第一話 『イラーヴァの森の魔獣たち』 その3


 ああ、チクショウ。鎧のなかが蒸れそうだぜ。この原初の森がある地域は、湿度が強いな。ヴァールナ川の走る土地は、大きな意味で言えば盆地みたいなものだ。東西を切り立った山脈に囲まれて、北には広大な台地もある。


 三つの方角を山に囲まれて、そこに膨大な水量を誇るヴァールナ川のような大河が流れているんだからね?この川から解き放たれる水量は、湿度となってこの土地を過剰なまでに潤している。


 そう、あきらかに過剰だ。服は湿り、肌にくっついてくる。春の終わりでコレだ。夏は地獄のような湿度だろうな……モンスターの数に、この劣悪な環境。修行の場には、もってこいかもね。


 そして、地図を読めるオレは知っているよ?


 『須弥山』と『螺旋寺』がある、北部の台地はね、ここから標高が1700メートルも違うのさ。あっちは空気は薄く、そしてバカみたいに風が強いだろうから、とても寒い。


 この国を南北に縦走を繰り返すだけで、戦士たちは世界中を旅するのと同じほどの苦難を。自分の肉体に浴びせられるのではないか?


 ハードワーク過ぎるが、それを行えば、たしかに究極の狩猟者として磨かれる。シアンが戦士という領分よりも、より狡猾で残忍な『肉食獣』のような魂を持つ理由が分かった気がするよ。


 彼女は、きっと、この王国を縦走し、横断もした。


 そして、この国の全てを学び取ると……より強くなるために、世界へと旅立ったのだろうよ―――兄と一緒にね。そして?どこかの戦場で、その兄は討たれたようだ。仇を探して、彼女の旅は孤高と技巧を極めた。


 そして?


 オレを仇だと考えていた。


 とある田舎町を歩いていたら、闇討ちされたよ。反射出来たのは、幸いなことだった。危うく殺されるところだったな。そして?


 戦ったよ、抵抗しなきゃ殺されるのは必至だったから。


 お互いが大ケガを負って、彼女の方が先に動けなくなった。


 襲った理由をたずねたら?


 まさかのヒト違いさ。オレは、酷く痛む体で笑う。そして、酔っ払ったガルフがいつまでも戻らないオレを探しに来てくれたのさ。


 そして?


 いつもみたいに語り出した。


 ―――フーレンかよ、珍しいねえ。なあ、美人さん。


 ―――そいつと斬り合うのが好きならよ、うちに入れ。


 ―――そいつに飽きたら、どこにでも行っていいからよ?


 オレはまだシアン・ヴァティに飽きられていないのかね?彼女は、まだオレの『家族』でいてくれているのさ。いいや、きっと、ずっとこの絆は続くと、オレは期待してる。


 さて。


 汗だくになったオレたちは、ボートウッドにたどり着いたんだ。ここは、丸太をくり抜いて造ったボートが、川べりに並ぶ港町だよ。


 運河がある国の洗練された川とは違い、手つかずのままの野生的な港だ。ああ、乾物になった魚たちを見ていると、生活感の強さに圧倒されてしまいそう。


 現地の住民はほぼフーレンだが、人間族もいるし、エルフ族もいた。そうだ、ここも多民族国家ではあるんだよ。きっと、人種を越えて文化は彼らを等しく粗暴な性格に染め上げているのだろうけどね。


 現地人に不審な目で見られているな。ゼファーで乗り付けるよりはマシだが、この状況もかなり目立ってしまっている。だが、もうどうすることも出来ない。オレたちはとにかく、『協力者』との接触を求めて、この港町の唯一の宿がある、酒場に向かって歩いた。


