羨ましげに見つめる。でも、いいさ。オレだって、たくさん食べたし。それに、今夜は、酒場は臨時休業だ。ステーキを今さら焼いてとか注文できん。だいたい、そんな雰囲気ではないのさ。


 オレに先んじて、アイリス・パナージュは戦士の貌になっていた。髪を後ろで束ねて、いつものように愛想の良い商売向けのスマイルを浮かべているわけではない……。


 もしかして、今夜、君はこのイーダの酒場を捨てるのかね?


 スパイとして、ここに潜伏することは止めて、戦士に戻るのか?クラリス陛下の作ったルード王国に、難民たちを導くために……『アイリス・パナージュ・ルート』に同行するつもりなのかもしれん。



 そうだ。原初の森林を越えるための、導き手。君ならばそれに相応しい実力を持っているよな。オレには分かるよ、君の戦闘能力の高さがね。


 猟兵並みとは言わない。だが、十分にこの森林のモンスターとも戦えるだろう。


 なにより、君が『アイリス・パナージュ・ルート』を作りあげるために捧げた労力が、その知識が……難民たちを、あの昏い森で迷うことから救うはずさ。


「……オレたちと一緒に、ゼファーの背に乗るか?」


 女戦士に、オレはそう問いかける。


 彼女は即答するのさ。


「もちろんよ。そのために、臨時休業にしたわ」


「ほう。臨時なのか?……戻ってくるつもりか」


「『アイリス・パナージュ・ルート』には、ここも入っているのよ?」


「なるほどな。ここの港町の連中は、難民たちを受け入れてくれるのか?」


「貴方の狩ってきた、『ギラア・バトゥ』の毛皮を着ている姿を見ればね」


「フーレンってのは、そんなに強いヤツへ好意的なのか?」


「ええ。そういう人種よ。ねえ、そうでしょう、『虎姫』さま?」


「……ああ。『長』と、私を見ている。ここの連中は、あの毛皮に逆らわない」


 シアン・ヴァティ姐さんが、静かに語る。なんていうか、オレとシアンで住民を脅しているような気持ちになる。リスペクトされているというか、脅迫してるカンジ?


 まあ、どっちでもいいんだけどね。効果的であれば問題はない。


「―――とのことよ?当のフーレン族が言っているのだから、信じるべきね」


「そうだね。まあ、よろしく、アイリス。竜の背に、乗せてやるぜ」


「ええ。でも、あの竜には、六人も乗れるのかしら?」


「三トン以上の重量を運んで飛べるぞ?乙女五人と、オレ一人。その重さを超えるか?」


「愚問だったわね」


「詰めて乗れば大丈夫さ。何なら、脚にしがみつくのも有りだ」


「私はゲストだし、初心者よ?……サー・ストラウス?レディー・ファーストって、知っているかしら?」


「……知ってるよ。竜騎士ってのは、騎士の一種なんだからな」


 あと、野蛮なグラーセス・ドワーフ・マーヤ族の貴族戦士でもある。いいよ。分かった、オレがゼファーの脚に抱きつこう。もしも……ゼファーの脚に無意味なほどの愛情感じるような癖に開眼したら?


 君がルードに開業する宿屋のスイートルームは、オレたちがタダで宿泊できるようにして欲しいんだけど?


 そんなことを考えながら、オレたちはゼファーのそばにたどり着く。ゼファーを見上げるアイリス・パナージュの顔は、かなり引きつっていた。


「竜に乗るのなんて、ちょっと怖いけど……大丈夫よね?」


「落ちはしないよ、オレの席を譲るんだから」


「……そうね!」


 なるほど。有能なスパイさんでも、初めての空は怖いのかね?


 でも、安心してくれ。オレが脚についているのだから、アクロバティックな飛行はしない。平坦な風に乗るだけの飛行だよ―――それでも、人生において最高の体験の一つになるということは、確かさ。


「じゃ、じゃあ。よ、よろしくね、ゼファー?」


『うん。よろしく、あいりす』


「まあ……意外なほど、可愛い声を出すのね……?」


「そうだとも!!」


 『マージェ』がドヤ顔。ちょっと親バカ?そんなことはない。だって、ゼファーの声で耳が癒やされない人類なんて、いないと思うもん。


 オレが、親バカだと?……いいや、オレは違う。オレはセックス依存症のシスコン野郎なだけだっつーの。


 ゼファーの『美声』に癒やされた女スパイは、首を下げたくれたゼファーに近づいて、その背にヒョイと飛び乗っていた。いい動きだな。軽やかだ。まるで盗賊のように、身軽だね?エルフ族の才能と……鍛錬をカンジさせてくれるものだったよ。


