第一話 『イラーヴァの森の魔獣たち』 その18
ああ。雨が心地よい。戦いによって、熱くなっていた体が冷まされていくカンジ?戦場から日常へと帰還していくような実感を覚えるよ。モンスターの返り血もキレイに流されていくしね。
……とはいえ、オレたちには仕事もあるんだ。
そもそもこの殺戮には、目的がある。遊びや名誉のための狩猟ではない。オレたちは難民たちの『移動ルート』を確保するためだけに、この『イラーヴァの森』を征圧した。ここにモンスターのいない空白地帯を作ることが目的さ。
その目的は成功した。
全て、狩り尽くしてやったぞ。ここは狂った森のなかの、希有な安全圏となったはずだ。
もう『ギラア・バトゥ』は一頭だって存在しちゃいない。
もしかして、種族ごと絶滅したのかね?……そう思うと、少し罪悪感が心にまとわりついた。侵略戦争を憎み、侵略戦争で故郷を奪われたオレが、侵略者になった気持ちがするよ。
だけど?
これも世界の真実だ。
弱肉強食―――それだけじゃない、弱かろうが強かろうが、必死に生きている者たちは、無慈悲で強く、どんなことでもしてしまう。
世界最大の帝国から、最大の覇権国家から……迫害される亜人種たちを救おうという無理難題を実行するときは、鬼の心のままに進むことのみが最良だよ。
オレたちは、どこまでも勝ち目がゼロに近い行いを成し遂げようとしているのだからな。
「ソルジェ!!」
「ん?」
上空からリエルの声が聞こえた。その直後、オレの正妻エルフさんがゼファーの背に乗ったまま地上へと帰還する。
リエルは長い脚でゼファーの背中を蹴って、軽やかにそこから降りた。そして、ギンドウ製のゼファーの『道具袋/パック』の中から、大きな金属製の容器を取り出して、オレに投げて寄越した。
「それを使って、連中の血液を回収しろ!!雨で、流されてしまう!!」
「ああ。難民のための、『モンスター避け』を作らなくてはな」
「リエルちゃん、自分にも下さいっす!!」
「うむ!!受け取れ!!」
「はいっす!!……お、おっとと!?」
リエルが次々とカミラに『血液容れ』を投げ渡した。カミラは、おおお、と慌てた声を上げながらも、軽業師みたいな器用さでそれらの全てを受け止めた。ふむ、いい動きだ。
「ひ、ひどいっすよ、リエルちゃん……っ」
「すまない!だが、急ごう!!この雨で、せっかくの連中の血が流れてしまうぞ!!」
「そうだな。それはオレたちにとって、あまりにも不都合だ」
オレたちは大雨のなかでも作業を続行さ。ああ、この採決作業にとっては、悪いタイミングだったな。
でも、『ギラア・バトゥ』どもの遺体はまだ新鮮で、そこから血を取り出すことは容易だったよ。傷口に容器を押し当ててやるだけで十分だからね?
ミアもこの血液回収作業に参加してくれた。雨の中、妻たちと妹で、血の採取に明け暮れていた。ゼファーは、手伝いたいのかもしれないが……さすがに竜の爪では、この作業は出来ない。
なんとなく、居心地悪そうにしている。
シアンは手伝わないのか?
……ああ。彼女は、こういう作業を嫌うからね。本当に深刻な状況であれば、彼女だって手伝ってくれるだろうけど……まあ、いいさ。この『イラーヴァの森』を、彼女は歩いているからね。
いつものクールな無表情だけど?
その黒い尻尾は、フワフワと落ち着きなく風に揺れているのだから。何かを探しているのだろう?……そして、君が探すモノに、君にとって無価値なモノは無いはずだ。君は面倒くさがり屋さんだから。不必要なことはしない。
あの探求は……シアン・ヴァティにとって大切な作業なのさ……。
雨に打たれながら、オレたちの作業はつづいた。
用意してきた容器の全てを満たすほどの血液が採取できていたよ、最終的にはね?