「こっちだぞ」


 さすがは現地人のシアン・ヴァティ姐さんだな。カニ肉を吊した棒を肩にかけた姿が、この粗暴な世界に、本当によく似合うよ。人種のせいかな、風景に融け込んでいるぜ。


 オレたちは彼女にいつも以上の頼りがいを覚えていた。


 餅は餅屋。


 ハイランドのことは、ハイランド人に任せるべきだよね。


 故郷の風を浴びて喜んでいるのだろうか、彼女の黒い『尻尾』が、いつになく楽しげに躍動しているように見えるのは、きっと間違いじゃないのさ。


 しばらく歩くと、乾物の香りに酒と、そしてピアノの音が響いてくる。ふむ、『協力者』との接触地点である、『イーダの酒場』だな。オレの代わりにリエルが発言する。


「ここなのか、シアン姉さま?」


「ああ。そうだ、『イーダの酒場』だ。昔と、趣が変わっている……店主が代替わりしたのか、それとも、店ごと売れてしまったか」


「馴染みの店か?……店主が替わっているとすれば、さみしいな」


「『虎』に、さみしいという感情は備わっていないのさ、ソルジェ・ストラウス」


 強がりなのか、それとも真実なのか。


 女戦士『虎姫』は、熱狂的にピアノを叩くアーティストがいる『イーダの酒場』に入って行く。オレたちも、彼女に続いて入ったよ。


 ああ。


 現地のヒトたちばかりの、入りにくい酒場だ。


 尻尾の無い連中を見て、彼らは気が立っているのかね?数秒前まではあった、楽しげな空気が、今では少し張り詰めている……。


 いいや。


 真実は、ちょっと違った。


「……『虎姫』か」


「……まちがいない、『虎姫』だぞ」


「……戻って来たのか」


「……誰を殺しにだ?」


 彼らの心に緊張が生まれたのは、尻尾なき他人ではなく。同じフーレン族の女戦士の存在のせいであるようだ。


「カンジの悪い酒場ですね。シアンお姉さま、暴れるなら、援護します」


 おお。リエルちゃんってば、狩猟者の血が目覚めて、ちょっと好戦的になっているのではないか?森に来たから野生化しているのかな、オレの弓姫は……。


「いいや。構わないさ。『虎』は、弱者の声を気にしない」


 そう言いながら、彼女はカウンター席に座る。


 オレたち、その場に立っていてもしょうがないから、彼女の後につづいたよ。カウンターにいるのは、若い女性だった。


 といっても、34ぐらいかな?酒場の女店主にしては若いってことさ。美人で若作り。でも、そこそこ年齢は行っているカンジのお姉さまだったよ。


「メシと宿をお願い出来るか、女?」


「ええ。お客さまは、男1人と、女が4人?」


「一夫多妻なだけさ」


 オレは軽口をついついはさむ。さみしがり屋でね、話題の中心から離れすぎると、なんだかさみしくなっちまうんだよ。


「まあ。それじゃあ、お部屋は一つでいい?」


「……オレたち3人は一部屋でもいいんだが……二部屋くれると助かる」


「ええ、うちは二部屋がスタンダード。2人部屋が二つ、あいだを行き来できるドアがついているわ」


「ファミリーが楽しめるような造りだな」


「アットホームでいいでしょう?」


「ああ。オレは気に入ったよ。ベッドも四つあるなら、足りるしね。誰かとオレが一緒に寝ればいいもん」


「うふふ。スケベな男ね、赤毛の人間さん」


 そういう君は、尖った長い耳。エルフか。宿屋を経営するエルフって、少し珍しい気がするね。エルフってどこか内向的なイメージがあるから。


 まあ、この女店主は例外ってことだろうな?


 彼女はオレたちを見回しながら訊いてくる。


「で。料理はどうする?お部屋に運ぶ?それとも、こっちで食べるのかしら?」


「こっちでいい」


 そう。


 現地人のトークを盗み聞きして、情報を得るためにね。こういう時は、猟兵ならば大衆に触れ合う場所を陣取るべきなのさ。


「わかった。じゃあ……その『お化けガニ』を渡してくれる?」


 シアンは沈黙する。しばしのあいだ、考えているようだな、『尻尾』が、ゆっくりと動き続けていたから。


 ていうか、現地人は、あのカニを『お化けガニ』とか呼んでるのかよ。本当に美味しいのだろうかね?


「このカニを、だと?」


「……まあ、ダメなら、いいのだけれど?」


「どんな料理に、するつもりだ?」


「それを渡してくれるのならば、『カニクリームグラタン』を食べさせてあげる!おいしいのよ、私、グラタン作るの、本当に上手なんだから」


「わかった。ミア、女にカニを渡せ」


「りょーかい、シアン。はい、お姉さん、カニ!!」


 あの自他共に粗暴だと認定されているフーレンの女戦士を、カニグラタンはコントロールしちまったぜ?


 シアンのヤツ、カニクリームグラタンが好きなら、そう言えば良いのにね。いくらでも作るぜ、ミアも、その言葉を聞いて、期待で胸一杯すぎて、小さく震えているのだから!!


「たしかに、カニを預かったわよ!料理が出来るまでに、荷物を置いて来なさいよ?ほら、鍵よ、色男さん!」


 オレは空中に投げられたそれを、じっと瞳で追いかけた後で、確実にキャッチする。


「いい動きよ。じゃあ、期待しててね?」


「ああ。頼むよ、カニクリームグラタン。オレも、君の料理に興味があるんだ」


「ええ、腕によりをかけるわよ」


「たのむぜ」


「ソルジェ、早く上がって来い」


 女子たちはもう移動し始めていた。リエルなんて、階段を昇って二階からオレを呼んでいるじゃないか?


 スカートだから、パンツが見えるぜ?……と期待するが、彼女の手がしっかりとスカートを押さえている。ああ、別にオレはいいよ。


 でも、酒場のジジイの淫猥な視線にさらされているね。オレの脚線美がさ。ああ、女子たちよ、もしもこの酔っ払いどもに、体を触られたりすれば、すぐにオレに言えよ?そいつの指をへし折ってやるからな?


 しかし、君たちは己の力で、どうにかしちまいそうだな……だって、猟兵だもの。


「さて……オレも、荷物を運んできますかな」


「そうね。鎧も脱いできたらどうかしら?」


「これは特訓中だから脱げないね」


「え?特訓中?」


「新調したばかりだ。とくに、『左の篭手』は今までとは、まったくの別物だからね。しばらく、可能な限り装備し続けて、体に馴染ませたいんだよ」


「そうなの?フーレン族以外の戦士も、厄介なのね?」


「そいつだけは、たしかに人種の差は無さそうだ」


 戦士というものは、やはり非日常的な存在ではあるのだからな―――。


 日常には、どうやっても馴染みきれないところがあるものだ。


「食事の時ぐらい、鎧なんて脱げばいいのに」


「コイツは、オレの第二の皮膚にしないといけない鎧と篭手だよ……戦士だからこそ、外せないさ。まるで、君の脚についているナイフと同じようにね?」


 『協力者』から声をかけてくるのを待っていろ……ね?


 オレの言葉は正解だったようだぞ。


 彼女がオレに顔を近づけてきて、リップが輝くその艶っぽい唇で、伝えてくる。酒場に流れるピアノの音に、隠れるような小さな言葉でな。


「……するどいのね、サー・ストラウス」


「やっぱり、君が『協力者』か」


「ええ。まずは、貴方たちの胃袋を満たすことに協力をしてあげる。詳しいハナシは、夜遅くにしましょう?……ここのお客さんたちは、長居しないから」



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