 ルード王国軍を……あのクラリス陛下を支える秘密の戦士たちか。頼りになる人々と知り合えて、オレは嬉しいね。


 さて、猟兵女子ズがアイリスに続くぜ?さすがに慣れたものだな。オレは……オットーがやってたみたいに、ゼファーの右脚にしがみついていた。


 竜騎士としては、やはり竜の背に乗るべきだと思う。でも?レディファーストさんが、その主張を駆逐しちまった。いいさ、べつに?たまには、いい経験だよ?オレはゼファーの脚を叩く。鋼鉄よりも固いウロコは、いい手触りだった。


「よし。飛べ!!ゼファー!!」


『うん!!じゃあ!!いくよ!!』


 そして、ゼファーの脚は大地を圧すように蹴った。同時に、その黒くて大きな翼が、天を抱くように広がる……おお。ここからのアングル!!サイコーに、カッコいい!!


 心がワクワクしちゃったぜ。


 ゼファーの翼がカッコ良すぎるんだもの。


 オレの竜騎士ならではの特殊な興奮になど、ゼファーは気づかなかっただろう。羽ばたきが始まるのさ。


 夜空を支配するために、その大翼は空を打ち据えて、その圧倒的な力を示した。風が起こり、ゼファーの巨体が上昇していく。


 うむ。いいアングルだ。ゼファーを下から見ることで、ゼファーの偉大さが改めて思い知らされる。


 サイコーだ。


 竜って、サイコーだ!!


「くくく。ハハハハハハハハハハハッ!!」


「え!?どうして、サー・ストラウスは爆笑しているの!?」


「気にするな!!発作みたいなもんだ!!」


「発作?病気なのかしら……」


「そんなことより!!どうだ、アイリス・パナージュ!!空を飛ぶという感覚は!!」


「……ええ。ちょっと、というか、かーなり怖いけれど……興味深い経験ね」


「そうだ。死ぬまで使えるネタになるだろ?」


「たしかに。こんな経験のあるヒトは、世界に一握りだけよね?」


「ああ。その特別を味わってくれ。いい料理と、あの素晴らしいビールの礼だよ」


 酸味のある青い密造酒のことは、カウントに入れない。独特の癖があって斬新だったけど、美味しくはなかったからな。


「……酒場の女将を演じていた甲斐があったわ」


「……いつか、ルードで本物の酒場をやればいい」


「え?」


「生きて引退すれば、出来るだろう?」


「そうね。そういうモチベーションがあった方が、生き延びやすいかもね」


「間違いないさ」


「ウフフ。そのときは、みんなを招待するわね!!団長サンと、『虎姫』さまだけじゃなく、他の女子たちも、お酒が飲める年齢になっているかも?」


「……うむ!二十才になったら、飲めるぞ!!」


「自分は来年っすね?」


「ミアは七年後……っ。すっごく先……っ」


「あら?人生なんて、あっという間なのよ?」


「本当?」


「ええ。ほんとよ、すーぐに大人になるわ」


 アイリスはオレのポジションに座っているから、最前列のミアを脚の間に抱く格好になっている。


 ああ、竜の背に乗り、ミアの黒髪の香りを嗅げるだと!?……恐ろしいことに、オレ、アイリスに嫉妬していたぞ……。


 でも。


 オレ、普段、そんな幸せを享受していたんだなあ。ああ、視点を変えてみることで、色々なことを発見できているよ。そうだな……視点を『変える』か。


「―――なあ、アイリス?」


「なに?」


「……君の……『帝国側』の『協力者』についてだが」


 その言葉に、猟兵たちの緊張が増えるのを感じた。うん、誤解しているかもね?だが、スパイ相手に質問するには、好都合かもしれない。悪趣味じゃあるけどね。


 どこにも逃げ場のない、この場所でなら?