「……ふーむ。相当量、集められたが……なあ、ソルジェ?これで、難民全員分の『モンスター避け』が作られるのだろうか……?」
難しい質問だな。自分の提案ではあるものの、この血液がどれぐらい効能を発揮するかは不透明だからね。数十人分なら、確実だろう。数百人なら?……分からない。数千、数万……そうなると―――。
「……難民たちは、何万人も来るだろうからな。たった、これだけでは、『足りる』とは言いがたいさ」
「そう、だな……っ」
「……何万人も、故郷から逃げるしかなくなっているんですね……」
カミラが悲しそうに語る。そうだな、それはとても悲しいことだよ。亜人種だからということだけで、彼らは人間たちに故郷も住む場所も奪われてしまっているのだから。
いいや……まだ、それだけならマシか。
悪ければ、殺される。
殺されているからこそ、アイリス・パナージュも、こんなモンスターだらけの狂気の森林を難民たちに踏破させるという、とんでもない作戦を考えついたのだろう。
命が幾つあっても足りない脱出路だが……この『ギラア・バトゥ』の血液と、こいつらの皮で作ったマントがあれば……いくらか、マシになってくれると信じたい。理屈は間違いではないはずだからな?
この原初の森林の高位モンスターがいる場所は、たしかに獣も他のモンスターもいない静かで平和な土地ではある。
ヤツらの血肉が、その奇跡を難民たちにも分け与えてくれる可能性はあるはずだ。
「やれることを、やろう……」
「ソルジェさま……そう、ですね。そうですよ!!自分たちが働けば、少しでもたくさんの亜人種の皆さんが、自由になれる!!西に逃げられるっす!!それなら、とても、嬉しいことじゃないっすか!!」
ああ、カミラが元気よくそう言ってくれる。
人一倍不幸な人生を歩んできた君が、いつでも前向きなのが、オレには救いだよ。残酷ばかりを行うヒトの心が、ちゃんと聖なる側面だって持っているのだと、そう信じられるからね。
希望を振りまける人材は貴重だ。
オレは……破壊者でしかないものな。カミラのように、寄り添うようなやさしさを発揮するようなことは出来ないだろう。
だが。
出来ることをしようじゃないか?
まずは、こいつらの血を集めたぞ?
じゃあ……今度はコイツらの『皮』を剥ぐ作業だな―――ふむ、改めて見ると、連中、山みたいにデカいぜ。殺すよりも、こちらの方が骨の折れる仕事になるのは確実だね。
「解体するのには、かなりの作業時間が必要になりそうだな」
「キャンプの道具はあるのだ。徹夜でも良かろう?」
リエルは張り切っている。
ふむ、狩人としてのスキルは超一流の女子だからね?……もしかして、この『ギラア・バトゥ』の皮を剥いでみたいとかいう衝動でも、あったりするのかな……。
まさかね。
きっと、難民たちのことを考えての行動だろう?森のエルフの王族として、貴い身分の者だからこそ、弱者のために苦しむのは義務さ。ああ、リエルっていうオレの恋人エルフさんは、とてもやさしい子だよ。
……だが、どうあれリエルからの提案はありがたい。夜通しの作業、それが必要となってくる可能性は十分だ。なにせ、獲物はデカすぎるからな。
「……夜通しか。それなら、明日には、アイリスの手配する加工業者に渡せそうだ」
「うむ。それに、この『イラーヴァの森』が、本当に夜中でもモンスターに侵入されないかを確認する必要もあるだろ?」
「……ああ、そうだよな」
たしかに、徹夜で作業するなど、オレたちの職業ではよくあることだよ。
でも、団長の強権を発動させて、命令で縛ることは可能ならしたくない。モンスターの血まみれになって、雨のなか作業させるか。はあ、どう考えても、女子が喜ぶような作業じゃないよな。
ズルいかもしれないが……オレは猟兵たちに訊くのさ。
「なあ、ミア、カミラ。ここで一晩、作業に使ってもいいか?」
「オッケーだよ、お兄ちゃん!!」
「もちろんっす!!難民さんたちのために、しっかりと仕事をするっすよ!!」
「……そうか。ありがとう」
オレはズルいことをしたかな?……オレの第三夫人と妹だぜ?……ああいう訊き方をすれば、無下に断ることはしないよね?……一晩中、こんなモンスターの皮を剥ぐなんて作業、最低の過酷労働なのにさ?
