第一話 『イラーヴァの森の魔獣たち』 その5


「……船乗りは酔わせてみるものだな、情報の宝庫だよ」


 オレは女スパイ、『アイリス・パナージュ』が用意してくれた、地酒……というか、船乗りたちの『密造酒』をあおりながら、アルコール臭い口でそう語る。


 そうさ、この酒は密造酒だよ……『白虎』は船乗りたちが酒を自力で作ることを禁じているのさ。自分たちの利益を確保するためにね?『白虎』が売る酒しか出回らないようにしているってわけだ。


 かつてはこの『密造酒』が出回るようなことは無かったらしいが、『白虎』たちへの不満が表面化している今では、町の酒場でも提供するような状況だよ。


 とにかく、この青みがかった不思議な酒を呑みながらね、さっきの言葉を呟いていたのさ、『船乗りは、情報の宝庫』。


「そうね。まったくの同感だわ!」


 酒場の女店主に化けているルード王国軍諜報部のメンバーは、オレの言葉に大きく頷いていた。


 そりゃあ、彼女の趣味に合う言葉だろうね?なにせ、その言葉を実行するために、彼女たちは三年も前からここに潜伏しているわけだから……。


 クラリス陛下は、こういうスパイたちを、各国に潜伏させているのだろうか?いや、実際にその一人と出会っているのだ。あちこちに配置しているんだろう。さすがは、オレの敬愛するクラリス陛下だよ。


 『白虎』が本格的にこの国を牛耳り始めたのが四年前らしいし、この店をアイリス・パナージュが先代から買収したのが三年前か……なるほど、商業の国ルードとすれば、貿易ルートの一つをマフィアに牛耳られることを、警戒していたわけか。


 まったく、クラリス陛下ってば、やり手だよ。


 本当に、知れば知るほどゾクゾクするような女傑っぷりだね?彼女の手腕に惚れ直すのは、これで何回目なのだろうか……。


「―――アイリス・パナージュ。アンタは、ここで色んな船乗りたちから情報を入手しているみたいだ?な」


「ええ。そのためだけに、しなびた酒場を購入したわ。船乗りたちが好む音楽と、お酒、そして各地の郷土料理をマスターしてね」


「いい『狩猟場』を作りあげたってわけだ」


「そうよ、スパイにとっては理想的な場所よ。時間と費用、そして技術と知識を投じた甲斐があるというものね」


 だろうね。ホント、最高の狩り場さ。ここにいれば、いくらでも情報を持つ『獲物』たちが舞い込んでくるのだから。彼女の料理や酒の味に惹かれてね?


「サー・ストラウスも、今夜この場所で、散財するに足りる情報を得たのではなくて?」


「ああ……まあ、クラリス陛下には、今夜の酒代を経費として報告してみたい気持ちだけどね?」


「ウフフ。陛下なら、補償はしてくれるわよ?情報の価値を知っているお方だもの」


「そーなると、君は、とても高給取りなのかな?」


「ええ、引退したら、死ぬまで遊び呆けるつもりよ?……そのときまで、命があったらのハナシだけどね」


「スパイの『生き様』も、壮烈そうだ」


 素性がバレたら?


 拷問されて八つ裂きにされるんだろうからね。


「でも、命を賭けるだけの見返りがあるわ。私の利益としても、そして、ルード王国の利益にもなっている」


「素晴らしい仕事をしているよ。君たちの貢献に、乾杯」


 オレは密造酒をルード王国のスパイたちのために掲げる。彼女は手元の空になっていたグラスで応えてくれた。密造酒と空っぽが入ったグラスで乾杯。なんだか、猟兵とスパイには相応しい、空虚ときな臭さのカクテルだよね。