 言葉にしにくい情報も、口にしてくれるんじゃないかと考えている。逃げ場はない。背中には殺気を抑える弓姫もいるしな。


 アイリスは十秒ほどの無言のなかで、色々なことを考え、判断したようだ。嘘つきなスパイの口が開く。


「……色々なところに、『協力者』はいる。ファリス帝国だって、多人種国家よ?人間族に支配されているけれど、たしかに亜人種たちが生きている……それに、言ったでしょう?」


「ああ。君は、確かに言った。人間族にも、オレと同じ心を持つ者がいる……つまり、帝国の人間族でありながら、君や難民たちに協力してくれている人物がいる」


 しばらくの沈黙が夜空の上で流れていく。星空は冷たい。この場の空気も冷やされて、少しだけ重みを増しているようだった。


 観念したように、女スパイは口にする。


「……情報源の秘匿なんてのは、基礎の基礎なんだけどね」


「安心しろ。『パンジャール猟兵団』は口が硬い。たとえ拷問を受けたとしても、口にすべきでない情報は、口にしないさ」


「そうだ。安心しろ、アイリス。『虎』と猟兵は、そういう生き物だ」


 シアン・ヴァティの言葉を、アイリスは信じたのだろうか?……『虎姫』は嘘をつかないからな。


「……分かったわよ。どんなことが起きたとしても、絶対にバラさないでね!……『協力者』が危険に晒されたら、困るのは私や貴方たちじゃない。帝国に生きている亜人種の全てが、実害を被るのよ?」


「ああ。分かっているよ。オレは、『僧侶』には優しくあろうと心がけている」


 オレの言葉に、猟兵女子ズが反応している。


 『協力者』とは、『僧侶』なのか、と考えているはずだ。そして?……きっと、それで終わり。帝国の宗教なんて、彼女たちが興味を持っているはずがないからね……、


 でも。


 唯一、気づけるとしたら?


 シアン・ヴァティ姐さん。アンタなら、分かってしまったんじゃないか?あの酒を味わった、その口で……アルコールを帯びていない言葉が放たれる。


「―――アバーンの『厳律修道会』……」


「……あら?サー・ストラウス以外に、バレるとは思ってはいなかったわ」


「ふむ。私を、過小評価しているな、エルフ女」


 『虎姫』が迫力を帯びた声が、女スパイの背中に突き刺さる。ついでに、女エルフでもあるリエルの背中もビクリと揺れていた。なるほど、このアングルからなら、色々と見えて面白い。


「うふふ。ごめんなさい。『虎姫』さまのことを、侮っていました!!」


「……認識を改めろ。私は、有能だ」


「ええ!とてもね!!」


「わかったなら、いい」


 そして、緊張の時間は終わり、女スパイとオレの正妻エルフが安堵している。シアン・ヴァティの殺気を浴びるか?……体験者だから分かるよ。あれは、気持ちのいい瞬間とは言えないからね。


「……あのう、ソルジェさま?『厳律修道会』さんが『協力者』だって、どうして分かったんですか?」


 第三夫人のカミラちゃんは、分からないことを素直に質問できる、いい吸血鬼さんだ。解説好きのオレに質問してくれるとか、さすが夫婦だよね。オレの気持ちいいコト、色々と知ってるよ。


「……今日、アイリスが食事に出してくれたビールがあってな。それが『厳律修道会』のラベルの貼られたビールなのさ」


「修道会?教会が、酒を造るのか?」


 リエルがそう訊いてくる。ふむ、森のエルフの宗教には、あまり飲酒との関わりが薄いのかもしれないな。


 ヒトをまとめたり騙すには、アルコールが一番だからね?……酒ってのは、宗教にはマストアイテムの一つだと思うが、そうでもない文化もあるのかもな。


「厳律修道会に限らず、ファリス帝国の『イース教会』では、収入源として酒造が認められているのさ」


「ふむ。坊主が飲酒か?」


「ああ。それを罪悪とは思わない宗教もあるのさ」


 リエルちゃんは飲酒を堕落だと考えているフシがあるんだよな。もちろん間違いでもないと思うけど、世の中にはアルコールが必要なんだ。必要悪さ。


「……あの黒いビールは上物だったのさ!……ラベルもしっかりとしたモノが貼られて豪華だった。流通しているモノは、もっと庶民的なラベルが貼られている。彼らから、贈呈されたモノだろう?」


「正解。酒飲みの眼も、鋭いのね?」


「まあね?それに……後々、考えれば、君が意味のない酒を出すとも思えなくてね?試したのか?」


「……少しね。洞察力が優れているとのコトだから、実験してみたのよ……もちろん、時期とタイミング次第で、教えようとは考えていたわよ?」


「だろうね。じゃないと、スパイとしては迂闊すぎる」


「……そうよ。私たち、ルード王国の、帝国における強大な『協力者』の一人が、『アーバンの厳律修道会』……その指導者たちよ」


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