彼女たちの『やさしさ』に甘えちまった気がする。そこにオレは罪悪感を覚えるよ。
「よし!……今度のミッションが終わったら、皆でザクロアの温泉に行こうぜ?」
「ホント!?やったー!!」
「へー、温泉っすかー。楽しそうっすね、みんなでお風呂!」
「そうか、カミラはまだ行ったことないな?いい湯だぞ、あそこは!」
「ああ。カミラにも紹介しなくてはな、オレたちストラウス家の御用達温泉を」
そうだ、ザクロアの市民代表者、ジュリアン・ライチの弟で、宿屋経営&商人のヴィクトー・ライチ。あいつが経営する温泉宿さ。
あそこならば、ゼファーさえも湯につかることを許してくれるのだからな……嫌がっても、無理やりに入っちまおう。
「ストラウス家御用達……なんか、豪華そうな響きっす!!」
「ああ、楽しみにしていてくれ」
「……はい!!」
なにかご褒美を用意しないと、これからの仕事に耐えられないかもしれないよね?彼女たちは猟兵だし、オレの『家族』だから、文句は言わずに作業に従事してくれるだろう。
でも、それでは……オレは団長としても、『家族』の『長』としてもカッコ悪いだろ?
みんなでザクロアの温泉につかるのさ。
そして、この苦労をねぎらおうぜ?
癒やしの計画もしっかりと立てて、オレたちはその山みたいに巨大なモンスターの死骸に視線を移す。こいつらの皮を剥ぐか……うんざりするほどの疲れそう。だが、がんばるしかねえよな?
「さあ。ソルジェ!急ごう!!……帝国軍はもちろん、『白虎』とかいうこの国のマフィアどもも、難民たちには優しくないのだろう?」
「ああ。帝国軍は彼らを無理やり、本国に連れ戻すだろうし……『白虎』はマフィアでしかない。社会的弱者からでも、容赦なく搾取する―――」
何も持たない者たちから、『何』を搾取する?
……考えたくもないほどの悪行がそこにはありそうだ。
シアン・ヴァティは言ったじゃないか?……その洗礼を浴びれば、オレは『白虎』を殺したくなると。世慣れたオレがだぜ?……それが、そうなるほどに怒るようなことを、ヤツらは難民たちにしているのか。
血が、冷たくなっていくのが分かる。
まだ知らぬ行為に対しての殺意が、オレの体の奥に芽吹いているのさ。
……そもそも、『白虎』どもが難民を通せばいい。それだけでいいのだ。本来ならば、こんな作業も時間も要らなかった……だが。世の中は複雑で、神さまはオレのことが嫌いなんだ。知ってるよ。そんなことは……。
現実に、納得しているワケではない。
理想を、あきらめているワケでもない。
それでも現状で出来ることをしなければ、オレたちは望んだ『未来』になんて、辿り着けやしないのさ。分かってるよ、そんなことはね。だから……怒りは封印しておいて、オレはガルフ・コルテスから習った顔でおどけるのさ。
「さーて!!……それじゃあ、ハードな作業に取りかかるとするかね?クタクタはもちろん、服まで汚れちまうのは確実だけど、豪華温泉慰安旅行が待っているんだ!!女子たち、がんばってくれよ?」
「うむ、了解だぞ、ソルジェ!!」
「はい、任せて下さい、ソルジェさま!ウサギ料理で、皮を剥ぐのはなれてます!!」
「がんばる!!お兄ちゃん、ゴハンも豪華にね!!ザクロアの鍋料理を制覇しよう!!」
「ああ。もちろんだ。自分たちで作るのも面白いが、プロフェッショナルの味を堪能しに行こうぜ?」
さあて。
チームの士気も上がってくれているよね?……過酷で、血なまぐさい現実に挑むとしようか?
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