第一話 『イラーヴァの森の魔獣たち』 その20


 ―――肉は、肉。


 うむ。もう一度、心で唱えても、その感動は静かにオレの心に広がっていく。


 そうだよ、たしかに野性のモンスターの肉は、だいたい不味かった。自分の経験を否定するワケにはいかないね。


 ジビエもそうだが、肉の旨味や甘みとなる脂肪分だ、脂肪分が足りないからだ。


 そして、モンスターなんてのは、そのほとんどが捕食動物さ。捕食動物の特徴だけど、肉が臭くて不味いんだよね。


 野性で脂肪分の少ない、しかも肉食動物……その二つの要素が、オレにモンスターの肉を食おうという発想を拒絶させてきた。どう考えても、一般的な食材の方が美味い。


 農業・畜産技術も、その食材たちを調理するレシピも、人類の歴史という経験のなかで、常に高みを目指して研磨されてきた技能ではないのか?


 それに比べて、モンスターの肉など……どんな変態野郎が喰らって来たんだ?


 だけど……。


 それは、偏見だったのかもしれない。


 オレとミアは、名探偵の気分だよ。可能な限りの広い視野と発想で、目の前に転がる巨肉の真実に迫ろうではないか?


「―――ミア、気づいたことはあるか?」


「―――うん、ギラちゃんのお肉は、臭みが少ない!!」


 ギラちゃん?


 ああ、『ギラア・バトゥ』の略称か。なるほど、分かりやすくて呼びやすい。


「おう。たしかに、このギラちゃんの肉は、臭くない……大雨に洗われたせいもあるのだろうが……何より、このモンスターの食性によるものだろう」


「歯を見たら分かる。ギラちゃんは、草食動物!!」


「うむ。そうだな、巨大な臼歯が見える……ヤツらは、おそらくこのサイズを作りあげるために、木を喰っていたのさ」


「なるほど!!木を……スゴい、パワフルな食生活……ッ!!」


「さすがは原初の森林の王者たちだな」


「うん。スケールが違うワンパク度!!」


「とてつもない内臓機能だぜ……まあ、そのおかげで、コイツらの肉は草食動物のそれと同じということだな」


「つまり、いいお肉!」


「草食動物の肉は、美味いというのが定説だからな―――あとは、脂肪だが……」


 これについては語るまでもないな。オレの肉切りナイフは、雨でも落ちない脂がついている。その白い脂を指で伸ばすように押す……なかなか指に残るような固い脂だな?


 ふむ、これなら調理の加熱に耐えるかもしれない。オレは魔術で小さな炎を呼んで、ナイフの上の脂を炙った。ああ、いいカンジだ。なかなか香ばしく食欲をそそらせてくるぜ。


「おいしそうな、におい!!」


 ミアのお墨付きをもらった。オレは、香りだけを楽しみたいわけじゃない。まあ、たしかに香りは合格点。だが、知りたいのは、この脂の熱への耐久性だ。


 すぐに融ける脂はダメだ。煮ても肉から融け落ちてしまい、脂だけがスープに抜けてしまう。それはサイアクだ。スープは脂っこくなり過ぎてしまうし……肝心の肉から脂が落ちすぎて、弾力は固くなり、旨味の元である脂肪は抜けているというわけさ。


 だが?


 ギラちゃんの肉についた脂は、炎で炙っても、すぐに融けてしまうような軟弱な脂ではなかった。ある程度、しつこくナイフの刃にこびりついているぜ。


「……合格だ。それなりに固い脂なのがいい。この脂なら、調理の熱で、肉から無闇矢鱈と失われてしまうことにはならないだろう」


「なるほど、軟らかすぎる脂だと!?」


「料理したら、肉から抜けすぎる。脂の無い肉は?」


「ま・ず・いッ!!」


「その通りだ。だが、この脂は熱へもそこそこ耐える……調理には、向いている脂ということだ」


 まさか、モンスターの肉を『生』で食べるほど、オレの食文化は荒廃していない。生肉食って死んだバカを、何人知っていると思っているのだ?両手じゃなく、足の指を使わねば数えきれぬほどだぞ!?