「今夜は、助かった。君たちの作りあげた狩り場のおかげで、オレは酒代と数時間を代償にしただけで、この国にまつわる多くを学べたよ」


「うちの店が役に立てたなら、とても嬉しいわ。諜報活動のためじゃなく、趣味も入っているのよ?」


「ビジネスと趣味か。なら、より命懸けだな」


「人生を捧げた『虚構』よ?……カッコいいでしょ?」


「うん。本当にそう思うよ」


「私も、助かったわ」


「え?」


「船乗りたちの誰がどれだけ『白虎』に反抗心を抱いているのかを、確認出来たもの……顔見知りの私には警戒して言わないことでも、流れ者の酔っ払いには愚痴として語る」


「なんてこった、オレもスパイ活動に貢献しちゃったんだね?」


「そうよ。貴方は、もう一流のエージェント」


「……くくく、エージェント?いい響きだ。この怪しい密造酒を、二倍おいしくさせるよ」


 うんうん。スパイと言えば、男の子なら一度は憧れる職業だもんね?……オレ、いつか見た夢を、いつの間にか叶えていたみたい。


 この店のこと、大好きになりそう。水牛の頭蓋骨を飾っているしね!船の操舵輪も壁に打ち付けているもの!


 こういう雑さを楽しませてくれる店のこと、大好きさ。痩せた巨人のピアノ弾きの、激しく鍵盤を叩く音に、よく似合っていると思うんだ。


「この店のこと、好きになってくれた?」


「ああ、最高のママさんがいるもんね?ピアノ弾きの旦那も好きだぜ、クールだ」


 オレの言葉に、離れたテーブルで一人酒している痩せた巨人の男が静かに会釈をした。


 無口で無表情、そしてスキンヘッドではなく、目元まで隠れる長い黒髪か。ああ、ガンダラとは、逆方面のカッコ良さをもつお兄さんだ。


「気に入ってもらえて嬉しいわ」


「オレも、ママさんの力になれたみたいで、良かったよ」


「そうね。今夜は常連さんたちの不満をたくさん知っちゃったもの。おかげで、もしもの時には、彼らを脅して、船を手に入れることも可能になったわ」


「たしかに、実は『白虎』のスパイだとか言って脅したら、彼らは青い顔をして、君の忠実な手足になりそうだ」


「そうよ。サー・ストラウス。情報戦の勝利に、もう一度乾杯しない?さっきのは空のグラスと得体の知れない安酒だもん。いいウイスキー、開けちゃうけど?」


 アイリス・パナージュはグラスにウイスキーを注いでいる。自分と無口な巨人のピアノ弾きのためにね。ピアノ弾きがやって来て、蜘蛛みたいに長い腕で、そのグラスを取った。


 酒好きだから、知ってるよ、アイリス・パナージュの左の指が持っている瓶の銘柄ぐらい。ああ、偉そうな馬が走ってる!……アレってば、すんごい、高いヤツ!!


 おごりなら是非にでも呑みたい。一瞬、そう思ってしまったが、さすがに、今夜はもう止めておこう。連日の深酒とか、戦士の体調を悪くしそう。


 船乗りたちと呑みまくったし、この体に良くなさそうな変な色の酒も呑んでいるしね。これ以上の深酒は、明日の作戦行動に、差し支えが生じてしまいそうだろう?


 そもそも、何時だよ、今?


 ギンドウ・アーヴィングが我々のために、技巧を注いでこしらえてくれた、懐中時計で確認すると、現在は深夜の二時半だ。ミアはさっき、リエルとカミラが連れて二階に行った。そして、3人とも戻っては来ない。それでいいよ。


 まあ、眠そうな頭で、小難しい情報分析は出来やしないもん。


 そもそも今日は、ゼファーでグラーセスからルード、ルードからハイランドと、長旅だったからね?……もう休むべきさ。彼女たち皆、十代だしね?


 ちなみに、シアン・ヴァティ姐さんは、ピアノの近くのソファーにごろ寝しているよ。


 四時間ぐらい前に、いきなり酒をがぶ飲みすると、すぐに寝付いてしまったな。マイペースなヒトだよね、フーレンの特徴なのだろうか?


 だけど、尻尾の生えた船乗りたちは、フツーの田舎者ってイメージを受けるような、当たり障りのない人物たちばかりだったんだけどね。


 じゃあ、『虎』が、こういう連中なのだろうか?