 ……並みの獣の肉でも、そんなことが起きる。それなら、モンスターは?……よりダメだろ。そもそも、生肉とか美味しくない。


「さあて……色々な部位の肉を試してみたいが、時間がない。なにより、肉談義をしている今この瞬間に、胃袋が鳴いているレベルだ」


「うん……素早く、肉を選びたい……っ」


「どういうトコロの肉を食べるべきか?」


「むー?ギラちゃんの美味しいところは、どこかしら……?」


 なかなかに、難解だな。だが、知恵と洞察を用いて、肉の質を見極めるのだ、オレ。26年も肉食動物をやって来ているのだ、推理出来ないはずがない。


「ミア。ヤツの背中を刻んだな?どんな感触だった?走った時は?」


「えーと、外はガキン!!中がやわらかなカンジ!!走った時は、固いくせに、揺れる」


「……つまり、土壌金属を多く含んだ外皮は硬いが、その下にはそこそこの脂肪の層があったというわけだな。固いくせに、揺れる……それも、脂肪があったことの証」


「大きな個体は、そんなイメージ。小さな個体は、固かった」


「なるほど。大きいヤツは、『背脂』がついた個体というわけだな……」


 ベテラン娼婦の背脂を思い出すね。三十路になると、背中に脂がついて困るって言っていた。まあ、それはどうでもいい。大きめの個体は、背脂がついているってわけか。


 さーて、背脂が良くつくのはどこか?下部の肋骨さ。つまり、サーロイン。


「ミアよ……ギラちゃんのサーロイン・ステーキというのはどうだ?」


「お、お、おお!!や、やはり、この規模の肉の山を目の当たりにすれば、一度は、ステーキを……とびきり大きなステーキを、ミアは食べたい気持ちで一杯でしたッ!!」


「ああ。だろうな、視線で伝わって来ている。喜べ、あの脂の質と、連中の脂肪の付き方から推理すれば……ギラちゃん・サーロイン・ステーキは、間違いなく美味い!!」


 そうだ。ヤツらの骨格と外皮の硬さ、そして、戦闘時のモーションを思い出せ。やつらは脇腹の筋肉を使いこなしてはいなかった。


 あの牙を振る動作も、上位の脊椎に依存した動き、振り子の動作だった。腰周りの関節可動性は低かったぞ……連中の脇腹には、強靱な筋肉が発達していないということさ。下半身は、ただの重りだったな。


 つまり?


 ギラちゃんのサーロイン部位の肉は、歯が折れるほど頑丈な肉ではない。運動不足の、ちょうどいい食感を備えつつ、脂の乗った部位のはずだ……なるほど、ギラちゃんのサーロイン。最高のステーキになりそうだ!!


「ミア。ステーキは確保だぞ」


「サーロイン!!ばんざーい!!」


「ああ。一応、念には念を押して、ヒレ肉も回収するぞ」


「サーロインの上っぽいところだね!!」


「そうだ、脇腹の筋肉が薄いところさ……筋肉そのものは、怠惰なまでに軟らかい」


「ヒレ・ステーキ……っ」


「ああ、ヤツのサイズだと、死ぬほどたくさん食えそうだな」


「お兄ちゃん!!」


「どうした?」


「ワクワクが、止まらない!!家より大きいレベルの、ステーキ……本当の意味での、ステーキハウスだよう!?」


 もう意味が分からないセリフだ。でも、魂は通じている。楽しみで仕方がないのさ!!


「……だよな?お兄ちゃんも、お腹ギューギュー鳴いているよ」


「ミアは、ヨダレでお口が溺れそう!!」


「……ああ。ステーキだな。もう、ギラ・サーロイン・ステーキと、ギラ・ヒレ・ステーキだけで、十分だな!!」


「うん!!」


「さっそく、回収しに行こう!!……リエル、カミラ!!かまどの準備は任せたぞ!!我々、ストラウス兄妹は!!サーロインと、ヒレ肉の回収へと出陣してくるッ!!」


「お、おう!!」


「ま、まかせてください!?」


 うん。


 若干、オレの妻たち二人とも引いている……?でも、いいのさ。オレの肉への洞察と知識、そして推理力は間違ってなどいないはずだ!!そう確信して、オレとミアは夕暮れに染まりつつある『イラーヴァの森』を駆け抜けた。


 原始の頃から、人類はきっとこうやって肉を確保しようとして、大地を駆け抜けてきたということが、実感できるぜ……ッ!!オレたちは鯨並みに巨大な肉塊に辿りつく。ほんと、ステーキ・ハウスそのものだ!!肉の家だぜ!!


「ミア!『風』の魔術を使うぞ!!オレの『ターゲッティング』に合わせて、放て!!」


「了解、兄妹合体・肉切り風魔術ぅ……ッ!!『ギロチン・ナイフ』ぅううううううううううううううッッ!!」


 高まる肉への愛と、昂ぶる魔力が産んだ『風』!!それらの荒ぶる威力は、兄妹の絆によって融け合い、『ギラア・バトゥ』の巨体さえも、一撃で切り裂く『風』の剛刃となっていたッ!!


 サーロインが……家ほどデカいサーロインが切り裂かれる。脂肪の質、脂肪の付き方は理想的だ。そして、筋肉の硬さを現す赤身の具合も、かなり少ない……分かるぜ?炎で炙れば、脂はゆっくりと溶け落ちて、香ばしさが鼻をくすぐるはずだよ!!


 オレとミアの手が握られる!!


 見つけたんだ!!


 オレたちは、『ギラア・バトゥ』の、いちばん美味しいところを!!


 その巨大な肉を回収し、オレとミアは馬のような勢いで、かまどに運ぶ。さすがは森のエルフと田舎育ち。あっという間にかまどは完成していた。肉をナイフでぶった切る!!ああ、感触で分かる。ちょうどいい噛み応えになるはずッ!!


 直火にフライパンをさらして、その上に『ギラア・バトゥ』の獣脂を引いた。ああ、なんて甘く、爽やかな香り!!……そうか、脂肪の少ない森の植物たちを食い荒らすことで、この脂肪酸を創造したのだな……ッ?


 最高だぜ、『ギラア・バトゥ』……ッ。


 オレは獣脂を五個のフライパンに引くと、その上に厚切りにしたステーキを載せる。焼けるのを待つだけ、自由な焼け具合でいいはずさ。


 あとは?巨大な肉を槍で串刺しにして、直火でジワジワ焼いていくぜ?コイツは三本用意したぜ!!二つはゼファー用!!いつも生肉ばかりだからね?……残りの一本は、オレたち用さ、これをナイフで切って、ちょっとずつ食べるんだ!!


 ああ!!


 ありがとう!!北方に君臨する高気圧よ!!夜空に星を呼んでくれて!!おかげさまで、キャンプのかまどで、これだけの火力で、この大いなる大地の恵みを焼けるぜッ!!


 至高のステーキが完成しようとしていたところに、ゼファーとシアンが帰還する!!やっぱりな、そういうタイミングで戻ってくると思っていた!!


 いいんだ、褒めている!!飯時にちゃんと帰ってくるなんて、いい子たちだぜ!!


「ソルジェ・ストラウス……いい香りだな!!」


『うん!!とっても、おいしそうだよ、『どーじぇ』ッ!!』


「ああ!!喰え、喰ってくれ!!オレとミアの、『肉探偵』としての勘が導き出した、最高のステーキを、たっぷり味わえッッ!!」




 ―――ソルジェの26年にわたる、肉食動物としての勘は正しかった。


 武術の知識と解剖学、食肉知識と調理技術。


 あらゆる知識を使うことで、ソルジェは、その至高のステーキを作りあげた。


 塩とコショウだけで十分さ、ギラ・サーロイン・ステーキは!!




 ―――ナイフで切って、好きな大きさにして口に運ぶ。


 ああ、草木が融けた甘いほどの脂の香り、そして、肉質はちょっと硬いがそれがいい。


 歯ごたえを楽しんでいると、塩コショウの味と風味を帯びた肉汁が出てくるよ。


 ワインみたいに豊潤な、肉の旨味にあふれる肉のエキスだよ!!




 ―――力強く噛みちぎり、舌と歯から至高の肉の美味しさを知るのさ!!


 噛むほどに美味く、その肉を噛むことに幸福を感じて、かみ続けたくなる。


 でも、脂はやがて舌の上に融けていき、肉は呑み込むに相応しいサイズになったのさ。


 だから、空の胃袋の欲求が訴えるまま、食欲を満たすために呑み込むよ!!




 ―――ノドを通る肉の与えた、命の感触……命は命を奪うことで、生きている。


 これは勝利の味だった、自分たちの力で勝ち取った肉が、自分たちの命に同化していく。


 それは戦士の魂にまで響く、背徳的な勝利の快感!!


 なにより、とても美味い!!




 ―――牛を、超えたああああああああああああああああああああああああッッッ!!!


 感涙のミアが、その肉を褒めるために歌ったのさ!!


 人類の畜産技術の限界を、『ギラア・バトゥ』は超えていたのさ!!


 自然がデザインした、至高の肉を、猟兵たちは味わったッ!!




 ―――いくらでも食べられる!!だって、山ほどあるのだから!!


 胃袋に限界があることが、悲しかった。


 昔の貴族が故意に嘔吐してまで、美食に走ったとか?


 ソルジェたちはそこまで意地汚くはないけれど、ゼファーの食欲が羨ましかった!!




 ―――最高のご褒美さ!!星空の下で、最高の肉を食べるんだから!!


 猟兵たちは、大いにそれを楽しんだ。


 それでも……彼らは孤独な戦士。


 宴が終わり、しばらく寝転び休んだ後で……ソルジェは皮を剥ぐ作業に向かう。




 ―――そうさ、難民を救いたい気持ちを、彼は持っているからね。


 博愛だけじゃない、世界への怒りや絶望、そういうものさえ喰らって、彼は立っている男だ。


 亜人種の難民たちが、どんな目に遭わされているのか?


 世慣れした彼には、予想がつかなくはないからね……。




 ―――無言のまま、誰も誘わずに、過酷な労働の場へとソルジェは歩いた。


 竜と猟兵たちは、その背中を見ている……。


 ミアとリエルとカミラが、バンダナで髪を縛る。


 シアンはゼファーの背に乗るのさ、夜の闇の中ででも、シアンの瞳は獲物を逃さない。




 ―――静かなる星空の下で、戦士たちが再起動するのさ。


 それは、怒りと絶望と苦しみを帯びた、血まみれの……祈り。


 『魔王』の目指す『未来』への、過酷で長い道のりの一瞬さ……。


 これは、やがてガルーナの魔王として、人類に調和をもたらす男の語られぬ『歌』。




 たくさんの妻たちに愛され、『自由』と酒と肉を愛した、ソルジェ・ストラウスの本質を歌った、とっても星明かりに似合う歌なのさ―――。


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