 それとも、たんにシアン・ヴァティさま個人が、特別に尊大なだけなのかもしれんな。


 まあ、そのうち他の『虎』とも出会えるだろうから、謎はやがて分かるか。しかし……このメンバーだから覚悟はしていたけど、オレ以外、あまり戦略を練ることに役に立たないな。


 全員、寝てるもんね?


「―――サー・ストラウス?いるの?いらないの?」


「有り難い申し出だけどさ……かなり遅い時間だ、もうオレは止めとくよ。この青い色をした不気味な青い酒で、今夜は最後にしておこうと思うんだよね」


「あらあ。ハーレムの主のくせに、欲望をコントロール出来るのかしら?」


「そこがハーレムを運営するためのコツだと分析してみないか?」


「そうなの?……まあ、どうでもいいけどね。肝心なことは、難民をどうやって西に安全に逃がすかということよ」


「いきなり、マジメなことを言うんだな」


「そうねえ。貴方に情報を与えるのが私の使命だから」


「―――けっきょく、オレたちは誰を殺せば良いと思う?」


 酒も入っているし、難しい問答も思考もオレには向いていない。さっさと結論だけを求めてみた。酔っ払いの相手は慣れているアイリス・パナージュは、オレの思考を読んだのかな?本題に入るわって、貌をしたよ。


「……『白虎』は、この国の王の『後見人』。事実上の支配者ね。彼らと手を結びたいのなら、彼らに恩を売る必要があるわよ」


「マフィアごときのために、マフィアの敵を殺すと来たか?」


 サイテーの仕事だな。


「いいえ。もっと『建設的』な手段がある」


「……ほう。それは興味深い響きを持つ言葉だな。どんなものだい?」


 建設的な手段。素敵な言葉だよ、女スパイからの提案なら、期待値は高いぞ?アイリス・パナージュよ?


「……難民たちを、森に入れるのよ」


「……失望したという言葉を口にしていいかね?」


 酔っ払っているのか、この女スパイは?


 それとも状況を悲観しすぎている?任務に耐えかねてアルコール依存症を患い、まともな思考さえも出来ていないとか?


「……いいえ。これは高度なアイデアよ。なかなか実現する能力が足りなかっただけで、プランは悪くないのよね」


「どういうことだ?」


「『白虎』は軍隊を使って、帝国から逃亡してきた奴隷や下級市民たち……つまり私たちみたいな亜人種たちね?……それを南東の国境線で追い払っているのだけど、これが意外と激務でね?」


「激務だと?……『虎』の連中と、軍隊だろ?難民たちは武装でもしているのか?」


「戦闘用の奴隷だった巨人やドワーフがいる」


「……従軍経験者か。しかも、古強者ってことになるな」


 なるほど、それは手強そうだぜ。しかも、彼らは決死の覚悟で戦うだろうし……。


「それに……才能ある者たちもいるわ」


「……『狭間』が多いのか?」


「ええ。全ての『狭間』がそうとは限らないけれど、それなりに高い確率で、彼らは両親から優良な能力を引き継ぎ、素晴らしいハイブリッドが生まれるわ」


「ハーフ・エルフとかな」


 肉体的に頑強で、魔術の才がある。


 最高の素材だね。どこまでも伸びてくれそうだよ。


「そう。ハーフ・エルフたちもいるわ。難民とは言え、従軍経験者に、天才たちが混じっている……侮れない戦力を有した集団なのよ」


「『虎』や軍隊でも、負傷する、あるいは殺されるというわけか」


「そうよ。一部の難民は、とても強いわ。そこが、我々にとっての希望」


「……難民を、森に入れる……つまり、『突破させる』ということか、このモンスターだらけの危険な森を?」


「そういうこと。それならば?森に難民が消えたということになり、帝国は納得する」


「死んだと判断できるからか」


「ええ。そうやって虚構に隠す。本当は生きていたとしても、『白虎』は帝国からの制裁を回避できるし、難民と殺し合って死ぬこともない」


「みんなで幸せになれるって寸法か。たしかにリスクは多いが、能力次第では解決できそうだな」


「ええ。森の魔物を、駆除してくれる、強烈なハンターがいればね?」


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